向日葵(ハッピー・バースディ)

2018-05-31 21:45:30 | Weblog

マンション前の

猫の額ほどの花壇に、

向日葵の種を蒔いた。


向日葵・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。


ベタと言えばベタだが、まあいいだろう。

盛夏にはきっと、

「生命力の権化」みたいな感じで、

生きることへの意欲そのものを、まざまざと、

見せつけてくれるような花が咲くだろう。


楽しみだ、楽しみだ。


俺だって、落ち込んだり、後ろ向きになったり・・・とかばかりしてるワケではない。


この五月を乗り越えて、

六月も、雨合羽を着て乗り越えて、

夏を、

輝かしい光に満ちた夏を迎えよう。





ハッピー・バースデイ、君と、全ての生命に。




P.S.向日葵が咲いたら写真載っけるからね。













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オブセッション

2018-05-30 21:41:27 | Weblog

失いたくない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

 と 心から、本気で、思える「もの」(者、そして、物)が増えて行くのは



とても


幸せなコトでは、あるのだけれど


同時にそれは とても切ないコト・・・・でも、ある。



それで


それだったら


どうすればいいのか?と言えば


私がこの世に存在し続ける限り、それら(失いたくない「もの」たち)を、全力で愛せばいいのだ。



それしか、ないぜ・・・・・とか思うのだけれど


なかなか、思うように行かない。



愛することも、愛されることも、簡単なようで難しいのだ。









どれだけ私がラジオ番組を録音して保存しても、



何度も何度もライヴを演ってみても、



どれだけ電脳空間上で日記を書き続けても、



いくつもいくつも「歌」をつくってみても、








緩やかに、暖かな底なし沼に沈んで行くみたいに、



「何処かに辿り着いた」という感触は、得られない。







終わりがある物事のために、もしくは



終わってしまった物事のために



そのために私は心を痛めているというのに、



その「痛み」だけは、終わりがないのだ。



こーゆーのって、アイロニカルって言ってもいいと思う。








つまり、


私はまだ、オブセッションに囚われているのだ。

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「ネクスカ」のこと、岩佐のこと。(30周忌を前に。)

2018-05-28 20:45:42 | Weblog


知ってる人は知ってると思うけど、

僕は1991年に解散した「ランブルフィッシュ」というバンドのメンバーだったのです。

担当楽器は、エレキギター、そしてアコースティックギター。

アコギはライヴではエレアコだったな。


「ランブルフィッシュ」は、その前身バンド「ネクスカ」というのがあって、

それは高校生だった我々(佐治・庄治・岩佐・モ吉・三太・俺)が立ち上げたバンドで、

本当に、目が眩むほど楽しかった。いいバンドだったと思う、いろんな意味で。


「ネクスカ」は最初の頃、ちょっとだけカヴァー曲をやってた時期があった。

いきなりオリジナル曲もやってたりするのだが、カヴァー曲と同時進行していた。

カヴァー曲はけっこう渋いもので、

オーティス・レディングの「フォー・ユア・プレイシャス・ラヴ」とか

ブルース・ブラザーズ ヴァージョンの

「エヴリバディ・ニーズ・サムバディ・トゥ・ラヴ」とか。

一番初めの頃は担当楽器も固定していなくて、

のちの「ランブルフィッシュ」のヴォーカルである佐治が中心人物であったのだけれど、

佐治はドラムも上手かったし、彼自身ドラム叩くの大好きだったので、

初めのころ、特に上記のカヴァー曲などは佐治がドラムを叩き、ベース担当の岩佐がヴォーカル担当した。

そういう時は、ドラムのモ吉がベースを弾いたり、もうひとりのギターの庄治がベースを弾いたりした。

俺?・・・俺はギターしか出来ないってばさ。三太もサックス専属だったな。

岩佐は実際、歌が上手くて、華のある性格だったし、とてもとても楽しかった。


そして高校卒業と同時に「ネクスカ」は、

メンバーはそのままで「ランブルフィッシュ」という名前になる。

そして少しずつ、大阪のライヴハウスに出演するようになる。


だがその後の二年でいろいろあって(いろいろありすぎて書けない)、

・・・結果、岩佐とモ吉はバンドをやめることになって、

「ランブルフィッシュ」には新しいドラムとベースが加入した。


そのこと(メンバーチェンジ事件)があった直後・・・・・・・・・・・・・・・だったと思う。

岩佐が、不慮の交通事故で、突然他界するのだ。




それは1988年の6月3日のことだった。




そうなのです、もうすぐ・・・あれからちょうど30年経つのです。

5月の終わりのこの時期は毎年、どうしてもそのことを考えてしまう。当たり前だが。


ちょっとその事で最近は鬱々としていたのだけれど、

今日やっと、吹っ切れた・・・というか


素直に、いろいろな事に、心から感謝することが出来たのだ。


彼の短かった人生の中で、彼のようなすごい人間と知り合えて、

友達になれて、一緒にバンドなんかやることが出来て、

いろいろあったけど、

本当に、彼と出会えて・・・とてもとても良かった、と。


彼は本当にすごいヤツだったのだ。

不良のくせに勉強も出来て、身体もでかくて強面で、実際柔道黒帯で、でも弱い者には優しく、

いつもいつも冗談ばかり言っていた。腹が痛くなるほど面白い冗談。


ちょっと前の日記で、「最近はもう、彼の夢も見ない」というようなことを書いたが実は、

あの文章を書いて寝た夜に、ばっちり彼の夢を見た。


久し振りだったな。


いつも目が覚めて後悔する、

夢の中で彼に会った時、彼に「触って」みればよかった・・・・と。


ああ、次に夢で会ったら忘れずに、触れてみよう。

「気持ちワルイねんオマエ」とか言われるかもしれないが、

まあ殴られはしないだろう。



とにかく

もう、鬱々とするのはヤメだ。

俺が落ち込んでたって、どうしようもないのだ。



それにしても、

岩佐も、佐治も、二人とももうこの世にいない・・・・なんていう事実にはやはり、


慣れることができない。

今でも時々、ふと気付いて愕然としてしまう。



あの、飛び抜けて華やかだった二人が。



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この地上に永遠に。(歌づくり、について。)

2018-05-24 22:08:56 | Weblog

様々な風景を、

揺れ動いた激烈な感情を、

この上ない喪失を、

心からの感動を、

そして

純粋な愛情を。




 それぞれの そんな 奇蹟的な、宝石のような瞬間の断片を、



私は「歌」にして、この地上に固定させましょう。



君のことが、君とのことが

ほんの少しでも薄れてしまわないように・・・・


慎重に言葉を選び、

試行錯誤を延々と繰り返してメロディとコードをつけて、


リズムも決めて


・・・・・・そうだ、タイトルも要るよね。


バンドでゴージャスに、アレンジもしなきゃだわよ。




そんな風に「歌」を、何曲も何曲もつくって、


時々はライヴハウスでみんなに聴いてもらおう。


不特定多数のみんなに。





それは


琥珀の中に閉じ込められた太古の絶滅した小さな昆虫みたいなもので


(別の言い方をすれば「ガラスケースの中のイノセンス」)、


いっそ、タイムマシーンである、と言っても過言ではない。



「過去」から「未来」へ向かう、一方通行のタイムマシーン。





そいつは


「冬眠」みたいに、または「種子」みたいに、



永いこと、眠らせておいても全然大丈夫。




「琥珀」に瞬間を閉じ込めてあるから、



再生した時だけ「瞬間」が甦る。





何が素敵か?って



それは「君」を




永遠に留めておけるから。





この地上に、




永遠に。








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関西に住んでいる。

2018-05-23 22:20:43 | Weblog


ふと気付くと

僕は関西に「居ついて」しまっている。

ふむ。


でもこれは、自分で選んだのだ。


自分で自分の住む土地を選べるなんて、それはけっこう贅沢なことだと思う。


そう、関西はいいよー。



何というか、様々な「縁」や「ゆかり」があって。





例えば


仕事で、トラックで、時々、どうしたって通る道路があって。奈良なんだけど。


その道は・・・・・・・・・・・


「彼」のお墓のある霊園の横を通る道なのだ。(前にも言ったかな。)


今日も通った。


当たり前だが、関西以外に住んでいたら、こんなことはなかったであろう。




今日思ったのだが、


もしかしたら・・・・俺の知ってる他の誰かも、この辺に住んでるかもしれない。


例えば高校の時の友達とか(高校は奈良だったからね)、


そう、例えば「彼」の「彼女」だった彼女とか。



知らないうちにお互いクルマで、すれ違ってるかもしれない。



いや、きっと・・・・・・・・・・・・一度くらいはすれ違っているだろう。



そう思うと何だか、不思議な気持ちになる。




二度と出会えない人々。


「縁」も、「ゆかり」も、もう、ないのだ。






うーん、最近、余計なことばかり・・・・考えてる気がする。







しかししかし、余計な思考抜きには誰も生きられない。


君にとって余計なことも、俺にとっては余計じゃないかもしれない。



その逆も然り。



何の話だっけ?・・・・・・・・・そう、関西だ。






関西は俺にとってはリアル・ワールドであり、同時に


不思議なマホーに満ち満ちたネヴァー・ネヴァー・ランドでもある。



低予算のロード・ムーヴィでもあり、


ときには恐怖映画でもある。


SFか?と思ったりも、する。



ああ。もちろん(昔の)少女マンガ的な要素も、



ふんだんに・・・・・・・・・・・・・・・ある。









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30YEARS

2018-05-22 22:26:41 | Weblog

歳月はまるで目の前をほんの一瞬で過ぎて行く新幹線のぞみ500系の車両みたいだった。


僕は誰にも上手く言えなかったから・・・・今まで言わなかったけど、


今年に入って少し経った後くらいから「30年経ったんだ」という思いが常にうっすらと頭にあって、


そのことが僕の心を10%くらい重くしていた。


10%・・・・いや、15%くらい。









30年経ったから、といって


何がどう、ということもないのだが


・・・・・・・・・・このことを知っている人が年々減っていく。


でもそれはどう考えても「必然」だ。


だから、それはいいのだが。



僕は一度、忘れようとして


それで少し心が軽くなったような気がしていた。



そんな風に何年か過ごしていたのだが


今になって30年という月日の重さが


ほんの僅かずつ


僕の上にのしかかっている気がしている。



もう「彼」の夢だって   長いこと見ていないし、


別に・・・・・・・・・・・・・・・・・・俺だって、忘れてしまってもいいのだ。



過去のことは過去のことで、悔やんでも仕方がないのだ。



何もかもが少しずつ薄れていって、消えて行く。




それが自然なことなのだ。





でも俺の心境はとても不自然だ。



不自然な感じが自然なのだから、しょうがない。




馬鹿みたいだけど、俺なんかずっと、馬鹿を承知で、百も承知で、


いろいろな物事に顔を突っ込んで来たのだ。




そのことで「場」を乱して滅茶苦茶にしたり、


他人にとんでもない迷惑をかけたりした。



反省。




しかし思うのだが


人と人って


お互い、迷惑をかけないで関わる・・・・なんて芸当は きっと、不可能だ。



その事だってやっぱり、必然であって、自然なのだ。



そのことの巨大な集大成としての「今・現在」が ある。






僕は自分が、どんな風に行動すれば自分自身の「気が晴れる」のか、


考えている。




30年ってしかし、



軽くはない・・・・・・・・・・・・・・よな。










写真は、ハーモニカ。


キーは、F。



F・・・・・・・ということはこれは「宝物の歌」で使うためのものだ。



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ROCA’66 スタジオにて。

2018-05-20 16:59:53 | Weblog


昨夜はROCA’66のスタジオ。

ついに、ここ最近ずっと取り組んでいた新曲が完成した。

感無量。

俺と、ベース伊藤と、ドラムス飛澤の三人でここ最近は

スタジオで、ベーシックなアレンジまでは完成させていて、

ギター赤井の復帰を待っていた。

そして昨日、

曲のアレンジの最後の1ピースとして

彼がギターを弾いた。

バッチリなギター。

何も説明してないのに、俺のイメージ通りのギターを弾いてくれた。

いや、俺のイメージ以上のギター。

コード進行も随分複雑なのに、すぐ覚えるし。すごいヤツ。



タイトルは「逢魔」。

「おうま」と読むのだが今、そう入力したら「お馬」と変換された。

うーむ、マヌケだ。まあいい。

「オーマ」と呼ぼう。



すごく気に入ってる新曲。

いつのライヴで発表出来るか、今のところわからないのだけど、

早く聴いて欲しいよ。

自分自身としては、ソングライティングの幅を少し、広げられた気がする。


そしてもう一曲、

過去の自作曲「ソシアル」も復活させた。

今のメンバーでのこの曲は、けっこう壮絶なものになった。

ハードでソリッド。

ああ、こちらも早く聴かせたい。


昨夜からずっと、上記2曲をアレンジごと頭の中で何度も何度もエンドレスで再生して、

とても幸せな気分に浸っている。

それなりに苦労・・・というか試行錯誤を繰り返して、

思ってた以上のアレンジで曲が立ち上がったときって、

本当に嬉しい。


もう何だか

俺の上から、キラキラとした粉が絶えず、降って来ているような錯覚に陥っている。

そんなような「祝福の雲」がずっと

俺の上から離れないのです。


幸せ。





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2018年初夏のエフェクター・ボード

2018-05-17 21:36:46 | Weblog


つい先日、

新しく「トレモロ」というエフェクターを買って、

自身のエフェクター・ボードに追加した。

ボードにはもう、新米の入る隙間がほとんどなかったのだが、

最近はミニ・サイズで性能のいいやつがあるので

これならもしや入るかも・・・・・・と思って、安かったこともアリ、買ってきたのだが案の定、

ほぼピッタリサイズで収まった。目出度い。


エフェクターって、オモチャみたいで楽しい。

音も、劇的に・・・って程ではないのだが、

自己満足できる程度には効果がある。

「トレモロ」は、音が揺れるのデスよ。ちょっとレトロな感じに。


それにしても的に思うのだが、


その時期その時期で、使うエフェクターって変わる。


思えば「ばるぼら」の頃使ってたボードには

ファズが計3個もつないであった。ファズって個体差が激しいよね。

知らない誰かに、エフェクト・ボードを覗かれて、

「クレイジーですね」と真顔で言われたことがある(きっと賞賛であろう)。

オクターヴ・ファズとワウペダルの組み合わせで、

ギターでホワイトノイズに近い音を創っていたのだ。

ラジオのチューニングのダイヤル回す見たいな感じの音。


一番気に入っているのは、ばるぼら の2NDアルバムに収録されている

「レイコとの夜」という曲に入ってるノイズ音だ。

あの曲では俺・・・全編、ノイズしか弾いてない。

自画自賛を承知で言うが、とてもイメージ豊かな音。

絵画的と言っても言い過ぎではない(言い過ぎかも)。


ばるぼら、ランブルフィッシュ の頃は、

ギターアンプ持ち込みでライヴやっていたので

ファズ以外のいわゆる「歪み系」のエフェクター(オーヴァードライヴとか)は一切使ってなかった。

アンプで歪ませていたのですね。今考えると贅沢だわアタシ。

その頃はしかも、

ディレイなどの「空間系」エフェクターを嫌悪していた。

(ばるぼら で一部、ディレイは使ったが。)

モジュレーション系も嫌いだった。


思い返してみたら ランブルフィッシュ時代は、ブースターとワウペダルしかつないでなかったな。


今現在のボードには

BOSSのデジタルディレイ、MXRのアナログディレイ、今回買ったトレモロ、と

空間系もモジュレーション系も入っている。

30年前のアタシが見たら、さぞ驚くであろう。

歪み系はVOXの、真空管を使ったもの。

これはとてもとても気に入っていて、同じものを2個所有している。

歪み系はもう一つ、3年前に「地獄」で東京に行ったときに

新大久保の中古楽器屋でジャンク物を300円で買った、ダン・エレクトロのディストーション。

これが下品で暴れる音で、とても気に入っている。冗談で買ったのにね。


ばるぼら の時使ってたエフェクター・ボードもこんな風に

写真撮っとけばよかったな。

何ヶ月かごとに微妙に変化していってたんだけどさ。

月の満ち欠けの写真撮るみたいに、

その都度その都度、写真撮っとけばよかった。


ランブルフィッシュのときのエフェクターも、

もうとっくに失くしてしまっているのに。



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チラシ2018初夏

2018-05-16 21:49:15 | Weblog

こないだの「夜想」でのライヴのときに配ったチラシの画像を載せてみた。




絵を描いたのは俺です。あ、字もそうです。




この絵の人が持ってる楽器はベースだからこれは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


我が ROCA'66のベース担当、伊藤克浩 なのでしょうか。


何も考えずに描いたので、ワッカリマセン。




でも、きっと、そうなのでしょう。



ベース担当 伊藤も、


ギター担当 赤井も、


ドラムス担当 飛澤も、



俺にとっては「救世主」みたいなものだから。





いや、(絵は)羽根が生えてるし・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・





「天使」か。





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初夏・預言者・必然性・偶然性。

2018-05-15 22:19:18 | Weblog





幸運のカケラをポケット一杯に詰め込んだ僕等はどうやら、

その重みのせいか・・・・・・

豊饒の海の真ん中で立ち往生してしまったらしい。


乾ききった月は僕の真上あたりに浮かんでいたし、

ブリキで作ったみたいな星達は

ペナペナに揺れながらそれでも一応、光り輝いている。


それにしても


一体、誰が今日のことを予言し得ただろうね?


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ああ、君は確かに言ってたよな。


実際、あの頃の君は大した預言者だった。

僕以外、そんなこと誰も覚えてなんかいない、としても。


そして、

予想できなかったとは言え「今日」は、

まっすぐに、ほとんど脇目も振らず、僕のところにやって来た。


昨日も、一昨日も、

去年も、30年前も、みんなすっ飛ばして。


でも

何故 僕だったのだろう?

僕でなきゃならなかったのだろう?


それはけっこう大事なことで、


そんな風なことを、今でも時々、考えます。

でも、だからと言って思考は、何処へも辿り着かない。

そんなのはいつものことで、

わかってはいる・・・つもりなのではあるけれど。



「然るべきもの」は然るべきもので、

「そうでないもの」は、そうでない。


結局はただ、それだけのことだったから。





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