ラジオ番組、とりあえず終了。そして我々は何を歌おう?

2019-03-28 21:08:45 | Weblog

怒髪天の増子くんが半年前から東海ラジオでやっていたラジオ番組

「TUTAYA LIFE TIME MUSIC」が昨日で最終回だった。

残念・・・・・・・・・でも、もしかしてこれって、

初めから、野球中継のない時期の期間限定番組だったのかな?

時期とか時間帯とか考えたら、恐らく、そうなのだろうという結論に達した。

しかし、半年間、たっぷり楽しませてもらった。

増子兄ィ、お疲れ様。

何だかんだ言って・・・ラジコで俺、ほとんど全部の回、聞いたな。

シミーがゲストの回、悪くなっかたぜ。

そういえば・・一回だけ忘れてて聞き逃した回があって、その日は「アニソン」をかけてたらしくて、

俺は実はアニソンが苦手で、だからまぁ・・・・良かったのかな。

最近の放送では毎回、「青春データ補完計画」ライヴの告知をやっていたので

それはつまり、毎回、増子くんが「ロカ・シックスティ・シックス」と言ってくれる、ということなので

毎回、ちょっと嬉しかった。

さて昨日の最終回分の放送ではゲストがフラワーカンパニーズの二人で、

俺はフラカン、全然興味なくて、

以前に、怒髪天のライヴの打ち上げに参加した際に

妙にオーラのない人たちがいて、それがフラカンだったのだが、

今日の放送でかかったフラカンの3曲は、全部良かった。見直した。

オーラもない、ルックスも普通、喋りが面白いわけでもない、というようなバンド。

彼らはつまり、「楽曲」で勝負していて、それで生き延びているんだ・・ということが

よくわかった。

「深夜高速」という曲は色々と疎い俺でも知っていたのだが、

今日かかった「ハイエース」も良かった。しかし、どう聞いてもテーマは同じだ。だが「深化」している。

彼らは、以前より更に「疲れて」いる。

昨日も日記に書いた、「ツアーがキツい」ということがテーマなのだろう。

そしてその中で、どう前向きに生きるか。

面白いし、共感できるけど、確かに「限定的」な内容だな、とも思う。

それでも、良かった。俺はフラカン、好きになったよ。


怒髪天の現在のところの最新シングル曲「HONKAI」もかかった。

この曲について、言いたいことがある。

昨日の放送で増子くんは、この歌の中には「怒り」がある・・・って言ってた。

あまりにも「伝わらない」ことに関する怒りが。

でもこの曲のサビで歌われてる言葉は

「ロックバンドが本気で信じてないでどうする?こんな腐った世界をいつかきっと変えられると」

であって、これは「自問」だ。他人に怒ってるワケではない。

彼は「信じたい」のだ、ロックを。だから自問を繰り返す。

そういう在りかたって、すごく素敵だ、ストイックとも言える。

そんな風に読み解いたとき、この歌はとても感動的に響く。

これはつまり、一種の「祈り」でもあるのだ。







俺は何を歌おう?と、今更ながら思う。

そして、7月に怒髪天と同じステージに立てることを嬉しく思う。



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呼び覚まされた記憶(一部訂正済み)

2019-03-27 21:37:27 | Weblog

昨日の日記に、昔、大阪城ホールにクラプトンを観に行ってがっかりした、

というようなことを書いたのだが

実際いつだったのかな?と思ってちょっとだけ調べたら

ロバート・クレイが前座の大阪城ホール公演は1987年11月だったみたいだ。

(昨日は1997年11月って書いてたみたいだけど間違い!訂正済み!)

デザイン学校辞めて、アメ村の古着屋で働き出して、ちょうど一年くらいの頃だ。

俺は、21歳になったばかり。

誰と行ったんだっけ?・・・・・・・多分ランブルの佐治と行ったんだと思うけど、思い出せない。


でもそこで

大事なことを突然思い出した。


そうだ、その前後に俺、佐治と庄治と岩佐と4人で大阪城ホールに

ミック・ジャガーのソロ来日公演を観に行っている。

ミックのソロの来日って、

その何年か後に本家ストーンズが来日してるので

非常に影が薄い・・・というかほとんど「なかったこと」みたいになっているように思う。

内容はほとんど全部、ストーンズナンバーのオンパレードだったし。


で、その大阪城ホールの帰りにミナミかどこかの店で4人で飲んで、

結局、岩佐は

俺が当時一人暮らしをしていた住吉区のワンルームマンションに泊まって行ったのだ。

佐治と庄治は奈良に帰っていった。

そして二人で飲んで・・・・・・・・・・・・・岩佐と俺は「仲直り」したのだ。

「また友達になれるな」って言った彼の声を、今でも頭の中で再生することが出来る。


あれはいつだったのかな?って思って今WIKIで調べたら

ミックのソロの来日公演の日程は1988年の3月だった。


そうか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

その3ヵ月後に岩佐は不慮の交通事故で突然 他界してしまう。




完全に記憶が吹き飛んでいた。

そうだ、あれはミックのソロ公演を観に行った帰りだったのだ。


1988年前後のことって実は俺、ちょっと異常なくらい記憶が飛んでいたり、

混乱していたりする。

重要なことを全く覚えていなかったり、些細なことを奇妙なくらい克明に覚えていたり。

いや、やっぱり忘れてることの方が圧倒的に多い。


「クラプトンの大阪公演」が鍵になって、

ミックのソロ公演のことを思い出した。


岩佐と二人で飲んだのは恐らく、あれが最後だったはずだ。



三十年も経って、こんなに大事なこと思い出すなんてね。

何だか・・・・・・・・・・・・不思議な感じがする。
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「いい」のだ。

2019-03-26 21:17:29 | Weblog

1980年代の後半から1990年代、そして2000年代にかけて僕はずっと

ある音楽誌をほぼ毎月、必ずと言っていいほど購入し、

隅から隅まで、まるで魚の骨をしゃぶり倒すみたいに一字一句逃さず読んできた。

その音楽雑誌とは「ロッキング・オン」である。

1990年代は特に面白かった。

洋楽ロック自体、異様に盛り上がっていたし、面白いバンドも山ほどあった。

インタヴューも興味深かったし、グラビアの写真も美しかった。

何より・・・内省的、かつ哲学的な視点からロックを読み解こうとする姿勢が良かった。

渋谷陽一の言う「半径2メートルのリアリティ」みたいな論旨にも共感していた。

90年代の、増井という編集長がとにかく無茶で、面白かった。渋谷陽一も手を焼いているように見えた。

でも2000年代に入って編集長が何人か替わったりして、ちょっと誌面の面白さが失速し、

2010年代に入ってからはもう、あまり買って読まなくなってしまった。

現在でも面白いバンドっていっぱいあるはずなのに。

でも僕だってあの1990年代みたいに熱狂的に洋楽ロックを聴いてるわけでもない。

「圧倒的なスター」がまた出てくれば状況も変わるのだろうけれど。

例えば、ニルヴァーナみたいなバンドとか。

ガンズみたいなバンドとか。レニー・クラヴィッツみたいなソロ・アーティストとか。

スザンヌ・ヴェガみたいなフォークシンガーとか。


それはともかく、おとといの日曜日、久し振りに本屋で新刊の「ロッキング・オン」を見かけて、

買った。

表紙は何と、エリック・クラプトンだ。そうだ、また、来日するんだよな。

僕は実は1987年に来日したクラプトンを大阪城ホールに、チケット買って観に行って、

そのヤル気のなさ(そう見えた)と音の悪さに

すごくがっかりして(前座のロバート・クレイのほうが100倍良かった)、

それ以来ちょっと(いや、ちょっとではない))嫌いなのだが、

久し振りの「ロッキング・オン」は、昔と変わってない部分も多々あって、やっぱ良かった。

いろいろと心に残ったのだが、ひとつだけ書くと、

「スーパー・オーガニズム」というバンドのVOのオロノという日本人女性のインタヴューで

(このバンドの音源はレディ・ステディ・ジョージでよくかかっている)、

彼女が「ツアーがキツい」と言っていて、

ああ、そういえば増子兄ィもラジオとかでそんなこと言ってたなあ・・・。

確かに・・・超早起きで現地に向かって、

待ち時間、インタヴュー、待ち時間、写真撮影、待ち時間、リハーサル、待ち時間、本番。そしてまた移動。

要は「非・人間的」なのだ、生活が。マトモじゃない。

ライヴが終わっても、「打ち上げ」とか最近はないことが多いらしく、

あったとしても、どのバンドも「打ち上げ」に、ヴォーカリストはほとんど参加しないのだそうだ。

酔って喋ると喉を痛めるから。

むむむ・・・・・・・「打ち上げ」ないのか・・・・。

た、大変だよな。

いや、もちろん、「打ち上げ」を楽しみにライヴ演るワケではないのだけれど、

我々なんか昔からそれって「セット」になってるようなものなので・・・・・・・

うーん、そういう日々が延々と続くのは確かに「キツい」かもなあ、

などと思った。


酔って喋ると確かに喉を痛める。でも今現在の我々みたいに「月イチ」ペースで

ライヴ組んでいれば声など潰れても1、2、日で復活するから何の支障もない。

「打ち上げ」し放題である ははは。


・・・・いいんだか悪いんだか。





いや、きっと「いい」のだ。
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録音・イズ・バーニング。

2019-03-22 21:51:23 | Weblog

ずいぶん久し振りに、自作の楽曲を、「今」の自分達のバンド「ROCA’66」で、

本格的なスタジオで、ちゃんと「レコーディング」してみよう、などと思いついた。

いや、何、ほんの数曲ではあるのだけれど。

それで昨日は丸一日スタジオに缶詰。


それにつけても思ふことは、

レコーディング作業って、一種独特で、「異質」な作業だったよな、そういえば・・・ということ。。


新曲をアレンジしてる時のスタジオとは全然違う。

ライヴのためのリハーサル時のスタジオとも全然違う。

もちろん、ライヴで音を出す時とも全然違う体験。


録音って、すっごくデリケートな作業なのだ。

面倒臭いことの繰り返しだし。


プラモデルを作る・・・みたいな感じで、分解された音を再構築する。

マルチトラック・レコーデイングって要するに、

そういうことをやってるんだと思う。


だから作業はすごく、緻密で神経症的で奇妙。

集中力の持続を要求されるし、セッテイングなどの待ち時間も多いし、

「自己の演奏の最高点」を記録せねば・・・というプレッシャーもある。

楽しいか?と聞かれれば、

「マゾ的に楽しい」としか言いようがない。


でも、それで出来上がる「音」は、ひとつのモニュメントみたいな感じで、

確固とした「作品」になる。

後々まで残る物が、その奇妙な作業によって出来上がるのだ。


・・・・俺は、

ランブルフィッシュのアナログレコード「青の時代」も、

ばるぼら で、MIDIから出した三枚のアルバム、

「ミサイル劇場」「レイコとの夜」「ファックファンクラブ」

も、

やっておいて(録っておいて)、本当に良かった・・・・・と心から思っている。


ライヴはライヴで、もちろん素晴らしいし、楽しい。

でもあれは飽くまで「生もの」なのだ。

だから、ライヴアルバムとかってのは、ちょっと違う・・・・と俺は思ってしまう。

YOUTUBEなんかのライヴ映像も、残ってて本当にありがたいし、貴重なのだが、


ミュージシャンとしては、ちゃんと録音した「音源」こそが、命・・・・なのだ。

あ、もちろんライヴという「体験」を別にすれば・・・・って注釈つきだが。


でもライヴはさっきも言ったように「生もの」なので、時を超越し得ない。

あの時のライヴ最高だった・・・・と思い続けていても、リアルな感激の記憶は薄れていく。

瞬最高到達点も、その瞬間のこと・・・でしか、ない。だからこそ「現場」は貴重だし、

希少だし、愛おしいのだが。







だが、ちゃんと録音した「音源」は、やすやすと、悠々と 時を越える。










そういうことを、久し振りに思い出した。


今回録っている「音源」は、夏頃に、何らかの形で

ほんの何曲かだけ(3曲か、4曲)なのだけれど、皆様に聴いてもらえるような形(CD)にして

ライヴ会場で販売できるようにするつもり。



あとあとまで、残るもの。・・そーゆーモノを作ってるんだ。

そういう風に思うと、この「痛気持ちいい」作業も、より楽しめる・・・かもしれない。

あ、アタシゃマゾじゃないけどね。






写真はその、マゾ的な待ち時間。

ベースの伊藤克浩撮影。

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ひとにはそれぞれ「運命」や「事情」が、ある。

2019-03-18 21:42:15 | Weblog

おとといは京都・深草のライヴハウス「アニーズ・カフェ」に、

らぶ・ひるたぁ のレコ発ライヴを見に行った。

らぶ・ひるたぁ とは、ヰタ・セクスアリスのVoとGの二人が新たに組んだ別バンドだ。

なかなか豪華メンバーで、Bはフィリップくん(多分、EXモダンチョキチョキズ)だし、

Dは、EXゆらゆら帝国の、下田温泉だ。

ヰタセクの二人とは、彼らが芸大生だった頃のバンド、ランブラーズの頃に

何度か対バンした。だから彼等とは顔見知りだ。その頃の俺の所属バンドは、ランブルフィッシュ。

ランブラーズもランブルフィッシュも、

大雑把に言えば「あの頃の大阪芸大バンド」ということになるのだろう。俺自身は芸大生ではないのだが。

彼らは何と言うか・・・・全然ブレずに、変わらずに、「我が道」を進み続けている。

そのブレなさ、変わらなさに、感心した。もちろん、進化もしているのだろうが、

俺が感じたのは彼らの「深化」だった。

しかし偉いよな、・・・・。  と言うのはつまり、あの頃のコンビがまだ続いてるんだもの。

でも考えてみたら

今年、7月10日のファンダンゴで我々ROCA’66と共演するのは・・・・怒髪天・・・ほろほろ鳥・・。

翌日は俺は出ないけど、出演は 怒髪天とウルフルズ。

「あの頃」から、同じようなメンバーで続いてる奴等ばかりだ。

ニートビーツのことはよく知らないのだけれど。・・・・ウルフルズも知らんが。


同じメンバーで、同じバンドで、続けることが出来なかった自分を

悔やんでもいないし、卑下なんか、もちろんしない。

これは精一杯やった結果で、そして今の俺は俺で、俺なりの形でバンドを続けているのだから。

ひとにはそれぞれ、運命や事情がある。

そして、今の俺は、また素晴らしい仲間と出会えているのだから、これはとてもラッキーだし、贅沢だ。

新しいバンドメンバー、そして、新しいバンド友達。

おとといのアニーズ・カフェで、らぶ・ひるたぁ と共演していたエルガスガスは、

ごくごく最近出会った、スゲエかっこいいバンドだ。ぶっ飛び。

同じ関西に居たのに、何故今まで出会えなかったのか不思議。

マンガンズに対しても、カミナリボルトに対しても、そう思った。

古くからの人達が、同じメンバーで演ってるのも頼もしくて嬉しいし、

新しく出会った人達がびっくりするほどカッコ良かったりするのもまた嬉しい。


いろいろあるけど・・・・結局、「渦中」に未だ、いるのだなぁ俺は・・・・と

思ふ。

そう思えることは、僥倖ですら、ある。



俺の「今」のバンド、ROCA’66の次のライヴは

4月27日 土曜日

京都・烏丸御池の素敵なライヴハウス「夜想」にて。



写真は、おとといの、 らぶ・ひるたぁ のライヴのフライヤー。

「君はまるでランブルフィッシュ」というのは、今回のアルバムに収録した曲のタイトルだそうだ。

・・・そうか。

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オール ユー ニード イズ 体調。

2019-03-13 21:05:58 | Weblog

先週は本当に、一週間まるまる体調が復活しなくて参った参ったマイルズデイヴィス。

やっぱ「疲れ」が蓄積すると人間なんてララーラーララララーラー弱いものなのだ。

インフルエンザ検査まで行ったのにアタシ。「ただの風邪」とか言いやがってあのデブのヤブ医者。

「あとちょっとでインフルエンザでしたねぇ、惜しい!」くらいのこと言えんか。

でも、まあ、体調悪ければ何一つ出来ない、という冷徹な事実を久し振りに確認できたので

その事は良かった。

体調がすべて、言い換えれば オールユーニードイズ体調、なのだ(文法的におかしいが)。

ある朝、数々の不調が払拭され、体調が全快していた時の、あの天にも上る気持ち。

アタシゃまだまだ行けるわよ、と思えた時の嬉しさ。

ちょっと前にYOUTUBEで、死にかけのカマキリを見たのだ。

複眼は光を失い、カマは折りたたまれ、仰向きになって、足だけが時折、ピクリと動く。

実に一週間、そんな気分で過ごしていた。

しかしあのカマキリはやはり、元気だった頃の夢を見ていたのだろうか。

あのバッタ、美味かったよな・・・・とか味を反芻していたのだろうか。

カマキリが何を考えているか、というのは我々には永遠の謎だ。

とか言って実は「君」が本当はどんなこと考えているか?ということも実は

僕には永遠にわからない。

「君」の言動や行動から推察するしかない。

僕にとっての「君」は つまり、幻想でしかないのだ。

でもそんなこと言い出せば「世界」はまるごと僕の幻想だし、

宇宙ですら、存在するのかどうか怪しい。

それどころか「世界」なんて実は僕の周囲、半径3メートルの範囲内でしか存在しないのかもしれない。

いや、もっとヒドければ・・・・僕の視界の外には、「何もない」のかもしれない。

こーゆ-のは「唯幻論」に近い。

こういうことはフッと思いついて忘れてしまえばいいのであって、

あまり固執するとちょっと良くない道に足を踏み入れてしまう。

せっかく体調回復したのに、違う方の「病」に向かってどうする俺。

えーっと、とにかく、元気になれてよかったよかったヨーガッタシルヴァー。

もう二度と雑事で「疲れたり」せぬように僕は

ピーヒャララと能天気に、適当にサボりながら生きてゆこう。

そうしよう。

頑張るのはライヴの時と、スタジオで練習の時と、あとは絵を描く時だけにしよう。

そして色々と面倒臭くなったら迷わず「ひょいっ」と逃げよう。

「ほな、さいなら!」とか言って。


そうしよう。



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「能力」とか「才能」や「見た目」について。

2019-03-10 18:14:20 | Weblog

「能力とか、「才能」とか・・がある人っていいなあ、と思う。



まあ、自分のことはとりあえず・・置いといて、他人のこととなると、

やはり、

才能のある人、とか美しい人・・・とかに惹かれてしまう。

しかーし。

良く考えると そーゆーのって、冷たくないか?とも思う。


実力主義と言うか・・・能力主義と言うか。


弱肉強食というのは自然界の掟なのだが、

私はそれを全面肯定する気になれない。


誰だって、駄目駄目な時もあるからだ。

駄目駄目な時・・・どころか、「良いことのほうが少ない」というような時期だってある。

(言ってて情けない)。

それに、加えて言えば私は、いや私だけでなく世間のほとんどの人々は

特に美しくもない。


だが、それでも「自分自身の世界」や、「そこで生きていく意義」というものが、あるのだ。


能力も見た目も関係ない。


私には、私のストーリーがあるのだ。


まぁしかし例えば誰かが、

能力や見かけで他人を判断してしまうのは・・・致し方がない、という面もある。

何故なら世界とはある種、そーゆー所だから。


だからせめて私は他人のことを、その能力とか

才能とか、見た目のよさ・・・とかだけで判断するようなことはしないようにしよう。


えーっと、今までもそうしてきたつもりだし。


今まで私が出会ってきた数多くのバンドメンバー達だって、

私は、その才能や見た目で「選んだ」り、したのではない。


偶然の出会いがあり、

その人の人柄と、心根と、「在りかた」が好きになれたからバンドに誘って来たのだ。

(それが勘違いだったこともあるが。)


、で、後から突然、気付いたりする。

この人、すごい才能ある・・・・・・・とか。


そういう時はとてもとてもラッキーな気分になる。


今のメンバーにも全員、そんなラッキーな気分を持ったことがある。

お気に入りの河原の石が実はダイヤの原石だった・・・というような感じ。

ふふふ。



最後に、自分自身のことについても言及すれば、


私は、自分には

巨大な才能がある、と確信しているし、逆に言えば


・・・そう信じるしか他に道は、ないのだ。



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今、「気力」も「体力」も ないのよ。

2019-03-06 20:37:11 | Weblog

少年チャンピオンに昔、連載されていた漫画「マカロニほうれん荘」がとてもとても好きだった。

今でももちろん好きなのだが(先日の原画展に行けなかったのは痛恨)、

70年代当時のリアルタイムでの衝撃はすごかった。

この漫画、スタイリッシュだしファッショナブルでもあったのだ。

今思えば「サブカル」の要素満載だし。

思いっきり笑えるギャグ漫画なのに。


それで、俺は今とても疲れていてへとへとでまだ体調悪いのだが、

小学生の頃に読んだ「マカロニ」のひとコマが頭から離れなくて、

今このような文章を書いている。


そのひとコマとは、

40歳のオカマキャラの「きんどーさん」がアップで、

涙をこぼしながら、

「もうアタシはアナタを愛し続ける気力も体力もないのよ!」と叫んでいる。

たったそれだけなのだがコドモ道郎には

「愛する」のに「体力」って言ってるのがすっごく可笑しくて、

ゲラゲラゲラと当分笑っていた。

しかーし!

今になって思えば、「体力」は必要なのだ「愛する」にしても、何にしても。

大事なのは「気力」だけではない。

コドモの頃はそれがわからなかったんだなぁ・・・・・と思うと不思議だ。


ひるがえって今現在のワタクシに欠けている物も、

やはり「気力」と「体力」だ。

何故こんなことになっているか、というときっと、いろんなことの「調整」に失敗したのだ。

時間調整、日程調整。

簡単に言うと、疲れすぎたのね。

ついつい「無理」が利く・・・・・と思って無茶してしまう。


でもこの「老青年」の身体に、無理など利きはしない。

キィーンと耳鳴りがし、発熱し、関節に激痛が走る。







もう寝よ。










最後にひとつだけ。

1970年代当時に「きんどーさん」みたいなトランスジェンダー的なキャラクターを

何の違和感もなくメインキャラの一人に据えるなんて、、

鴨川つばめ、やはりカッコイイ。

この「きんどーさん」のおかげで僕はそういう人たちに何の偏見もない、というような・・・

いや、それどころか

年に一度くらい酔っ払って「オカマキャラ」化するような人間になれた(なってしまった)

のかも、しれない。







恐ろしいことに、「きんどーさん」の年齢を追い越してしまって久しい。

「沖田そうじ」くんすら、手の届かない年上だったのにね。




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昨夜のPARA-DICE。

2019-03-03 20:13:18 | Weblog

昨日の土曜日はPARA-DICEに来てくれてありがとうでした!

アタマから最後まで、最高なライヴ空間だった。

PARA-DICEやっぱ、最高。

名古屋のヨージ☆バンドも飄々として面白かったし、

自転車SO業舎も楽しくグランジィで素晴らしい。

カミナリボルトは圧巻の轟音ステージだし、

怪我童子の「和」ロックの個性的なこと。


我々?

我々はデスな・・・・・・・・。

俺は実は初めの方、乗り切れなかったのですよ。

何だコレ?と思ったのだが、後から考えると、「体調悪かった」みたいだ。

日ごろの、どうしても避けようのないエトセトラで、疲れが溜まりに溜まっているのは自覚していた。

しかーし!

聞いてた人は判ると思うが、昨日は赤井のギターが凄かった。

暴力的なほどに暴れまわる音。音量もいつもより大きい。

ちょっと「別バンド」みたいだな・・・・と、自分でふと思ったほどである。

俺が調子悪そうだったから助けてくれたのか、それとも偶然なのかはわからない。

おかげで、俺も調子を取り戻し、結果、いいライヴになったと思う。

ベース伊藤も、ドラムス飛澤も、文句なく素晴らしかった。

こーゆーのって、ロックバンドっぽいよなあ、と自分で思う。

ちなみに、全部終わって、電車で帰る途中に俺は発熱。

今日はひぃひぃ言いながら一日寝込んでたザマス。

でも、こんなのは東京ツアー行ってたころはしょちゅうあったのだ。

ツアーってけっこう疲れるから・・・・・

発熱ぐらいなら酒で吹き飛ばして次の日も問題なくライヴやっていた。

そういうのを思い出せたのも今回の収穫だった・・・と日記には書いておこう。


Tシャツも、みんな買ってくれてありがとうね!

新曲「逢魔」も、ちゃんと披露出来た。

でも難しい曲なので、もっと上手くやれると思う。

やるたびに良くなるハズ。


さあ次は、4月27日の京都・「夜想」。

バンドはどんどんと、その存在意義を変えて往く。

まるでヤゴがトンボに変わるみたいに。

昨夜みたいな体験は俺には本当に有難いものだった。


次は京都で会おう。




写真は、昨夜のPARA-dICE。

いつもお世話になっているカメラマン、大瀧君のもの。

いつもアリガットです!

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