人類40歳寿命説。

2024-01-31 20:53:38 | Weblog

どこかの誰かが

人間のDNAの情報を解析したのだという。そうすると、、

人間の寿命は40歳くらいなのだ、ということが解った、という記事をこないだ見かけた。

DNAにそう書いてあるのだそうだ眉唾だが。

でも

なるほど・・・と思ってしまうのは

江戸時代の人間の寿命が40歳くらいだった、という話を以前、

何かで読んだことがあるからだ。この話は、ジョーシキみたいなものだと思う。

50歳なんてもう完璧に「ご隠居」である、落語なら。

還暦はもう、お爺さんだ。赤いちゃんちゃんこだ。

恐ろしいことに、僕もあと何年かしたら・・・・還暦、と言われる年齢になる。

この、暦が一回り、というのはつまり暦は、60歳まで人が生きるということを

想定に入れていないのだと思う。

だから一回りしてしまうのだ。

 

もうひとつ。

 

最近、厳格なヴィーガンの(有名な)人が39歳で亡くなった、というニュースを見た。

ヴィーガンというのは‥説明するまでもないと思うのだが

菜食主義のキツいやつで、卵も、牛乳も食べてはいけない。もろちんチーズも駄目。

肉食なんか問題外。魚も駄目だから

カツオ出汁も、もちろん駄目。革製品も使っては駄目である。

ガソリンはいいのかな、使っても。そう、あれは化石だからいいのだ。

以前知っていたヴィーガンの、とある人は、蚊も殺さない。追い払うだけ。

 

まあいいや、それでヴィーガンの人が39歳で・・・・というのはもしかして

草食動物としての人類はそれくらいの歳で死ぬのがもしかしたら、自然なのかも

・・・・とちょっと思ってしまった。

 

もしそれが真実なら、僕も当然、長生きし過ぎだ(僕は肉も好んで喰うが)。

でも全然・・・歳喰った気はしないのだ。

怒髪天が「オトナノススメ」の中で「大人は最高、青春続行~!」と歌っていたが、

冗談抜きで、

16,17の頃の気分と今と、大して違いはない。

あ、でも身体は確実に劣化しているし、疲れも取れない。あちこちが痛い。

若い生意気な奴らにナメられがちだ。

それで生きづらいか?と聞かれれば、そう・・・・・・・・・

若かった頃の方が圧倒的に生きづらかった。

昔の僕は、今よりさらにナイーヴ(悪い意味で)で、傷つきやすく、しかも馬鹿だった。

今はあの頃よりだいぶ、図太く(悪い意味で)なれた、と思う。馬鹿は治らないが。

 

しかし、それにしても人類寿命40歳説は、興味深い。

 

それが本当に本当なら、

2024年の今、僕は「余生」を生きてることになるし、

そう思えれば困難な気がする様々なことが少しくらい、

楽になるような気がする。

 

 

でもね・・・・・・・・・・・・ナメとったら、息の根止めますわよ。おほほほ。

 

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ライヴハウスでまた、飲んだり笑ったりしようぜ。

2024-01-28 17:21:03 | Weblog

しかし気付いたら19歳だったアタシも随分な年齢になっている。

普段意識しないようにして生きているし、そんな風には見えないかもなのだが

実際のところは初老である。ショロー。

生きづらさも、年々、その質を変えてゆく。

いつ頃からか、バンドやることが人生の最大の楽しみであり、

人前で演奏する、ということが目標であり続けて来た。

プロミュージシャンを目指していた時期もある。

以前在籍したバンドでだが、大手レコード会社からの接触も何度もあった。

バンドでの、メジャーデヴュー。それが出来たらプロと呼ばれる。

でも結局プロ・・・っていうか、音楽で食っていけるようにはならなかった。

なれなかったのかもしれないけど、

でもならなくて良かった・・・と今では思う。

お楽しみは、お楽しみのままでずっと、燦然と輝いてくれたらいいのだ。

義務とか強制になったらいやだ。

「売れる音楽」なんて、目指したくはない。

自由にやれるのがいいのだ。っていうか、それしかないのだ。

でも今だって、アマチュア・・・のつもりはない。

内容は、そこらのメジャーのバンドなんかより遥かに良い。。そういう自負はある。

音楽で喰ってないってだけの話だ。

しかしもう今は「若い兄ちゃん」ではないから、

なかなか難しい、と思ってしまうことも多々ある。

思うように集客出来なくて・・・辞めちまったほうが潔いのではないか???

と何度も考える。

しかし、音楽自体は自分の中で進化、そして深化しているのだ。問題は、人気がないだけだ。

昔よりも、上手くできることも多い。

ああもちろん、体力は劣化しているし、他にも いろいろと障害もある。

でも「音楽」を作ることは、何よりも楽しい。

楽しいだけではない、深層心理的に、自分自身の深いところに刺さる。

そして何より、仲間がいてくれている。音楽仲間。バンドメンバー。

音楽仲間って、本当にいいものだ、とつくづく思う。

我々は創作する。何かの真似ではない。自分自身を、楽器で、歌で、表現する。

何かの真似だと、どう頑張ってもそのオリジナルを超えることは出来ない。

だが、自分たちがオリジナルであればそれは、それでしかないのだ。

続けていられるのは幸運だ。いろんな運命に感謝している。

出会えた多くの人たちにも もちろん、感謝している。

まだ続く。続けられる限りは、諦めずに行こうと思う。

もう若くないかもしれないが、今から新しい出会いがあったって不思議はないのだ。

っていうか、あるだろう。

昨年も、一昨年も、それはあった。感動的な出会い、そして再会。

そして再発見、感動。そんなことがゴロゴロとあちこちに転がっている。

音楽を続けている限り、僕等は「衰退」とは無縁な存在でいられるのだ。

諦めまい、と思う。

 

もうすぐ、次のライヴだ。

2024年 2月10日  土曜日

京都は祇園にあるライヴハウス、シルバーウイングス。

ここには、去年くらいから出演させてもらうようになった。新鮮で、良いハコ。

対バンは

ストレンジ・バンビ

コズミック・スプーン

ザ・ルーラ

モンスターロシモフ

 

そして我々、ROCA’66。

 

open18:00  START 18:30  前売り ¥2000 当日¥2500

 

我々の出演順は4番手、オンタイムなら20:30分からのステージ。

 

競演のバンドたちも、あちこちのライブハウスで演ってるツワモノ。

 

ライヴハウスでまた、飲んだり笑ったりしようぜ。

 

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ありがちな話だが。

2024-01-27 17:56:07 | Weblog

「えこひいき」する人は、どこにでもいる。

僕は以前、偶然 大企業みたいなところに紛れ込んで働いていた時期があって、

そこでそういうタイプの人、時々見かけた。

気に入った奴を優遇し、そうでない奴には徹底的に冷たい。

冷たいだけならいいのだが、同じことやっても怒鳴られたりする。

基準は、わからない。

「気に入られてない奴」が「気に入られる奴」に「昇華」することはなかった。

 

違う職場だが、

挨拶をしない人、というのもいた。

誰にでもしないのか?と思っていたら

上司が現れた時は(上司にだけ)、笑顔で挨拶している。

・・・・いや、こういう人も本当に、どこにでもいるのだけれど。

上昇志向、と言えば聞こえはいいが、ちょっと人格に問題あると思う。

 

上記の「えこひいき」タイプも、

上司がやってきたりすると イヤなスイッチが入って、大変だった。

いきなり大声で偉そうに指図し出したりするのだ。よく恥ずかしくないよなそういうの。

 

しかし。

考えてみたら僕だって、

好きなバンドには自分から話しかけたりするが、

ダサい・・・と思ってしまったらまず、近づかない。

でもしかし、挨拶くらいは・・・・・するけどね。あたりまえだが。

 

 

可愛い娘がちやほやされるのは昔は当然・・・・だったのだが、

今はもう違う。

美人コンテストみたいなのも、廃止されたケースが多い。

昔は女性は、

美人か、そうでないか、で区別されていたように思う。ひどい話だが。

現代はしかし男も

イケメンか、そうでないか、で区別を、あからさまにされる場合がある。

あれはひどかったんだ、と そうなってみて初めて気づくのだ。

 

人種差別や同族差別 もそうで、一回差別されないとそのひどさに気付かないみたいだ。

えこひいき、も。

いじめ、疎外、 も、そう。

加害者は被害者の気持ちなどまったく考えはしない。

 

政治家の裏金問題にしても、根は近いかもしれない。

自分達だけ良かったらいいのだ、彼らは。

 

 

僕は子供の頃、

周りの幼稚な子供たちが嫌でしょうがなかった。

大人になって、ああゆう幼稚な奴らはずいぶん減ったのだが、

それでも、

ちゃんと、いるのだ一定数・・・・・どこにでも。

 

 

中学性のヤンキーみたいな奴等が僕は未だに、一番嫌いだ。

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「サザエさん化」について。

2024-01-24 20:21:33 | Weblog

有名なヒット作品が作者の手を離れて、

作者の死後も他者の手で続編が書かれ、続いてゆく・・・・・・・

というのはもしかして、「サザエさん」がいちばん初めだったのだろうか。

残念ながら僕は長谷川町子の漫画にも、毎週日曜日の夕方にやっているアニメにも

まったく興味がないのだが。

近年、「ちびまる子ちゃん」が同じ道を歩んでいる・・・んだよね?

テレビ嫌いだからよく知らないんだけど。

「サザエさん化」という現象である。

あと、藤子不二雄はもうこの世に存在しないのに、

「ドラえもん」の長編新作映画が毎年やっているらしい。

僕の子供の頃・・・・1970年代は、「ドラえもん」がリアルタイムで、

漫画作品として連載されていた頃だったと思う。

僕は大好きだった・・・・漫画作品としての「ドラえもん」が。

テレビアニメは何回か、見た記憶がある(僕も子供の頃はテレビも見たのだ)。

でも

絵が雑・・なのが許せなかった記憶がある。だからアニメ版は、好かん。

近年、やっている長編映画作品としての「ドラえもん」にも、まったく興味がない。

漫画が原作のアニメは、漫画世界の素晴らしさには到底及ばない・・・ものが多い。

そういえば「ドラゴンボール」も、

(TVアニメとして)鳥山明の手を離れてまた続いてるらしい。

テレビに縁がないので知りようもない。まあ、どうでもいいけど。

僕は鳥山明が「ドクタースランプ」で、少年ジャンプでデヴューした頃のことを

覚えている。中学一年の時だった。

ものすごく絵が上手いことに感動して、一所懸命真似して書いたのだが、

真似して書くのさえ難しい絵だった。デッサンばっちり、って感じ。

だから「ドクタースランプ」も「ドラゴンボール」も、

ジャンプ連載時に漫画を、リアルタイムで読んでいた。

「ドラゴンボール」は、フリーザ編で飽きて読まなくなりかけたが、

セル編は素晴らしく面白かった。魔人ブウ編も、ふざけてて面白い。

鳥山明の手を離れた「ドラゴンボール」・・・・は間違いなく、面白くないと思う。

 

さて、

「ブレードランナー」はもちろん、P.K.ディック原作のSF映画の傑作である。

サイバーパンクの元祖、と言われたりもする。

僕としては・・・あれはサイバーパンクではないような気がするのだが、まあいいや。

で、「ブレードランナー」はディックの

「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」という短編が原作なのだが、

映画と原作小説は、だいぶ雰囲気が違う。

でもまあ、それでもいいのだ。あの映画のおかげでディックが一躍有名になったし。

ディックは「試写」に近いものは見ているらしい。

でも映画が完成する前に亡くなってしまった。

「ブレードランナー」も近年、続編が作られ、公開された。

「ブレードランナー2049」。

僕にしては珍しく、映画館まで見に行った。

映像美の極致、と言いたくなるくらい美しく、画は素晴らしかったが、

お話は?と言うと????????????????だった。

「ブレードランナー」は、まだギリギリ、お話にもディックの「風味」があったのだ。

「ブレードランナー2049」ではもう、完全にディックのディの字もない気がする。

ディスる気もないが、賛美もできない。

 

でも実は、1996年に小説で、「ブレードランナー2」というのが出版されている。

・・・知ってましたか?意外と、話題にならなかった気がするのだが。

これは、生前のディックとも親交のあったSF作家、K.W.ジーターという人が

執筆した作品。「ブレードランナー」の続編なのである。

小説「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」の続編ではなく、

あくまで映画「ブレードランナー」の続編。

ややこしいけど、映画の続編を、小説で書いたのだ。

ちなみに「ブレードランナー3」もある。作者は同じ。

 

この「ブレードランナー2」と「ブレードランナー3」は、とてもとても良かった。

こんなふうに書いてもらえるなら、

作者亡き後の続編も、そう悪くない・・・・・と思えるような作品。

原作へのリスペクトと、それを打ち破る発想に満ちている。

 

 

作者亡き後・・・と言えば

アメリカの

サザン・ロックバンド「レーナード・スキナード」は実は、現在も存在している。

ヴォーカルはロニー・ヴァン・ザントの「実弟」だったはず(38スペシャルの人)。

しかし、1970年代当時のオリジナルメンバーはもう、ひとりもいないのだそうだ。

 

あの「ディープ・パープル」も、オリジナルメンバーひとりもなしで、

今も存在している。

 

 

 

ロックバンドも「サザエさん化」してゆくのだろうか。

 

 

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音楽とお酒に関するエトセトラ。

2024-01-22 20:19:08 | Weblog

僕がいちばん初めに(中学生の頃)好きになったのは吉田拓郎で、あの人はお酒好きで有名なはず。

「ペニーレーンでバーボン」という名曲がある。

「三軒目の店ごと飲んじまえ」というような、阿呆な酒飲みソングもある。

あの人が毎回、飲みながら歌っていたのかどうかは不明。

 

甲斐バンドもけっこう、酒好きなはず。

「HERO」が大売れした当時の、唯一のテレビ出演時に、甲斐さんが水割りグラスを持って登場して、

テレビ局に苦情(?)の批判電話が殺到した、ということがあった。

これは甲斐バンドの「水割り事件」と呼ばれている。

 

後に、高校生くらいから僕は、

佐治くんに引っ張られて、ストーンズ(と古いブルーズとソウル)を熱心に聴くことになるのだが、

ストーンズはとにかく、キースがジャック・ダニエルズを大好きだったみたいで、

ステージで瓶ごとラッパ飲みしている写真も有名で、

推測なのだがまあ、大抵は飲みながらライヴやっていたのではないか。

(ドラッグのことはわしゃ知らん。)

小林克也のナンバーワン・バンドで確か、「ストーンズ賛歌」みたいな曲があったのだが

その歌詞は

「♪酔いどれキースはジャック・ダニエル♪」だったと記憶している。

 

 

酒飲みで世界的に有名になってしまったのが、

昨年惜しくも亡くなってしまったポーグスのヴォーカル、シェーン・マガワンで、

重度の「アル中」というレヴェルまで行ってしまってたように思う。

「依存症」かな?

彼は結局酒のせいでバンドをクビになったみたいなのだが。

でも毎回べろべろに酔っ払って歌ってて、最高にかっこよかった。

あれはあれでいいのだ、っていうか、あれでしかないのだ。

 

ストロークス、というバンドがアメリカにあって、

2001年ごろから始まったネオ・ロックンロール・ムーヴメントの最高峰バンド。

とてもかっこいい。僕は大好きで、サマソニで来日した時に、見に行ったのだ。

そしたらヴォーカルのジュリアン・カサブランカスは、酔っ払って歌っていた。

かなり、ベロベロな感じだった。大丈夫か?っていうくらい。

最高。

 

憂歌団の木村さんも確か、飲みながらやってたよな。

 

去年だったか、奥田民生が夏フェスで泥酔して後輩バンドのステージに乱入した、とかで

えらく叩かれていた。彼はいつも、かなり飲んでステージに上がるらしい。

 

ビートルズは、キャバーン・クラブで演っていた頃はステージ上で、

ビールとか飲みながらやっていたそうなのだが、

かのブライアン・エプスタインがマネージャーになって、それを止めさせたのだそうな。

むむむむ。

 

 

「酔いどれ」で忘れてはいけないのがトム・ウェイツで、

1STアルバムのジャケットからして、深夜のバーで、酔いつぶれそうなトムである。

酒のグラスも、ピアノの上にちゃんとある。

「ピアノが酔っちまった(PIANO  HAS  BEEN  DRINKING)」という

泥酔しながら歌ってるような(弾いているような)歌も有名。

しかーし!

最近、ていうか近年、何か(SNSだっけ?)で目にした、「ある説」では、

トム・ウェイツは実は、酒は飲めない・・・・・という話があった。

本当かどうかは、わからない。かなり眉唾モノではある。

でも、

もし!その説が真実だったとしたらトム・ウェイツは、大した役者である。

あの「酔いどれ」姿が、全部演技だった、ということになるからだ。

僕としては・・・・・・

そうではなくて、トム・ウェイツは真の、本物の「酔いどれ詩人」なのだと

信じたい。

 

 

昨年惜しくも亡くなってしまったチバくんも、かなりの酒好きだったようだが彼は、

ステージでも飲んでたのかな?

そんなようにも見えるし、そうでないようにも見える。

泥酔してべろべろ・・・には、なってないみたいだけど。

 

 

 

 

あ、俺はですね・・・・・・・・・・・・・・・

飲みながら演ります、もちろん。

 

「酔拳」と同じでデスね、

ある程度飲まないと実力(?)発揮出来ないのデス。

 

ははは。

 

 

で、終わったら打ち上げでまた飲みマス。

 

 

今度、一緒に飲みまショウ。

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「眠り」についての再考察。

2024-01-21 18:49:36 | Weblog

気持ちよく眠れるのが一番幸せな気がする。

それ以上の幸福はないかもしれない。

でも、眠るために生きる・・というのは間違ってるかもしれない。

何故なら、眠りはただの休息だから。

眠りは我々の生きる目的ではない。

現実世界でクソみたいな困難や、つまらない奴らと戦って、

自己実現するのが我々の生きる目的である。

とか言って、

そう言い切ってしまうのは・・・僕にはちょっと違う気がする。

でも生きてていちばん気持ちいのは

便秘が解消した時と、愛し愛された時と、自己実現が出来た・・・と実感する時では、ある。

あと、友達の存在を実感出来た時。

あと、死にそうな目に遭って、切り抜けた時。

心の底から、生きててよかった・・・・と思う。

さて「眠り」の快感は、それらとはまた質が違う。

人間の三大本能は 喰うことと、性のことと、眠ることだ、という。

じゃあ眠る快感は本能的なものなのか??

でも、

物事の説明に「本能」を持ち出すことほどつまらない、興ざめなことはない。

何故蜻蛉は脱皮して羽化して空を飛ぶのか?・・・本能。

なぜ人は生きるのか?・・・・・・・・本能。

何故アリたちは社会生活を営むのか??・・・・本能。

なぜ人は人を愛するのか?・・・・・本能。

ね、つまらないでしょ?

だから、僕がこれ程、眠ることに恋焦がれるのも、別の意味がきっとあるのだ。

僕が立てた仮説では 眠った後の、夢の世界は、

この世ならざる世界に通じているのだ。

あの世、と言ってもいいし、死後の世界、と言ってもいいし、

別次元の宇宙、と言ってもいい。

とにかく、「次元」の違う世界なのだ、我々が眠ってる時に見てる世界は。

だからなんでも起こりえる。

願望も実現するし、死んでしまった人にも会える。

今はもう存在しない町にも行けるし、

訪れたことのない、懐かしい土地へも行ける。

でも逆に、これ以上怖いことはない・・っていう様な目にも遭う。

別次元だからこそ、そんな体験が出来てしまうのだ。

だから、何よりも面白い。

自己充足さえ、そこではしないのだ何故か。

自己充足しない、という事実が「眠り」というものの本質を物語っている。

僕は眠りの中で、「僕自身」に拘泥している・・ってわけではない。

そうではなく、別世界の扉を開けているに違いないのだ。

だから、眠るのにも体力がいる。

怠惰・・・・・ってことではないのだ眠ることは。

僕はこの後の人生、眠ったまま生きたい・・・と思うこともあるのだが

理性的に考えればどう足掻いても、それは地獄である。

昼間は起きて、馬車馬のように働き、創作をし、愛し愛されることに忙殺されて、

疲れ果てて夜に眠るのが幸せなのだ。

今日もいろいろと疲れたので、きっとよく眠れます。

世界に感謝を。

被災地に救済を。

偽善者と差別主義者には天罰と苦しみを与えたまえ。

 

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無題

2024-01-20 21:31:12 | Weblog

まあ、何でもいいんだけどさ。

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続ける。

2024-01-18 20:52:05 | Weblog

違うやり方も試しつつ、基本的には同じスタンスで

僕は、

続けれるだけ続けよう、と思ふ。

ダメもと・・・・なのだから、初めっから。

だから、初手からコケても、どーってことない。

もうすでに、コケるだけコケた。歯も折れたし、満身創痍である。

でもいいのだ、続けれるうちは続ける。

続けられなくなる日は、まず間違いなく来る。

そのことだけは悲しいかな、絶対的だ。

で、きっと後から思うのだ・・・・・続いてたんだなぁ、と。

 

僕はもともと自由な存在なのだが

僕自身の「やりたいこと」が「やるべきこと」を決定していく。

「やるべきこと」があるのは、いいことだ。

「どう動けばいいのかわからない」という状況は悲しい。

「やるべきこと」をやって行けばその先にまた「やりたいこと」が発生して、

それが「やるべきこと」になる。

 

ただ、「やるべきこと」が出来ると、その時点で人はもう、「自由な存在」ではない。

自分が自分の行動を規定するのだ、「やるべきこと」の質を高めるために。

でも それが出来なければ何も成し遂げることは出来ない。

 

さて、そうすると、

 

「やるべきこと」はつまり、成体なのだ。「完全体」と言ってもイイか。

「やりたいこと」は、だから、幼虫、もしくは幼生・・・・・・・か それか、卵かな。

で、「やるべきこと」をやっていくとうまくいけば

「脱皮」出来るかもしれない。

憧れの「脱皮」。

それを繰り返して行けば「羽化」も、夢ではない。

 

何というポジティヴで楽観的な予想だ。

ただの能天気野郎、と君は言うかもしれない。

 

しかし、ポジテヴィティは大事なのだ。

僕はそれ、つくづく思う。

 

そして自己肯定。

誰も肯定してくれない時は、自分で肯定すればいいのだ自分を。

 

 

こないだあの、ヤキューのイチローが自己肯定を否定(ややこしいな)していたのだが

確かに、

自己否定も大事では、ある。

自己充足しないために。

批判を、受け入れてみる。変化してみる。

 

 

 

 

 

そして、兎に角、

 

 

 

 

続ける、続ける、続ける。

 

 

 

 

絶望してはいけない。

 

 

 

 

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昔、天王寺で起こったこと(けっこうディープ)。

2024-01-15 20:28:09 | Weblog

おととい、西成CLUB WATERでの当日リハーサル後、近くを少しだけ歩いてみた。

そしたら、あの「フェスティバルゲート」跡は、巨大ドン・キホーテになっていた。

 

「フェスティバルゲート」って言っても、今はもう知る人も少ないかもだが、

何か遊園地みたいなのがあの辺にドドーンとあったのだ、派手派手な。

商業施設の建物の周りを廻る、度肝を抜くようなジェットコースターが有名だった。

あんなの、後にも先にも、あれしかないハズ。

一回、乗っておけばよかった・・・と今になって思う。

ああゆうのはもしかしてやっぱ、「バブル」の産物だったのか知らん。

 

そして、もう少し歩けば動物園入り口。

動物園は今でもあるし、動物もいる。

行けば恐らく、コアラの檻に、「コアラは、脅かしたら死にますから絶対やめてください」

という旨の注意書きがあるのだろう。ふん・・気の小さいヤツ(他人のことは言えないが)。

 

そして、天王寺公園。ここも、随分・・・キレイになってるんだよね?知らないんだけど。

 

で、もうちょっと行けば谷町筋で、

国道25号線と交わる交差点には巨大な「歩道橋」があった。

巨大歩道橋は今でもあるのだが、今の物は新しく作り直されたもので、

僕は以前の、もう取り壊されてしまった古い歩道橋に愛着がある。

昔の物と今の物とでは、情緒的に天と地ほどの差がある。

 

1988年頃撮った、佐治くん監督の16ミリ自主製作映画「自称バンドマン」の

ラストシーンはこの歩道橋から見下ろすアングルで撮られている。

その画は・・・・・天王寺で独りっきりで、ふらふら歩いて,人混みに紛れて行くアタシ。

(その映画の主役は、アタシだったのですよ本当に。)

 

そして25号線をさらに東へ行けば、

例の「新宿ごちそうビル」がある。まだあるはずだ、確認はしてないけど。

今思えばそのあたりで

1989年ごろ僕は、酔っ払った半グレみたいな若い奴らと大乱闘になって・・・っていうか

多勢に無勢で、ほとんど蹴られる、殴られる一方で、

僕は血だらけになって・・・・・・前歯が折れたのだ。

あのさ、他人の顔面を、革靴で蹴るなよな。

あれはまだ、ランブルフィッシュ全盛期だったから僕もそれなりに、

イキがっていたのだ。馬鹿みたいだが。

 

 

そしてその、だいぶ後の話。

 

2005年頃・・・だったと思うのだが、

その何日か後に、闘病のために奈良の実家に戻ることになった佐治くんを

バイクの後ろに乗せて、

天王寺の交差点辺りで彼を降ろして、別れた。

大阪で彼と遊んだのは、それが最後だった。

 

本当はまだまだいろんなエピソードがあるけど、

とりあえず、それが僕にとっての天王寺。

 

 

 

あ、もう一つだけ思い出した、強烈なのを。

 

 

 

JR天王寺駅の、その巨大歩道橋の根元近くの公衆便所は、

後から知ったのだが、ゲイの人々の、知る人ぞ知る、有名な「ハッテン場」であったらしい。

今もあるのかどうかは知らない。

で、いつ頃だったか定かではないのだが(1999年頃かな?)、

その公衆便所の「小」で、ほろ酔いの僕がのんびり、用を足していたら

すごい小柄な、角刈りの、筋肉質な男が入ってきて、

まともに覗いて来て、何を言うかと思えば、

「お兄さん、おっきいのね!ねえ、くわえさせてよ!」とキラキラした目で、

ほとんど「叫び」のような声。

・・・・・・・・・・・・・・・・怖かった、マジで。

いや、あの、、いいっす!と答えて僕は逃げた。

後ろも見ずに走って逃げた。

今となっては笑えるが、その時は笑えなかった。

しかし・・・・・・・・・・・もし本当に、「ハッテン場」だったのだとしたら、

ちょっと悪いことしたかもね。

でも全然、そんなこと知らなかったんだよ本当に。

 

 

 

THIS  IS リアル・天王寺。

 

 

 

 

ついつい、色々思い出してしまったから、ここに書いてみた。

ただそれだけのこと、なのですが。

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新今宮/動物園前 CLUB WATERでの暖かな夜。

2024-01-14 18:24:43 | Weblog

天王寺が大好きだったのだ本当に。

 

昨夜のライヴのMCでも言ったのだが、

高校生の頃、ランブルフィッシュの前身バンド「ネクスカ」で初めて

佐治たちと一緒に、

大阪・天王寺を訪れた時、

JR天王寺駅前の「新宿ごちそうビル」という大きな看板を見て(すごく目立つのだ)

新宿生まれの僕は、ちょっと感動してしまった。

あれを見ると誰でも、「大阪なのに何故”新宿”????」と思うのだが、

僕は嬉しかった。

街が、僕を歓迎してくれてるような気分だった。

 

で、昨夜の新生CLUB WATERは、その天王寺から歩いてすぐ

駅なら一駅、距離で言えば(新宿ごちそうビルから)2~3キロくらいなのではなかろうか。とても近い。

WATERの最寄り駅は、JRなら新今宮、地下鉄なら動物園前。駅から歩いて1分くらい。

新今宮のあたりも僕としては20年前に、働いていた近辺なのだ。

 

店もすごく良かった。

綺麗だし、大きさも手ごろ、音響も抜群。

で、やってるのはマツケンさんとマリカちゃん。和む。

 

昨夜の出演バンドも、とても良かった。

 

ランブルフィッシュが大阪芸大バンドだった頃に

友達になったランブラーズのフロントマン二人のバンド、あるす・あまとりあ。

 

たこさん のギターの 山口くん率いるTHE  FAMILY TONE 。ドラムはジェンくん。

 

こけし のデニロウさんのバンド、WALKER。

このバンドのベースは何と、やってかましたろブラザーズの、ミノルちゃんだった。

 

知り合いばかり、友達ばかり。

みんな、それなりの年齢になってるのだが

こんな風に音楽を続けてるのだ。感慨深い。

 

20年前に僕が、新今宮近辺の靴工場で働いていた頃はあの辺は、

もっと薄汚れた、荒れた街だった気がする。

道端でおっちゃんが壊れた人形とか、靴片方とか売っている・・・・

かと思えば、昼間から酔っ払ったおっちゃんが道端で寝ていた。

スラム街である。

でも20年も経つと、街も全然変わっていた。

(まぁ、もっと「奥」へ行けば・・もしかしたら依然、ディープなのかもしれないが。)

昨夜、もう暗くなった頃に女の人が一人で、犬の散歩をしているのを見かけた。

昔はそんな街ではなかった気がする。

しかし、治安とかが良くなるのはもちろん、いいことだ。

 

音も照明も、申し分なく良かったので我々ROCA’66も、

ちゃんと出来たと思う。気持ち良く演奏出来た。

「歌詞が聞き取れて、そのことがすごく良かった」というようなことを、

何人かに言ってもらえた。嬉しい。

 

 

来てくれた人、ありがとう。聴いてもらえて良かった。

新生WATER、開店おめでとう。

そして、呼んでくれてありがとう。

これからもよろしく。

 

考えてみたら・・初めて天王寺を訪れたあの日からもう40年経っている。

嘘だろ?って気もするが、多分本当だ。

 

コメント
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