「御室の桜が散り始めたころ、この桜が満開になりますねんわ・・・」と「おーらい黒田屋」の店主がおっしゃってました。
幹の太さ:2.8m
高さ:約6m
樹齢:約100年
桜は春日神社の門前にあります。
山国荘の領家が藤原氏であった関係で、奈良の春日大社を勧請したお社だそうです
八重と一重が混在する珍種の桜の木
円山公園の枝垂れ桜などの桜守として知られる佐野藤右衛門さんが大阪造幣局の桜の一般公開「通り抜け」百年(昭和58年1983年)を記念して黒田の「百年桜」の若木2本を同局に植樹され「黒田百年」と名付けられました。(通り抜けの始まり明治16年1883年)
そういうことで、造幣局の「黒田百年」に逢いに行ったのは4月17日のこと
だったんで、それじゃぁホンモノに逢いに行こうかな・・・っと。
道路に渡って向かい側から撮ってると、鳥居の右側に、またまた見事な八重桜
「松月」とのこと
「樹の心」 高田敏子
花の季節を 愛でられて
花を散らしたあとは
忘れられている さくら
忘れられて
静かに過ごしている樹の心を
学ばなければいけない
忘れられているときが
自分を見つめ
充実させるときであることを
樹は 知っている
↑ 道草さんよりいただきました。
【おまけ】
常照皇寺から東に、国道477号を行くと下黒田、宮、上黒田を通り、左京区花背へと出ます。いずれも大堰川(上桂川)上流域の狭い谷あいに開けた集落です。宮地区は、近世以前は黒田宮村と称していました。黒田卿の氏神である春日神社の脇にかつて桜の大木がありましたが、明治6年の台風により倒れ、これを惜しんだ村びとが、一本の八重桜を跡に植えました。通常の桜と思い何気なく植えたものの、これが一重と八重の混じり咲く珍しい種とわかり、昭和42年「百年桜」と命名されて大切にされています。当時、樹齢およそ100年であることと、明治百年にあたることによる名前です。
典型的なヤマザクラの変種。花は紅色大輪で、手毬のように固まり咲く。一重・八重・旗弁のあるものが混じる。八重一重といわれる類です。
黒田の「百年桜」への道
ウチからだと、府道22号を国道1号に出て京都市内から西の鯖街道と呼ばれた国道162号(周山街道)を紅葉の名所高雄を横目に・・・北上、道の駅ウッディー京北(左手)の交差点(国道477号と交差)を右折、道なりに2~30分進むと道路わきに大きな桜の木が見えてきます。
こう言うと簡単ですが、わんちゃん的にはスッゴイ難所を運転、高雄を過ぎると周山街道もクネクネのカーブ道、時々後ろから来る車にせっつかれチャンスをうかがっては脇によけるの繰り返し、帰りしなもういっぺん通らなアカンかなぁと思い他の道、花背から市内に・・・と聞けばもっともっとスゴイらしい。常照皇寺に寄ったり(ここの桜は遅かった)しながら帰ると、別にぃ~ってカンジ、けど、ちょっと・・・
行きしなには気づかなかった景色が
クサノオウ(瘡の王)ケシ科:有毒植物
シャガ(射干、著莪)アヤメ科
もう何年も前のこと、免許取って初めて一人、車で信楽の「都しだれ」に逢いに行った時の、国道307号の宇治田原のあのカーブ道を思いだしました、その時帰りは宇治田原の手前で木津に抜けたんでした。
川岸の桜並木に思わぬ出会いすっごく感動したこと、記憶にあります。
信楽の「都しだれ」こちら
幹の太さ:2.8m
高さ:約6m
樹齢:約100年
桜は春日神社の門前にあります。
山国荘の領家が藤原氏であった関係で、奈良の春日大社を勧請したお社だそうです
八重と一重が混在する珍種の桜の木
円山公園の枝垂れ桜などの桜守として知られる佐野藤右衛門さんが大阪造幣局の桜の一般公開「通り抜け」百年(昭和58年1983年)を記念して黒田の「百年桜」の若木2本を同局に植樹され「黒田百年」と名付けられました。(通り抜けの始まり明治16年1883年)
そういうことで、造幣局の「黒田百年」に逢いに行ったのは4月17日のこと
だったんで、それじゃぁホンモノに逢いに行こうかな・・・っと。
道路に渡って向かい側から撮ってると、鳥居の右側に、またまた見事な八重桜
「松月」とのこと
「樹の心」 高田敏子
花の季節を 愛でられて
花を散らしたあとは
忘れられている さくら
忘れられて
静かに過ごしている樹の心を
学ばなければいけない
忘れられているときが
自分を見つめ
充実させるときであることを
樹は 知っている
↑ 道草さんよりいただきました。
【おまけ】
常照皇寺から東に、国道477号を行くと下黒田、宮、上黒田を通り、左京区花背へと出ます。いずれも大堰川(上桂川)上流域の狭い谷あいに開けた集落です。宮地区は、近世以前は黒田宮村と称していました。黒田卿の氏神である春日神社の脇にかつて桜の大木がありましたが、明治6年の台風により倒れ、これを惜しんだ村びとが、一本の八重桜を跡に植えました。通常の桜と思い何気なく植えたものの、これが一重と八重の混じり咲く珍しい種とわかり、昭和42年「百年桜」と命名されて大切にされています。当時、樹齢およそ100年であることと、明治百年にあたることによる名前です。
典型的なヤマザクラの変種。花は紅色大輪で、手毬のように固まり咲く。一重・八重・旗弁のあるものが混じる。八重一重といわれる類です。
黒田の「百年桜」への道
ウチからだと、府道22号を国道1号に出て京都市内から西の鯖街道と呼ばれた国道162号(周山街道)を紅葉の名所高雄を横目に・・・北上、道の駅ウッディー京北(左手)の交差点(国道477号と交差)を右折、道なりに2~30分進むと道路わきに大きな桜の木が見えてきます。
こう言うと簡単ですが、わんちゃん的にはスッゴイ難所を運転、高雄を過ぎると周山街道もクネクネのカーブ道、時々後ろから来る車にせっつかれチャンスをうかがっては脇によけるの繰り返し、帰りしなもういっぺん通らなアカンかなぁと思い他の道、花背から市内に・・・と聞けばもっともっとスゴイらしい。常照皇寺に寄ったり(ここの桜は遅かった)しながら帰ると、別にぃ~ってカンジ、けど、ちょっと・・・
行きしなには気づかなかった景色が
クサノオウ(瘡の王)ケシ科:有毒植物
シャガ(射干、著莪)アヤメ科
もう何年も前のこと、免許取って初めて一人、車で信楽の「都しだれ」に逢いに行った時の、国道307号の宇治田原のあのカーブ道を思いだしました、その時帰りは宇治田原の手前で木津に抜けたんでした。
川岸の桜並木に思わぬ出会いすっごく感動したこと、記憶にあります。
信楽の「都しだれ」こちら
黒田のいわれ、百年桜のいわれ、なぜ春日神社がこの地にあるのか、みんなわかりましたよ。それにしても「領家」なんて日本史の専門用語ですよ。荘園の持ち主のことで、現地には、荘官を派遣して年貢の徴収をやらせていた、ですね。
造幣局の桜から、その桜の故郷を訪ね、本体の里の桜を観る、インテリジェンスを感じる旅です。
以前、「植物園にある外国の花も、本来は現地で咲いているのを見るのが本当と思う」とおっしゃっていましたね。私はその時、なるほど、動物園もそうだな、と思いました。
*おまけの文章の2~3行目、「黒田卿の氏神・・」、とはなんでしょう?もしかして黒田郷ではありませんか?
それでも、〝その場所にある〟桜は、見る人に様々な感懐を与えるものです。私が中学生の頃には、春の遠足は常照皇寺と決まっていました。周山から常照皇寺まで片道8キロばかりの道を往復しました。
その中学校へ登校するのに、自宅から更に6キロ程の山道を歩いていますから、遠足の日は往復で30キロ近く歩くことになります。その頃は、まだ黒田百年はありませんでした。
今では常照皇寺の御車返の桜は完全に枯れ、九重桜も3分の1ばかりに痩せ細ってしまいました。どちらも、傍に二世の若木が育っていますが、見頃になるのには、まだ何十年も掛かるでしょう。
ここしばらくは、黒田百年が京北桜の中心になるかも分かりません。周田街道も残された栗尾峠のトンネルが間も無く開通しますので、道中は楽になります。
わんちゃんが未だ見ておられない桜に、魚ケ渕の枝垂桜があります。いつかまた出掛けて下さい。
見事な桜の写真を有難うございました。
「樹の心」 高田敏子
花の季節を 愛でられて
花を散らしたあとは
忘れられている さくら
忘れられて
静かに過ごしている樹の心を
学ばなければいけない
忘れられているときが
自分を見つめ
充実させるときであることを
樹は 知っている
>卿(きょう、けい)は中国・日本の官位制に於ける高位の官職、及びそれに由来する呼称とあります。
郷とあれば、その地域一帯のことでしょうか?とも思ったりするのですが・・・
黒田卿という高位の家柄の氏神という意味では?
っと推察のわんちゃんなんですけど・・・
よくね、カラオケで歌詞に出てくるお花や地名など現地に行ってみたいと歌いながら思ったり・・・
♪海が割れるのよ~~♪の「珍道物語」の海が割れるところをぜひ観に行きたいな・・・っと。
黒田の「百年桜」のそばの八重桜「松月」に会えるとは、ビックリでした、造幣局ででも人気の八重桜・・・
いつもコメントありがとうございます。
常照皇寺への思いは
「今、一番行ってみたいところ」として
http://blog.goo.ne.jp/mn1944/e/bd4f52079af54fe20cf36041006a8409
ついに念願かなって
「常照皇寺~九重桜~」
http://blog.goo.ne.jp/mn1944/e/4f57a13fd615ac859b60e2410e1e9a66
黒田の「百年桜」は実は道草さんからの口コミでしたね
じゃぁ来年への課題は「魚ケ渕の枝垂桜」っと・・・
いつもご覧いただきアリガトウです。