こんにちは江崎遊子です。

ちょっと言ってもいいですか。

超久しぶりの外出。

2022年04月29日 | 日記
福井の鯖江まで娘の個展を見にいく。
友人のN女史がジムニーで運転して連れて行ってくれる。


新緑の北陸道を走る。しかも運転が上手いのか、快適な乗り心地。
遠くにまだ雪の残る白山が見える。
目的地は友人が経営するカフェ画廊。

わたしは母親と言うより、娘の絵のファンであり、
今回は近いので見たかったのである。N女子も DMを見て
興味がありそうなので一緒に行くことに。

白黒の3作品。



何でもあるよ、と言う感じは大人の玩具屋さんみたいだ。
普段、アートの話は余りせず、サブカルチャーの話が多い。
映画の趣味も、落語でも好きな噺家が全然違う。



版画家である旦那とは同業者としては何かと話をしているのだろう。
そこは首を突っ込まない。
娘は良い画廊のオーナーと出会い、今のところラッキーな感じがする。


絵本から出て来たようなキャラだ。



娘が大学進学の為の勉強をしている所をほとんど見たことが無い。
机に向かっているので覗くと、絵を描いていた。

彼女の多様なイメージの世界を覗いたような面白さだった。

車に乗っけてってくれたN女史に感謝。
そして友達のゲッコウカフェのオーナーにも感謝です。
そのカフェのお客さんにも感謝です。
楽しかったあ。



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何とも言えません。

2022年04月24日 | 世界のニュース
この所、ウクライナのニュースを見るのが辛い。
戦争映画だったら2時間もあれば終わる。
ロシアの侵攻による戦争はこの先長く続きそうだと言う。

この戦争で、ウクライナとロシアとの確執も少し勉強した。
それにアメリカやヨーロッパとの関わりも。
しかし、この戦争を誰も止められず、日々メディアから流れる
残虐さを見続けるのは耐えられなくなって来た。
いつの間にか、他人事だったイラク戦争やアフガニスタンの戦争を遠くから見ていたのと同じである。

自国を守るウクライナを何としても応援するしか無い。
日本に逃げて来た人々を歓迎しよう。

情けないけど、こんな事くらいのことしか言えない。
いっとき、余りにもエグくて、夜中に目が覚めてしまった。

水もなく食べ物もなく、電気もない状態で地下で息を潜めている
ウクライナの人たちを助けられない現実。
無惨に殺される人々。

わが家の前の坂道には春蘭が咲き、

少し前とは言え、今年の桜は見事だった。


そして桃の花も、

おばあちゃんが育てたラッパスイセンも可愛い。



焦土と化したウクライナの地、麦の穂が金色に輝き、花が咲き乱れるのはいつになるのか。



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芽が出揃ってきた。

2022年04月23日 | ゆるゆる野菜作り

今回蒔いた分で芽が出なかったのはアタリアの種のかぼちゃで2021年10月まで
と書かれていたもの。他に21年10月までと書かれていて
芽が出たのはズッキーニ、ゴーヤ、なすの千両2号、である。
オクラは1回目の種まきで出なかったのでもう一度撒いたら
今度は芽が動き出した。気温の関係だろうか?
ハウスでは今盛んにぽっと植え替え中。
遅れてバジルも撒いたけれど、芽が出てきた。
なんか可愛い。
パプリカはなかなか芽が出ない。
今年種を買ったものの、ピーマンとパプリカは
苗を買うつもりである。
去年の種で心配していた人参の芽が出揃った。
これすごく嬉しい。
これからブロッコリーの種も蒔いてみる。
今日はハウスに中の気温が低く、作業が楽だった。
野菜の種も高いけど、苗も年々値上がりするので
多分、苗は作ったほうが経済的。
自給率上げなくちゃね。
ロシアに攻めて来られないように。
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なんか忙しい。

2022年04月15日 | ゆるゆる野菜作り
家で縫い物をしていたら、寺の遼雲さんから電話あり。
塩水選?
いつもなら A子女子が参加してくれるので
まあいいか、と逃げたりする。
しかし、A子女子は実家に帰省中。白羽の矢が立ってしまった。
それが3月31日。
あー今年も始まったと思った。
引き続き苗箱掃除。4月9日。
和尚さんからお呼びがかかった。
早く帰ってきてー A子女子ー。
自分達のお米だし、手伝って当然なのに後ろ向きなわたし。

去年は雪解けが早かったらしく、3月19日に玉ねぎの追肥をしていた。
今年は4月3日である。見回すとF家M家の追肥は終わっていた。

5日にはジャガイモ畑の耕運。2時から3時まで。
今年は縫い物をしていてジャガイモの種を買い損ね、
ホームセンターに唯一残っていたものを買ってきた。
ピルカ?なにそれ?メークインに似ていて収穫量は多く
煮崩れしない、と買いてあった。
まあ、今年はこれで行ってみよう。
規模縮少で30個植えた。
土垂里芋も12個定殖。

7日に人参と春大根の種を路地に巻く。
人参にパオパオを掛けておく。

里芋には籾殻を撒く。
11日からいよいよ果菜の種蒔きである。

6日に男性群がハウス設置、勲たん作り。そしてボカシ作りも。

ありがたい。
10日に水やりの準備。プラスティックの容器を畑に持っていき
ホースを繋いだ。
さてさてさて、です。

稲のとこ土入れ、種まきも無事終了。みんなご苦労様。
14日に春大根の芽が出揃った。
去年の種子だったけど問題なかった。
トンネルをしてパオパオを掛けた。

ウクライナのニュースも気になるし、
知っておかなければならないことも多い。
残虐なロシア軍の傭兵の行為は許せない。
北朝鮮のアメリカ対策のように、
日本も核保有ということになるのか。
いやいや、他の方法を考えよう。





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食生活が変わりました。

2022年04月04日 | 日記
すでにみなさんご存知と思いますが、
少し前に旦那が突然1週間入院しました。

少し前から足が痛いと訴えていた旦那である。
今回わたしは反省しました。
自分の事を「ナース遊子」と言って旦那の症状など
をネットで検索して、これではない?と診断していた。
足が腫れていること、痛くて歩きにくい事、食欲が落ちたことなどから
感染症の「蜂窩織炎」ではないかと旦那に言うと、そうかも知れない
と言う事になり、お隣から抗生物質を貰って飲ませてみる事になった。
旦那も少し良くなったと言っていた。
それでも、一応お医者さんの診断を受けるべきだとわたしは
主張していた。病院嫌いの旦那である、できれば行きたくないらしい。
ただ、旦那は足の腫れがなかなか引かない事に違和感を覚えていたんだと思う。
重い腰を上げて、アトピーの薬をもらうことがある穴水病院の皮膚科にやっと出向いた。

検査をするとして、2時ごろには帰ってくるだろうと思っていた。
あれ?3時になっても戻ってこない。4時になっても戻ってこない。
流石に心配になった。ソワソワした。
5時過ぎだった。突然電話が鳴った。
出てみると女性の声で「エコノミークラス症候群」てご存知ですかと言う。
明確に理解はしてなかった。呑気に暮らしている
ご主人にこのまま入院していただくように言ったのですが
どうしても、一旦家に帰ると言い張りまして
「死にますよ」と言ったのですが「死んでもいい」
と言われて帰って行きました。と言われた。
血栓が足に詰まっていて、大きな血栓が肺や心臓に飛ぶと
死にます、と脅された。

呑気に歌でも歌うような日々の暮らしである。
突然の事件で、わたしは暫く胸の動悸が収まらなかった。
旦那は帰ってきた。
夕飯を食べ、しかもご飯をお代わりして、そして衣類やパソコンなどを
持って、7時までに病院に行かなければならないと言った。
わたしは、隣の寺の長男に車の運転を頼もうかと思ったけれど
旦那が自分で運転すると言い、慌てて病院に向かった。
病院の玄関から奥はコロナ対策でわたしが入れない事になり、
犬のカンちゃんと早々に帰宅した。
帰りはもう落ち着いて70キロのスピードで車を飛ばして来たのである。

翌日の夕方、旦那から電話が入った。
「ご飯の味がなくて食べられん。バッテラでも買って来てほしい」
はいはいと翌日、柑橘類とりんご、それに注文の鯖寿司など買って
病院に届けた。
病院で点滴でもしているのかと思ったけれど、薬を飲んで、体に
血栓の動きを検知する機械をつけているんだとか。
我らはスマホを持っていないので、旦那は病院の公衆電話から時々
電話してくれた。電話用に十円玉を50個渡しておいたのである。
丁度、大相撲の春場所で、テレビを貸してもらい見ていたとか。

旦那は8日目に退院して帰ってきた。
その時、旦那はこう言ったのである。
「薄味の病院のご飯がいいんだよ」「はあ?」
「塩の味がとっても際立って美味しく感じるんだよね」
「はあ?」

旦那は肉体労働者のような塩辛いものが大好きだった。
しかも体にいいひじきの煮物とか、きんぴらごぼうとか、
かぼちゃの煮物とかは一切食べなかった。
彼の中の何かが変わった。病院食のような夕飯?
めんどくさそう。洗い物が多い。手間暇かけなくてはならんでしょ。

ところが100円ショップで可愛い食器を買ってくると
子供の頃のおままごとのような楽しさが出てきた。

要は常備菜をたくさん作っておけば良いわけだし、
これは始めのうちで、段々品数が増えてきた。

今まではメインディッシュを山のようにたくさん
テーブルの上にドンと置いて、さあどーぞ沢山召し上がれ、
てな感じだった。
旦那が帰ってからは、今のところ品数が多いだけで
美味しいと言う感じはないけど、一つ一つが美味しくなったらいいね。
100円ショップであんなに小さい器があるなんてありがたい。
また買ってこよう。

今回の入院事件は旦那にとってはとても良かった気がしています。
私たちはいつ死んでもおかしくない歳になって来てます。
でも、もう少し長く生きる為に、身体は労ってあげなくちゃね。
慢性心不全のわたしはそう思います。
一病息災て言いますでしょ。子供たちごめんね。
我らは長生きするかも。


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