今年、3組の新しい夏の来客があった。
偶然とは言え、夜の江崎家で歌と演奏を披露してくれた。
わたしは実はセッションが好きである。
素人が集まって、好きに楽器を鳴らし
踊ったり歌ったりするのである。
30代40代の頃は今より元気があったのか、寺に来る来客たちと騒いだものである。
近頃は、そんなに騒ぎたい欲望はなく、音楽も余り聞かなくなった。
以前は1、2時間散歩をしていて、iPodで音楽を聴きながら歩いていた。
聞く音楽はレッドツェッペリンだっったり、メンアットワークだったり様々だ。
時にはモーツァルトの歌劇「魔笛」全曲を聴いたりしていた。
ヘッドフォンが余り好きでなくなり、iPodも失くしてしまい、
中々新しい CDとの出会いもなく、音楽から遠ざかった感があった。
先日やってきたI氏は20年くらい前にわたしにポリス、レッドツェッペリン
ジミヘンドリックス、などをダビングしてくれた人で、
若い頃、ヘッドフォンで音楽を聴きすぎて、高音が聞こえなくなったと言っていた。
本職は養護学校の教師であるけれど、奥さんの歌姫と出会い、ドュオとして
コンサートなどしてるみたいである。その彼らが旦那の版画「春の太陽」
という作品にインスピレーションを得て、オリジナル曲を作っており
初めはそのことを知らずにその曲を聴いた。
わたしは目を閉じて聴いていた。不思議な世界観があった。
声は綺麗だし、ギターの音色もいい。しかし、言葉がこっちに向かってこない。
聴いてるうちに、妙な魅力を感じるようになった。
なにがしかの世界を感じたいのに、肩すかしを食ってるみたい。
しかし、声はあくまで透明だし、ギターの響きが素敵だ。
後で知ったことではあるけれど、歌姫の方はハードロックを歌っていたとの事。
今の曲想や世界観はちょっと危険な感じがするものの、
わたしは彼らの歌が聴けて良かったと思った。危険なというのは対象に向いてなくて
自己完結しているようなとも言えることかな。
メッセージがある意味高尚なのかもしれない。
もう一度聞きたいか?と聴かれると微妙だった。
どっちかというとハードロックの方が好みである。
少なくとも、音楽に触れているのは彼らにとってとても重要だと思えた。
その入れ替わりに登場したカップルの女性の方が声楽家という事だった。
彼女は江崎家に来るにあたって、旦那の好きな曲「オンブラマイフ」を練習してきたらしい。
そして一緒に魔笛の夜の女王のアリアの楽譜を持ってきたという。
うあっほー、と思わず叫んだ。あの夜の女王のアリアを生で聴けるわけ?
なんてラッキーなんだろう。
その時が突然やってきて、あっとう間に終わってしまったけど、
生の声は迫力があった。ずっと聴いていられたらどんなに幸せだろう。
声の訓練も大変だと思うけれど、声楽家という人に初めて出会えた夜でした。
皆さんほんとに有難うございました。
音楽が聴きたくなりました。
米津玄師の「フラミンゴ」聞こうかな。