旦那には「俺のことは書くな」と言われている。
妻としてはどうしても意地悪な視点に立ってしまうので
時として、作家のメンツを潰しかねない。
でも、リアリスト(?)としては、ホントのこと、と言っても
私の目を通したホントのことには違いないので
ホントの事はあちこちに沢山あると思う。念の為。
私には慢性心不全という明確な病名がある。
恐らく、同じ様な年代を見渡せば、慢性心不全なんて
山程いそうな気がする。担当医に言わせれば、
ガソリンの様に薬を飲んで、
ボロい車を少しでも長く動かせる様にするんだとか。
なので、旦那より私の方が先にこの世にオサラバするだろうと思い込んでいた。
旦那は今まで、顎関節脱臼、アトピー、水虫ではあるものの、
ほぼ病院にお世話になった事がない。
おばあちゃんも胸厚で地声が大きい、典型的な頑健な体の持ち主だった。
その息子であるし、パワーエリートと思ってたので
私が他界した後も、再婚などして、長生きすると思い込んでいた。
ところが、今年の初め、元気がなかった。
金沢から来た上の息子にインフルエンザでも移されたか、と言っていた。
異変は2月に入ってからだった。
常日頃からタバコをやめる気はない、と豪語していた。
若い頃はハイライトだったけれど、度重なる値上げに閉口して
ゲバラという巻きタバコに変え、ネットでいつも注文していた。
吸う度に巻かなければならないので自分でも吸う量が減るだろうと言っていた。
「風邪薬をくれ」というのでパブロンを渡した。
どうやら、風邪を引いたと思ってたみたいだ。
パブロンはおばあちゃんの常備薬だったけど、ある時から、ボケが進む様な気がして
おばあちゃんからパブロンを取り上げた事があった。
おばあちゃんの飲んでいたのはパブロンでも一番ゆるいものだったけど、
眠気が頭痛やどこかの痛みを和らげるので愛用していたと思う。
でも、飲み過ぎは問題だ。
旦那は薬を飲んだ後は良くなった、と言っていた。
しかし、今回、自分の身体の事について、今までになく
神経質だと、後になって気が付いた。
痰が出る事、咳が出る事、胸が苦しい事。
私は旦那は気管支炎にかかったのでは、と思った。
去年私が気管支炎をやったばかりだったけど
私の主治医は薬をやたらにくれない真っ当な医師で、その時の薬は無い。
気管支炎の時も3錠の抗生物質で1週間してまだ治らない時は
また来なさいと言われた。
以前だと、抗生物質は少なくとも1週間分くらいはくれたのである。
3錠で治るんか、と訝った。しかし、すっかり治ったからビックリだった。
その経験があったし、病院に行って薬を貰えばすぐ治るよ
と言った所、予想どーり、旦那は「病院には行かない」と言いきった。
そのうち、タバコを余り吸わなくなった。
うーん?もはや肺炎にでもなったか。
5年くらい前だったか、寝ていて痰に少し血が混じっていて
慌てて、穴水の総合病院の耳鼻科へ出向いた。
花粉症なので、耳鼻科の医師しか知らなかった。
その時、レントゲンに影が映り、ガンの疑いがあるかもしれない
と金沢医科大学で検査をする事になった。
結局、緑膿菌が肺の毛細血管に悪さをして、その時出たゴミが
痰になって出るんだと言われた。
医科大で遠くて通えないのでと、沢山薬をもらって能登に帰ってきた。
その時貰った薬が沢山残っている。
バナンという抗生物質は、猫のばい菌退治や何かと役に立った。
その中にノイチームという薬もあって
確か、痰の排出を促進する様な薬だったと思い
探し出した。気管支炎に使うとも書いてあったし
もう一度、ネットで確認した。
あらら、製造中止になっている。
卵白でアナフィラキシーショックが出たとかで製造が中止と書いてあった。
旦那はその薬に飛びついた。
私責任取れないよ、といったけど、胸の不快さがこちらの想像より遥かに
悪かったのだろう。
10錠残っていたのを、毎日1錠づつ飲んだ。
そしたら、胸が少し良くなった、というのだ。
旦那は恐らく、肺癌ではないかと、そのことが気になってたと思う。
タバコをしばらくやめるとまで言ったのには本当に驚いた。
私は根拠もないのに、自分は旦那より早く死ぬと思い込んでいた。
もしかして、逆になるかも知れない、と考えたら
旦那の死後の自分の生活が気になりだした。
わずかな貯金を突き崩す様な暮らしはしたくない。
年金だけでは暮らせない。
思わず、気になっていた家庭用のミシンを買った。
ナンとか作務衣でも縫って売ればいい。
「お前は俺のことより、自分のことだけが心配なんだな」
そう言われれば、そのとーりだけど、
旦那が癌と闘う事になれば、出来るだけのことはするよ。
でも、生がある内は生き延びることも大事だ。
守りの暮らしより、攻撃的に生きよう。
でも、本気で旦那の癌を疑ってはいなかった。
ブログに書くからね、と言ったら、「やめとけ」と言った。
「冗談でなくなったらどうすんだよ」と。
どっかで癌を疑うほど、胸が苦しかったんだ、と思った。
そのうち、旦那は治った、とか言いだした。
私は横浜の友人のお母さんのお葬式に出かける前に
自分の主治医に予約を入れておいた。
ともかく、この騒動のホントのことは知っておきたい。
お葬式から帰ったのは月曜日。予約は水曜日である。
もう治ったから行かない、と言っていた旦那が
行ってみるわ、と言いだした。
ホッとした。どうやら薬でも貰ってこようと思っていたらしい。
しかし、医師は薬もくれない、 CT検査もしたのに何も出なかったのだ。
ただ、糖尿予備軍なので塩分に気をつけ、タバコもやめる様に言われただけだったらしい。
あのノイチームが効いたのか、自力で肺炎を治してしまったのか。
真実は分からない。
ともかく、今の所、どーもないらしい。
ミシンを買った手前、縫い物に精を出さなくてはね。
頑健頑健と言われてきた旦那である。
ほんの少し、病気になりたかったのかも。
いやー何でもなくて本当に良かった。
今年もアオゲラがやってきた。
時々、家の板壁をコンコンやっている。
ともあれ元気が一番。
妻としてはどうしても意地悪な視点に立ってしまうので
時として、作家のメンツを潰しかねない。
でも、リアリスト(?)としては、ホントのこと、と言っても
私の目を通したホントのことには違いないので
ホントの事はあちこちに沢山あると思う。念の為。
私には慢性心不全という明確な病名がある。
恐らく、同じ様な年代を見渡せば、慢性心不全なんて
山程いそうな気がする。担当医に言わせれば、
ガソリンの様に薬を飲んで、
ボロい車を少しでも長く動かせる様にするんだとか。
なので、旦那より私の方が先にこの世にオサラバするだろうと思い込んでいた。
旦那は今まで、顎関節脱臼、アトピー、水虫ではあるものの、
ほぼ病院にお世話になった事がない。
おばあちゃんも胸厚で地声が大きい、典型的な頑健な体の持ち主だった。
その息子であるし、パワーエリートと思ってたので
私が他界した後も、再婚などして、長生きすると思い込んでいた。
ところが、今年の初め、元気がなかった。
金沢から来た上の息子にインフルエンザでも移されたか、と言っていた。
異変は2月に入ってからだった。
常日頃からタバコをやめる気はない、と豪語していた。
若い頃はハイライトだったけれど、度重なる値上げに閉口して
ゲバラという巻きタバコに変え、ネットでいつも注文していた。
吸う度に巻かなければならないので自分でも吸う量が減るだろうと言っていた。
「風邪薬をくれ」というのでパブロンを渡した。
どうやら、風邪を引いたと思ってたみたいだ。
パブロンはおばあちゃんの常備薬だったけど、ある時から、ボケが進む様な気がして
おばあちゃんからパブロンを取り上げた事があった。
おばあちゃんの飲んでいたのはパブロンでも一番ゆるいものだったけど、
眠気が頭痛やどこかの痛みを和らげるので愛用していたと思う。
でも、飲み過ぎは問題だ。
旦那は薬を飲んだ後は良くなった、と言っていた。
しかし、今回、自分の身体の事について、今までになく
神経質だと、後になって気が付いた。
痰が出る事、咳が出る事、胸が苦しい事。
私は旦那は気管支炎にかかったのでは、と思った。
去年私が気管支炎をやったばかりだったけど
私の主治医は薬をやたらにくれない真っ当な医師で、その時の薬は無い。
気管支炎の時も3錠の抗生物質で1週間してまだ治らない時は
また来なさいと言われた。
以前だと、抗生物質は少なくとも1週間分くらいはくれたのである。
3錠で治るんか、と訝った。しかし、すっかり治ったからビックリだった。
その経験があったし、病院に行って薬を貰えばすぐ治るよ
と言った所、予想どーり、旦那は「病院には行かない」と言いきった。
そのうち、タバコを余り吸わなくなった。
うーん?もはや肺炎にでもなったか。
5年くらい前だったか、寝ていて痰に少し血が混じっていて
慌てて、穴水の総合病院の耳鼻科へ出向いた。
花粉症なので、耳鼻科の医師しか知らなかった。
その時、レントゲンに影が映り、ガンの疑いがあるかもしれない
と金沢医科大学で検査をする事になった。
結局、緑膿菌が肺の毛細血管に悪さをして、その時出たゴミが
痰になって出るんだと言われた。
医科大で遠くて通えないのでと、沢山薬をもらって能登に帰ってきた。
その時貰った薬が沢山残っている。
バナンという抗生物質は、猫のばい菌退治や何かと役に立った。
その中にノイチームという薬もあって
確か、痰の排出を促進する様な薬だったと思い
探し出した。気管支炎に使うとも書いてあったし
もう一度、ネットで確認した。
あらら、製造中止になっている。
卵白でアナフィラキシーショックが出たとかで製造が中止と書いてあった。
旦那はその薬に飛びついた。
私責任取れないよ、といったけど、胸の不快さがこちらの想像より遥かに
悪かったのだろう。
10錠残っていたのを、毎日1錠づつ飲んだ。
そしたら、胸が少し良くなった、というのだ。
旦那は恐らく、肺癌ではないかと、そのことが気になってたと思う。
タバコをしばらくやめるとまで言ったのには本当に驚いた。
私は根拠もないのに、自分は旦那より早く死ぬと思い込んでいた。
もしかして、逆になるかも知れない、と考えたら
旦那の死後の自分の生活が気になりだした。
わずかな貯金を突き崩す様な暮らしはしたくない。
年金だけでは暮らせない。
思わず、気になっていた家庭用のミシンを買った。
ナンとか作務衣でも縫って売ればいい。
「お前は俺のことより、自分のことだけが心配なんだな」
そう言われれば、そのとーりだけど、
旦那が癌と闘う事になれば、出来るだけのことはするよ。
でも、生がある内は生き延びることも大事だ。
守りの暮らしより、攻撃的に生きよう。
でも、本気で旦那の癌を疑ってはいなかった。
ブログに書くからね、と言ったら、「やめとけ」と言った。
「冗談でなくなったらどうすんだよ」と。
どっかで癌を疑うほど、胸が苦しかったんだ、と思った。
そのうち、旦那は治った、とか言いだした。
私は横浜の友人のお母さんのお葬式に出かける前に
自分の主治医に予約を入れておいた。
ともかく、この騒動のホントのことは知っておきたい。
お葬式から帰ったのは月曜日。予約は水曜日である。
もう治ったから行かない、と言っていた旦那が
行ってみるわ、と言いだした。
ホッとした。どうやら薬でも貰ってこようと思っていたらしい。
しかし、医師は薬もくれない、 CT検査もしたのに何も出なかったのだ。
ただ、糖尿予備軍なので塩分に気をつけ、タバコもやめる様に言われただけだったらしい。
あのノイチームが効いたのか、自力で肺炎を治してしまったのか。
真実は分からない。
ともかく、今の所、どーもないらしい。
ミシンを買った手前、縫い物に精を出さなくてはね。
頑健頑健と言われてきた旦那である。
ほんの少し、病気になりたかったのかも。
いやー何でもなくて本当に良かった。
今年もアオゲラがやってきた。
時々、家の板壁をコンコンやっている。
ともあれ元気が一番。