そうだ、思い出した。
2024年4月28日放送分の「村上レディオ」で、
春樹さんはもうひとつ、大事なことをさらっと言ったのだ。
それは、能登半島への旅のことで、
今回の能登半島地震の被害者の皆様にお見舞い申し上げます、
みたいなことを言ったあと、
「僕は能登半島には思い出があって・・・・・・
学生時代の、大学✖年生の夏、能登半島を旅行したんですよ、リュック担いで。」
というようなことを言った。
この「能登半島への旅」は、「ノルウェイの森」のなかに出てくる。
直子の死のあと、「僕(ワタナベくん)」はリュック担いで一人で、旅に出るのだ。
「ノルウェイの森」の中に、能登半島へ行った、という記述があったかなかったか、
思い出せないのだけど。
時期的に間違いない。多分それは、1969年だ。
実は「ノルウェイの森」の中では、直子の死の前にも、
「僕」は旅行していて、計2回、そういう放浪的な旅行を「僕」はしているのだが、
ある研究本では実際の旅行は一回だったのではないだろうか?と推察しているものがあった。
いや、僕もその研究本に賛成なのだが、
つまり、「ノルウェイの森」の内容のほとんどが「実際に起こったこと」なのだ、と
推察しているのだその研究本は。
あの、学生寮だって実際に存在している(和敬塾)し、
「ねえ、帝国主義っていったい何のことなの?」と
大学の講義室で「僕」に尋ねて来たのは劇中では「緑」だがこれは「陽子」さんの実際の、現実のエピソードだ。
どこまでが創作でどこからが現実なのか?というのは
作家とか作品に関してよくある疑問なのだが、
「ノルウェイの森」のコピー「100%の恋愛小説」の実際の意味として春樹さん本人が解説している、
「この小説は100%、リアリズムの手法で書かれています」というのは
恐らく、そういうことなのだ。全部リアル(現実)に起こったこと・・・・なのだ。
だからこそ痛々しい…のだと思う。
あ、でも何にでも例外はあって、
「ノルウェイの森」のなかでも、レイコさんの存在と行動は架空だと、僕は思う。
あれは作家が作り上げた「幻想」の「救い」なのだと思う。
それはともかく、
痛々しすぎて、村上春樹作品の中で、この「ノルウェイの森」」は僕は・・・・・・・
あまり何度も読んでいない。
春樹さんが「直子」のことを、いちばん一生懸命書いたのは「1973年のピンボール」だと思う。
僕は「1973年のピンボール」が、いちばん好きかもしれない。
あ・・・・・・訂正。去年出た「街とその不確かな壁」の第一部では春樹さん、
「直子」のことを真正面から丁寧に、書いている。とても嬉しかった。
しかし、これ書いてて気付いたのだが
実際に春樹さんが早稲田大学で「直子」と「緑(陽子)」とすったもんだしてるその時、
僕(片山道子)は地理的にその、すぐ近くに居たのだ、
早稲田大学のすぐ近所の、新宿・戸山ハイツに。
僕はその頃・・・2歳か、3歳だが。