うつらうつら

2020-11-30 20:46:42 | Weblog

今日はとりとめもなく、トラックを運転しながら一日中、

様々な物思いに耽っていたのです。

だから(と言うか何というか)この日記も明確にテーマを決めず、

うつらうつら、とうたた寝するみたいに書いてみようと思います。

文体の統一も、なしで。

 

 

 

今日で11月が終わる。

11月最後の夜が満月だ、なんてのは偶然にしても出来過ぎだ。

 

 

兄弟のような気さえする友達、「清治」のことを、思い出していた。

 

エネルギーとポジティヴィティの塊のようなヤツ。

本当にすごいヤツ。

どんなピンチな状況でもニコッと笑って「大丈夫」と言えるヤツ。

ヤツは今は、埼玉で元気に暮らしているはずだ。

滅多に会えないのだけれど、僕はヤツに、ものすごく影響を受けたし、

今でも尊敬している。

ああ、何だかアイツのこと思い出すだけで元気になれる気がする。

いつか、会ってゆっくり話をしたいなあ。

お互いがもっとお爺さんになってからでもいいんだけどさ。

 

お爺さん・・・・・で思い出してしまうのは、今年亡くなった「ネクスカ」「初期ランブルフィッシュ」の

ドラムス担当だったモ吉のこと・・だったりする。

彼は妙に達観したところがあって、そういう人は戯れで「おじいちゃん」と呼ばれたりするのです往々にして。

彼の「不在」が、少しずつ現実味を帯びてきて、

ああ、モ吉はもういないんだ、ということを理解してしまったみたいなのです僕自身が。

そのことは、ヘヴィではない・・・・のだけれど、空虚感と喪失感が半端ではなかった。

もともと・・・というか1988年以来、「岩佐を失ったもの同士」の、空虚と喪失でつながっていたのです

我々は。

相乗効果を伴って空虚感と喪失感がグルになって攻めてくるような感じ。

昔からの仲間、というのはやはり特別に感情移入してしまっているフシがある。

モ吉の不在は、、寂しい。

 

満月の夜は感傷的になるものだろうか?

それとも激情を抑えられなくなる?

 

 

どっちなのか全然わからないけど、兎にも角にも、2020年の11月は

今日で終わるのです。

 

 

 

 

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些細なことは気にするな。

2020-11-26 21:23:02 | Weblog

様々なこと・・・例えば、イヤな奴とか、

面倒臭い物事とか、苦手なあれこれ・・とかを、

 

「気にしない」ように心がけるのは、生きていくうえで大事なことだ。

 

気にし過ぎると、ロクなことがない。

些細な軋轢は無視出来る「強さ」を身に付けることは

どうしたって必要なのだ。

 

「気にしない」は英語で言うとネヴァーマインドであろうか。

 

かのセックスピストルズの「ネヴァーマインドザボロックス」というアルバムタイトルの由来は

ギタリストのスティーヴジョーンズの発言から・・・なのであるそうだが

(盗癖といい、バンダナ帽子といい、スティーヴジョーンズはどこまでも馬鹿で素敵だ)、

意味は「キンタマ野郎なんて気にするな」だ。

「ボロックス」なんて、そんな奴ら、気にしなくてもいいのに

・・・・気にしちゃってるのだ。気にしてるからこそ、こんな発言が出る。

 

もうひとつ。

90年代のグランジロックを代表するアルバム、

世界中で大ヒットした、ニルヴァーナの「ネヴァーマインド」。

 

この人、カートコバーンの場合、人気爆発してから、そのせいで「気を病んだ」ようにしか見えなくて、

ついには1994年に自殺してしまうのだが、

そーゆーひとはやはり、

「気にするな、気にするな」と自分に言い聞かせ続けたのであろう、と推測する。

でも結局・・・・・気にしちゃったのね。

 

 

 

 

それはともかく、

 

 

 

 

我々の目的は

「気高く」生きることだと思う。

 

そうなれれば、

キンタマ野郎(ボロックス)なんて気にしなくてもいいし、

「世間」なんてのもね、

はっきり言って どーでもいい・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

という風になれるかもしれない。

 

 

友達よ、せめて我々は、「気高く」生きようではないか。

 

 

 

 

 

 

 

でも今、突然思いついたんだけど

 

「ボロックス」って、バンド名にしたら「やさぐれ」感が、いい感じかも・・・・・・・・・・。

 

 

って、既に・・・・・・そんな名前のバンド、あるのかな?

 

 

あっても全然、おかしくないよな。

 

 

 

 

どーでもいいけど。

 

 

 

 

 

しかし意味は?って聞かれたらいちいち「キンタマ」って言わなきゃだよな。

 

 

むむむ。

 

 

 

お下品ですいません。

 

 

 

 

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紅葉。

2020-11-20 21:37:04 | Weblog

ここ数年、「紅葉」に心を動かされ過ぎて、自分でも自分を持て余している。

美しすぎるのだ山が。どこもかしこも。

トラックの同僚に同意を求めると、決まってみんな怪訝そうな顔をする。

彼らはあれを、特に美しいとは思わないみたいだ。・・別にいいけど。

山の木々の葉っぱが赤や黄色に染まるくらい、何てことないのだ。

確かに・・・・・・・・・・・・・そうかもしれない。

それはただの、季節における自然現象なのだ。

しかし、美しいものは美しい。

試しに何枚か、写真にとってみたのだが予想通り、見事にその「感動」は映らない。

ただの「木々」しか写らないのだ写真には。

その「オーラ」みたいなものが写らない。当然と言えば当然なのだが。

しかし、考えてみたらこんな光景、もっと若かった頃にも見ているはずだし、

何なら子供の頃だって・・・・秋になればこの紅葉の風景を目にしていたはずである。

しかし過去の僕は、何にも感じなかった。

若いヤツにはわからないのだ、「紅葉」の美しさが。

確かに・・・「紅葉狩り」ツアーとかは老人が多い、という印象が強い。

女子高生がバスを借り切って「紅葉狩り」には、いかないかもしれない。

例えば幼稚園児が「紅葉」に感動していたとしたら、その光景は奇妙なものだろう。

「紅葉」の美しさはある程度、歳を重ねなければわからないものなのだ・・・・きっと。

ところでさっき「紅葉狩り」という単語が出たが、

「紅葉」を見に行くのに「紅葉狩り」という名称は、あまりにもそぐわない。

そう思いませんか。

「狩り」という行為は、動物とか獲物を殺して持ち帰る行為で、それは「狩猟」だ。

「狩猟」が悪いことではない、もちろん。(レジャーでやるならどうか?とも思うが。)

「オヤジ狩り」なら話は別だ。「オヤジ狩り」は単なる弱者標的の恐喝で、卑怯な犯罪だ。

「狩猟」に対して、「紅葉」を見て楽しむ、という行為はとても平和的で、

いい意味で受動的だ。

「草食」的でもある。

「狩り」と正反対の行為だからこそ、「紅葉狩り」は、単語として面白いのであろうけれども、

僕は違和感ばかりを感じる。

「紅葉」を見て楽しむ、という行為はもっと崇高で、悪い意味ではなく「老婆心的」である。

僕は単なる老青年であるのだが、

(自慢になどならないから言うのだが)・・・老婆心すら、持ち合わせているのかもしれない。

しかし「紅葉」の季節は、今しかないのだ。

あと半月もすれば葉っぱは落ちてしまって、山の風景は灰色に染まる。

灰色と、常緑樹の緑色だ。

燃えるような鮮やかな赤と、輝くような黄色の葉っぱを拝めるのは、あと少しの間だけなのだ。

 

ああ僕はもしかして映画「12モンキーズ」に出てきた、

未来からタイムスリップしてきた囚人なのかもしれない。

映画の中で彼は、海を見て感動しつつ、こう言っていたのだ(うろ覚えだが)

「俺は海を初めて見たんだ!俺たちの時代にはもう海なんかないんだ!」

と。

 

今の僕には「紅葉」が、とても貴重で、はかなく消えて行ってしまうものに見える。

 

っていうか、

 

 

そうとしか見えない。

 

 

 

写真は、オーラの映らなかった「紅葉」の風景。

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光の粒子について。

2020-11-19 21:08:53 | Weblog

それはまるでキラキラ光る、細かい光の粒子みたいなもの、と言う風に僕は

認識していた。

それは例えばレコード盤の中から立ち現れてくることがあるし、

本のページの中から出現することもある。

趣味のいい雑誌のモノクロ写真の中にもちりばめられているし、

街のカラフルな雑貨店の店頭とか

アメリカ村の古着屋のショーウィンドウの中にもあった。

僕はそれを求めて、

少しでもその、光の粒子みたいなものを体に触れさせて、吸い込んで、

出来れば僕自身もその光の粒子みたいなものに同化したかった。

僕の体を叩けばまるでホコリのように、その粒子がボワッと出てくる・・・・・・・・

ようになりたかった。

でも

いつでも、どんな時でもその粒子を身にまとうことは不可能で、

全然駄目なときとか、

興味ないことに関わっているときとかはその光は、

全く・・・・と言っていいほど、輝いてはくれなかった。

でも、そう、例えばギターなんていう物質はその粒子が集まって出来てるみたいに、

いつでもキラキラと輝いていたし、

僕が

音楽やギターを通して出会えた友達の瞳の中からも、

そのキラキラ粒子は飛び出して来てくれて、僕の周囲を明るく照らしてくれた。

それを自分で創り出すことも出来るのだ、ということを発見した時は嬉しかった。

僕自身が、僕の中にため込んできたそのキラキラ粒子を

好きな形に整えて、固定して、「世界」に放出することが出来たのだ、ある日。

それは「楽曲」というひとつの存在になって、

そいつが現れると同時に例のキラキラ粒子が僕の体の周囲半径2メートルくらいの空間を

光で満たしてくれるのだ。

とても素敵だ。

だからこそ僕は「世界」を、全部ではないにしても、

その多くの部分を、

愛することが出来るのだ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・と思う。

 

 

知らんけどさ。

 

 

 

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「それ」

2020-11-17 20:43:45 | Weblog

俺達は特に成功したわけではないが、別に…失敗したわけでもなかった。

 

それぞれの人生のある特定の時期に、ある種の人間(メンバー)でしか成立し得ないものを

現実的に、作り上げていただけの話だからだ。

 

つまり、目論見は 果たしたことになる。

 

「それ」を、利用したりすることも考えていなかった。

 

利用できないものは無価値、と判断される世界においては「それ」は無意味だ。

 

でも俺達はそんな世界の住人ではなかった。

 

今はもう消えてしまった物事について考えたり、語ったりすることは

消耗でしかないだろうか?

…俺はそんな風には考えない。

でもまあ、現実問題として

「それ」がもう消失してしまったことは確かだ。

 

もう生でそれを君に、見せてあげられないのだ。

そのことは置いておくとして・・・。

 

俺は「それ」が俺達をどのような場所に連れてきてくれたか、ということのほうが重要な

事のように思う。

 

「それ」は比類なき強力なエンジンであり、

年代物のバイクでもあり、

ワープ航法すら可能な宇宙船のようなものであったからだ。

 

もちろん、そういう姿をしていたわけでもない。

 

っていうか、姿は・・・・なかった。

 

実体と言うものを持たなかったからだ。

 

それはつまり、概念でしかなかった、ということになるのかもしれない。

 

たかだかロックバンド風情に概念とは大げさだ、と思われるかもしれないけど、そうなのだ。

 

 

「幻の人格」みたいなものが、確かにあった。

 

 

あった、というか・・・・・・そういう奴が確かに、いた。

 

我々が「それ」の名のもとに集まって、音を出すときにのみ、現れた人格。

 

誰にも似ていなかったし、

 

誰にもコントロール出来なかった「それ」。

 

 

奴は今、どこにいるのだろう?と思う。

 

 

下水に流されて行ったかもしれないし、

 

 

高熱の窯で焼かれてしまったのかもしれない。

 

 

もしかして・・・・剝製になって大英博物館に展示されているかもしれない。

 

 

でももしかしたらまだ生きていて、

 

 

ずっと君の後ろからついて来ているのかもしれない。

 

 

「死角」にいたから、君には気づくことが出来なかっただけの話なのだ。

 

 

 

 

 

そいつの名は「ばるぼら」という。

 

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宿命の革ジャン。

2020-11-14 15:50:50 | Weblog

もちろん音楽が大好きなのだが、

昔から服も好きだった。特に古着。

かの「ランブルフィッシュ」時代に、陰で「ミチは音楽よりもファッションが好きなんちゃう」と

揶揄されていたそうだ。・・・だいぶ後になってから知ったのだが、さもありなん、である。

 

でも音楽よりファッションが好き、ということはない。どちらも、同じくらい好きである。

 

20歳から3年間くらい、アメリカ村の古着屋でバイトしていた。

中古レコード屋とか古本屋でなく古着屋だったのは偶然と、

本人の趣向も反映されたのであろう、と今になって思う。

現代ならリサイクルショップという名でどこにでも古着屋などあるが、

1980年代は何故か、そういうものがどこにもなくて、

唯一古着屋があったのがアメリカ村だったのだ、少なくとも僕の知るところでは、そうだった。

 

そしてその、アメリカ村の古着屋の古着は、国内モノではなく、

インポート物、アメリカやヨーロッパから輸入した古着ばかりだった。

 

だから古着といえど、高価くはないとしても、安価くはないのだった。

 

僕の働いていた店にも、たくさんのインポート物の古着があって、

そこのメインの「売り」はアメリカから直輸入のリーバイス501の古着と、

アメリカ軍放出の古着の革ジャンだった。

 

毎日店で、そんな革ジャンを見たり、客にすすめたり、自分で羽織って見たりするうちに、

どうしても一着、欲しくなってしまった。

 

でも高価いのだ。

 

とか言ってるうちに、一番いいヤツは10着くらいあったのだが、いつの間にか最後の一着になっていた。

 

一番いいヤツ・・・・は実際にアメリカ空軍が使用した古着で、

既にボロボロなのだが、いい色で、分厚い革で、最強にかっこよかった。

 

最後に残った一着は、裏地さえはがれてしまってるもので・・・・・・むむむ、

それ、いくらしたと思いますか?

 

3万6千円もしたのですよ、古着屋の時給が500円くらいだったから、

今だと7万くらいに感じると思う。

 

1986年当時はデフレスパイラルなど始まる前で、世間はバブル直前の好景気。

(好景気なんかフリーターには全然関係なかったが。)

100円ショップなども出現前。ケータイも、もちろんない。

女子高生がポケベルを使っていた時代。

いろんなものが、高価かった。

 

 

僕は買ったのだ、その最後の一着を。

 

、と言ってもオーナーに頼んで、月に一万円ずつ給料から差し引いてもらう、という形で

分割にしてもらった。

 

楽器やアンプなら多少高価いものを買うこともあるが、

そんな高価い服、買ったのはその時初めてだったし、そのあともない。

 

しかしその服は、そんなに高価なようには、とても見えない代物なのだ。

 

でも僕は後悔しなかったし、とてもとても満足した。

 

そのあとのランブルフィッシュ時代、春秋冬はそればっかり着ていたし、時には真夏でも着たし、

ステージで着たりもした。

 

もともとボロボロだったのだが少しずつ少しずつ、そのボロボロさが増していった。

 

近年はさすがに、ほとんど着なくなっていて、押し入れの奥に吊ったままになっていた。

 

でも今日、ふと思い出して引っ張り出したら・・・・色褪せて、ヨレヨレで、

どう見ても高価には見えないのだけれどもやっぱ最高で、

 

今夜のROCA’66のスタジオに着ていくことにした。いい天気だし。

 

本格的な冬になると、この革ジャンを着るのは「修行」みたいな感じになるのです。

 

裏地もないから寒いことはなはだしい。縫い目の隙間から冷気は入りまくりだし。

 

若かったころは真冬でも着ていた(何度も風邪を引いた)のだが、もうダメである。

 

だから秋が終わらないうちに、まだ温かみがある気候のうちにこれを着て街に出よう。

 

これを見ると、そして着ると、ランブルフィッシュの佐治くんのことを思い出す。

 

彼とさんざん飲み歩いていた頃が、こればっかり着ていた全盛期だったからだ。

 

 

短い秋。

 

 

いい感じの日。

 

 

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試練越え、そして椅子取りゲーム。

2020-11-12 21:06:44 | Weblog

もしかしてやはり、人生とは「試練」なのだろうか。

 

そんなことばかり考えてしまう私はやはり、疲れているのだろうか。

 

しかし所詮はすべてが壮大な「椅子取りゲーム」なのではないか。

意識する、しない、に関わらず我々は、他人と競い合って、そして他人を蹴落として生きている。

私のような非・戦闘的な性格の者ですら、そうなのだ。

そう考えると絶望的な気分になるし、生きることが面倒の連続に思えてくる。

 

我々の、一番良い状態とは、いつの、どんな状態であっただろう?

それはきっと、この世に生まれ出てくる前の、

母親の胎内で羊水に浸かっていた時なのかもしれない。

何しろ、息すら・・・呼吸すらする必要がなかったのだ。食事などは言うに及ばず。

快適の極致である。

だからこそ外界に押し出された赤ん坊は例外なく泣き叫ぶ。

そしてそれは、「試練」に満ちた人生の始まりでもあった。

 

でも

そんなことを言いながら私が人生において一番好きなのは、

自分自身が「試練」を乗り越えたときの達成感、爽快感、充実感・・・だったりするのだ。

 

それも「試練」のハードルが高ければ高いほど、超えるのは快感である。

 

とは言え、「試練」なんてもちろん、「ない」に限る。

 

試練など何もなく、ただのほほんと、のんびりと、ゆっくりと生きられたら最高なのだ。

心の底では、それを望んでいるはずなのだ誰でも、この私でも。

 

でも否応なく「試練」は、まるで梅雨時の雨のように

降ってくる。もしくは、温泉地帯のお湯のように、湧いて出る。

それも、たっぷりと。

 

「試練」、「試練」、「試練」、「試練」、「試練」、「試練」。

 

それを我々は、

 

乗り越える、乗り越える、乗り越える、乗り越える、乗り越える、乗り越える。

 

 

 

そしていい「椅子」があれば、誰よりも早く座るのだ。

 

そういうのって・・・・・・・何だかすごく「浅ましい」気もするんだが、しょうがない。

 

 

それが気に入らなければ、すべての競争から「降りる」しかない。

 

 

そして、すべての「試練」を放棄するのだ。

 

 

そう出来たらきっと、気分いいだろな。

 

 

 

などと言いながら「試練越え」の好きな私は明日も浅ましい「椅子取りゲーム」に

 

励む

 

 

しかない

 

のであった。

 

 

 

ごきげんよう、またいつか会おう。

 

 

 

 

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キリギリスの言い分。

2020-11-09 21:08:10 | Weblog

このコロナ禍の渦中で気付いたことがある。

 

ライヴハウスとかに全然行かない、世間の人々は

我々みたいなバンドやってるような人間のことを、

童話「アリとキリギリス」の、キリギリスのように思っているのだ。

・・・きっとそうだ。

遊び暮らして歌など歌って享楽的な生き方をしていて、

世間のことなど一切興味なく、朝から酒など飲み、

本格的な冬が来たら真っ先に死ぬ、みたいな。

 

まあ、何というか・・・・・当たっていなくもない(あかんやん)。

 

だがしかし、バンドやったりするのって、

ただ享楽的なだけじゃないのだ。

 

ライヴハウスに出ているほとんどのバンドは、

ありものの曲のコピーとかカヴァー・・・・をやることもあるけど、

それだけじゃなくて、ほとんどのバンドは、自作の楽曲を持っている。

そして多くはその、「オリジナル曲」で勝負している。

楽器担当のメンバーは、作曲をしなかったとしても、

そんなオリジナル曲のアレンジを、自分の好きなようにやるのだ。

言い換えればアレンジすることによって、自分の好きなように弾くことによって、

その楽曲を自分の好きなように変えることが出来る。

そうして完成した楽曲は、世界で唯一無二のものである。

 

そのことの、いかに創造的なことか。

 

そして、

「創造」はもちろん、楽しい。だがそれだけではない。

楽しみの裏側の、産みの苦しみだって、あるのだ。

 

要するに、

キリギリスみたいにへらへら楽しいだけでやってるわけではないのだ我々は。

 

小さなライヴハウスで、少人数とはいえ、「人前」に出る。

そのことの緊張感はいつでも持っているし、

そのことに慣れたりはしない。

 

下手こいて赤っ恥かいてしまう可能性はいつでもある。

そんな羽目に陥ってしまったことも、過去に何度か、ある。

 

機材関係とかとにかくデリケートで、「魔」さえ、潜んでいて・・・・・・つまり、

全部上手く行くことのほうが奇蹟のようなものなのだ、ステージというところは。

 

ある時はモニターが聞こえない、

ある時はシールドが抜ける、

ある時は滑ってこける、

ある時はチューニングが合わない、

ある時は声が枯れる、

ある時はアンプが接触不良、

ある時はメンバーの一人が泥酔状態、

ある時は客のヤジのほうが音量が大きい、

ある時はまるで呪いのように弦が切れる、

ある時は歌詞を忘れる、

ある時はネット上で、心無い輩にボロカス書かれる、

ETC  ETC ETC・・・・・・・・。

 

 

我々は享楽的に「楽しんで」ばかりいるワケではないのだ。

加えて言っておけば、朝から酒など飲まない。

 

「創作の喜び」は苦痛を伴うし、実のところ全然享楽的ではないのだ。

刹那的でもない。

 

念のために言っておくが、女の子にも大してモテない。

 

盗んだバイクで走り出したりもしない。

俺はちゃんと、自分のバイクは自賠責保険に入っている。任意保険にだって入っている。

 

ライヴハウスに行かないような世間の皆さん、

我々はキリギリス的では、全然ないのですよ少なくとも。

 

あああしかし

まだ次のライヴのブッキングは、出来ないでいる、現状では、まだ無理だ。

 

動き出したいのはやまやまだが・・・。

 

 

こればっかりは、どうしようもない。

 

我々は、キリギリスではなく、

 

実はちゃんと、「社会的な」存在なのであるからして。

 

 

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面白くない話

2020-11-08 12:32:24 | Weblog

少し世俗的、政治的、社会的なことを書きます。

「オマエがそんなこと書いても面白くもなんともねえんだよ」

と仰る方もきっと、いらっしゃると思うのだけれど、

そういう人は今回は読まないで、すっ飛ばしてください。

確かに、と言うか何というか、

目新しい視点、とか耳よりな新情報!とか、お役立ちの豆知識!とかは・・・・・はありませぬ

(あってたまるか)。

 

 

 

2020年11月、バイデン氏が勝利したアメリカ大統領選。

 

とろあえずは「良かった」のであろうと思うが、

確実にアメリカ人の有権者の半数は あのような・・・・・現大統領のような、白人至上主義者を支持しているのだ。

公然と差別的な発言をする人物を。

あれでいい、と本気で思ってる人がそんなにいるのだ。

そう思うと暗嘆たる気分になる。問題は続く。

 

ところで我が国のテレビ番組が今回のアメリカ大統領選挙の報道には熱心だったように思える。

違うのかな?ふだんは一切見ない(低俗でくだらないから)のだけれどさっき、5分ほど試しにテレビつけたら

あちこちのチャンネルでそんな番組をやってたから、

きっとそうだと思うのだけれども、

日本の選挙の時もさ、あれくらい熱心に報道したらいいんじゃない?

そういのって、「利権」が絡むから無理なのか?

それとも、日本の政治なんかどうせ「外圧」でしか動かない操り人形なんだから、

我々には選挙権ないけどアメリカ大統領選を追うほうが

日本の選挙の報道なんかよりずっとずっと我々の日常に関係してくるよ、なんて

自暴自棄的に、絶望的に思ってるのだろうか。さもありなん。

 

しかし本当に日本の政治の、貴重な公の論戦の場、・・・つまり「国会」ってここ何年も、

与党の「言い逃れ」とか「ごまかし」とか、「答弁拒否」とか、「朝ごはん論法」とか

「話のすり替え」とか「全く関係のない話を持ち出して質問に答えたようなふり」とか

そんなのばっかりで、

馬鹿みたいだからね。

それでいて、政府は各所に政治的圧力はかけている。

今回の学術会議の、首相による任命拒否の件もおそらくはそれの一環なので、

徹底的に究明しなければならない、のは当然。

「総合的に、俯瞰的に」などと繰り返す壊れたテープレコーダーを許してはいけない。

さて、ラジオで国会中継を聞いていていつも思うのだけれど、

国会における蓮舫議員の鋭さはほとんど芸術的ですらある。

やろうと思ってもあそこまでキツい言い方、出来るもんじゃないぜ。

きちんと論理的だし日本語も正確で聞いていて気持ちがいい。「イエスかノーかでお答えください」って追い詰めるところも爽快。

ぐずぐず、むにゃむにゃ・・・と逃げるオッサン達の見苦しいこと!

あのナイフのような鋭さ、キツさで、隠ぺい体質の政府を切り開いてほしい、と切に願う。

 

アメリカでは、敗退したトランプ氏は国外へ逃げるのかもしれない。いろいろな悪行で、起訴されちまうから。

日本でも、モリカケ問題や「桜を見る会」の問題を忘れてはいけない。

アベ氏は逃げ切るおつもりなのであろうが、そうはいかない。

 

それにしてもそれにしても、日本も、世界も、問題だらけだ。

コロナはしつこい粘着質の黒雲みたいに、ヘドロで出来たアメーバみたいに、

いつまでもいつまでも世界を覆いつくしたままだ。

 

トランプはそうえば「コロナはある時期が来れば嘘のように消える」って言ってたよな。

そうなればいいな、と思っていたのだがどうやら

それも・・・・・っていうか そうなる望みもトランプと一緒に消えたな。

我々は地味に、地味に、耐え忍んでいくしかないのかもしれない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・でもそれって、あとどれくらいの期間なんだろう?

どうなったら「終わり」が来るのだろう?

 

 

 

 

 

でも本当、こういう話って、

面白くもなんともないよね。

 

なら書くなよ、と言われるかもしれないけど、

ほんの0.001ミリくらいの「意義」はある、と思うのだ(少なっ!)。

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11月、父のこと。

2020-11-06 20:50:08 | Weblog

そういえば一昨日が僕の父親の命日だった。

 

今日、11月6日は・・・15年前に、彼の葬儀が行われた日で。

偶然、兄の誕生日に、父の葬儀とあいなった。

 

僕は父が好きだった。

 

優しい人で、怒ってるのをほとんど、見たことがない気がする。

でも柔らかいだけじゃなくて気骨のある人だった。

彼は幼いころ両親を亡くして、ほとんど孤児として親戚に育てられたのだそうだ。

それは母親が教えてくれた話で、

父本人はその話をしてくれなかった。自分の話はほとんど、しなかった。

父は、自分の誕生日さえ知らないのだそうだ。

それくらい幼いころ孤児になっている、ということで、

その状況を想像すると胸が痛む。

 

彼は、特に現世で名を成したわけでもないし、リッチでもなかった。

でも僕はひとりの人間として、父が好きだったし、尊敬の念も持っていた。

そういうことを、もっとちゃんと伝えればよかった、と今でも時々思う。

 

何回か、言ったことはある。誰よりもお父さんが一番かっこいいよ、みたいに。

 

でもやっぱ照れて、あんまりちゃんと伝えられてはいなかったと思う。

 

火葬の後、僕は父の骨を 周囲の目を盗んで少しだけ、小さな、サイコロくらいの箱に入れて持ち帰った。

今でも部屋の片隅に、その小さな箱は置いてある。

 

そういう行為にどれだけの意味があるのか、もしくは、意味などないのか、

僕にはわからない。

 

でも欲しかったのだ。

 

 

 

何年か前のある時、真夜中に

父の事を思い出して、伝えられなかったこととか、僕のとった失礼な行動とか思い出して悶々としていたら

すごいタイミングで、

その箱が置いてある部屋からパキッ!と乾いた音がして、

驚いた。

 

でもその音は優しくて、僕には彼が「もういいよ、気にすんなよ」と言った気がしたのだ。

 

多分本当にそうなのだろう。

 

 

 

 

 

お父さん、僕は今でも、アナタみたいな大人になりたいです。

 

 

 

・・・・・・一緒にお酒飲みたいなぁ。

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