都市と楽しみ

都市計画と経済学を京都で考えています。論文や講演も。楽しみは食べ歩き、テニス、庭園、絵画作成・鑑賞、オーディオと自転車

日本中世の民族世界 西京神の千年(三枝暁子):11年間のフィールド・ワークの成果はあるが、まとめのダイアグラムが欲しい

2022-12-11 02:15:20 | 京都

 立命館時代のフィールド・ワークにより緻密なヒアリングだが、論旨のモデル化があるとさらに良いと思う。

①室町~以降(政治)・北野天満宮に北野祭(神体と祭)・西京神人(にしのきょうじにん コミュニティ)・麹座(独占と天満宮「神役」:産業)

②比叡山山門(政治、一部は北野天満宮に肩入れ)・祇園社に祇園祭(神体と祭)・町人(商工業者:コミュニティ)・土倉と酒屋(酒造と金融→日吉社:産業)

の2本とレベルに整理できるのでは、しかも山門のスタンスが、天満宮から、配下の土倉と酒屋保護のため、かつ下京の祇園祭重視にねじれたのが一因と考える。

知見は:

・西京は平安宮の西(北辺から三条、二房から四房)→洛外の西京神人、麹座は保護、北野天満宮の「本所」(産業)と領主(税金・権断権)

・北野天満宮:946年から北野に、文子一族、天神(天かつムラ)、志多羅(しだら)神上洛事件(945年)

・安楽天満宮(北野祭(986年より前)、西京御旅所(12C前))

・北野麹座:利権、酒屋の自家製「麹室」と競合、税金の賦課、神人からの訴え続々

・川井家(建物現存せず):紙屋川(天井川)の鉄砲水により濡れた収穫の稲から黄黴の発生が起源との口伝

・「二日酔」4代足利義持の言葉、6代義教は嘔吐が「最高の座興」:「酔狂の世紀」

・比叡山(山門)の曼殊院が北野天満宮の別当、その関係で山門は「座」(産業)を保護もしたが後には祇園社優先(土倉・酒屋と日吉神社の関係から)、幕府と西京神人は「西京」または「保」の領域管理と捉えた差ががる

・義持は強烈な北野信仰、石清水八幡宮の嗷訴があっても「神慮」

・北野祭 986~7年より、麹業の特権付与と引換の「神役」、西京神人と大宿禰(おおすくね)神人による。再編の歴史、現在は瑞饋(ずいき)祭

・西京神人は西京七保(「上下保」と「二三条保」)、保は領域の単位:木辻通~七本松通と一条から三条に囲まれた中の2つのエリア

・伊勢氏の闕所拝領1429年(代官職設置後は曼殊院門跡を離れる、室町幕府の思惑、北野天満宮は反対):西京神人の独占・北野天満宮への度重なる閉籠と山門の馬代と犬神人による脅し、武家の「洛中洛外酒屋」の営業認可、1442年文安の麹騒動(「自焼」と天満宮放火)につながる、酒屋による麹室経営の認可と酒屋役(税金)の円滑化につながる

・西京神人の伊勢氏被官化は応仁の乱の頃、西京神人からの「甲(かぶと)の御供(ごくう)」献饌(けんせん)

・菜種の御供(太陰暦2月25日)が太陽暦に変わり(約1か月早まったため)の御供に変化

・神仏分離令:7つの保にある御供所(ごくうしょ)の寺号廃止、上地により統合、安楽寺も境内末社「一之保神社」に

 中世は政治・産業・宗教・コミュニティが糾える縄のごとき絡みようと変化だ

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