戸山ハイツ譚、飽きずに。

2022-03-31 21:36:05 | Weblog

チャボさんの、ミニライヴ&トークショウ&サイン会、というものに僕がノコノコ出かけて行ったのはいつだったか。

ばるぼら のCDを持って行って、手渡した記憶があるので、

1999年なのかな。西暦2000年か?

場所は、梅田のタワーレコード丸ビル店だった。その場所はついこないだ、閉店した。

 

サインしてもらってる時に僕はチャボさんに、

「あの・・・・僕も、新宿の戸山ハイツに住んでたんです子供の頃」と言ってみた。

チャボさんは「ああそうなんだ?」と反応してくれて

戸山ハイツのどこだったの?と質問して来た。

「あの・・・12号棟に住んでたんですよね」」と言ったら少し興味が薄まった感じで

「ああ、新しい戸山ハイツか」とつぶやいた後、気を取り直して、

「俺のおふくろも、今もあそこに住んでるよ」と教えてくれた。

 

 

新しい戸山ハイツ・・・・・なのだ、近代的な団地の戸山ハイツは。

でも、僕はそれ以前の、平屋の、長屋みたいな戸山ハイツを実は覚えている。

もう、忘れかけていたのだけれど、今日突然、記憶がよみがえった。

 

僕と母親と兄貴と僕とで寝ていた部屋は何と、三畳間だった。前時代的。「土間」さえ、あった。

その、土間から三畳間を見ている景色が記憶として残っていた、辛うじて。

 

3歳くらいだと思う・・・・・その時の僕は。

だとすればそれは1969年だ。

たぶんそのちょッと後に、すぐ近くに建てられた、当時としては近代的な

四階建ての団地に引っ越すのだ我々は。それが「新しい戸山ハイツ」。

チャボさんの一家もそうだったであろうと推察するのだが、

それ以前から長屋の戸山ハイツに住んでいた家庭は優先的に団地に引っ越す権利を得たらしい。

加藤家も、ウチ(片山家)も、そうだったのだ。

 

 

あのとき、1999年(か、2000年)に「まだあそこに住んで」いたチャボさんのお母さんも、

恐らく、今はもう、戸山ハイツにお住まいではないだろう。

想像するに年齢的に・・・とっくに他界されていても全然おかしくない。

 

諸行無常である。

でも僕だって誰だって、ミックジャガーだって、ボブディランだって、いつかは死ぬのだ。

ブライアンジョーンズみたく早世してしまった友達もいるが・・・・・・早いか遅いか、それだけの違いでしかない。

 

ただそれだけなのだ。

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スロー・ブギ

2022-03-30 21:38:59 | Weblog

片岡義男の小説に深くハマっていたのは中学生の頃だった。

思い返せばその頃、「スローなブギにしてくれ」が映画化されたのだ確か。

角川映画だったはず。それで世間で、少し流行っていた。

でもその原作は例によってとても短い短編小説だったので

(片岡義男は優れた短編作家だと僕は思っている)、

映画とはけっこう・・・・違う感じだった。

映画も見た記憶がある。のちにビッグな女優にのし上がる浅野温子の

デヴュー作だった・・・・・と思う。

でも映画の中で、

浅野温子が拾った数匹の子猫を、出会ったばかりの男が高速道路を走る車の窓からポイポイと道路に投げ捨ててゆく、

という場面があって、

まぁ・・・・そういうことをする冷血漢って世の中にはいるかもしれないんだけど

強烈に嫌なシーンで、

そればっかりが記憶に残っている。

ああ、嫌だ嫌だ。

 

この映画は主題歌が、南佳孝の歌う「スローなブギにしてくれ」で、

これもすごくすごく良かった。今でも好きな歌だ。

曲自体が素直にスローなブギなのが笑わせる。

でも歌詞に「スローなブギ」という言葉は出てこない。それがまたいい。作詞は松本隆だったはず。

リアルタイムで聴いていた中学生の頃は、スローなブギの定義もわからなかったのだけれど、

随分後になって解った。あの曲は本当にスロー・ブギだったのだ。

ところで、

僕がもし誰かに、酒場かどこかで「スローなブギをかけてくれ」とリクエストされたら

何をかけるだろう?

・・・この設問を自分で思いついて、けっこう長いこと考えていたのだが

ある日、ポンッと結論が出た。

スリム・ハーポというブルーズマンの「レイン・イン・マイ・ハート」という曲だ。

(っていうかスリム・ハーポの曲は全部、良質なスロー・ブギだ。)

これが僕の思う、スローなブギの最高峰。

 

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チャボさんのラジオ、とりあえず終了。

2022-03-29 21:26:35 | Weblog

先週の金曜日で、仲井戸”チャボ”麗市さんがFMココロで

3か月の期間限定でやっていたラジオ番組

「キングビスケットラジオ」が終わってしまった。

 

そもそもの初めから期間限定だったので、

終わるのはわかっていたのだが、やはり寂しい。

 

でも良かったな。一回目を聞き逃したのが痛恨なのだが、

後は全部聞けたはずである。

 

最終回で、チャボさんはあの山口富士夫について言及した。

感慨深かった。

そして、また浅川マキについても、再び、いや さんたび、言及した。

 

僕は上記のお二人とも、ご縁があって実際に、現実世界でお会いしたのだ。

「共演した」のだ。ランブルフィッシュで佐治や、他のメンバーと一緒に。

お二人とも既に、鬼籍に入ってしまわれたが。

 

 

それにしても、短い期間だったが、いいラジオ番組だった。

 

テーマソングみたいにして毎回、番組冒頭にかけていたチャボさんの曲「ラジオ」の着想を得たのが、

かの小説家の片岡義男の文章からだった、という話が聞けたのも新鮮な驚きだった。

片岡義男の小説は実は・・・すごくいいのよ。

僕は村上春樹の小説や、サリンジャーとかに出会う遥か以前の中学生時代に、

片岡義男の短編小説に深くハマってた時期があるのです。

実際、今読み返しても素晴らしい。クールで、ドライで、背景をうかがわせる深みがある。

 

チャボさんのラジオは、最後の最後の最後に、

曲紹介なしでルイ・アームストロングの「ホワットアワンダフルワールド」をかけた。

 

近しい人たちには説明するまでもないのだけれど、

僕等にとってこの曲は、佐治が生前最後にランブルフィッシュでカヴァーすることを要望して、

僕が耳コピでコードとか聞き取って、最後のライヴでそれが実現した曲なのだ。

 

何と言うか・・・素晴らしすぎだ。

 

欲を言えば「戸山ハイツ」という単語をチャボさんの口から聞きたかったな。ははは。

 

以前行ったチャボバンドのライヴでは最後に「戸山ハイツ!!!」と何度も叫んでいたから。

 

そこはチャボさんの実家であり、失われた僕の故郷でもある。

 

でも、そんなのちょっと可笑しいよな。

 

以前に住んでいた都営住宅の名前をライヴの最後に叫ぶなんてさ。

 

笑笑笑。

 

 

俺も、いつかやってみよう。

 

ライヴの最後に「戸山ハイツ!!!」って叫んでみよう。

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永遠の片思い

2022-03-26 22:15:09 | Weblog

今日は土曜だが仕事だった

(っていうか現在年度末、しかもタイヤ値上げ直前の超繁忙地獄の季節真っ最中)

(なのでもうすぐ俺は過労死します皆さんさよなら)ので、

朝、コンビニ駐車場に停めたトラックの運転席でカーラジオで、

ピーター・バラカンのラジオ番組「WEEKEND SUNSHINE」を聞いていた。

こういう労務者的な雑な聞き方も、悪くはない。

番組内で、REIと細野晴臣がデュエットしてる、つい最近発表された曲がかかった。

REIというのは若い女の子で、超絶ギターテクニックの持ち主であるヴォーカル/ギターだ。

その曲は「ハグしよう」みたいな、緩いラヴソング。

中間のギターソロも、力が抜けていて程よい。抜群に上手いけど。

曲後のコメントでピーターさんは「REIはギターもなかなか上手いです」みたいなこと言ったけど、

いや・・・REIちゃんはそれが「売り」だと思うんですけど。

そうでもないのかな今では????まあいいや。歌も個性的で可愛いけどねREIちゃん。

しかしREIと細野さんがデュエットとは。この番組にぴったりの選曲だ。

ふと思ったのだが、

ピーターさんは、日本人のミュージシャンの曲、かけるけど・・そんなに多くはない。

だからREIは希少な存在なのかも。

こんなこと言ってもしょうがないのだけれど、

いろんな要素と立場と条件の兼ね合いで、

僕のバンド、ROCA’66がピーターさんのラジオでかかる確率は今のところ

ゼロだ。ははは、まあしょうがない。(MIDIの大蔵さんがご存命だったならゼロではなかったかもなんだがな。)

でもそんなの関係なく、僕は毎週 集中して、この番組を聞く。

ピーターさんが他局でやっている他のラジオ番組も「ラジコ」で聞く。

・・・・・・・この構図は誰がどう見ても、「永遠の片思い」である。

 

 

 

まあそれもよかろう(あかんかしら?)。

 

 

 

 

 

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続き。

2022-03-21 19:31:05 | Weblog

人の一生とは、宇宙から見たらほんの瞬きほどの時間でしかない。

 

最近、近しい友達・・・・っていうか「バンドメンバーの兄弟」の死と、

好きだった作家・・・っていうか「好きだったロック雑誌の編集者」の死、が重なった。

 

その、逝った二人とも

「まだもう少し死にたくないな」ということを言っていたそうだ。

 

その気持ち、わかるような気がする。

 

僕も、その状況になったらそう思うかもしれない。

 

しかし、自分が死ぬっていうことを知ってしまうのは、

すべての動物の中で人間だけだ。

 

小さなネズミはヘビに飲み込まれる寸前でも、

いや、飲み込まれながらでも「自分が死ぬ」とは思わないであろう。

「死」という概念を知らないから。

 

あと、人間でも乳幼児は「自分が死ぬ」とは思わないはず。

まだ生も死も、なにもないから。生存本能と自己防衛本能はあるんだろうけど。

 

人生、昔なら50年。

 

今なら80年くらいか?

 

人生100年時代、とかって言うよね。

 

 

でも繰り返すけど、宇宙から見たらそんなの短い。

 

 

例えば僕は、ショパンに、実際に「会う」ことは出来ない。生きる時代が違うから。

 

でも彼の想定した音楽を聴くことは出来る。音楽の寿命は、遥かに長いのだ。

 

 

ところでさ、

 

幸せな状態を表す、ひとつの決まり文句で「死んでもいい」というのがあるが、

 

それって、本当にそう思える瞬間があるのなら実感したいものだ。

 

そして、いつか死ぬときにはそんな風に言いながら死にたい。

 

あ、でも俺死ぬときには「笑い死に」する予定なんだったそういえば。

 

 

 

 

 

 

追記

 

 

昨夜は京都・「夜想」へ、

 

ハーシーズの あいちゃん50歳祭りを、観に出かけた。

 

 

オープニングアクトを含めて、ハーシーズを含めて、4バンド出演したのだが、

 

その4つ、全部あいちゃんが深く関わってるバンドで、

 

全部素晴らしかった。

 

 

ホントにすごいなあ、と素直に感心する。

 

 

ああゆうものが、入場料たった3000円で見れてしまうのは贅沢だ。

 

やはりライヴは「一回性」のもので、

 

わざわざ時間を割いて、そこまでいかないと見られない。

 

 

とても贅沢な時間なのだ、

 

 

という思いを強くした。

 

 

配信ライヴも「距離」を超えられて便利だし、勉強になってすごく良かったのだけれど、

 

やはり生ライヴはいいなあ。

 

幻想かもしれないけど、そこに「異世界」が現出するのだ。

 

 

 

 

 

 

 

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時間の芸術(本日24時が配信動画のタイムリミット)。

2022-03-21 14:27:08 | Weblog

指揮者の小澤征爾が、村上春樹との対談の中で、

「音楽って、時間の芸術なんです・・・・・・・意味わかりますか?」

と言っていて、春樹さんも強く同意していたのだけれど、

 

このことは深い。確かにそうなのだ・・というか、そうでしかないのだ。

こういうことを言語化して言っているのを僕はこの対談で、生まれて初めて目にした。

さりげなくすごいことを言っていると、心から思う。さすがは「世界の小澤」だ。

 

時間の芸術。

いろいろとすっ飛ばして言うが、

要は「タイミングがずべて」なのだ。

 

とりあえずは「合奏」であるならば、

せーの、とか ワントゥースリーとかで始めるタイミング、

曲のテンポ、いわゆる「ノリ」。

前ノリ、後ノリ、とかの「タイム感」。

 

そして大事な「リズム感」。

 

もう少し大きく見ると、その日のその時間に、

その人とその人が演奏できるような状況に置くためにスケジュールを合わせる必要とか、

そして人と人がある程度近い距離に来ることが必要だし、

そうでないならオンラインで合奏できる設備を整えねばならない。

 

そして

その人が生きている時代に共に生きて、

同じ時代の感覚や価値観を共有できるかどうか、ということもある。

 

独奏でもそうだ。

始めるタイミングと終るタイミング、テンポ、タイム感、BPM。

誰かに聞いてもらえる状況づくり、もしくは録音状況づくり。

 

そして録音されたものでも当たり前のようだが「始め」と「終り」があり、

それを「聞く」タイミングもある。

冷凍されたものを解凍するタイミングみたいな。

 

上手く説明し切れてないが、

 

とにかく時間、時間、時間・・・・・である。

 

 

しかしそう考えると

この世界の何もかもが「時間」の中に存在するのであって、

 

時間に縛られているのは何も音楽だけの話ではない。

 

 

我々の人生自体が、時間の制限を受けている。

 

そんな風なことを近年は、よく考えます。

 

・・・・・・・・・・・・・・・はぁ(タメイキ)。

 

 

ところでですね、

2022年2月26日に、大阪・梅田・ハードレインで演った

 

我々、ROCA’66の無観客配信ライヴ「誰もいない地下室で」は、

 

本日24時で視聴期間が終わります。

 

見てくれてどうもありがとう。

 

投げ銭してくれて本当にありがとう。

 

 

次回は2022年4月23日の予定。

 

 

同じく梅田・ハードレインから全世界に向けて発信しようと思いマス。

 

 

 

こんなふうにせわしなく、

 

 

人生の時間は過ぎていきます。

 

 

 

 

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ロッキング・オン松村雄策氏逝く

2022-03-14 21:11:48 | Weblog

僕は松村雄策氏と面識はない。

ただの、1980年代後半から1990年代、そして2000年代にかけてのロッキング・オン読者である。

でも2010年くらいからだんだん面白くなくなって、最近はたまに買う程度だった。

 

1990年代のこの音楽誌は面白かった。大好きだった。欠かさず毎号買っていた。

1980年代後半も僕は熱心に読んでいて、大好きだったのだけれど。90年代はまた格別だった。

1990年から7年間の間、増井修というひとが編集長だったのだが

この人がとても乱暴な感じで、少しそれが気に障るところはあったのだが、

でもそんなの吹っ飛んでしまうくらい誌面が面白かった。

1990年代と言うのは今から考えれば

グランジ、シューゲイザー、ブリットポップ、ネオパンク、ローファイ、ラップ、ETC ETC

もう最高に花盛りで 要は、

洋楽ロック自体がものすごく盛り上がってたし、面白いバンドも多かったのだ。

インタヴューも面白かった。

カートが猟銃自殺したのは1994年だったかな。

言うまでもないが衝撃だった。

ニルヴァーナの最後のアルバム「イン・ユーテロ」の当初のタイトルは「I HATE  MYSELF  AND  I  WANT  TO  DIE 」だったのですよ。

インタヴューでカートは「あれは冗談だ」と言ってたけど・・・・・・・・・・。

 

で、「ロッキング・オン」誌は基本的には読者の投稿で成り立ってる雑誌で、

つまりメインはグラビアでもなく、インタヴューでもなく、

読者の投稿原稿だった。

これが、小難しいのが多くて、でもそれがまた良かったのだけれど、

難解で、何が言いたいのかわかりにくいようなのもあった。

そんな中で松村雄策氏の文章は読みやすく、わかりやすく、

初めは「ぬるい」と感じたものだったけど、いつの間にか好きになっていた。

 

このひとはとにかくビートルズが好きで。あとドアーズも。

もうそんな話ばっかりだったのだが、

「誰かが好きなものについて話してるのを聞く」のが大好きなので、僕としては心地良かった。

きっと、今書いてる文章の文体にも少し、松村氏の影響があると思う。

 

気取らず、とにかくわかりやすく、平坦な文章で書くのだ。それはとても大事なことなのだ。

 

ついこないだ買った「ロッキング・オン創刊50周年記念特別号」に、

松村さんの文章が載っていなかったので、

ああ、御病気の具合はあまりよろしくないのだな・・・・・とは思っていた。

 

この人はこの雑誌の、創刊からの唯一のメンバーなのだ、社長の渋谷陽一氏以外は。

 

 

寂しい。

 

 

親戚のビートルズ狂のオジサンが亡くなったような感じ。

 

 

松村さんの大好きだったポールマッカートニーはまだピンピンしてるのに。

 

しかしそう考えたらポールとかミックとかキースとかディランとかピートとか、すげえなあ。

 

 

 

 

あ、そうだ、

 

僕と「ロッキング・オン」の関わり、という点では

これは言っておきたいのだけれど、

僕がギタリストを務めたバンド「ばるぼら」は、「ロッキングオン・ジャパン」のインタヴューを受けたことがある。

バンド全員で。一度だけだったけど。

それはちゃんと誌面に載ったし、

「ロッキングオン・ジャパン」とは言え、「ロッキング・オン」の熱心な読者であった僕は嬉しかったな。

 

 

松村さんはあれ読んだかしら?・・・・・読んでねえよな興味ねえし。

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遥かなる「お花畑」を目指して。

2022-03-13 17:26:12 | Weblog

つくづく思うのだが

我々、一般庶民はそれでなくても「生きる」ことで精一杯だ。

 

日々、「感動」を探したり、

愛したり愛されたり、時には手ひどい「別れ」を経験したり、

裏切られたり、

喰ったり、

孤独に陥ったりしたり、

擦り減るくらいに懸命に働いたり、

くたくたに疲れ果ててぐっすり眠ったり、

懐かしい人に会いに行ったり、

分厚い小説を読んで感銘を受けたり、

病気の身内を看病したり、

時には看取ったり、

お通夜や葬儀に参列したり、

子供を溺愛したり、

結婚を祝ったり、

音楽を全身全霊で堪能したり、

遠い昔に亡くなったひとのお墓参りに行ったり、

 

etc  etc

 

 

そういうことこそが人生の本質であって、

 

国家間の争いに巻き込まれるなんて、そんな暇はないのだ。

 

だから

 

政治家とか、指導者とか言われる人たちは

 

政治的な厄介ごとを生活レベルに持ち込んでは絶対にいけない。

 

 

そういうのって本当に迷惑千万だ、言語道断だ。

 

 

 

極論を言うけど、

 

ロシアとアメリカが安全保障条約を結べばいいのだ。

 

ロシアとアメリカだけでなく、すべての国同士が。

 

 

(このアイディアはもともとは、僕が直接、ソウルフラワーユニオン中川くんから聞いたものだ。彼に感謝!)

 

 

出来ないのなら、何故それが出来ないのか?その根本を考えなければいけない。

 

 

絡まってしまった糸を根気よくほぐす要領で、

 

 

少しずつ、少しずつでも考えれば、答えは出るはず。

 

 

 

安保条約を結ぼう、不可侵条約もついでに結ぼう。

 

 

東側も西側も関係なく、全ての国同士が、お互いの安全を保障するのだ。

 

 

そこに一体、何の不都合があるだろう?

 

 

武器商人たちは失業するだろうが、ハローワークで仕事を探せばいい。

 

僕だって今の職場はハローワークで見つけたのだ。

 

 

安保条約をすべての国と国の間に。

 

 

それでいいのだ、それを目指そう。

 

 

こういう考えを「お花畑」とか言って否定して欲しくはない。

 

 

馬鹿にしてほしくはない。

 

 

 

我々は遥か遠くの「お花畑」を目指すのだ、

 

 

 

それでいいのだ。

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失うこと

2022-03-12 23:57:09 | Weblog

 

 

 

 

 

バンドメンバーの身内・・・というか、実の兄弟が亡くなったそうだ。

今日スタジオ後に、少しだけ話を聞いたのだが

やはり・・・聞いているだけでつらい。

 

「死」はやはり、壮絶だ。

様々な思いが去来する。

僕もやはり、様々な「近しい人、愛する人の死」に間近で遭遇して来たのだ。

 

僕の歌はそういう「死」、そして「喪失」と、

「恋」、もしくは「恋愛」、の複雑な混合物だ。

 

全部そうだ、と言ってもいいくらい。

 

 

(自暴自棄やけくそドライヴ、ってのも一部あるが。)

 

 

 

僕の近年の自作の「目が眩みそうな光が輝く夜」の歌詞なのだが・・・・・・・・・・

「何もかもを手に入れて、何もかも手放して」

なのだ、例外なく僕らは。

 

 

どんなに多く栄光や名声や宝物を手に入れても、結局は手放さざるを得ない。

 

死ぬときに?いや、生き続けててもそうだ。

 

 

 

どんな栄光も過去のものになるし、

 

 

どんなゴールドも色褪せてゆくのだ(即物的に言えば純金は色褪せないけどさ)。

 

 

そう考えると、死んでいくことは悲劇ではない。

 

 

 

悲劇、とつい思ってしまう僕が修行不足なのだ。

 

 

 

生き続ける方がよっぽど悲劇かもしれない。

 

 

 

人生は「試練」だらけ、だから。

 

 

 

 

 

 

 

 

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東日本大震災から11年。

2022-03-11 21:25:46 | Weblog

東日本大震災から11年。

亡くなられた方々に哀悼の意を。

 

あのとき僕は大阪の茨木市にいたのだが、

関西でも「揺れ」は感じた。

僕は一瞬、自分がめまいを起こして倒れるのかと思った。

そう言っていたひとは、他にも何人かいた。

そういう感じの、ゆるやかな、でも大波のような「揺れ」だった。

しかしまさかあの「揺れ」で、遠く東北の地で、あの壊滅的な津波が起こるとは。

想像を絶する、とはこのことだ。

 

津波に飲まれて死ぬって、どんな感じだろう?

シンパシーではなく「エンパシー」を感じたくて時々想像してみるのだが・・・・・・・・・・・・・・・

あまりにも他種多様で、ケースバイケースであろうと思う。

 

 

11年経った今であるが、行方不明の方々も、とても多い。

行方不明者の家族の方々は、愛する人の生存の希望を諦めきれないであろうと推測する。

もしかしたら地震の直前に

ひょいっと家出してどこか遠くの地でひっそりと暮らしているかもしれない。

僕ならきっと、そう思ってしまうだろう。

 

 

 

そして、福島第一原発。

 

原子力発電所というのは「核」の平和利用・・・ということを言われていた。

(原子力は英語では何と「ニュークリア」と呼ばれる。偽善的な名称だ。「クリア」なんかじゃ全然ないから。)

しかし結局、「有事」のツケが弱者のところに来るのならそれは全然「平和利用」なんかではない。

実際、「お偉いさんたち」は誰一人、責任を問われなかった。責任を取らなかった。

そして

メルトダウンした原発は、廃炉にすることさえ不可能であることが近年になって判明しつつある。

もう、冗談みたいにひどい現実。

思考放棄したくなる。目をそむけたくなる。

 

そして今よみがえる、福島以前の悪夢、チェルノブイリ。

 

「石棺」で覆われたあそこを今、ロシア軍が占拠しているという。

電源が失われた、というぞっとするニュースも伝わって来た。

 

遥か昔の「ゾンビ」が蘇って来たみたいな感触。

 

 

チェルノブイリ原発跡を占拠して、どうするのか?何が狙いなのか?

 

 

何もかもが「不気味」だ。

そして哀しい。

 

 

 

 

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