50年後のセプテンバーを前に。

2023-08-30 20:13:17 | Weblog

明日が夏休み最後の日で、八月三十一日で、

明日を超えればやっと、あの懐かしの九月に出会えるのだ。

 

セプテンバー。

 

僕が子供だった頃は、

九月に入ったその日から涼しくなっていたような気がする。

九月一日からスパッと、有無を言わさず「初秋」に突入していた。

あれは

気のせいだったのか。

それとも本当にそうだったのか。

 

僕の一家が新宿から福山市に引っ越したのは

1973年の9月だった。

だからちょうど50年経つ。

越して来たばかりの福山・・・・の、

僕らの移り住む家があった多治米町はまだ(その名の通り)、

あたり一面田んぼで、

この時期だからそろそろ稲穂が実りつつあった。

その光景を微かに覚えている。

 

農村の匂い。

越してきてすぐ、 近所の小さな川で僕は

野生のカエルというものを生まれて初めて見た。

新宿にはカエルはいなかった。デパートのペット売り場にしかいなかった。

(戸山ハイツの森に、野生のカブトムシとかはいたんだが。)

コドモ道郎が そのカエルに恐る恐る手を伸ばしていたら

突然、僕と同じくらいの歳の子供が現れて僕に向かって何か言った。

中国地方の方言を聞くのも生まれて初めてだったので

何を言っているか一言も理解できなかった。

その子は同い年の近所の子供だったので(トシカズくんだ)

のちのち友達になって、聞いたのだが

「そのカエルはイボガエルだから触ってはいけないよ」

という意味のことを言ってくれたらしい。

原語表記すればたぶん

「それイボじゃけえ、いろうたらいけんで」って感じか。

今だったら聞き取れるけど、当時は無理だったな。

あれが1973年9月の出来事だったのだ。

 

あの時の僕が・・・9月4日以前なら6歳、

9月4日以降なら7歳だ。

50年という年月は僕をどんな場所に連れて来たのだろうか。

えーっと、ここは・・・・・・・・・・・・

京都だ。

 

いつか東京に帰るつもりだった。

実はそのことは、6歳の頃から固く心に決めていた。

 

だがいろいろあって、

 

今気づいたら京都に居る。

東京と京都は、少し似ているのだ冗談抜きで。

 

トー・キョー

キョー・ト

 

で、裏返ってるけど。

 

 

 

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

気づいたこと。

2023-08-29 21:22:18 | Weblog

なるほど・・・・・と思ってしまったことがある。

今回の汚染水海洋放出の件なのだが、

これは結局、アメリカの意図・・・・っていうか、「指示」なのだ。

(何人かの人がSNSで、そんな意見を述べていた。)

 

そう言われてみれば・・・・・今回の件を

アメリカがどう見てるか?という話は全然出てこない。

中国が猛反発、それにたいして日本政府も反発・・・・という話ばかり。

これは、わかりやすく日中対立を煽られている。

危ない世相だ、とつくづく思う。「剣呑」だ。

日本政府の人達もそこまで阿呆ではないから、

中国が日本産の水産物全面輸入禁止にする、のを

予測できないわけがないのだ。

「予測していなかった」みたいなコメントは嘘だ。

とぼけてやがるのだ。

だいたいが・・・・こんな大きな、重要な、国際問題になる

汚染水海洋放出を、日本政府だけで決められるわけがない。

そんな決定権、持たされてないのだ。

アメリカの意向だ。

急に実行しやがったけど、ずっと以前にこのことは指示されてたのだろう。

嫌な感じ。

米中の対立、というものがここ近年の世界情勢の大きなカギだ。

中国はもちろん親ロシアで、

ロシアのウクライナ侵略を世界中の誰も止められない。

我が国と言えばアメリカの属国、いいなりのイヌだ。「ポチ」だ。

 

我々は、対中国への敵対心を煽られている。

乗せられてはいけない。

罠だ。

おかしいのは、頭が狂ってるのは

放射能汚染水を海洋放出した我が国の方だ。無責任極まる。

そして、表立っては出て来ないだろうが、

それを指示したユナイテッド・ステイツ・オブ・アメリカの

政府首脳だ。

 

世界はあからさまに、「戦争」の方向に誘導されつつある。

騙されてはいけない。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

八月が長過ぎる

2023-08-27 20:29:23 | Weblog

八月ほど、カレンダーを何度も見てしまう月はない。

え?まだ八月?と何度も思う。

日々はのろのろと過ぎる。

僕はと言えば 汚染水のことが頭から離れない。

もっと能天気にこの夏の終盤をマゾ的に堪能したいのだが、

ついつい思考は汚染水の方に向いてしまう。

気が重い。

他国からの非難を内政干渉だ、という人もいるが

海は全世界で繋がっているのだ当たり前だが。

最低な夏。

しかし我々は生きなければならない。

どんなひどい状況に陥ったとしても、生き延びなければならない。

絶望的な状況の中でも飯を炊き、洗濯をし、眠り、

そんな風に日々を生きなければならない。

そして我々の歌を奏でるのだ。

歌は大事だ。

何度か行った「反原発デモ」でも歌・・・・・というか、

多くの太鼓、そしてパーカッションが鳴り響いていた。

高揚のリズムだ。

 

我々は地べたの民である。

俺は 地べたの民であることを誇りに思う。

そして

あまりにひどい政治に対しては革命を願う。

暴力革命ではない、

願わくば無血革命を。

そして我々は音楽を、諦めずに続けよう。

憧れと、愛情と、哀しみを表現しよう。

そういう風に生きたい。それを、体が動かなくなるまで続けたい。

そのためには、

放射性物質なんてものを海に流すのを許してはいけないのだ。

聞く耳持たない首相も、

重税も、原発も、自民党も、公明党も、維新の会も「NO」だ。

 

 

それにしても

八月が長すぎる。

まだ遠い気がするが・・・九月になれば、ライヴの日が来る。

9月23日、大阪・梅田・ハードレインだ。

    ラガドロップス、

    1967&邦、

福岡から ザ・コーガンズ、

そして我々 ROCA’66。

 

 

咲いた花はいつか枯れるが、

それは宿命であって、悲劇ではない。

 

 

 

どうすれば汚染水海洋放出を止めさせることが出来るのか?

誰か教えて下さい。

 

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

原子力政策はそもそも間違いだらけだ。

2023-08-26 21:13:39 | Weblog

原子力政策はそもそもの初めから間違いだらけ、矛盾だらけだ。

 

まず、発電に際して必ず出てしまう放射性廃棄物を、

どうすることもできない。そのことは建設当時から周知の事実だった。

ただただ冷やして、溜めておくだけ。

そしてそれは永年にわたって あらゆる生物に対して遺伝子レベルで猛毒で、

冷やすのを止めれば爆発する危険性もある。

爆発すれば核爆発だ。

 

核廃棄物は 後々の世代に残す「最悪の遺産」である。

 

それだけではない。

 

地震国である我が国において、

大地震とそれによる津波で 電源喪失、という危険の

予想も全く立てていなかった。

アベは国会で「絶対安全」と言い切った。大嘘だった。

それは実際に起こり、最悪の「メルトダウン」という事態になった。

(アベは殺されるべきではなかった。正当に裁かれるべきだった。)

 

ひどいことに

建設時に、万が一 事故でメルトダウンした時にどのように対処するか?

ということを一切考慮していない。

だから当然、そのノウハウがない。

 

だからメルトダウンから12年も経つのにいまだに

「廃炉」にさえ、出来ていない。

「廃炉を目指す」とか言ってる。・・・・・馬鹿過ぎる。

 

そして通常に運転していたとしてもそれは

有事の場合はデリケートな「軍事標的」である。

それを攻撃されたら簡単に核爆発が起こる。

そんなものが日本海側に、何基も何基もある。

 

そしてそして、何事か起こった場合に犠牲になるのは

いつもいつも、弱者である我々庶民である。

責任者は誰一人、責任を取らない。

 

原発はいつも、大都市から遠く離れた地に建設する。

地方は中央の犠牲でいい、と考えているとしか思えない。

 

そうでないなら、というか、

もしも原発が安全なら東京に建設するべきである。

送電線も節約できる。

でも、絶対にそうはならない。

危険だからだ。

 

こんなの、まともな大人のすることではない。

 

もう無茶苦茶、と言ってもいい。

 

そして今回の汚染水海洋放出。

 

「どうしようもないから海に流します」と言っているのに等しい。

 

 

汚染水における、

トリチウム以外の放射線物質は、

「測定すらしていない」というのは国会論議で明らかになった。

 

トリチウム以外の放射線物質は安全なのか?といえば、

とんでもない。

危険極まる。

 

 

 

 

もっと我々は怒らなければならない。

声を上げなければならない。

本当に本当に無茶苦茶なことが行われている。

 

 

今回の汚染水の件はIAEAも認めている、という。

IAEAが第三者機関?????笑わせるな、

IAEAは原子力推進機関だ。

 

さまざまなやり方で我々は騙されている。

それに気が付かなければいけない、と思う。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

放射能汚染水の海洋投棄、始まる。

2023-08-25 21:29:42 | Weblog

放射能汚染水の海洋投棄が遂に始まった。

近年の我が国の政府のやることは、ことごとく クルっている。

まともではない。

「処理水」などと言い換えて誤魔化そうとしたようだが、

「処理」など出来ていないのはミエミエだ。

あんなの「汚染水」でしかない。

 

今後のこの国は、国際的に孤立してゆくのだろうと思う。

情けないし、悲しい。

そして我々も、今までのように無邪気に海産物を口にできない。

風評???風評などではない。

 

どうすればいいのだろう?と考える。

とにかく、欲と裏金にまみれた現政権は退陣させる。

そして永遠に、政治の世界から消えてもらう。

そのあとは、まともな考えを持った人に政治を運営してもらうのだ。

汚染水海洋投棄はすぐにストップ、

原発再稼働も、やめさせる。

そして、メルトダウンした福島第一原発の「廃炉」を目指す。

ちゃんと「廃炉」にすら、出来てないんだぜ?あれ。

汚染水は、とにかく溜めておくしかない。

それか、自民党議員の飲料水として使用する。

 

海洋投棄は今から始めて、30年かかるそうだ。

30年後には岸田なんか影も形もない。

もう、ギャグみたいだ、笑えないギャグ。

本当に・・・・アベシンゾウ以降の総理大臣はクチだけだ。

いけしゃあしゃあと、「責任を取る」と言うだけ言うが、それだけだ。

誰一人、間違っても責任など取らない。

 

政府よ、汚染水の海洋投棄をとにかくストップせよ。

とんでもなく酷いことになるから。

もう始まっちゃったけど、

30年も続けさせてはいけない。すぐにストップだ。

 

どこまで酷くなって行くのだろうか?日本という国は。

 

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

翳り始めた光について

2023-08-22 21:32:11 | Weblog

今日の朝 気が付いたのだが、

陽光の色が昨日までとは ほんの少し、違う。

僅かに翳った色合い。

セピアとまで行かないが「セピア的要素」が入り込んだ色。

昨日までとは何もかもが違う。違って見える。

夏の終わり近くには時々、こういう日がある。

これは「分水嶺」なのだ。

昨日で突然、夏は終わったのだ。

九月の終わりまでまだまだ暑い日は続くけど、

もう既に「盛夏」ではない。

二千二十三年の「盛夏」は既に失われてしまった。

その「光」は、写真には写らない性質のもので、

だから撮ってみたところで、何の証拠にもならない。

でもそれはそれでいいのだ、

夏なんかいつも暑いばっかりで、ロクなことがない。

この夏も、いいことなんてひとつもなかった。

(いや・・・ひとつ、ふたつは、あったかもだ。)

でも

あと二か月もすれば黄金の

秋の王国の到来を我々は目にするのだ。

九月はもう、夏の奴らに奪い取られてしまった。

二十一世紀の現代における九月はもはや、秋ではない。

あんな奴、もう秋ではない。

十月はまだ辛うじて持ちこたえている。

レイ・ブラッドベリが遠い昔、予言したように

「十月はたそがれの国」で、あり続けている。

私は願う、十月にその 「たそがれの国」 で、ミノムシと化すことを。

そして ただただ枯葉に包まって眠る。

羽化さえ、もう私の望むところではない。

「蛾」になるくらいならミノムシのままでいいのだ。

ミノムシの何処が悪い?と私は思う。

「蛾」だって別に、悪くはない。

えーと、何の話だっけ。

そうだ陽光だ、翳り始めた光のことだ。

そんな光さえ私はもう、求めはしない。

冬?

秋の次には冬が来る?

そんな希望的、楽観的な予想は今の私には到底出来はしない。

翳り始めた光だって明後日の朝にはもう

跡形もなく消えてしまった、などということさえ

あり得なくはない、と思うのだ。

 

暗転

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2023年、春樹さん関連の出来事  その3

2023-08-20 15:21:48 | Weblog

その「ブルータス」特別編集 村上春樹

の中でもう一つ、ものすごく大きな(自分にとっては)、発見があった。

 

1984年に、春樹さんは

雑誌ブルータスのドイツ特集のための現地取材、ということで

他数名(たぶん、編集者)と共に1か月間、ドイツに滞在した。

(その事実自体、僕は全然知らなかった。)

その結果、小説「3つのドイツ幻想」と、11のエッセイを寄稿している。

で、その1984年4月15日号の一部が今回、復刻されている。

その中で春樹さんは文章で触れていなくて、写真が何枚か載っているだけなのだが、

当時のドイツと言えば、「壁」だ。「ベルリンの壁」とも呼ばれていた。

東西ドイツを隔てる、「壁」。1989年に社会情勢の変化により崩壊し、

今はもうこの世に存在しない「壁」。

西側と東側を厳然と区切る、「壁」。

この「壁」・・・・・「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」

に出て来た街の、あの「壁」を思わせる。

高さも、近いと思う。何よりもその、重苦しい存在感が。

 

「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」が世に出たのは

1985年だったはず。発売時、僕は19歳だったから。

 

その間、1年。

 

ベルリンの壁を見て「世界の終わり」の壁を着想した?ってことではない。

1年であんな長大な小説、書けるわけがない。

(「壁」は、「直子」の空想から生まれたものだし)、

僕が思うに 春樹さんは

物語中の「壁」のリアリティを強固にするために、

実在の壁を見るために、

この1か月にわたるドイツ取材旅行をオッケイした・・・・・

のかもしれない。ただの推測だが。

 

 

 

僕は「直子」は実在した、と思っているのです。

「直子」は、初期三部作の中の「風の歌を聴け」と「1973年のピンボール」、そして

「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」と、

その原型である最新刊の「街とその不確かな壁」の

登場人物であり、初期作品における重要なモチーフだ。

 

「僕は実在の人間をモデルにはしない(「突撃隊」を除いて)」、とご本人は

何度か仰ってはいるものの、そうとしか思えない。

 

 

あああ、今更ながら言うが、

こーゆー話って、春樹さんの本とか読んでない人には

全然伝わらないよな。

ごめんなさい。

でもこれは、自分のために書いている部分も、多いのです。

 

来月も楽しみなライヴがあるし、

音楽も活性化して行こうと思ってマス。

 

まだまだ暑い・・・っていうか非・人間的な夏本番がまだまだ続くけど

我々は、何とか生き延びて、

ぎりぎりでこの世界に留まっていようではないか。

 

そして9月23日には大阪・梅田・ハードレインで会おう。

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西暦2023年、春樹さん関連の出来事 その2

2023-08-20 12:41:43 | Weblog

そう、そして

僕は今回この雑誌の特別号を読むまで知らなかったのだが、

西早稲田にある早稲田大学の中に「村上春樹ライブラリー」というものが

出来たらしい。2021年10月にオープン、とある。

大学の中の「4号館」という5階建ての建物をまるごと、

村上春樹関連で埋めて尽くしているのだ。

「ギャラリーラウンジ、オーディオルーム、スタジオ、ラボ、展示室、

研究書庫、セミナールーム、カフェ、村上さんの書斎(再現)までを配備」

だって。

「3~5階は村上文学の研究者のみが入れる研究スぺース」だそうな。

この、早稲田大学の住所

「新宿区 西早稲田1-6-1」というのを見た時、僕は「ん?」と思った。

もしかして・・・と思って地図を見たら、やっぱりそうだった。

ここは、僕が生まれ育ったあの

「戸山ハイツ」から目と鼻の先・・・くらいの距離だった。

500メートルも離れていない。歩いて、すぐの距離だ。

子供のころ、近所から吹奏楽部の練習の音がしょっちゅう、聞こえていた。

あれが早稲田大学だったよ、そういえば。

あの建物の中に、春樹さんがいた(時もあった)のだな。

そういえば親が冗談交じりに言ってたかも。

ワセダ大学が近いから、大きくなったらあそこに行こうね、とか。

(福山に引っ越し、そして「お勉強」が苦手になってしまったので無理だった。)

僕は7歳で東京を離れているので、東京の地理感覚というものが全然ない。

そっか、早稲田は新宿だったんだ(当たり前、と言えばそうだが)。

で、春樹さんが早稲田に入学したのが多分1968年。

僕はその頃、2歳。春樹さんは5年くらい大学に通ったらしいから

1973年まで通ってたのかな。

僕が新宿を離れたのも1973年だ。

むむむむ。

 

僕は、「すべてのことが自分に関係ある」と、ことあるごとに思っている。

しかし、それにしてもスゲエなあ。

学生時代の、まだ若かりし頃の村上春樹が そんな近くに

存在していただなんて。

 

春樹さん、確か1948年生まれだったよな。

そうなると、今年でもう75歳になる。

 

先述の早稲田大学内の「村上春樹ライブラリー」という名称はあくまで”通称”で、

正式名は「早稲田大学国際文学館」という。

春樹さん本人が「生きてるうちに自分の名前をつけて欲しくないんだよね」

という意向、とのことでそうなったようなのだが、

でも「生きてるうちに」とか言われるとちょっと

ドキッとしてしまう。

 

 

今年出た長編小説「街とその不確かな壁」は、

村上春樹文学の「欠けていた最後の1ピース」

のようでもあったから。

 

春樹さん、自身の「最後」を、考えているのだろうな。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西暦2023年、春樹さん関連の出来事。

2023-08-20 11:34:02 | Weblog

ついこないだ新幹線で福山に行った時、

駅で1時間くらい空いたので、新刊本屋に寄った。

 

新刊本屋は偉いのだ、何故なら新刊本屋なくして

古本屋も、存在し得ないから。

 

そこで、ブルータス誌の特別編集本を見つけた。

むむむ、嬉しい。こういうタイプの、雑誌の特別号というのは

それが出た時にしか店頭に並ばないし、ましてや古本屋に出回ることは

滅多にないのだ、経験からして。

 

さてその中身なのだが、とても充実していた。素晴らしい。

いくつか事例を上げたいのだが、

まず、Tシャツの件。

このTシャツ・・・偶然というか必然というか、

ウチにもあって、ちょっと前に家人が買って来てくれたもの。

バックに村上春樹のサインが印刷されているのだが、

この絵は何?????と思っていた。あんまり上手くない(失礼)し、

意味わからんなぁ、とタンスにしまい込まれていた。しかし!!!

 

この今回の、ブルータス特別編集本の中で、

早稲田大学内に出来た「村上春樹ライブラリー」を紹介している記事があった。

そこで春樹さん所有のレコードの写真が小さく載っていて、

よく見ると・・・・そのレコードの片隅にこの絵がある。

写真のキャンプションによると

 

「寄託レコードの中には、村上さんがかつて経営していたジャズ喫茶

<ピーター・キャット>のスタンプが押されたものも。」

 

とのこと。

この絵は何と、ピーター・キャットの「蔵書(というか蔵レコード)印」

だったのだ。

 

ひぃいい。そうだったのか。ということは更に深読みすれば

その当時(か、そのちょっと以前)に春樹さんが飼っていた

「ピーター」という猫の顔なのだろう、この絵は。

 

「ピーター」は、特別な猫 であったはず。

 

それを知ると、この絵が、そしてこのTシャツが、すごく大切なものに

思えて来た。今でもユニクロで買えると思う。1500円で。

この、今回の「ブルータス特別編集村上春樹」の裏表紙が全面、

このTシャツの広告になっている。

そしてこれはチャリティプロジェクトなので、

「利益の全額は貧困、差別、暴力、紛争などに影響を受けた人々を支援する

国際団体に寄付されます」とのこと。

 

やるなぁ、ユニクロ。

この絵についての説明がまったくないのも、心憎い、と言える。

・・・・・わかりにくいよ、とも思うが。

(よっぽどのファンでもこの絵のことは知らん。)

 

 

その、東京の千駄ヶ谷に1982年くらいまで存在したジャズ喫茶

「ピーター・キャット」は 僕の憧れの店、でもある。

今回のこの「ブルータス」に、その店の写真もあった。

1980年に、この雑誌が紹介しているのだこの店を。

(当時の、まだ若い春樹さんも映り込んでいる。)

そのこともまた驚きだった。

その理由は・・・・

 

春樹さんの著書の中に「国境の南、太陽の西」という小説があって、

その中で、主人公のお店が「ブルータス」に写真入りで掲載され、

そのせいで、主人公にとっての「運命の女」である島本さんが

お店を訪れるのだ。

 

それを読んだ当時僕は、

”「ブルータス」に掲載”って、やたら現実的で即物的だな・・・・・

と思いはしたのだが まさか本当に過去に、

「ピーター・キャット」が「ブルータス」で紹介されているとは

夢にも思わなかった。

 

そして

そうなると、ここでも現実と虚構が交差する。

「島本さん」は

実在した、と言われたとしても納得する程 存在感のある登場人物だし。

 

面白すぎる・・・・・・・・・・・村上春樹。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年ヴァージョンの「お盆の旅」の顛末。

2023-08-17 21:05:56 | Weblog

ここ4~5日、日記の更新がなかったので

お察しの人も・・・もしかしたらいるかもしれないけれど

私は、恒例の、お盆やすみで福山に行っておった。

思えば高校に入学するときに家を出て、

学校の寮に住んでいた頃からこのような毎年の行事は続いている。

お盆と、暮れ/正月ね。

何の因果か応報か。

高校の一番初めの夏休みが16の歳だったとして、

41?41回もこんなことやってるの?

ひぇええええ。気が遠くなりそう。

帰れば必ず、友達とも会って飲みながらお互いの現状を語り合う。

そのことも恒例となっている。

 

今年は、いろんなことがヘヴィに感じた。

具体的にどうこう、ではないのだけれど

あと5年以内に、我々の立ち位置が大変貌を遂げる気がする。

いい風に変わるか?悪い方に変わるか?それはわからない。

ただこのままで続きはしない気がする。

 

この日記、この後は 新幹線の運休や混乱に巻き込まれなかった・・・・

という話を書きます。

自分自身の覚え書き・・・という意味も含めて、細部まで書くので、

それは退屈かもしれないので、

そーゆーの興味ない、って人は ここから先は飛ばしてくらっさい。

 

 

15日には妹や母親、姪っ子、姪っ子の赤ちゃん

たちと「海」へ行く計画であった。

2023年の8月15日。78回目の終戦記念日である。

そういう日に海に行くのはどうか?という気もするが、他に都合の合う日はない。

だから行くつもりだったのだが・・・・・台風の接近で諦めた。

それはまあ、しょうがない。

でもそのせいで

JR西日本が計画運休を実施して、8月15日は

岡山~新大阪間の新幹線が全面運休、ということになった。

始発から終電まで、一本の新幹線も走らないのだ。むむむ。

このことは14日に決めたようだ。

しかし・・・・・・・・・今までこんなことはなかった。

お盆に台風が来たことくらいはあったが・・・全面運休はなかった。

僕は、16日に京都に帰るつもりで、16日の新幹線の自由席の特急券を

あらかじめ買っておいた。自由席ならいつでも乗れるので、好きなのだ。

行動の自由は大事だ。

でも

15日の岡山~新大阪が全面運休なら、翌日の新幹線は

15,16、の二日分の人々が殺到してエライことになる、と

僕は思った。あまりにも混むと新幹線は、乗れないことがありうる。

ということで16日の朝はまだ暗いうちから起き出して、

5時半に家を出て、6時前に福山駅に着いた。

酷ければもう行列が出来てるのでは?と予想したのだが、

始発の東京行きは6時25分なので、さすがに人はそんなにいなかった。

ちょっと気抜けしつつ、自由席のところに並んだ。

僕の前には一人立ってるだけだった。

それがしかし、15分くらいあとで後ろを見たら20人以上並んでいる。

一号車の端っこの、ひとつの乗り口だけでそうなのだ。あとは推して知るべし。

ひぃ。早くウチを出て良かった。

そして広島発の新幹線が福山駅ホームに着く。ぎゅうぎゅう・・・ではないが

席はひとつも空いていない。座ろうなんて思ってないからそれはいいのだ。

福山を出る時には通路も立ってる人でいっぱいだった。

次の停車駅の岡山くらいから、嫌な感じのぎゅうぎゅうになる。

京都まで1時間ちょっとくらいなので全然大丈夫なのだが。

そのまま新大阪に着く。新大阪から京都は15分くらいだ。

まあ、予想よりは全然ましだったな、と8時半ごろ家にたどり着いた。

あとで知ったのだが

その8時半ごろに静岡の豪雨の影響で東海道新幹線が止まり、

西日本も、もろに影響を受け、お昼前後から新幹線全体が運休になって

もう何だか「わや」な状態だったようだ、夕方、いや夜中まで。

ニュース映像を見たら6時間車内に居た、という人もいた。

僕は 朝早く起きて始発に乗ったおかげで、

その影響をほとんど受けずに無傷で、というか

まったく通常通りの時間で移動出来たのだった。

・・・・・・・・・・・・よかった。

心からホッとした。

行列とか渋滞とか、もう本当に嫌いなのです私は。

 

あとになったら、こんな細かいこと絶対忘れると思うので、

細部まで執拗に書いてみた。

2023年8月16日の出来事。

 

家に帰ったら、マンション前の、無償で借りている花壇に植えた

向日葵が

いくつか、咲いていた。台風の影響はこちらも、

ほとんど受けなかった。

今が満開である。

 

長々と読んでくれてありがと。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする