特定のアーティストやバンドに影響を受け過ぎてはいけない。
理由は、それを熱心にやり過ぎると
その誰かの「フォロワー」になってしまい、そこから脱却できなくなるからだ。
例えばの話だが、「和製○○」なんてものになってしまってはいけない・・・と、僕は思う。
だから僕はある時から
「一番好きなアーティスト」を聞かれても、「そういう人はいない」と答えるようになった。
っていうか、実際、そんな風に考えるようになった。
誰だって、他人から影響を受けるのは当たり前のことだ。
何もないところから「何か」など、生み出されはしない。
ただやっぱり、ルーツがあっさり見破られるのは、表現として「浅い」のではなかろうか。
(人の勝手、ではあるけれど。)
とは言え、
誰かからの影響を色濃く感じさせるものでも
それが吹っ飛ぶくらい輝いて、オリジナルさえ超えてしまった部分さえ持ってしまう・・・
というようなこともある。
例えば・・・一つだけ挙げるけど、ストリート・スライダーズとかね。
でも、そんなのは滅多にない。
物事を始めるときに、誰かの真似をするのは自然な行為だ。
アホウドリだって親の真似して練習しなけりゃ、
空を飛ぶことは出来ないのだ。
だからコピーとかから入るのは当たり前だ。
そのままコピーで終わったってそれが悪いことではない。
でも独自世界を創れると、やはり楽しいし、広がりも無限なのだ。
たとえ歌や演奏が度肝を抜くくらい下手っぴでも、
自分がオリジナルなら誰にも文句言わせないで済む。
独自性というのはかくも傲慢で便利なものでもあるのだ。
独自、といっても、やはり音楽であるからには作品は「音楽性」の中にしかない。
厳密に言えばバッハ的な「平均律」の音楽をやってる・・・のだ我々は。
例外は純粋ノイズの人たちと
前衛ジャズのひとたちだ。
様々な音楽の影響から抜け出して、
それでも「平均律」の中で、
誰にも似ていない音楽、今までにこの世の中に存在しなかった音楽を創り出す。
そんなことが可能なのだろうか???????
いや、それが可能なのだ。
音楽教育なんか全然受けてない不良のパンクスにも、
勉強もスポーツもろくに出来ない落ちこぼれみたいな奴(まるで俺だ)にも。
その、嘘みたいな魔法こそが
ロックの醍醐味だと、僕は思うのです。