香港・香港・香港(シャンガン・シャンガン・シャンガンと読む)。

2019-11-27 21:28:17 | Weblog


香港の人達は今、「共産中国」(←台湾と区別するためにあえてそう呼ぶ)

という巨大なブラックホールごときものに吸い込まれないように、

ここが正念場、と踏ん張って抵抗活動をしている。

ハラハラする。・・・・しかし、心から応援したい。

「共産中国」は、民主主義の国ではないのだ。選挙さえ行われない。

そんな国に、誰だって飲み込まれたくない。

民主主義ではない、ということはつまり人民に「人権」すらない、ということになる。

ない・・・とまではいかなかったとしても「人権」は、かなり軽視されるはず。

チベットやウィグル自治区で共産中国がやってることを考えればそれはハッキリわかる。

共産主義や社会主義は「民主主義」ではないのか?といえば、そんなことはないはずだ。

現在の中国は共産主義と帝国主義が合体したもので、それは「ファシズム国家」だ。

ちなみに、シュー・キンペイの地位は今後、揺らぐことがないそうだ。

僕は、ファシズム国家を大声で弾劾する。

そして、民主主義と人権尊重を、全力で支持する。

人権が尊重される世界こそが「平等」であって、

権力者や金持ちだけが優遇される世界は間違っているからだ。


しかし、日本も今現在、そっち(ファシズム国家)に近づきつつある・・・怖い。





ここからは僕の体験を含めた話。



僕は「ばるぼら」というバンドのギタリストとして1998年に、

中国の、上海と北京に、演奏旅行に行ったことがある。

Mレコードの社長O氏に連れて行ってもらったのだ。

その時、北京で、何人か現地の音楽関係者の人と会ったのだが、その中に

香港人の音楽プロデューサーの男がいた。名前は・・・・・忘れてしまった。

彼は、当時日本でもけっこう知られていた中国人女性シンガーソングライター「アイ・ジン」(「愛・人」ではない)

の、マネージャー兼・私生活のパートナーだった。

彼とは、英語で話した。こちらの英語が高校生程度だったので複雑な話は出来なかったが。

香港人の英語は、キングズ・イングリッシュに近いのだなあ、と

思ったのを覚えている。英国領だったところだものね。アイ・カン・ノット、みたいな。


「アイ・ジン」(漢字が中国の漢字なので、ここに表記できない)の「我的1997」という歌は

「私の1997年」という邦題で、日本でもちょっとヒットしていた。

今現在でも「「私の1997年」で検索したら、PVとかがたくさん出てきた。YOUTUBEはエライ。

この歌はフォークっぽい感じの楽曲で、僕は実はラジオで耳にして、気に入っていたのだ。

だからそんな人のマネージャー(兼パートナー)に会えて感動した。

彼女のいろんな話を聞いた。

この「我的1997」は題名からわかるかもしれないが、

1997年の香港の中国への返還を、中国人側の立場で歌ったものだった。

マルハン(というデパート)にいけるから嬉しい、というような他愛ない、素朴な内容だが。

当時の中国人の一般的な感想は、そんなものだっただろう。

でも

その1997年当時は、香港から大勢の人々が国外に逃げ出したのだ。

いや確かに・・・もしも僕だったとしても、そうしたかもしれない。

共産中国に組み込まれる、なんて悪夢だからだ。

その後、返還された香港は「一国二制度」とかいうヤツで、中国本土とは全然違う政治体制で運営されていた。

それがこの20年以上、続いていた。


それがここに来て、ついに

共産中国が香港を飲み込むための動きを始めた。




僕は

民主主義を守って欲しい、と切に願う。すべての人の人権も。


共産中国も、北朝鮮も、どこもかしこも民主化してほしい。

チャイニーズ・デモクラシイ!!!!!!!

パワー・トゥ・ザ・ピープル!!権力は人民に!!!!!!!






あの時出会った香港人の音楽プロデューサーは今頃、どうしているだろう?

とっくに国外へ脱出したか?

それとも、あのデモの人波の中にいるのか?

アイ・ジンは中国本土の人だが、彼女は今も歌っているだろうか。

このこと(香港騒乱)のことを歌にするだろうか?









香港は今、瀬戸際にいる。




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読後の私。

2019-11-24 20:25:11 | Weblog

町田康氏の新刊、「しらふで生きる」を読み終わった。

面白かったし、濃かったが、

ちょっと肩透かしな印象も受けた。

きっとこちらが期待し過ぎたのであろう。

氏の筆致は相変わらず冴え、変幻自在の言葉遣いの面白さ、軽妙さはやはり、他に類を見ないほど素晴らしかった。


ただ、ちょっとだけ引っ掛かるところがあるのはきっと僕自身が

「サケ止めるなんて・・・・かっこよすぎてズルイぜ」と思ってるからだろう。


「あなたも止めるべきだ」とは氏は言っていないのだ。

しかし、止めたらすっきりするであろうことはよくわかった。


僕は5年ほど前に煙草を止めていて、

それで人生が、限定的ではあるがかなり自由になった・・・と感じているのだ。

出掛けるときに煙草とライター持って行かなくてもいいし(しょちゅう忘れて行ってた)、

それをどこかに置き忘れてしまう心配もしなくていいし(そんなの日常茶飯事だった)、

夜中に煙草が切れたときのあの面倒くささ(結局は買いに行くのだ)も、もうないし、

友達に煙草をせびるようなこともしなくて良くなった。

僕は大体が煙草の味はそんなに好きではなくて、

あの無意味なようにも思えるしぐさと煙の匂いが好きだったのだ。

でも止めてからは本当に無意味に、そして無価値に見えてしまう。煙も、今では臭い。


本の話に戻る。

肩透かし、などと言ったが、でもやはり、核心的なところはとても面白くて、

つまり「人生はそもそも楽しいものではない」というような考察。

ご本人もインタヴューでさらっと言っていたが、「人生論」的な側面もあるのだ、この本。

いかに生きるか、というのは自分で選択することが可能なのだ、という

文字にしてみると「あたりまえ」のような事実。だがそれは全然「あたりまえ」ではない。


僕が10年以上延々と書き続けているこのブログも、

ライヴの宣伝と、僕なりの人生の考察でもある、と自分では思っている。


しかし、アレだな。

もしもサケを止めてしまったら僕の場合、

友達と会う口実が・・・・なくなってしまう、とまでは言わないけど、

「飲みに行こうぜ」と言えないなら喫茶店かファミレスか何かで

コーヒーとか飲みながら、いい歳をしたオトコ2人が素面で音楽や小説やバイクや、

それこそ人生などを語り合う羽目になってしまう。「女子会」ならそれもいいのであろうが、

「男子会」などと称することが出来るほど我々は厚かましくもないし、

やはり、気恥ずかしい。

それは、そのことは、大・大・大問題である。

気の合う友達と、そういう時間を過ごすことは僕にとって、ものすごく大事なことなのだ。

だからもし、世界中からサケが消えてしまったり、

禁酒法が実施されてしまったりしたら迷わずサケ抜きで喫茶店だろうがファミレスだろうが

公園だろうが自室であろうが「友達と語り合う」ことを止めはしないのだが、

サケがあるならあるで、あったほうが100倍いいし、

やっぱオトナのオトコ・・・卑下してオッサンと言ってもいいが

(本当は「老青年」と思っているのだが)、柔らかくオジサンにしとこう、

オジサンにはやはり、酒場が似合う。

そして喫茶店でコーヒーなら、親しいもの同志でもやはり、心を完全に開くまで少し時間がかかってしまう。

だがそこが酒場で、ビールでもあろうものなら数分で、いや数秒で我々は

まるで鯵の開きのように心を開くことが出来る。手っ取り早いのだ。





、というようなことを思った。

・・ということはつまり、僕は今後も当分、飲み続けるのであろう。


止めると、「自由」になれるのかもね・・・と思いつつ。

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「酔生夢死」に憧れて(私が飲酒を止めない理由)。

2019-11-22 21:09:48 | Weblog

それはつまり私はきっと、

「シラフの自分」が、あまり好きではないのだ・・・・っていうか、「嫌い」なのだ。


多かれ少なかれ、大人なら誰でもそういう部分はあるのだが、

「シラフの自分」というのは

自己抑制という荒縄にぐるぐる巻きにされて、いつしかそれに慣れてしまって、

存在するはずの痛みに無感覚になっている、という哀しい光景で。


だから自己抑制を覚える前の自由奔放な子供は時に、酔っ払いによく似ている。


そして私は

そんな自己抑制の荒縄を、ほんの少しだけでも緩めるためにウイスキーを、安ワインを、ビールを、

ジンを、ウオトカを、ジャパニーズ・サケ(日本酒)を飲むのだ。


昔のクサイ歌にあるように

「忘れてしまいたいこと」があるから飲むのではない。


現実がつらくて「飲まな、やってられへん」から飲むのでもない。


極度の肉体的依存で「飲まないでいると手が震えだす」から飲むのでもない。




レニー・クラヴィッツ風に言うが、


「自由への疾走」なのだ飲酒行動は、私にとっては。



シラフの私は、冷たい。


シラフの私は、他人に距離を置こうとする。


シラフの私は、思い付きを安易に行動に移さない。


シラフの私は、妙に慎重な所がある。


シラフの私は、自己防御的なところがある。

シラフの私は、人見知りをすることがある。

シラフの私は、引っ込み思案気味である。

シラフの私は、妙に恥ずかしがり屋である。


シラフの私は、思い切りが悪い。


「シラフでない私」は、上記のことを、全部、

(星一徹が)ちゃぶ台をひっくり返すみたいにして裏返すのだ。

それは自己満足的かもしれないが、本人としては痛快・・・の一語に尽きる。

そんな風にアルコホルに、私は助けられて、背中を押されて、生きてきたのだ。




だから私の飲酒に関しては、放っておいて欲しい。















ただし、問題がないわけでは、ない。


制御の効かな過ぎる嫌いがあるのだ、私も含めた・・・酔っ払いは。


泥酔、とは よく言ったものである。ブレーキのないクルマ、ともよく言ったものだ。





そういうときの自分も私は好きではない。ただの馬鹿だし、はた迷惑でもあるから。

「過ぎたるは及ばざるがごとし」である。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・嗚呼。











P.S.




敬愛する作家の、町田康氏が4年も前に酒をやめていた、という事実を、

彼の新刊の宣伝で知って驚愕して、この文書を書いた。

その本は近日、手に入れて読むつもりだが、

読む前の感想として今日の文章をアップしておいた。


読んだ後に、私の中で何か変わるだろうか?・・・・・・・まさかね。








表題の「酔生夢死」という言葉は、これまた敬愛する作家、故・中島らも氏の文章にあった言葉である。


氏の、何というタイトルの本だったかは、忘れた。


もともとは古文だか漢文か何だかからの引用だったと思う。


酔いながら生き、夢見るように死ぬ・・・・・・ということなのかもしれない。



もしそうなら、


そういうのって最高だわよ。





写真は本文とは一切関係ない。


ただの、私の手持ちのヴィヴィアンである。
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時代考証的に。

2019-11-20 20:50:25 | Weblog

こないだの「ボニー&クライド」は、1930年代に実在した

銀行強盗カップルについてのノンフィクションだったのだが、これを

時代考証的にあれこれ考えてみたらちょっと面白かった。


まず

1930年代のアメリカに電話は・・・あったはず。ウイッキの「電話」でちょっとだけ調べたら

「1878年にはアメリカで148社の電話会社が存在」とあった。

各家庭にあってもおかしくない。交換手を呼び出すものかもしれないけど。

でも、このノンフィクションの中には

ほとんど電話は出てこない。・・・・まあいいや(交換手に聞かれたらアシがつくからかな?)。

次。道路。

1930年代のアメリカでは恐らく、舗装されていない道路のほうが多かったと思う。

これは調べてないけど、たぶんそうだろう。

本の中でも、彼らが盗んだ車がぬかるみにハマっている描写が2箇所あった。

モーターリゼイションには道路整備は欠かせないのだ。

高速道路、なんてものも多分まだ出来てないのではなかろうか。

運転免許証(免許制度)・・・はあっただろうか。なかったかもしれない。

信号機、なんてものはほとんどなかったかもしれない。

絶望的な交通渋滞・・・といったものはたぶん、なかったに違いない。


1930年代といったらいわゆる「戦前」だ。

でもそんな時代に、ただのギャングがマシンガンを持っている。恐ろしい。

マシンガン、そして先を切り詰めた散弾銃。そんな最悪に物騒なものを馬鹿なギャングが振り回して、

実際に撃ちまくっていたのだ。ゾッとする。


ボニーが(マシンガン片手に)葉巻をくわえている写真があるのだが、

それに火をつけるためのジッポライターはきっと、あったであろう。


彼らが盗んで、乗っていたクルマ達にはもちろん「クーラー」はついてない。

「ヒーター」は、あったろうと思うけど、わからない。

エンジンスタートはセル?いや、手廻しか?

ラジオは?カーラジオって、あったのだろうか。それくらい、あってもおかしくない。

そういえばテレビ放送は・・・あったのだろう。いや、まだないかな?


もしも誰かが「現代」のことをノンフィクションで書いたとして、後世の人がそれを読んだとして、

そうすると、いろいろと細かく、時代を特定できる要素が多い。

現代のほうが変化はずっと早いペースで進行している。


例えば・・・・ケータイは今、多くの人がスマホに持ち替えている。

コレが5年前だったらガラケーもまだ多かったはず(俺も5年前はガラケーだった)。

15年前だったら・・・ガラケーばっかりかもしれない。

25年前なら、ケーターイ持ってない人も多かった。


クルマは、今、ハイブリッドのものが、とても多いし、人気がある。

電気自動車とガソリン車の半分半分である。

ほんの10年前はそうではなかったし、ほんの10年後はまた違ってるだろう。


街を行くバイクはもはや、スクーターばかりだ。そして50CCのスクーターは

姿を消しつつある。道を行くのは125CCか、250CC。デザインは画一的。面白みも何もない。

5年後にはもしかしたらトライク(3輪バイク)が世界を席捲しているかもしれない。

ピザ屋のバイク(トライク)は雨風もしのげるし、道交法的にはヘルメットもかぶらなくていい。

あとデザインさえスタイリスティックになれば・・・・。



空を見上げれば。、

1930年代の成層圏には、人工衛星など一機も飛んでいなかった。ヒコーキはプロペラ機。

そして世界には「核兵器」も、「原発」も、存在しなかった。



「時計」はどうだろう?

1930年代ならクオーツ時計登場のはるか以前だから・・・ゼンマイ時計だな。

家庭用には「振り子時計」か。



そうだ、このことはけっこう重要なのだが、1930年代の世界には、

ビニールも、プラスティックも、なかった。存在していたとしても、一般に普及はしていなかったハズ。

このことだけで「世界」は、まったく違った感じがすると思う。

ビニール袋もないんだぜ?それって、すごいことだ。


あ、そうだ、「エレキギター」も、まだ存在してないんじゃないかな。

「ロックンロール」なんてものも。




するってえと、



エレキギターとロックンロールがある「現代」は、

やっぱ、とてもいい・・・・・・・・・・・・・という腰砕けな結論の今日。





あしからず。



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ポジティヴィティと言う名のバイアス。

2019-11-18 21:05:53 | Weblog

我々はもしかしたらポジティヴィティというバイアスのもとに生きているのかもしれない。


バイアスというのはつまり・・・わかりやすく言えば「偏見」である。


我々は、

状況がどれだけひどくても「大丈夫」みたいな顔をして行く。

そうするのはつまり、そうする方が楽だし、楽しいし。

誰にも心配されなくても済むしさ、何より迷惑掛けなくて済む。


駄目だ駄目だ・・・みたいなネガティヴィティに支配されると、

生きること自体にすごくエネルギーを要する、という面倒くさい事態に陥る。

他人に心配されたりも、する。


世の中って・・・・困難なことは、そりゃあ多い。

酷いことも、

不平等なことも。

「雨男」的に、何やっても駄目・・・なときもある。




でもそんなの、鼻息で吹き飛ばしてやる・・・みたいな感じで我々は生きてるのだけれど、

それって多分、

「ポジティヴィティと言う名のバイアス」なのだ。


バイアスを矯正されて見える世界はもしかしたら

私が考える以上に悲劇的で、残酷で、救いなどカケラもないのかもしれない。


そんな世界で、

それでも生きていくために我々はきっと、

自分自身にバイアスをかけるのだ。


それはきっと「魔法の粉」なのかもしれないし、

エンジンをかけるための「キック」なのかもしれない。

アダムとイヴの「りんご」なのかもしれないし、

「1,2,3,4、」っていう掛け声なのかもしれない。


だから、ポジティヴィティがもしかしたら「バイアス」かもしれないけど

僕は

それはそれでいい・・・と思うんだぜ。



それは「呪い」というよりはむしろ、

「祝福」に近いものだからさ。



僕の考えてることが少しでも伝わっただろうか?

最近はこのことばかり考えていて、

どう書いたら君に伝わるだろう?って色々と、書き方も考えたりしてたんだけど結局、

出たとこ勝負で一発で書いてみた。





このことについて、

君はどう思うのだろう?




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破滅型カップルの系譜

2019-11-17 17:11:14 | Weblog

いい季節なのだが今日は寝床で一日中、眠ったり、本を読んだりして過ごした。

僕は少し、疲れているのだ。それはともかく。


今日読んでたのはジョン・トレーハン著の「ボニー&クライド」で、

実在した1930年代の銀行強盗カップルのノンフィクションである。

彼らは1930年代当時のアメリカですでに伝説的だったのだが

1960年代に映画「ボニー&クライド」、邦題「俺達に明日はない」で、世界的に有名な伝説になった。

2年ほどガソリンスタンド強盗と銀行強盗をしながら車を盗み続け、アメリカを放浪して逃げ回り、

最後は待ち伏せた警官隊に80発もの銃弾を浴びせられ絶命した二人。

その間、12人もの人を殺しているのだから、美化して同情するもんじゃない。


僕はこの映画 確か、二十代の頃に佐治と一緒に見たなあ・・と思い出した。



そしてふと、

これって、後々に綿々と続く、欧米の「破滅型カップル」の元祖的存在なのかも・・・と思った。


例えば、1970年代のシド・ヴィシャスとナンシー・スパンゲン。

この二人の件も「シド&ナンシー」という映画になった。観たけど。

でもこの事件は、時々言われてるみたいに、「パンクを象徴」、など していない・・・・と僕は思う。

大体が、ジョンライドンは当時からドラッグを否定しているのだ。

あれは、ナンシーにシドが「喰われた」のではないだろうか。


そして、もう一組、こちらは1990年代の、カート&コートニー。

つまり、ニルヴァーナのカート・コバーンとホールのコートニー・ラヴ。

これも映画になった・・かな?観てないから知らないのだが。

でもこれも、というか これこそ、

、カートがコートニーに「喰われた」のかもしれない。コートニーはピンピンしてるし。



破滅型カップルなんて、はた迷惑だし、ロクなものじゃないのは当然なのだが、

若くして悲劇的な死を遂げた人、というのには

どうしてもロマンティシズムが付きまとってしまう。カップルの場合「恋愛」という要素もあるし。


気が滅入るので

最後にひとつ、破滅型でない有名ロックンロールカップルを挙げる。


それはジョン&ヨーコで、

言うまでもなく誰もが知ってるであろう、ジョン・レノンと小野洋子なのだが、

これだって随分すったもんだがあって、決して美しいだけの話ではない。それでも、

これは考えようによっては、人種間を超えた恋愛 の象徴、と捉えることが可能なのだ。


あの天才ロックンローラーのあの人と、東洋人、しかも日本人が・・・・・!

と思うと何だか、頼もしい、というか楽しい。


とは言え、ご他聞にもれず僕も、彼女の破壊的な楽曲と歌唱は多少、苦手だったりする。

はははのは。



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業務連絡アナウンス1・2・3・4・5。

2019-11-13 21:15:59 | Weblog


業務連絡その1

イラスト入りのフライヤーにおいて

アタシとしたことが正垣祐樹の、名前の表記を間違っていた。

正垣、の垣の字は「つちへん」なのだ。「てへん」ではない。

ショウさんごめん。

長い付き合いなのに・・・・・って、ショウさんの名前の漢字、ちょっとムツカシイのよ。

ほほほ。ごめんね。



業務連絡その2


ROCA’66の次のライヴは12月14日京都ANNIE’S CAFE

なのだが、

その次に、来年1月13日に

堺へ移転した「堺ファンダンゴ」に初出演することが決まった。

これは、我々にとっては小さな一歩だが人類にとっては飛躍の一歩だ(大げさな)。

友達よ、

12月14日のANNIE’S CAFEにも来てくれ、そして堺ファンダンゴにも来てくれ。

そしてその次の

1月18日天満PARA-DICEにも来てくれ。2月8日のハードレインにも来てくれ。

それだけが俺の望みだ。



業務連絡その3

俺が描いた猫のイラストのROCA’66Tシャツが、残り少なくなっている。

もう数えるほどしか、ない。

もし欲しい人がいたら、近日にライヴ来て買ってくれ。一枚2000円だ(言っとくが売れても”儲け”は、ない)。

こーゆーのっていつも

「ない」ってことになってから「欲しい」っていう人が多数現れるのだ。

でも「背に腹は代えられない」し、「ない袖は振れない」のだ。

在庫なくなったら「お金では買えないもの」になる。「幻」になる。

今年作った4曲入りCDは、まだ売るほどあります。是非聴いて欲しいデッス。

一枚500円なので、全部売れたとしても制作費ペイしません。アホなのか俺・・・・まあいい。



業務連絡その4


画像は、正垣の名前訂正したヴァージョン。

反省のしるしに、色も塗ってみた。



業務連絡その5


12月14日は京都・深草で、赤いギターと青いギターとベースギター(色はナチュラル)とドラムス(色は不明)

と銀色のハーモニカで


待ってマス。




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道子の赤いサイクロンと赤井の青いジャズマスター

2019-11-10 13:37:19 | Weblog

当方、4人組ロックバンド ROCA’66爆走気味に継続中。


調子はいい。

エンジンは一発でかかるし、吹き上がりも上々。

燃費もまあ、こんなもん。

加速は2スト並みで、スピードはどこまでも上がる。

ブレーキ?

そんなモンは、無い。このブログのタイトルどおり。

リミッターも無い。

空冷だからラジエーターも無い。

ついでに、燃料タンクのメーターも無い。

ドアも、トランクも無い。


いっそ、気持ちがいい。



さてさてそのロックバンドは言ってみれば「ギターロック」なのである。

(ベースも「ベースギター」だからね。)

だが、リズム(ドラムス)が大事な「リズムロック」でもあるし、かと思えば

「歌モノ」という一面もあるし、

「文学ロック」と言っても言い過ぎではないだろう我々は(いや、言い過ぎだ)。


とにかく。


その大事な道具であるギター。


ウチの看板ギタリスト、赤井が今回

NEW ギターを投入してきた。


青い フェンダー・ジャズマスター。


この色は「インディゴ・ブルー」なのだそうだ。

美しい。


昨夜は ROCA’66のスタジオで、

写真左の赤いギターは私こと片山道子のフェンダー・サイクロンⅡ。


優雅で美しいフェンダー・デザインの2本。


どんな音が鳴るのか?



それを、確認しに来てクラッサイ。



次の我々のライヴは


12月14日 土曜日


京都・深草(京都地下鉄の最寄り駅は「くいな橋」)のライヴハウス、

ANNIE’S CAFEにて。

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時間について、未来行きのタイムマシンについて。

2019-11-09 16:58:33 | Weblog


生物はそれぞれ、時間の捉え方が違う、という説がある。

我々が思う・・・もしくは感じる1秒と、

例えば「蟻」が感じる1秒と、

例えば「象」が感じる1秒は違う、という。


そもそも蟻なんか1年か2年くらいしか寿命がないらしくて、

その一生の中の1秒と、

我々や「象」のような長寿の巨大動物は

100年近くの寿命があるのだが、

その一生の中の1秒では、


そりゃ密度が違うであろうことは想像がつく。


蟻にとっての2年は、我々にとっての80年くらいなのかもしれない。


そうすると・・・・・一日が長いだろうなあ。


うらやましいような、そうでないような。




ところで僕は子供の頃に、SFの漫画を描こうとして、途中まで描いたことがある。

その漫画の中で、

「ワープ航法」みたいな、長距離を一瞬で移動する方法の理屈を考えた。


それは「時空間移動」というもので、

そのボタンを押せば、一瞬ではるか遠くまで到達している・・のだが、

着いたときには

そこまでにかかった時間も同時に消費されている・・・というもの。

むむむ。


理屈は見事に、全然矛盾しないのだが

それって・・・・その間「気を失っていた」もしくは

「寝ていた」のと同じである。


何の役にも立たない。


それに気付いて、馬鹿馬鹿しくなってしまった。



しかーし。


後になって思ったのだが実際「眠る」ことって、

一瞬で時間を飛び越えている。

我々は1秒につき1秒ずつ律儀に、時空間を前に進んでいる存在であるのだが、

眠ると、時間を一気に飛び越えることが出来る。


これって、不思議といえば不思議だ。


そういえば、ちゃんとしたSFの古典的名作でも

「眠り」がタイムマシンの代用、として使われているのを思い出した。


1950年代の、ロバート・A・ハインラインの大傑作、

最高に面白いタイムトラヴェル長編「夏への扉」の中に出てくるタイムマシンは、

過去への一方通行なのだ。

だから、過去へいった主人公が現代へ戻ってくる手段として使うのが

「コールド・スリープ」なのである。冷凍睡眠。

この冷凍睡眠の技術は現代でもまだ完成してないと思うけど、

もしも完成したら我々は、「未来」へ、は体感時間の「一瞬」で行ける。



しかし、そのためには


今現在のすべてにサヨナラしなければならないし、

二度と元の時代に戻ってくることは出来ない。


それどころか未来で その冷凍睡眠カプセルが無事かどうか・・・の保証はないし、


荒唐無稽な話ではある。



それでも、冷凍技術と医療がこの後、革新的な発達さえすれば、


未来旅行は可能かもしれない、という事実には


心ときめくものがある・・・・よね。












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12月のライヴは14日、京都・深草「ANNIE’S CAFE」にて。

2019-11-08 21:35:11 | Weblog

12月と言う月は毎年、騒がしくて浮き足立っていて、そのうえ・・・師は走るし、

もう何だかぐしゃぐしゃで。

・・・・何が言いたいかと言うとつまり、ライヴのブッキングしにくいのでありんす。


おう上等だぜ、そんならこっちもよお、考えがあるってもんだ。

てなわけで

好き勝手に仲間を誘って、

ライヴ・イヴェント的なことを企画してみよう!ってなことを思いついた。


 ちょうど、近所の素敵なライヴハウス、「ANNIE’S CAFE」のモリッシーから、

「12月、ウチで、何かやらへん?」とのお誘いも頂いた!


やりますやります!!!!!!!!!と空腹の犬のように話に飛びついたアタシ。



そして話はとんとん拍子に進んで、


12月14日の「ANNIE’S CAFE」でのライヴは決定した。



出演は、



まず・・・・まあ、「ROCA’66」は出る。出るわよ、そら。出やいでか。ははは。


そして、アタシの盟友であるドラマーのチマキさん率いる

ダンスとロックの融合ユニット、「蛇香」が、出てくれる。

今回の「蛇香」は、サックスの登敬三さんと、パーカッションに牧瀬さんが参加して、

チマキさんの自由奔放ドラムスと、ベリーダンスの天使、YUMAちゃんの芸術的ダンス!と、計4人組での出演。

豪華だ、ゴージャスだ。すごいメンツ。


そして、これまたアタシの盟友、

シンガーソングライターの「正垣祐樹」を、大阪から呼んだ。

この日の正垣は、本領発揮のアコギ弾き語り。ユーモラスで、それでいてビート詩人な彼の歌。


そしてもう一組、

女性ヴォーカルの3人組ロックバンド「LIFE METHOD」が出演してくれる。

イキのいい、パンキッシュなロックバンド。

僕はご一緒するのが初めてなので、とても楽しみ。



・・・・という4組でのライヴ・イヴェント。

とてもいいと思う。いいのが組めた。


12月の、忘年会気分で

もしくはちょっと早いクリスマスパーティ気分で、

季節遅れの仮装パーティー気分で。

あと何だ・・・・そうだ、冬休み気分で。


12月14日は京都・深草の「ANNIE’S CAFE」に来ておくれ。


オープンは18:30、スタートは19:00.


チャージは2000円。


「ANNIE’S CAFE」の最寄り駅は、

京都地下鉄烏丸線の「くいな橋」駅、

もしくは

京阪電鉄の「深草」駅。


どちらも駅から歩いて10分くらい。



ぶっ飛んだ楽しい夜に、きっと なるのでその日の予定は空けといてくれよハニーバニー。




っていうか


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・絶対来てくれよ。









画像は、アタシが作ったフライヤー。

この手描き文字と、線画イラストが何だか、21世紀らしくなくて

ちょっと昔っぽいよね!?


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