僕は二十代の頃の一時期ではあるが、黒猫を飼っていたことがある。
だから知っているのだが、猫という奴は、よく寝る。
よく寝るから 寝る子→ねこ という名称になった・・・という説もある。さもありなん。
そしておそらく猫は、夢も見ている。
で、
猫にとっては、夢と現実の境界は「無い」のであろう・・・・と僕は推測する。
つまり、夢なのか現実なのか、猫には判別ついてないのではないか。
それはつまり、「夢」という概念を彼らが持たないからだ。
そして人間も、夢と現実の区別がつかなくなる瞬間、というのは数多くの場面で、ある。
深く深く眠って、起きたばかりの時とか。寝ぼけてる時とか。
それともうひとつ。
悲痛な話なのだが、
去年、近しい友達が、弟を癌で亡くした。
死期が近くなった頃、病室にお見舞いに行くと、
鎮痛剤の副作用(であろう)で眠っていることが多かった彼(弟)が目を覚まして、
「幼かったころの夢ばかり見る」と言った、という。
そして
「今の、この瞬間も夢なのか現実なのか、わからない」という意味のことを言ったそうだ。
わかる気がする。
確かに・・・・・もしかしたら彼は本当は幼いままで、
思春期を経て大人になって結婚して子供も出来て癌になって闘病して入院して
今現在死にかけている、という現実は
幼い彼が見ている夢なのかもしれない。
そうなると我々はただの、彼の夢の登場人物だ、ということになる。
というか・・・・彼と実際に知り合ってはいないから、登場すらしていない、夢の付属物だ。
僕は、と言えば
つい先日・・・・「川で溺れて身体が冷たくなって行く夢」を見た。
うわっと目を覚ますとそこは寝室で、扇風機が廻りっ放しになっていた。寒くて、体が冷えていたのだ。
あわてて扇風機を消したのだが、
もしかしたら
それは願望的な夢で、あっちの現実では僕はあのまま、川で死んだのかもしれない。
寒い、冷たい・・・・。ここがいつもの寝室だったらどんなにいいだろう、と願うあまり、
死ぬ一瞬前に、
そんな夢を見たのかもしれない。
本当のところは、わからないよな。
そういえばフィリップ・K ・ディックの小説のテーマの多くは
この現実(記憶)は夢なのか、それとも本物なのか?
というものだった。
このことって、本当はとても「危うい」こと・・・・のような気がするのは僕だけだろうか?