ギター破壊パフォーマンスについて。

2024-04-24 20:26:59 | Weblog

先日のコーチェラのライヴで、

ギタースマッシュ(ギター破壊)を行ったアーティストがいたらしくて、

その行為が賛否両論を呼んでいるらしい。

そうかー、と思う。

昔なら「賛」はあっても「否」の意見はあまり、なかった気がする。

「否」の意見が出るのはもしかして、

近年はヴィンテージだけでなく、ギター全般の価格が上昇してるから・・・かな?

まあ、値段だけの問題じゃないかもね。

ギター破壊と言えば僕らの世代では一番先に思い出すのが

ザ・クラッシュの名盤「ロンドン・コーリング」のジャケット写真である。

あれはポール・シムノンで、だからギターじゃなくてベースなんだけど、

美しい。

クラッシュはしかし、あんなこと頻繁にやってたわけではない。

ギター破壊を最初にパフォーマンスみたいにして頻繁にやったのは

その だいぶ祖先の、ザ・フーだ。ピート・タウンゼントだ。

そしてギター破壊の、歴史に残る名パフォーマンスはジミ・ヘンドリックスの

モンタレー・フェスティバルでのライヴだ。1967年だったかな。

録音されていたものがレコードになったし、

フィルムで撮られていた映像は後に映画にもなった。オーティス・レディングの名演と共に。

今見ても、ジミのあのパフォーマンスは奇蹟的に完璧だ。すご過ぎる。

 

もう、覚えちゃうくらい何度も動画(当時は映画のヴィデオ)を見たので、

思い出しながら実況中継してみる。

 

この日のライヴの最後の曲、その終盤、ギターにキスして床に置いて、ハウリングの音が

鳴りっぱなしのギターに、ジミはジッポーオイルを小便のように振りかけて

マッチ(!)でゆっくりと火をつける。

メラメラとオイルが燃えて、ギターが燃えてるように見える。

いや、そのまま放っておいたらギターが燃え出しただろう。

そして、床に叩きつけて、破壊する。

ドメスティックヴァイオレンスを目撃したみたいな感じ。

いちばんすごいな、と思うのが、これやってる間、シールドが抜けてないので

ノイズやハウリング音が大音響で鳴り響いたまま続く。

マーシャルアンプと、ずっと繋がったままなのだ。

だからまるでギターが悲鳴を上げてるみたいに見える。

叩きつけたら「ピー!」みたいな悲痛な音がする。

本当に・・・・ギターが殺されてるみたい。

これでシールドが抜けてないのは奇蹟だ。ご存じのようにwシールドって、抜けやすいのだ。

抜けると「無音」になって、何のこっちゃわからない。

耳をつんざく轟音の中で行われるからこそこの「儀式」は、意味があるのだと思う。

で、ジミが何度も何度も叩きつけたら最後にはギターが折れる。

やってみたらわかるのだけど、ギター折るのはなかなかチカラが要るのだ。

(僕は恥ずかしながらステージで、かなり昔、やってみたことがあるのです。)

後年のリッチー・ブラックモアは、ギター破壊パフォーマンスにおいては、

のこぎりで「切れ目」を入れたギターを折っていた、という話がある。

多分本当だ。

しかもそれは日本製のギターだったそうだ失礼な。

まあいい。

そんなこんなで、1967年のジミヘンのパフォーマンスは完璧だ。

観客席も映るのだが、多くの人々が、かなり「引いて」いる。

やってることが理解の範疇を超えている、そういう表情。

 

そして もし、現代にあれ、やろうとしても、消防法とかで、絶対できない。

出入り禁止になるか、捕まるかどちらかだ。

今となっては・・・ギターに火をつけ、破壊するパフォーマンスは、一種の夢だ、幻想だ。

関西弁で言うなら、「ありえへーん」だ。

 

えーっと俺も、

ギターは大事に扱おう、と思っている。

火をつけたり、破壊するなんて、とんでもない、恐れ多い。

 

・・・っていうのは嘘。

 

1967年の時点ではあれは意味があったが、

2024年の今となっては・・・・・どうなのかな。

でもまあ、「賛否」がある、ってのはいいことだ。

いくらヴィンテージのギター叩き壊そうが、火をつけようが、

のこぎりで「切れ目」を入れようが、

・・・・・それを誰も気にしなくなったら終わりだもの。

 

 

 

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ROCA'66、次のライヴは5月3日、京都・夜想

2024-04-23 20:10:15 | Weblog

ゴールデン・ウィークに京都・四条大宮の素敵なライヴハウス

「夜想」にて、

ROCA’66のライヴがありマッス。

「夜想」は一種独特な、デカダンな雰囲気のハコで、

我々も、いつも出演を楽しませてもらってるのデス。

いい気候だし、ゴールデン・ウィークの後半戦のアタマだし、

近隣からでも、遠方からでも、京都観光に来て、

ついでにライヴを観に来て欲しいのだ。

5月3日、祝日の金曜日。

対バンはPASSION  GOLD、ハルオアローン、そしてぎりぎりで

マンガンズのVO,ジュウオさんのソロが決まった!

マンガンズとは何度も対バンしているが、ジュウオさんソロは見るのも初めて。

バンドとはまた違った面白さがあるハズ。

我々も、こないだとはまた違った感じで、自由に演りたい。

オープン18時、スタート19時。

2000円プラス、1ドリンク600円。

我々の出番は、オンタイムなら20時20分から。

オンタイム、というのは・・・予定の時間通りに行けば、という意味だ。

押したり(遅れたり)巻いたり(予定より早く進行したり)とか、するのが

世の常だが最近はオンタイムで進むことも多いよ。

押したり、巻いたり、って専門用語って言うか、業界用語っぽいなあしかし。

ライヴハウスは夜でも、その日初めて入るなら「おはようございま~す」って言うし。

ギョーカイの最末端なのだ、きっと。

ああ、そんなことはどうでもいいのだ、

大事なのはライヴハウスに君が、来てくれるかどうか?なのだ。

いや、ライヴハウスは本当に楽しいよ。

一言で言えば、玉石混合の極み・・・・というのはつまり、

すごくいいものも出るが、下らないものも出る、っていう意味。

落差がすごい。

ゴールデン・ウイークなんて、もうすぐそこだけど、

ぜひぜひ予定に「京都・夜想」行き を考えてくれ。

 

写真は前回の「夜想」での我々ROCA66。

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謝辞・2024年4月20日西成WATER

2024-04-21 19:30:31 | Weblog

予想以上に楽しすぎる集まりだった、この暖かくも寒くもない春の日。

この日にお会いできた人全員に感謝します。

音楽はやはり、人と人を繋げるもので、音楽やってて本当に良かったよ。

過去を思い返してみれば楽しいことばかりではなく、

どうしても気に入った曲が出来ない時とかもあったし、

その時代その時代のバンドメンバーと衝突してしまったり、

いくらやっても、誰も見向きもしないし聴いてもくれない、という時もあった。

(いや、今だって・・・・時々、あるよな。)

でもそんなこんなで我々はきっと、成長したのだ。

何年かぶりの再会だった友達も何人もいた。

みんなとてもとても素敵だった。

COFFE&CIGARETTESとはWATERで出会ったんだよね。

あれは千日前にあった時代のWATERだった。

25年前?とか、それくらいだ。まだ初期のCOFFE&CIGARETTES。

サイゲンさんとも,その時代のWATERだ。

マツケンさんと出会ったのは奈良の宝島かな。お互いまだ、10代後半だったと思う。

もしくは、20歳前後。

スラブさんとは2000年前後にベアーズで出会った記憶がある。でもそれ以前かも。

マンガンズの皆さんと出会ったのはそれから比べるとまだ最近だ。

それでももう、10年は経つかも。

でもあの時、「まだまだスゴイ出会いがあるんだ」と思った記憶がある。

コズミック・スプーンと出会った時も驚いた。「何者?????」と思った。

そして、最愛の、ROCA’66のバンドメンバーとも全員、ライヴハウスで出会った。

メンバーは家族みたいに感じる。

そして、他バンドの皆さんは「親戚」みたいに感じる。

メンバーを共有しているバンドのひとは「近い親戚」だ。

(「血縁」とかは一切関係ない、念のため。あくまで「感じ」のことを言っている。)

そしてお客さんとして来てくれる人のことは「恋人」のような存在だと感じる。

(男性でも、女性でも、トランスジェンダーでも「恋人」だ。)

だって、そちらが「会いたい」と思ってくれなければ会えないのだから。

だから会えたら、すごくすごく嬉しい。

数々の貴重な出会いの集積が「今」を形作っている。

大事な人たちをきちんと、大事にしたい。

そして全員に、幸せになって欲しいと思う。ついでに俺も幸せになりたい。

リハの最初から本番の最後まで平和な空間だった。

平和が貴重で尊いものだ、とつくづく思う。

僕らが生まれる、たかだか20年ちょっと前は戦時中だったのだ。

冗談抜きで、焼夷弾の雨が町中に降っていたのだ現実問題として。

そして経った今でも、中東やウクライナでは戦時中真っ最中だ。

愛と、友好と、相互理解と「エンパシー」。大事なのはそれだ。

昨日の会場では誰かが連れて来た小さな子供が走り回って大騒ぎしていて、

楽屋にすら入り込んできたのだが誰も気にせず、もちろん無視もせず、

迷惑顔もせず、

転んだ時だけ、助けてあげていた。

「キャッチャーインザライ(「ライ麦畑でつかまえて」の原題)」とは、

そういう意味なのだ。

平和だ。

あれでいいのだ、と思う。

みなさんありがとう。お互い、まだまだ元気に頑張ろうぜ。

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明日はライヴだ♪

2024-04-19 20:54:05 | Weblog

今日は専門学校時代の友達から「久しぶりに明日飲まへんか?」とお誘いがあった。

彼は俺にとって「運命の男」の一人で

(何人かいるのですよ、僕にとっての「運命の男」って)、

19歳だった僕に、アメリカ村のバイトを紹介してくれたのが彼だったのだ。

古着屋、憧れの、アメ村の古着屋。

しかしバイトと言っても一日8時間、週6日だ。

そりゃバイトというより就職だ。(しかし時給500円だった気がする笑)

僕はもうその時、専門学校に見切りをつけたのだ。

 

で、明日飲もう、と言われたのだが明日は・・・・ライヴなのだ友達よ。近々、絶対飲もう。

 

 

 

さてここからはライブ告知。

明日、4月20日は

大阪・西成に再オープンしたライヴハウス「クラブ・ウォーター」にて

西成ロックンロールミーティング

 

出演は

THE  COFFE&CIGARETTES

タランチュラ

ザ・マンガンズ

コズミック・スプーン

ダイアモンド・リリィ

そして我々、ROCA’66。

 

17時オープン

17時半スタート

2500円プラス1ドリンク

 

我々の出番は3番手、オンタイムなら19時から。

明日は我々は、新曲を演るぞー。

「空電シンクロナイズド」という曲名。

作詞・片山道郎  作曲・赤井英俊・片山道郎。

 

明日、ライヴハウスで逢おうぜ。

 

 

西成クラブ・ウォーターの最寄り駅は地下鉄動物園前駅、

もしくはJR 環状線の新今宮駅。

 

俺の大好きな大阪・天王寺近辺だ。

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4月20日は大阪・西成・クラブ ウォーターに来てくれ。

2024-04-15 21:28:18 | Weblog

 

昨日は真昼間から

少し久しぶりの、ROCA66の、練習スタジオ入りだったのです友達よ。

ちょっとぐらい期間が開いたとはいえ、

音楽の強度は全然衰えていなくて

僕は安心すると同時に音楽を演奏することを心から楽しんだのだった。

次の土曜日、4月20日はライヴだよ。

大阪・西成区に再オープンしたライヴハウス「CLUB WATER」にて。

今さらながら・・・・本当に素晴らしいと思う、ロックバンドって。

僕らは、ドレミでなく、コードで音楽をやってるので、

知らず知らずのうちに結果的に、「和音」で音楽やってるのです、ほとんど無意識に。

そしてそのことがすごく豊穣な結果を生んでいる。

もう・・・・本当に複雑な「和音」の暴風雨まっただ中である。

それだけでなくノイズ、つまり「不協和音」も意図的に使うのだ我々は。

そして無敵の「ビート」。

そして・・・・・・・・・・・・・「言葉」。

ロック音楽は最強である。

今週末・4月20日は

大阪・西成区に復活したクラブ・ウォーターに来てくれ。

僕はもう、それ以上の贅沢を言わない。

グラミー賞をくれ、とか芥川賞をくれ、とかノーベル文学賞をくれ、とか言わない。

ただ君が

ライヴハウスに戻って来てくれたらそれだけでいいのだ。

昔が良かった、などと僕は思わない。いつだって、次の新曲が生涯最高傑作だ。

あの頃と今と、実は何も・・・変わってなどいない。

音楽は素晴らしいし、

ライヴハウスは最強に刺激的で、お洒落な場所だ。

そしてロックンロールは現代最高の音楽だ。

 

ライヴハウスで逢おう。

 

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RCサクセション「まぼろし」について。

2024-04-10 20:55:18 | Weblog

ひとは14歳の時に好きになった音楽から特別に強い影響を受けて、

生涯、その影響から逃れられないのだ・・・・・・・という説がある。

 

根拠は不明なのだが、これはすごく当たってる気がする。

「中二病」とかいうのも結局はこの「14歳に好きだった音楽最強説」の延長かもしれない。

 

先日、トラックでラジオのチューニングを合わせていた。

結構、長い距離を走るので、地域によって受信できる局が変わるのだ。

それで、知らないローカルFM局からいきなり、RCサクセションの曲が流れて来た。

瞬時には、曲名が浮かばなかったが脳裏にはアルバム「BLUE」のジャケットが鮮明に出て来た。

痛々しい音、そして歌詞。

最後近くの歌詞で、やっとタイトルを思い出した。

「BLUE」に入っている、「まぼろし」という曲だ。

随分ひさしぶりに聴いたのだが・・・・背筋がぞっとするくらい痛々しい曲だった。

僕はこの曲、アルバム「BLUE」を発売時にリアルタイムで買って、「耳タコ」っていうくらい聴き込んでいた。

たぶんあれは14歳だった頃だ。

当時はもちろん、何も関連情報など皆無の状態で、音楽を聴き込んでいた。

そして、その後いろいろとRC関係の書籍などを読んで、今では彼らのことを以前より、ずっと知っている。

 

今の知識で聴くと

この「まぼろし」は・・・・どう聞いても「日隈くん」のことを歌ってるではないか。

「日隈くん」は、キヨシローの少年時代からの友達で、

キヨシローの信奉者みたいな存在だったという。

3人時代のRCの曲に「日隈くんの自転車の後ろに乗りなよ」という佳曲もある。

いろんなことがいろいろとこじれて彼は・・・・・・・自殺した。電車に飛び込んだらしい。

葬式では彼の親御さんに、キヨシローが責められる場面もあったという。

「オマエが殺したんだ」と。

「まぼろし」の歌いだしの歌詞は「ぼくの友達は いってしまった」だし、

最後の方の歌詞は

「幾晩も幾晩も昼も夜もわからず まぼろしに追われています」だ。

ひぃいいいい。

リアルタイムで「BLUE」を聴きまくっていた14歳の頃は、日隈くんの存在すら、知らなかった。

もう、ラジオで偶然、この「まぼろし」を久しぶりに聴いてから、

アタマの中でずっとキヨシローがこの歌を泣き叫ぶように歌い続けている。

絶唱、って感じ。

でも、この頃のキヨシローの歌は、上手いし、気合が入りまくっている。

最強のソウルシンガーだ。

僕は「カバーズ」の頃のキヨシローの歌が何故か下手に聴こえる。

「カバーズ」は結局、RCサクセションという最高のバンドが崩壊するきっかけになってしまった。

悲しい。

この「まぼろし」という歌も悲しいし、痛々しい。

14歳だった頃はこの悲しさ、痛々しさがわかってなかった。

こんなにも切実な歌だったとは。

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ジョージ・ウィリアムズがインターFMに戻って来た!

2024-04-08 20:53:04 | Weblog

ジョージ・イズ・カム・バーック!!!!!!!

 

この嬉しいニュースは友達の増子くんが直接、メールで教えてくれた。

しかも第一回目のゲストは彼、つまり怒髪天・増子直純なのだ。

 

ジョージ・ウィリアムズはラジオDJで、4年くらい前までインターFMで

「レディ・ステディ・ジョージ」という番組を持っていた。

何と、月曜から金曜まで毎日、シャウラ・ヴォーグという若い女の子とふたりで、

オルタナやパンクや、その他、90年代ロックの美味しいところの音楽をかけまくっていた。

ソニック・ユースやジョンスペやニルヴァーナ、レイジ、ストロークス等々が毎日かかる。

ビースティーズもかかるし、かと思えばジョージはクラッシュやスペシャルズも大好き。

喋りも面白く、最高な番組だった。

増子君も、ザ・バースディの・・今は亡きチバくんも、よくゲストで出ていた。

でも何か事情があったみたいで、突然番組は終ってしまい、

ジョージは「インターFMを去る」と言って、消えてしまった。

しかーし。裏で何があったのか全然わからないが、

とにかく、ジョージがインターFMに復帰してくれたことは嬉しい限りだ。

あの・・・・ジョージって、優しいのだ。

シャウラという女の子と一緒に番組をやっていた時に、思ったのだが

シャウラは自己の感情を抑制しないタイプのキャラで、よく笑い、またよく怒った。

けっこう攻撃的にもなる。でも直接攻撃されてもジョージは絶対怒らない。

上手くかわす。そして、なだめる。とことん優しい男だ。

そして何より、ロックや、カウンターカルチャーに対する愛情が深い。

考えてみたら、増子くんも優しい。彼の怖い面・・・というか、喧嘩話は多く耳にするが、

僕はそういう、喧嘩・暴力現場に居合わせたことはない、幸いにも。

あ、そうだ、増子くんに謝らなければ。

あのさ、ラジコのタイムフリー(エリアフリーとの合わせ技)で聴いたんだよ、初回の放送。

それがさ、ちょっと酔っ払い気味の電車の中でどうしても聴きたくなって

イヤホンで聴いてたんだ。そしたら、いつの間にか爆睡してしまってて。

増子君がゲストで出てきたところは完全に聞き逃してしまった。

ごめん!

ラジコって、一度聴いた奴はもう聴けないのな。

増子君がジョージのラジオに出てきて、何を言うか?は、すごく興味があったのだ、特に今。

誰か音源だけでもYOUTUBEにあげてくれ。

でも、またこれから何度でも、増子くんはこの新しいジョージの番組に出てくれるだろう。

そう、新しい番組名は「RADIO RADIO」だ。直球で、すごくいいタイトル。

途中で爆睡してしまったけど、ジョージの「戻って来たぜ~」みたいな

冒頭のあいさつを聴けて、本当に良かった。

増子くん、ありがとう。

そしてジョージ・ウィリアムズ、戻って来てくれてありがとう。

多分俺はこの番組のヘヴィ・リスナーになる。

 

あ、そうそう、関西ではインターFM、聴けないんだよ当然と言うか。

俺はラジコの有料の、プレミアム会員になってるから東京のラジオもスマホで聴けるんだが。

・・・・・・・・・・・ラジコの宣伝をするつもりは、毛頭ないのだが。

 

もしこの「RADIO RADIO」を、関西在住の人がマジで聴きたい・・・と思うなら

俺と同じようにラジコのプレミアム会員になるしかない。

まあ、月額300円とかなんだけど。

 

 

 

 

 

 

あ、そうそう、忘れてはいけない、

ラジオ関連での嬉しい話を、もうひとつ。

 

俺の大好きなミュージシャン友達、アサオカ01が何と最近、

大阪のYES・FMで番組をやっているらしいのだ。

 

夜11時くらいから毎週金曜日の夜?だったかな?

サケ飲みながら話してたから記憶が曖昧なので、今から調べるつもりなのだが、

アサオカ君の番組も、絶対面白いと思う。

YES・FMは、大阪市でないと受信できないかもなんだけど、

ネットで聴ける、と彼は言っていた。

だから、よる11時からのリアルタイムでなくても聴けるはず。

俺も夜11時ならほとんど確実に寝ている。自慢じゃないが熟睡している。

だからネットで聴こうと思う。

詳細が分かったら、このブログに載せる。

こちらも、楽しみ。

 

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十進法。

2024-04-06 09:31:24 | Weblog

我々は基本的に十進法の世界に生きている。

 

もちろん例外も多くあって、例えば時間は秒で言うなら六十進法だ。

それとか

ダース、という数え方は十二進法ということになる。

でも十進法で数える物事は圧倒的に多い。

これの由来は、我々の指の数が両手合わせて十本だからではないか?

といわれているが、本当のところはわからない。

 

さて、ヒトは生まれた時は0歳なのだ。現代の考え方ではそうだ。

そして、やっぱり10年ごとに、大きな節目が訪れる。

 

10歳の節目は何か?と言えばそう、ここから「ティーン」なのだ。

十代前半はローティーン、後半はハイティーン。

少女漫画の傑作「ハイティーン・ブギ」が流行ってから後、日本でもこの概念が定着した。

ハイティーンの頃がいわゆる「青春」なのかもしれない。

 

そして20歳は言わずと知れた「成人」だ。今はまた法律が変わったが、

一昔前はここから選挙権も持てたし、お酒も煙草も解禁だった。ギャンブルとかもかな。

ギャンブルなんて害悪でしかないから、どーでもいいけど。

そういえば「やらハタ」というお節介かつ微妙な概念もあった。

 

 

そして30歳。

60年代に流行ったのは「大人を信じるな」という概念で、具体的に

「ドントトラストオーヴァーサーティ」という言葉も流通した。

「30歳以上は信じるな」だと。ははは。

 

そして40歳。

これは怒髪天も歌ったが「不惑」という概念があるのだ。40歳は不惑の歳であるという。

つまり、この歳になったら、迷ったり、戸惑ったりはしない、しては恥ずかしい・・という。

しかしこれも「やらハタ」同様、お節介な気もする。

僕に関して言えば40歳以降も迷ってるし、しょっちゅう戸惑っている。

もうひとつ言えば、作家の村上春樹は40歳をひとつの分水嶺のように考えていたフシがある。

 

そして50歳。僕自身のこと言えばこのタイミング、誰かに

「みっちゃんもついに大台か」とか言われたな。

余計なお世話。でも50年と言えば、

100年という十進法での大きな一区切りである一世紀の半分。

大きい節目かもしれない、確かに。

僕個人のことを言えば、

かつての片山家にとっての重要人物、「画家の大叔父」が死んだのは

58歳の時だったのだ。だからなんか・・・ちょっと思うところは、ある。

 

 

60歳は、東洋だけ(日本だけ?)なのかもしれないけど「還暦」なのだ。

暦が、ひと回りする。

でもこの、60年で一周、というサイクルを考えた人たちには何か意図があると思う。

長生きしても人生なんてせいぜい60年だぜ、という意味なのかもしれない。

赤いちゃんちゃんこを着てお祝いする、という風習があったらしい。

でも僕はもともと、あの「暦」に興味がない。順番とか覚えてもいない。興味ないから。

だらら「還暦」も、あまり大きな意味はない気がする。

 

さて70歳。

70まで来たら流石に「老人」という感じがするよな。ひとつの到達点かもしれない。

職場の同僚も70歳を機に仕事を辞めたし、

やはり大きな一区切りの歳なのかもしれない。年金だってさすがに、もらえるであろう知らんけど。

 

そして80歳。この辺まで来ると想像力が追い付かなくなってくるが、

キースもミックも今現在80歳だ。ミックはともかく、キースの見た目がだいぶお爺さんだ。

僕の母も実はミックやキースと同い年なので今80歳。

まだまだ元気だが、時々寝込む。

しかしこれくらいの年齢になると認知症を発症されてる方も多いハズ。

施設に入居、とか。だからもしかしたら、元気でいてくれてるだけで奇蹟的かもしれない。

ミックやキースは超人だ。

 

90歳。

うーん、90歳まで生きられる人って、確率的にはきっと少ないであろう。

僕も、そこまで自分が生きれるとは思わない。っていうか、明日生きてるかどうかも怪しい。

でももし、90歳になったらどんな気分だろうね、ちょっと興味があるな。

 

そして100歳。

十進法の、十の十倍。

昔に・・・小説の登場人物の女の子が「十年って永遠みたいじゃない?」と言ったが、

そう考えるなら永遠の十倍。

一世紀。

ミレニアム。

 

 

人生百年、などと昨今は軽く言うが、100年は決して軽くはない。

「百年の孤独」というのは、僕の大好きな、かのガルシア・マルケスの

ノーベル文学賞受賞作のタイトルだ。

長い、長い、終わらないような気がする長い小説。

でもどんなものにも「終わり」は、あるのだ。

 

 

というところで、今日の日記も終わり。

窓の外は、すっかり春だ。桜も、そこかしこで咲いている。

 

 

この後、我々の人生はどんな風に転がって行きますやら。

 

 

 

 

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今日、天啓のように思ったこと。

2024-04-04 20:17:35 | Weblog

意志的に生きよう・・・・・と私は思うのだ。

意志的に、とはつまり

見ようとして見る、動きたくて動く、自発的に歩く。

以前にも言ったことがあるが、「見ようとしなければ何も見えはしない」のだ。

聴くことも同様。

聴く気がなければ シンフォニーもうるさいだけだろう。

聴く気を持って理解すればノイズ・ミュージックも甘美に聴こえる。

「気」のあるなしで世界は天地ほど違う。

そして、

そんな風に生きるべきなのだ・・・と今更ながら私は悟ったのだ。

 

つまり、何もかもを嬉々として受け取る。

 

そのように存在することがもし、出来れば

生きることは苦痛ではない。いわんや、歳を取ることもだ。

むしろ、すべてを楽しむことも可能であるかもしれない。

これは理想論では、ある。

だがもし、理想すら抱けないのだとしたら我々のごとき存在は・・・・・・・・・・・・・・・・

まあいい。

楽しもうとする姿勢、と言うのはとても大事なもので、

我々はついつい、それを忘れがちなのだけれども

でも本当に大事。

目の前のことを、本気で楽しむこと。

試練を超えることも

ものを喰うことも

人に会うことも

人を愛することも

そして失敗や、

苦痛や憎しみに出会うことすら楽しむ。 

日常ももちろん、楽しむ。

結局、それが全てなのだ・・・と言い切ってもいいぐらい。

 

本当にそうなれたら僕は、

いや僕らは

「幸せ」にすら、なれるかもしれない。

 

昔話の結末のごとく、

「彼らはその後、いつまでもいつまでも幸せに暮らしましたとさ。(終わり)」

みたいな。

 

 

 

とにかく私は意志的に生きよう、そして

何もかもを楽しんですべての出来事を自分自身の貴重な体験としよう。

そんな風に、今日思った。

そしてそれを君に伝えたかった。

ただそれだけ。

 

 

 

 

 

追伸。

あとで思ったのだが

「天啓」というのはきっと意味的に「エピファニー」のことだ。

きっとそうだ。

 

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4月20日のライヴのこと。

2024-04-01 20:36:34 | Weblog

今日から4月!

2024年の、4月に突入した。

何か少しでも変わるだろうか?

変わる・・・・と僕は思う。

今までどう頑張っても成せなかった物事が成就する・・・・かもしれないではないか。

いや、もしかしたら、駄目かも知れない。

戦争だってこのまま平然と続くかもしれない。

侵略、虐殺だって終わらないかもしれない。

メルトダウンした原発は、廃炉にすら出来ないかもしれないマジで。

我が国の薄汚い政権与党だって当分このまま続くかもしれない。

でも絶望してはいけない、と自戒する。

俺達はもっと、厚かましくなるべきなのだきっと。

繊細な神経では生きていけないこの世界では。

「弱者」である我々は正しい。

少数派の観点から物事を見られない奴等は・・・俺は嫌いだ。

サブカルチャーを愛好することには、利点がある。

サブカルチャーと言おうが、オルタネイティブと言おうが中身は同じなのだが、

俺達はいつもいつもマイノリティだったし、これからもそうなのだ。

 

今月、2024年4月の20日はライヴがある。

西成に復活したクラブ・ウォーターでザ・マンガンズ主催の

ロックンロール・ミーティングだ。

出演は

COZMIC  SPOON

DIAMOND  LILY

我々、ROCA’66

タランチュラ

ザ・マンガンズ

THE  COFFE&CIGARETTES

 

すごく良いブッキングだと思う。

豪華、と言っても言い過ぎではない。

轟音合戦になる気もするが、それも良かろう。

あの・・・変な言い方かもしれないけど「学園祭」っぽいんだよな

ライヴハウスって、・・・・悪い意味じゃなくて。

誰も気取って、楽屋に引っ込んでばっかりじゃないし、

出演者ももちろんお客さんになって楽しむし。そういう意味で。

でも中身は学園祭の頃とは違う。

それぞれがそれぞれに作った自作の楽曲を演奏するのだ。

作詞作曲も、アレンジも、自分達でやる。

しかもその楽曲の完成度は驚くほど高いし、個性なら間違いなく、何処にも負けない。

われわれは音楽で喰ってるわけではないかもしれないが、アマチュアではない。

 

ライヴハウスに、来て欲しい。

こんな楽しいところは他に、ない。

待ってます。

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