ささやかなシンクロニシティ。

2022-05-28 19:14:09 | Weblog

映画に関しては昨日の日記を書いた後、

ささやかなシンクロニシティがあった。

昨日はトラックに乗りながら、こないだの日曜日(5月21日)放送分の

ピーターさんのラジオ「バラカンビート」を聞いていたら番組の中で、

「ブレードランナー」の劇中曲が、曲紹介なしでかかった。

あれ???ブレードランナーだ・・・と僕はすぐに気づいた。クロージングのテーマ曲かな。

「ブレードランナー」の映画の曲が現実世界で流れるのはちょっと、奇妙なものだった。

作曲者のヴァンゲリスという人が最近、亡くなったのだ。

 

そしてそのあと、突然、映画「ブルーズブラザーズ」の話が出て、

劇中でブルーズブラザーズバンドがやっている小粋なブルーズ「シー・コート・ザ・ケィティ」

その原曲であるタージ・マハールの「シー・コート・ザ・ケィティ」

が、かかったのだ。

タージ・マハールのカヴァーだったのか・・・・・・知らなかった。

でも思えばブルーズブラザーズバンドは基本的に、ソウルとブルーズの

リスペクトを基調とした、カヴァーバンドなのだ。

彼らのオリジナル曲はたぶん、ない。もちろん、確信犯的に。

いやしかし、そのタージ・マハールの原曲も、最高にお洒落で良かった。

お洒落で小粋なブルーズ。

ケィティって語感から子猫かと思ってたんだが(子猫はキティだ)、

実はこのケイティは、カンザスとかを走るローカル列車の愛称だったらしい。

コートはキャッチの過去形。

つまり歌詞の大意は、「彼女はローカル列車に乗って去っちまった、俺に残されたのはロバだけだ」、

というようなもの・・・みたい。

猫ならともかく、ロバが残されたのは少し悲しい。

 

その日の放送は、他にもジャニスの「ミーアンドボビーマッギー」もかかって、

これは僕の思うジャニスの最高傑作なのだが、

歌とギター一本の伴奏から始まって、最高にグルーヴィなバンド演奏のクライマックスで終わる。

最後の方でドラムのリズムパターンが変わることに、今更気付いた。

性急に、ジャニスと一緒に演奏が走る、走る。

こういうのを高速道路を爆走しながら聴く、というのはもう

アタマがぶっ飛びそうなほどのシアワセなのでした。

 

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「映画」という文化への愛憎。

2022-05-27 22:08:18 | Weblog

我々、「ネクスカ」のメンバーたちが

映画「ブルーズブラザース」に強い影響を受けた、と前回書いたのだが、

思えば・・・それだけではなくて、

佐治が兄貴の影響で高校・・・いや中学生の頃からストーンズ大好きで、

ストーンズのルーツを辿ればやはり、1950年代のアメリカのブラックミュージックにたどり着く。

マディウォーターズ、ハウリンウルフ、ボ・ディドリー、

ロバートジョンスン、サムアンドデイヴ、ウィルソンピケット、パーシースレッジ、

ETC ETC・・・・・

 

そして、中でも佐治と岩佐がそういう「ロック」大好きで、他のみんなをそっちに引っ張って、巻き込んで行った。

彼らは陽気で、不良ぶってて、かっこよかったし、

何と言うか・・・・・・輝いていた、いつもいつも。

 

だから我々が古いブラックミュージックに夢中だったのはあの映画のせい

だけってわけでもなかったのだが、

それでもあの映画の影響力は大きかった。

映画って言うのはそういう、社会的影響力を持つことがあるのだ。

 

高校を出てデザイン学校を中途で飛び出して、

僕が働き出したアメリカ村では当時、

アメリカ空軍のフライトジャケットが大人気だった。

出始めで目新しかったナイロンのMA-1、第二次大戦中の戦闘機乗りの革ジャン、G-1,A-2。

そして高価だった、爆撃機乗りが着るB-3。

僕はそれらを、ばったばったと売りまくった。自分でも一着買った。

ボロボロの、アメリカ軍放出品の革ジャン。今でも持っているし、今でも気に入っている。

当時で3万6000円もしたんだぜ。

で、当時は気付きもしなかったのだがそのフライトジャケットブームは実は、

あの映画「トップガン」の影響だったのだ。

「トップガン」の公開は1986年で、ずっぱまりである。

そうだったのか・・・・・・・・・・・と後になって思った。

 

今年、あの映画の新作が公開されるみたいだ。

「トップガン・マーヴェリック」。

しかし興味ないので、多分、間違っても見に行かないであろう。

 

僕は「映画」と言う文化自体にも、複雑な愛憎みたいなものを持っているのだ。

 

好きなものは好きだ。「ブレードランナー」とか、ジャームッシュ関連とか。

でも下らないものも多い。あまりにも多い。

くだらないものを見るのは純粋な時間の無駄だ。

「ブルーズブラザーズ2000」は微妙だった。「ブレラン2」もちょっと微妙。

「未知との遭遇」は、とても良かった。

「スターウォーズ」は・・・・・結局全部見たけど、何だか騙されたような気分だけが残っている。

アメリカンニューシネマはいいと思う。

「明日に向かって撃て」も「イージーライダー」も「俺達に明日はない」も最高。

随分前の話だが「フルメタルジャケット」という映画は、見た後に後悔した。

あれは本当にひどかった。

「地獄の黙示録」は、意味がさっぱりわからなかったけど、ひどいとは思わなかった。

中学生の頃見に行った「フラッシュダンス」もひどかった。

「ラ・ブーム」も、本当にひどかった。「時をかける少女」もひどかった。

「ストレンジャーザンパラダイス」は、公開当時見に行ったのだが、見に行って良かった、と

心から思った。

近年のSF作品「アバター」も、けっこう良かった。

 

そうだ、映画、といえば「アウトサイダー」と「ランブルフィッシュ」を忘れちゃいけないよね。

「アウトサイダー」はちょっと、ウエット過ぎるにしてもさ。

 

えっと、何が言いたかったんだっけ。

 

あ、そうだ思い出した、

言いたかったのは、我々って実は、気づいてても気付いてなくても、

「映画」というものに人生の方向性を左右されている・・・・・・

のかもしれないな、と。

 

それだけ。

 

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音楽は素晴らしい

2022-05-25 20:47:17 | Weblog

いろいろと思うことがあって、

文章化したいのだが、上手くまとまるかどうか自信がない。

まあいいや、とにかく始めてみるね。

 

数か月前から、ピーター・バラカンが、ふくしまFMで毎週土曜日に、

新しい番組を始めている。もちろん、ラジオ番組だ。

タイトルは”GOING BACK~音楽と世界~”で、

1960年代の音楽を中心に、様々な音楽のルーツをたどる・・・みたいなコンセプトの番組。

僕は贅沢にも、ラジコ・プレミアム会員というものになっているので(月々300円必要)、

エリア・フリー機能とタイム・フリー機能を活用して、それが聞けるのだ。

一回目から多分、今のところ全部の放送を聴けていると思う。

この番組が・・・・すごいのだ。

もう、上手く説明できないのだけれど例えば、ディランのルーツ・・・と思えるような

音源をかけたり、ビートルズがカヴァーした曲と原曲を並べて聞いたり、

とにかく濃いし、面白いのだ。

衝撃のエピソードも多い。貴重な音源も流れるし。

で、今その番組で何やってるかと言えば、ソウル・ミュージックの始まりと隆盛、みたいなこと。

ピーターさんは、あくまで自分の私見、みたいな感じで言うのだ、

ソウル・ミュージックを作ったのは

レイ・チャールズ、サム・クック、ジェイムズ・ブラウン

の三人だと思う、と。

そして1954年とか、それくらいの頃の彼らの音楽をかける。

もう、目が回るほど面白い。

 

僕は実は昔から、サム・クック大好きなのです。

JBは、1985年ごろかな?来日公演を見に行った。大阪城ホールだった。

レイ・チャールズだけ何故か、そんなに興味がなかった。

それはやっぱ、僕が個人的に、勝手に、鍵盤楽器に複雑な愛憎を持ってるからかな。

 

高校の頃の我々のバンド「ネクスカ」(「ランブルフィッシュ」の原型)の

ベース担当だった岩佐と

ドラムズ担当だったモ吉は

1986年の7月に豊橋で行われた大フェスティバル「ブラック・ヘリテイジ」を

見に行ったのだ、二人して。

この「ブラック・ヘリテイジ」にはレイ・チャールズとBBキングが出演している。

他にも、ゴスペルのマイティ・クラウズ・オブ・ジョイや、

まだ無名だったダーティ・ダズン・ブラスバンドも出ている。

憂歌団も出ていたみたいだ。

 

僕等・・・ってのは「ネクスカ」のメンバーのことだが、

僕等は映画「ブルーズ・ブラザーズ」の影響を多々受け、

古いソウルやR&B、そしてブルーズ、といった

アメリカの黒人音楽が大好きだったのだ。

 

でも考えてみたらあの映画、レイ・チャールズも出てるし、JBも出ている。

アレサも、ジョン・リー・フッカーも。

サム・クックももし生きていたら出ていただろう。

今更ながら、本当にすごい映画だったんだなぁ、と思う。

コメディとしても一級品だし、破壊的なアクションも最高級。

 

「ネクスカ」のメンバーの中でも岩佐とモ吉は特に仲が良くて、

よく二人でつるんでいた。

(僕が15歳で彼らと初めて出会った時も、二人で校舎の裏で煙草を吸っていた。)

そしてその後・・・高校卒業後も、二人でより深く、ソウル・ミュージック方面へ のめりこんで行った。

 

豊橋ブラック・ヘリテイジが1986年7月か。

それは僕と佐治が長野へ、免許合宿に行った夏と時期が重なっている。

そしてその年の9月から僕はデザイン学校に見切りをつけて、

大阪・アメリカ村の古着屋でフルタイムのバイトを始めるのだ。

俺達は同級生で、1966年生まれだからその年で、ちょうどみんな二十歳になった。

(あ、ショウちゃんだけ早生まれの1967年だったな。)

 

 

岩佐は1988年に、交通事故で突然、亡くなった。

佐治は2007年に、闘病の末、亡くなった。

モ吉は2020年、心臓の疾患で突然、亡くなった。

 

 

 

オーティス・レディングとかサム・クックとか

ウィルソン・ピケットとかジェイムズ・ブラウンとか

そのへんのソウル・ミュージックの名曲がだから今、ピーターさんのラジオではガンガンかかるのだが

 

それを聞いてると僕はもう、その今は亡き三人のことがリアルに思い出せて、

何かすごく幸せな気分になるのです。

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硬い話

2022-05-23 21:17:30 | Weblog

ロシアによるウクライナへの武力侵攻が始まってから、

もう三か月経つ。

経済制裁をものともせず、侵攻は続いている。

時代錯誤はなはだしい。結局のところ、東西冷戦が実は全然、終わってなかったのだ。

我々は、どうあがいても「西側」にいる。位置的には「極東」なのだが。

ほとんどアメリカの属国みたなものだから、否応なく西側なのだ。

今日来たバイデンも、横田基地に先に訪問した。

何年か前の、トランプと同じことをした。

すっごく、「植民地訪問」という感じが出ていて、やな感じだと思った。

植民地って言うか・・・・いまだに「占領地」なのだろう。

ハァ(タメイキ)。

戦後に、日本語の書き文字を全部ローマ字化する、という案が

本気で審議されたことがあるらしい。

ぞっとする話。理由は、日本語ではタイプライターが使用できないから・・・・だったらしい。

他にも、漢字は不合理的・・・とか。笑止千万。

馬鹿馬鹿しい話。

しかし話は変わるが、岸田首相、まともに見えるよね。

国会答弁の話し方も、理知的だし、まともな感じ。

でも今回、我々に見えないところで・・・というのは国会審議が全然テレビでもラジオでも

中継されなかったからなのだが、

緊急事態条項みたいな、かなり危ない法案を通そうとしている。人々の知らないところで。

マトモに見えて、やってることは危ない。

こーゆー奴って、アベなんかよりもしかしたら強敵かもしれない。

善人面して、最悪の法案通す奴こそ、危険かもしれない。

内閣支持率も変に高いみたいだし・・・・騙されてるかもだぜ、俺達。

嫌な話だけど、この後に来るのは憲法改悪だ。

人権を軽んじている「自民党の憲法改正案」を見た?ひどいよあれ。見てないならちゃんと見てくれ。

そして増税。

そして軍備増強。自衛隊を「軍」にする。

これは、こちらから攻撃できるってことだ。

次は核シェアリング????????????????????

その次は、シェアではなく、自国で核装備か。

そこまで行ったら次は、徴兵だな。

 

そういう流れを、止められないものか?と思う。

いや、・・・・・・・・・・・・・・・・止められないことはないのだ、

だって今はギリギリ、民主主義国家なのだから。

 

 

 

 

 

 

要は、選挙だ。

 

 

 

 

 

 

 

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近況

2022-05-19 21:02:41 | Weblog

5月の黄金週間が終われば、あっという間に6月3日がやって来る。

でも6月3日が来てももう、誰にも会えない・・・・っていうか

その日が来ても僕には行くところもない、「彼」のお墓以外は。

だから行くけどさ、A山霊園に。

でも今年の3日は平日なんだよな。

だから僕が行くのは4日になる。

、というようなことを虚空に向けて言っているが、虚しくはない。

何だか少し、こういうのに・・・・・・慣れてきてしまった。

それがいいのか悪いのかわからないけど。

 

 

 

 

 

ところで、最近、心に残った名言があって、

それは「人生に意味はない」というものだった。

これは投げやりなものではなく、むしろその逆で、

どんな風に生きてもイイ・・・ということなのだ。だって意味ないんだもの人生に。

 

例えば

長生きすることが人生の目的ではないし、

もちろん、富や名声を得ることでもない。

「いい人」になんか、ならなくったっていい。

子孫だって、残さなくたっていいのだ、子孫の人生にも意味なんてないから。

あ?自身のDNAの存続???阿呆じゃねえの?意味ねえのに。

そしてもっと言えば

別に「幸福」になんか、なれなかったってそれはそれでいいのだ。

 

そんな風に考えることで、

変な肩の荷みたいなものが降ろせるし、

「自分の生き方は間違ってるんじゃないか?」みたいな強迫観念からも解放される。

誰でもみんな、間違ってなんかないのだ。だって「正しい」こと自体が、ないのだから。

 

人生に意味はない。

心からそう信じられるかどうかはともかく、

それを呪文みたいに唱えながら生きていくのも、そう悪くないかもしれない。

 

 

 

と、ここまで書いて自分で今 気づいたが

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・これは「逆説」だ。

 

 

「逆説」でしかない。

 

 

自分が悪足掻きしてるのを感じる。

 

 

 

 

むむむ。

 

 

 

ピーナッツコミックスの登場人物、ライナスの姉であるルーシーならこう言い捨てるだろう、

 

 

 

「馬鹿みたい!」と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でもこんなこと言いながらも、

突然、「人生の意味」が見えた(わかった)ような気分になることもあるかもしれない。

もしそんな風に・・生きる意味が分かったような気になったのなら、

 

それはそれでシアワセかもしれない。

 

 

だから要は、「何でもアリ」なのだ。

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ジェット戦闘機を目撃した日。

2022-05-18 21:16:16 | Weblog

ついこないだ、トラックで仕事で石川県の方へ行った時に、

日本海沿いを走る高速道路の上で、

わりに低空を飛ぶジェット戦闘機を見た。3機くらいいた。

型式まではわからない。えっとF16はもう古いんだったかな。

F17?今はステルス戦闘機なのかな。

子供の頃に僕は一時、プラモデル制作に熱中した時期があった。

多くの子供がそうであったのだけれど。

ガンプラとかが出てくる前だったから、僕等は

戦闘機、戦車、戦艦、巡洋艦、そういう現実の「兵器」にすごく魅力を感じた。

何よりもかっこよかった。

しかし、こないだ現実の、本物のジェット戦闘機が飛んでいるのを目にして、

かつてのプラモ少年である僕が感じたのは、底知れぬ「怖さ」だった。

戦闘機は怖い。こう感じるのはマトモだと、今は思う。

以前、港で偶然、停泊中の巡洋艦を見た時も怖く感じたな。

戦闘機は音も、ものすごかった。圧倒的な爆音。そしてスピード。

あれは、恐ろしい程の破壊力を持っているのだ。

そして・・・・・あれがアメリカ軍の物なのか自衛隊の物なのかはわからないのだけれど、

どちらにしたって、

あの破壊兵器は我々を守ってくれない、と直感的に僕は思う。

きっとそうだろう。

自衛隊の存在や日米安保条約を頭から否定する気はない。

しかし、ちゃんと考えてみるべきだ、とは思う。

あのジェット戦闘機に装備されている機関銃は何を撃つのか、

空対地ミサイルは何を破壊するためのものなのか。

それは、ひとであり、文化であり、生活であり、命だ。

兵器は、怖い。

だからこそ自衛隊は憲法でぐるぐる巻き・・・っていうくらいに縛られている。

「論理」に縛られているのだ。

そして、それでいい、と僕は思う。

だから、

改憲なんて本気で阻止しないといけない。

平和運動ってのは、平和な時にはやりやすい(誰も気に留めないから)のだけれど、

状況がきな臭くなってくると、やりにくくなる(戦うべきだ、と考える人にとっては目障りだから)。

そういう時にこそ、へこたれてはいけない・・・・と今更ながら思うのだ。

 

 

 

 

 

 

付記

そう言えば子供の頃、ドイツ軍のタイガー戦車のプラモデルとかも持ってたな。

しかし

第二次大戦中のドイツ軍ってそれ・・・・ナチスだよ今思えば。

どう考えても褒められたもんじゃないな。

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音楽は劣化しない。

2022-05-15 18:24:51 | Weblog

音楽って素晴らしい。

スタジオに入って、ROCA’66のメンバーたちと一緒に音を出すと、

いつもそう思うのだが、昨夜はまた格別に良かった。

我々ROCA’66は7月17日にまた、梅田・ハードレインでライヴを企てているのだが次は、

一回目、二回目と、また全然かぶらない曲ばかりを演ろう、と思いついた。

まだあるのだ、演ってないのが。

眠ってる曲で、すごく気に入っていて、いつかやるぞ!と思っていた曲たち。

それの「掘り起こし作業」を昨夜ちょっとやった。

そしたらその演奏の手ごたえがすごく良くてもう嬉しくて。

スロウなファンク調の曲「54」、

ジャズに片足突っ込んでるような曲「P(「PERFUME」から改題)」、

ハードでパンクで、でもそこからどんどん変幻していく曲「GO」。

そして懐かしの曲、「猫ダンス」。

ああ、早くライヴやってみんなに聞いて欲しい。

なんなら昨夜のスタジオREC音源をここにアップしたい。

いかんいかん、早まってはいけない。

もっと研ぎ澄まして、すっげぇー・・・って思ってもらえるところまで

ブラッシュアップするのだ。

あまりにも楽しかったので昨夜は2時間ぶっ続けで演奏していた。

今朝起きたら、へとへとに疲れていたが、気持ちのいい疲れだった。

声域の上ぎりぎりでキーをセットしているので、発声にすごく体力を使うのだ僕の場合。

7月17日もきっと、いいライヴになります。

お客さんを会場に入れられる状態なら限定何人かで

入ってもらうことにしたい。配信とセットでやります。

とは言いながら世間はまだ例の「コロナ禍」と言う奴から

完全に脱したわけではないよね。

 

僕は・・・・バンドで演奏できれば、それだけで楽しい。

金も要らねえ、名誉も要らねえ。

もう、こういう様なお歳だから、ここからメジャーデヴュー!ってなことも、ない。

見た目もだいぶ劣化した。(まあ、もともと良くもないんだけども。)

でもいいのだ、音楽さえピカピカに輝いていればそれでいいのだ。

音楽は経年劣化しない。進化するのみだ。

新曲も過去曲も、ないがしろにはしない。

とにかく「演る」のだ。

メンバーがいてくれてることに感謝。

出演依頼をくれるライヴハウスに感謝。

配信を見てくれる人々に感謝。

ライヴハウスに来てくれる人に感謝。

今まで関わったすべての人に感謝。

 

俺達はまだやれるし、

やる限りにおいては唯一無二のものを、

多少破れかぶれでもいいからもう、かじりつく・・・くらいの勢いで

やって行こうと思うのだ。

 

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ボノとエッジ、キーフの地下鉄構内でアコギライヴ。

2022-05-10 20:55:24 | Weblog

U2のボノとエッジがウクライナの首都キーフの

防空壕化している地下鉄構内でライヴを行ったそうだ。

今朝のニューズで言ってたから昨日か、一昨日の話だと思う。

ラジオニューズでは「世界的人気ロックバンドのボノさんらがキーフの地下鉄構内でライヴを行いました」

と言っていて、エッジの名前は出なかった。

まあ確かに・・・U2のエッジって言われても普通の人は知らないのだ。

それはともかく、すげえなあ、ボノとエッジ。

こういう時代なのでYOUTUBE(だと思う)に、もう動画が上がっていて、僕も今さっき見た。

本当に地下鉄構内で、二人でU2の曲を、演っている。

伴奏はエッジの弾くエレアコだけだ。

音響設備は、当たり前だが間に合わせのもので、高校の文化祭の、教室でやるくらいの規模のPAだ。

お客さんは100人前後だったみたい。

しかし知らない人が見たらただの初老のオッサン二人にしか見えないであろう。

ストーンズもそうなのだが、最新動画を見るたびに

軽いショックを受ける。また少し老け込んでいる、と。

ストーンズやU2と並べるのもおこがましいが、僕もこないだの自分たちの配信ライヴの動画を

自分で見て軽いショックを受けた。他のメンバーは老けてないが俺は・・・・・・・。それはまあいい。

見た目の劣化は受け入れなくてはいけない。

ボノとエッジに話を戻すと、

彼らの腰の軽さよ。素晴らしい。

しかし戦争中の防空壕でアコギだけとはいえ、ライヴを行うなんて、そんな話、聞いたこともないし、

誰かがそんなことやるなんて、想像もつかなかった。

その行動力もすごいが、何よりすごいのは

そこで音楽をやることが「正しいこと」だと信じられることだ。

音楽に対する、愚直なまでの盲信。

いや、彼らだって100%信じているわけではないかもしれない。

でも、やれてしまうのだからやはり、100%近く信じているのだと思う。

そうとしか思えない。

またここで自分を並べるのはおこがましいが、

僕には出来ないかもしれない・・・・・っていうかやっぱ無理だ。

僕は「迷い」の中で音楽をやっている。

何が正しくて何が間違っているのか、僕には断言できない。

でもだからといって、そのことを恥じるつもりもない。

もちろん、ボノやエッジのような「100%信じてる(ように見える)人」を

敵視もしないし、批判もしない。憧れもしない。

ただ、すげえなぁ・・・・・と思うだけだ。尊敬は、する。

 

 

注;蛇足ながらU2に関しては僕は、かなり好きだ。アルバムも、何枚か所持している。

特に近年の、オッサンになってからのU2はとてもとても魅力的である。

別に、僕は「フケ専」ではない、念のため(マゾでもない)。

 

 

 

 

えーっと、「応援」も、する。

 

 

 

 

がんばれー!

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現実と夢、そして彼らの戦勝記念日。

2022-05-09 21:34:32 | Weblog

今日はロシアで戦勝記念日のパレードがあって、

プーチンが演説している動画を見たが、目新しいことは何も言わなかった。

つくりもののパレードを見ているような気になったが、あれが現実なのだろう。

見ていた僕は、うんざりした気分が増しただけだった。

 

 

 

 

 

 

現実と夢の話をするね。

 

 

 

先日・・・っていうかついこないだ 僕は、

とてもとても困った状況(細かくは説明しない)に陥ってしまい、

その渦中で「こんな現実は嫌だ、夢であってくれ・・・」と強く願ったら

目が覚めた。

本当にそれは夢だったのだ。

目が覚めた後、寝床の中で心から安堵して、

夢だったことに感謝した。

 

しかし本当に夢だったのか?と少しだけ思う。

 

前にも言ったことがあるのだが、

イヌやネコとかはどうやら眠っている時に夢を見ているみたいなのだが、

恐らく彼らには

現実と夢の区別はついていないであろう、と僕は推測する。

赤ちゃんもそうかな。

 

 

そして少し前にバンドメンバーから聞いた、彼の弟が亡くなる寸前の事。

弟くんは死の床で「幼かったころの夢ばかり見る」と言ったのだそうだ。

「今が現実なのか夢なのかわからない」、とも言ったという。

切ない。

 

 

 

わが身をかえりみて我々は、現実と夢の区別がついているのだろうか?

 

 

 

もしかしたら僕が今、この現実の中で強く強く願えば、

この現実は夢として消えてしまうのではないだろうか。

 

 

 

 

 

戦争も拷問もネオナチも差別も爆撃も大量破壊兵器も白けたパレードも侵略も、

 

全部悪い夢なのではなかろうか。

 

 

 

強く願ってはみるのだが、どうやら消えないみたいだ。

 

 

 

 

ところで

 

ハードレインでの無観客配信ライヴ、5月9日で配信終了ってこないだ言ったけど、

内輪の都合で、一週間ほど伸ばすことにしました。

 

 

 

いつまでも残しててもいいようなものだけどさ、

消えてしまうほうが自然だし、

何だかその方がいいような気がするんだよな。

 

 

いつかちゃんと録音してCDか何かで楽曲は残せるようにしようと思う。

 

でもLIVEって「生」っていう意味だし。

だから一週間後には消えます。

 

 

あしからず。

 

 

 

 

 

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ゴールデンウィークの帰省といふもの、そして次のライヴ。

2022-05-05 17:16:43 | Weblog

「おお!出て行ってやるよ!盆と正月とゴールデンウィークにしか帰って来ねえからなぁ!」

 

といって家出したタケシくん(「引っ越しサムライ」のCM)のように僕も

高校生だった頃から、

毎年お盆と、年末年始のお休みには律儀に

実家のある福山市に帰省していたのでした。

でもそれは、2019年のお正月が最後だったと思う。

あのあと、中国武漢でどうのこうの・・・・みたいにして始まった

COVID19騒動は SXSWを中止にし、志村けんと、多くの人々の命を奪い、

我々のライヴも軒並み中止に追い込み、

帰省さえもう二度と出来ないのではないか?と一時は危ぶまれていた。

それが今では「明けかけている」ようで、世間の風潮の中でしか生きられない無力な私は

この度、丸々2年5か月振りに新幹線に乗って

「帰郷」というものを果たしたのでした。

お会いできた皆さん、ありがとうでした。

道子は幸せで御座いました。

全然、「久しぶり感」はなかったものの、

年数分やはり、人は歳を取るもので、

80歳近い母親や、94歳と90歳の夫妻など、

年齢的にいつどうなってもおかしくないので、会えるうちに会わないとやはり、

後で後悔するのは目に見えているのだ。

それと同時に、姪っ子(妹の娘)が出産しており、

赤ん坊が存在する、という噂は聞いていたのだ。

人類の幼生など、成長がとても速い生き物である。

赤ん坊のうちに会っておかないと、次会ったら多分、赤子は私の背丈など越していて、

見降ろされながら会話をする、といったことになりかねない。

だから赤ん坊にも会えてよかった。

しかし今回会った最高齢は、94歳で昭和3年生まれのT橋さんである。

姪っ子の子供の赤子は、まだ生まれて一年経っていないので0歳であった。

その差94年。

T橋さんのお祖母ちゃんは安政年間産まれで(それってたぶん江戸時代)、

「お歯黒」をしていた、と言うお話を今回聞けて有意義だった。

隔世の感、というのはこういうのを言うのだ。

感無量である。

 

そして友達との「トークセッション」も2年5か月ぶりだった。

ただ会って話すだけなのだがその有意義さは筆舌に尽くしがたいので

僕は敢えて自分の中でこれを「トークセッション」と呼んでいるのだ。

酒飲みながら一晩中おしゃべりしてるだけじゃねえか?って、まあ、

そうも言うかもしれないが、本当に、僕にとってはかけがいのない時間なのだ。

それは奇蹟的でもあるし・・・・上手く説明できないけど、本当に貴重な時間。

この上なく楽しかった。最後酔っ払っちまったけどさ。

 

さて、また明日から関西で、仕事と戦いと音楽と酒と薔薇の日々である。

 

先日のハードレインでの無観客配信ライヴ「誰もいない地下室で 其の弐」、

見てくれたみなさん、ありがっとです。

「リボン・ソング」は本邦初公開、

「目の眩みそうな光が輝く夜」も、バンド・ヴァージョンは初公開だった。

投げ銭してくれた人も、ありがっとです。

投げ銭の仕方がイマイチわからなかったり、懐に余裕のない人は、

投げ銭のことは気にしないでください。本当に、全然いいからね。

連休明けの5月9日には今回の分は、配信停止にしようと思いマス。

 

次のライヴも決まった。

同じくハードレインで、7月17日の日曜日にヤる。

その時の世間の動向によって、どういう形で開催するか、まだわかりません。

でもそろそろ・・・お客さんに入ってもらってもいいんじゃないかな。

(それだったとしても「配信」も同時にやると思う。)

そうなる可能性もあるので、ちょっと先だけど、

来れそうな人はその準備をはじめてくらっさいね。

また無観客配信になる可能性もあるけど、

あれはあれで、悪くもないんだよな。

でも生身と生身で会う方がリアルかもしれない。

「生」と「配信」のダブルも、すごくいいかも。

 

まだ披露してない曲とか、いろいろ練習しなくちゃだわひひひ。

 

楽しみ楽しみ。

 

コメント
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