Masayukiの独り言・・・

老いの手習い日記です。

施餓鬼供養の法要

2010-07-07 15:36:39 | Weblog
 菩提寺は高松にある帝釈寺である。父が眠るこの寺には、10年ほど墓参りを欠かさず行っていたが、15年目を迎え、供えた生花がかれない程度に行くようにしている。
 500近くの檀家があり、この地区では大きな寺といえる。3年ほど前には本堂を新しく建替え立派な寺院となった。この寺は7月7日に近くの同宗の寺から僧侶を集めて、施餓鬼供養の法要を行うことになっている。この法要には10年近く連続して参加している。
 この施餓鬼供養とは、先祖の供養ではなく、お盆に集まる多くの霊魂をお寺が供養するもので、仏教の宗派を超えた慈悲の心を教えるものとして、素晴らしい供養であると思っている。
 この日に合せ、お墓の生花を替えようと昨日の内に花を準備してあった。それを持ってAM9時近く、犬の散歩を兼ね自転車で出かけた。既に駐車場はいっぱいであり、自転車で来て良かった。
 先ずお墓に行き、清掃と生花を備えてから、本堂横の日陰に犬を繋いで、本堂で行われる供養祭に参加した。毎年同じであるが、近隣から多くの檀家の皆さんが来ていて、既に200人以上は来ているようである。準備された椅子に座れないで、畳に座っている人が20名近くいた。気温は30度近くに上がり、クーラーも扇風機も無い本堂は蒸し風呂のような暑さであった。私も畳の上に正座して始まるのをまった。AM10時になって、最初は同じ法被を着た20人程の女性が、御詠歌を歌い始めた。この人達も近隣の檀家の人のようで、もの悲しい歌であるが、調和の取れた歌を披露した。そして読経が始まった。20人以上の僧侶が読むお経は、迫力があり、荘厳な気持ちになる。その言葉の意味は分からないが、お経を聞くと落着いた気持ちになる。
 最後に檀家の人達が、香を焚いて、1時間ほどの供養祭は終わった。
 毎年そうであるが、その後、護寺会総会(檀家の総会)を開く、会計報告が主体であるが、誰も質問しない。お寺は先祖の供養をしてくれることから、耳障りなことは言わないとの考えが浸透しているものと思った。
 私も言わなかったが、その中で、昨年秋におそった震度6.4の地震で本堂の壁に亀裂が入ったとのことから、50数万円の補修を行ったといった。外観からはそのようなものは見ることは出来ないが、新しい建物でも補修が必要となったことに驚いた。しかしこのように立派な建物でも震度5程度でも歪みが出ることを改めて思った。
 帰りがけ、注文した塔婆を貰って帰ったが、お盆が近づいていることを改めて思った。 

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