1975年と言ったかな?
奈良の高校生四人が山に入って遭難し、8日後に救出された事件の
その時の経験談が今日のテーマだった。朝から今日は唐辛子を粉にする
と決めていて、拭き掃除をして唐辛子にかかる予定だった。
でも、遭難事故の話を聞き始めると、ついラジオの前から離れられなくなった。
死ぬかもしれない、厳しい経験である。
高校生たちは今の時代と違い、携帯もなく、自分たちの位置を知らせるすべもない。
なんとかラジオの情報を得ていたらしい。今日の話をしていたのが、その時のリーダーだったらしい。
最年少の高校生が持っていた黄色いポンチョのような物を破いてつなぎ、
滝の上だったかなあ、かけていたらしい。捜索隊に気付いて欲しいのである。
他に手立てがなかったのだ。
彼らは捜索隊が自分たちを探していることは知っていた。
しかし、7日目だったか、専門家が絶望的だと判断し、捜索を中止する情報を聞いた。食べ物も水もない追い詰められた状況の中だった。
捜索隊が山を降り始めた。その時、最後尾にいた隊員が、目の端に黄色いものを感知した。
それが彼らの命がとぼれるのを阻止したのだ。凄い話で涙が溢れた。
その後の話は、次元が違ってくる。
ただ、生還したことを喜ぶだけではない。
最近、時々思うけど、我ら日本人て同調圧力が強い。連帯責任なのだ。
彼らのお陰で、体育クラブやその他のクラブの活動停止や、彼ら自身も停学をくらう。江戸時代の武士の藩制度で、お家断絶はよくあったみたいだ。
この感覚は現代も我らの精神的なところに繋がってる気がする。
警察や消防、そのほか200人もの捜索隊で探し続けたのだ。
その金額は400万円になり、4人の高校生の親たちが工面したらしい。
最近時々思うけど、われらって集団的ダンスとか、みんなでやることが実に上手い。それはいいことなんだろうね。多分。よく分からないけど。
アナウンサーの山本さんが、山登りをやめなかったんですね。
と質問した時、一瞬言葉が止まり、「山はいいですよね」と言った。
彼はその後、その時の捜索隊の隊長に会う機会があった。
その時の隊長の言葉に涙が出た。
「しっかり準備して、また山に来なさい」
あー、なんか分からないけど、この人は分かってる、と思った。
何が?って聞かれると困るけど、こう言えるかなあ。人間がって。
どうやら、夜中に霰が降ったらしい。
これから冬山になるんだね。
「山カフェ」聞いていると、登山ていいんだろうなって気がします。
今は山登りの前に保険に入るらしい。
今日、捜索隊の隊長は準備して詰めていた。
皆さん、気をつけて行ってください。