どうでもいいかもしれないけど、蝉の話。

2020-08-30 17:09:20 | Weblog

 

そうそう、こないだ俺ね、神奈川とか行ったんだけどさ、

そこでね、ふと気付いたんだけど・・・・・ 鳴いてた蝉の多くが、ミンミンゼミだった。

みんみん蝉。

子供の頃を過ごした東京では、あぶらゼミももちろんいたけど、

メインはやっぱ、ミンミンゼミだった気がする。

ヒロシマ県に引っ越してから全然、ミンミンゼミの鳴き声は聞けなかった。

関西にもほぼほぼ、みんみん蝉は、いない。関東以北なのかな、生息地が。

その前に訪れた仙台ではみんみん蝉、鳴いてたもん。

いちばん好きな蝉はみんみん蝉だったな子供の頃。それはでも、今でもそうかも。

 

それで、神奈川で、それは「当たり前」みたいにミンミン蝉が鳴いてて、ちょっと嬉しかった。

 

で、思ったんだけどあの鳴き方・・・・・

あぶらぜみとかクマゼミにくらべたらちょっとだけ知的に高度じゃないか???

みんみん・・・ってまるでヒトが発語しているみたいだし。「見ん」ってか。

でも、それで言うとツクツクホウシのほうが一歩、先を行ってる。

ホウシッはたしかに「法師」に聞こえるし、ツクツク・・は「突く突く」・・に聞こえる。

ツクツクホーシの鳴き方は殆ど、ウグイスに近い、とすら言える。

ウグイスもそうだけど、ツクツクホウシも、はじめかっら完璧に鳴けるわけではなくて、

練習しているときがある。

 

彼らの楽譜はどこにあるのか????

 

まあ、それはさておき。

ミンミン蝉の「みーんみんみんみんみんみんみんみー・・・・・・・」という鳴き声は

僕にはちょっと哲学的に聞こえる。

彼らは何を「見ん」としているのか?

この場合の「見ん」は、意味的には「見まい」か、それとも「見よ」か???

 

「そんなことどうでもいいわよ!!!!!」って

思わないでいてくれたらすごく助かるんだけどな。

 

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地名の持つ「物語性」。

2020-08-29 19:49:32 | Weblog

 

おとといまで関東は神奈川にいた。

僕にとっては、全然知らない土地。

 

運送仕事が終わって、次の日の仕事まで時間がたっぷりあったので、

高速道路を使わずに、のんびりと一般道路で関西へ帰ることになった。

まあいいだろう。

でも俺さ、この辺の道路事情全然知らないんだよね。

ズバーッと行ける、幹線道路みたいなのがあると思うんだけど・・・・・

と思って、少し迷っていたら、優しい同僚が電話してきてくれて、

「その辺やったら246から1号バイパスがいちばん走りやすいよ」って教えてくれた。

ありがたい。ナビは、というとその辺のややこしい裏道をせっせと表示してくれてて、

こういうときはナビが役に立たないのだ。

さて、今いる道路から246に入った時、「右折すると、渋谷」という表示が。

そっかー、これ右に行くと、渋谷に着くのかー。

5年位前、某バンドのお手伝いで渋谷、行ったな。道玄坂のラ・ママに出演して、

お客さんの女の子達と朝方まで渋谷の居酒屋で飲んで、俺は一人でネットカフェに泊まったんだ。

とか思いながら左折。国道246号線へ。

246・・・・246って、聞いたことあるな、と、ふと思った。

トゥー・フォー・シックス???

あ、俺の敬愛する小山卓治の1STアルバムの中の「HEAT OF THE NIGHT」

のサビの歌詞が、「トゥー・フォー・シックス、 トゥー・フォー・シックス、 俺はジョン、

だから君はヨーコ」というものだった。

そっかー、関西にいると全然気付かなかったけど、あれは国道246号線のことだったのか。

神奈川から渋谷まで行く国道なら、歌にもなるよな。

ルート66みたいなもんか。

そんな風に、「歌」に出てくる地名とか、道路とかって、妙に「物語性」を帯びる。

 

そしてそのあと、その246をちんたら走っていたのだが、

ちょっと行くと、標識に、左へ行くと「大磯」とある。

この「大磯」は、もしかして・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

仲井戸麗市の1STソロアルバム「仲井戸麗市BOOK」に収録されている

「ONE NIGHT BLUES」の歌詞の中の、

「大磯まで逃げられりゃ、逃げ切れるはずなのに・・・久里浜年少ONE NIGHT BLUES」

の「大磯」であろう。

確かに、新宿からこの辺まで逃げりゃ、逃げ切れると思うかもしれない。

 

あー、この辺なのかー。チャボさんが歌ったのは。

と、やはり感慨深かった。

 

好きな「歌」で歌われた土地は、やはり親近感が沸く。

 

僕は新宿生まれなので、甲斐バンドの初期の隠れた名曲「新宿」に、

中学生の頃、とてもとても憧れた。

ルー・リードの「ウォークオンザワイルドサイド」に、とても似たアレンジの曲なので

後年、「パクリ」とか言われて散々叩かれたのだけれど、

「歌」のスピリットは完全に独自のものだし、

「ドブ川に真っ赤な薔薇を落としたようなここが吹き溜まり・・・新宿さ」

などという歌詞は鮮烈すぎて、最高。

歌がオリジナルなら、アレンジを真似るくらい、オッケイと思うけどな。

(僕自身は・・・アレンジでも「真似」は、しないけどさ。)

楽曲はスピリットと、歌メロと、コード進行の「独自性」がすべてだ。

 

 

関西にも、色んな素晴らしい「土地名ソング」がある。

 

今僕が思いつくのは憂歌団の「パチンコやるなら寺田町はゲンパチ会館」という歌詞だ。

 

高校卒業後、大阪の天王寺が好きになって、その近辺に住んでいた時期があるのだが、

 

天王寺の横の寺田町に「源ヶ橋会館」というパチンコ屋が、確かに、あった。

 

あれがきっと、「ゲンパチ会館」なのだろう・・・と僕は思っている。

 

 

今でも、在るのか知らん?????????????????????????

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八月の遠出、存在の希薄感、厭世観、首相辞任、また厭世観、暗転。

2020-08-28 22:12:30 | Weblog

この三日ほど、実はまた仕事で遠出して、

関東の方へ行っていたのですこのアタクシ。

不要不急の遠出・・・・ではない。

必要なところへ必要なものを運んだのだ。そういうのを「物流」と言う。それはさておき、

必要至急の物資運搬とは言え、

僕にとっては今回の長距離輸送は、毎年恒例の「夏の旅」の代替みたいになった。

毎年恒例の「夏の旅」とはお盆期間の、ヒロシマ県フクヤマ市への帰郷の旅で、

毎年、同じ海を訪れていたりしたのだが今年はこの「ご時世」で、諦めた。

で、トラックで今回行っていたのは神奈川県の某市で、縁もゆかりもへったくれもない土地だったのだが、

妙にいいところで、何だか好きになってしまった(惚れっぽいアタシ)。

しかし、知らない街に惚れたところで・・・知ってる人さえ一人もいない。

八月の、妙に乾いた光景の中で

誰とも関わらなければだんだん・・・・・自分自身が希薄になっていく。

なんだか自分が、透明人間になってしまったような気さえ、するのだ。

悲しくもないし、寂しくもない。いや、少しだけ寂しいが、

そんな風に感じることは悪いことではない。何だか不思議な感じ。

僕はずっと音楽やイラストや文章表現みたいなことをやっていて、

そこでは「個性」というものが必須で、尊重されすら、した。

でも知らない街で、ただのトラック運転手として存在すると・・・・「個性」など、

あってもなくても、大したことではないのだ。

って言うか、クルマの運転や仕事に関しては「個性」など、ないほうが好ましい。マジで。

トラック運転手としての自分を卑下するつもりは毛頭ない。

でも、「個性」が必要とされず、知ってる人もいなくて、誰とも関わらない・・・・

となると、ちょっと久しぶりに「厭世観」がムクムクと、湧き上がってくるのは止むを得ない。

そういう気分も自分としては久しぶりで、

ああ何だか普段の、「厭世観」のない自分って、一種、シアワセの極致なのね・・・などと

気付いたりした。

そして今日、三日間の厭世・・・・ではない、遠征を終え、

関西へ帰ってゆくトラックのラジオ(これは全国放送のAM波)で僕は、

アベ首相辞任表明のニュースを、まるで遠い雷鳴のように耳にしたのだった。

この何年も何年も、コイツに振り回されてきたなあ俺達。

何一つ、ロクなことは やっていない首相。

「コロナ第二波」も、「モリカケ」も、「桜を見る会問題」も、「文書改ざんで職員自死問題」も全部ほっぽり出してトンズラするのね。

卑怯なヤツって「自己の保身」だけは、得意中の得意だよな。

しかし、

このこと(首相辞任)で、何か変わるのだろうか?????

それとも、同じような厚顔無恥のオッサンがまた偉そうな顔をして首相の座について、

モゴモゴ答弁して、

何も変わらない悲惨な政治的状況が続くのだろうか???????

 

ああ、また厭世観が・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

 

 

暗転

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ラジオ聞いてくれてありがとう

2020-08-28 21:15:44 | Weblog

「ラジオ聞いたよ」というメールやらメッセージやら言伝やら直電やら手紙やら、

反響が凄く大きかった。嬉しい。皆さん、聞いてくれてアリガットゴザイマッス!!!!!!!

コミュニティFMなので、スマホやパソコンで聞けるのが手軽で良かったし、

「アーカイヴ」で2ヶ月以内なら何度でも聞ける、というのが良かったところもあるよね。

またこの「ご時世」(←この言い方、情けなくて意外と好きだったりする)なので、

ライヴが出来ない、という状態の中、

バンドの、ちゃんと録音した「正規」の音源を届けられた。

しかも、今やっているROCA’66のものだけでなく、

佐治たちと十代の頃から二十歳代半ばまでやっていた ランブルフィッシュ と、

ボケロウたちと二十歳代後半から三十歳過ぎまでやっていた ばるぼら の音源も

流せたことが、すごくすごく嬉しい。

それにしても、

こんな風に各バンドを「俯瞰した」みたいに並べて聴いたことは、実は自分でも、なかった。

しかし、並べてみると不思議に一貫性・・・・みたいなものを感じた。

いや、もちろん自分が好きでやってきたことなのだから、そりゃそうだろう?とか

思われるかもしれないけど、

それぞれをやっていた頃の「心持ち」は全然違うのだ・・・上手く言えないけど。

過去の作品に最大限の誇りを持ちつつ僕は

最高作は次の、今作っている「ROCA’66 の新曲」だ、と やはり確信する。

ハッタリではなく、本気で。

すべての過去を凌駕するために我々は生きているのだ。

こんなことを思うことが出来たのも、

今回の一連の「ラジオ騒動」のおかげだった。

関係者の皆さんと、聞いてくれたすべての皆さんに心からの感謝を捧げます。

本当にありがとね。

 

 

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ラジオを聞いてくれ、聞けるうちに。

2020-08-23 20:37:07 | Weblog

あのですね、

先日、2020年8月7日にオンエアされた

コミュニティFM、ラヂオ きしわだ の番組「HOTEL ROCK’N ROLL」

の片山道郎出演の回 なのですが

今からでも「アーカイヴ」で聞けるのだが

保存期間は2ヶ月みたいで、

ああ、そっかー、けっこう短いんだな、とか思って。

 

自分の「喋り」はやはり恥ずかしいのだが

僕がこの三十有余年、精魂注ぎまくって演ってきたロックバンドの、

僕にとっては「宝石」のような楽曲たちが何曲も流れるので、

聞けるうちに聞いて欲しいのデス。

 

https://file.www4.hp-ez.com/hotelrocknroll/file_20200807-110608.mp3

このURLで、あっさり聞けるハズ。

こんな機会がさぁ、次・・・いつ訪れるか全然わからない。

ライヴですら、次、いつ演れるか、わからない。

 

でも

かの「ヴォルフガング・モーツアルト」が映画の中で言ったように、

「僕自身はくだらない人間かもしれないが、僕の音楽はそうじゃない」

という台詞を

僕も声を大にして胃ぃ痛い・・・ではない、言いたい。

 

同じように

ライヴも、再開できた折には、

「聞けるうちに」聞いてください。

僕だって吸血鬼じゃないのだから、永遠には生きられないと思うのよね。多分ね。

 

ああああ、でも、再開も出来ぬうちにこんなこと言ってもしゃあないか。

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二面性(多面性)。

2020-08-22 12:35:10 | Weblog

最近、とある人に

 

「酒好きで女好きでいつも酔ってて友達と馬鹿騒ぎして悪ふざけばかりする行き当たりばったりな

 

ギリギリの危うい毎日なんだろうきっと笑笑 みたいな感じでしたから」

 

と言われて(というかメッセをもらって)、これはどうやら僕のことらしい。

 

・・・・・・・・・・・・・・・とてもとても意外だった。

 

 

 

他人から自分がどのように見えているのか?というのは深遠な問題で、

これを気にしだすと、一歩も動けなくなる。

 

自分としては

地獄の底で嗚咽しながらのたうちまわってる、みたいに見えてるんじゃないか?と思っていたのだが、

 

 

そんな楽しそうに生きてるように見えるのなら、

 

それは、とても良かったし、素直に嬉しい。

 

 

それにしても

 

人間って誰でも、二面性・・・というか「多面性」が、あるよね。

 

見る角度によって、まるで違う人間に思えるようなことすら、あると思う。

 

 

僕も極端にそうで、

 

引っ込み思案で内気で、悪い意味でナイーヴで、人見知りの自分と

 

ど厚かましい、恥知らずで 他人に対してお節介な自分とはまるで別人である。

 

 

それとか、楽天的な自分と、ひたすら落ち込んでいく自分。

 

 

まるで違う人間の、違う人生のようですらある。

 

 

でもきっと、みんなそうなんだよな・・・・・とも思う。

 

 

二面性・・・というか、「矛盾」を抱えて生きているのは僕だけじゃないのだ。

 

 

それどころか

 

あらゆる物事に「二面性(もしくは多面性)」があるかもしれない。

 

 

例えば

 

「自己表現」は自分の足元を掘る行為であったが

 

気付いたらその掘ったトンネルは他の誰かのトンネルとつながっていた・・・みたいな。

 

これは「二面性」の好い例かもしれない。

 

 

僕の抱える「二面性(多面性)」も、そんな風であることを願う。

 

 

 

 

 

 

 

 

気付けば、未だ2020年の8月。

 

毎年思うのだが・・・・・・・・・・・・・・8月って長い。

 

 

 

 

 

 

早く9月になれ。

 

 

 

 

 

 

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後世のための記録、2020年1月から8月にあったこと(皆そうだと思うがけっこう激動)。

2020-08-19 21:10:38 | Weblog

色々あるなあ、しかし。

 

今年、2020年の始まりは なかなか、回顧的で象徴的なスタートだった。

F山市に普通に帰郷していて・・・・

1月1日の元旦の昼過ぎに、母親の古い写真整理を手伝ったのだ。

初めて見る写真ばかり。若かりし頃の父親、母親、祖母。(コドモ道郎の写真は、なかった)頭がくらくらした。

そして2日の夜は友達の家で、夕方から夜中まで飲みながら、いっぱい話をした。最高に楽しかった。

そして関西に帰ってきて13日、堺ファンダンゴにROCA’66初出演。

昔からの友達にも多く会えて、気持ちのよい一日。

しかし、その一週間後に、その日(13日)にもPAをやってくれたファンダンゴスタッフの黒ちゃんが

急死、との知らせ。

 

2月1日、長年、出演させてもらってた十三のクラブ・ウォーター閉店前の最後の出演。感慨深し。

次の週、8日にはハードレインで、エルガスガスのイヴェントに出演。良い日だった。

その次の週には奈良で、佐治のお兄さんたちと飲む。

 

・・・・・時期的に、この辺りからコロナがきな臭くなってくる。

 

そして2月の最終日、高校の同級生で、ランブルフィッシュの初代ドラムスの斉藤モ吉が突然、死去とのこと。

 

知らせを受けたのは3月1日だった。2日にはお通夜へ。

それを機に、岩佐家との交流が一時的に突然復活。3月7日は岩佐家と、お墓へ。

この辺りでコロナ、アメリカが非常事態宣言。

そして22日辺りから、住んでいるマンションの大規模補修工事が始まる。面倒くさい。

そして本格的にコロナ禍へ突入。

すったもんだの挙句、4月4日の「夜想」でのライヴ中止。

4月7日には日本でも全国で緊急事態宣言。

4月26日、オルトラウンジで予定されていたライヴも中止。

5月5日、難波メレでのライヴも中止。ゴールデンウィークの帰郷も中止。

5月22日には緊急事態宣言の解除でちょっとホッとする

5月31日にミディ・レコードの社長、大蔵さん死去。そのことは、6月2日にSNSで知る。

 

6月3日は岩佐の、32年目の命日。6日にバイクでお墓へ行く。

6月20日は、ラヂオきしわだの番組「HOTEL R&R」出演の収録のために岸和田へ。

その帰り、「ロックバー・ファンダンゴ」へ。山野直子譲と初対面。

そして7月。

11日に奥歯の抜歯。歯医者も対ウィルス厳重警戒態勢。

世間はコロナのことばかり。

7月19日には、向日葵の最初の一輪が咲く。

しかし、この辺りは雨ばかりが続く日々。梅雨、梅雨、梅雨。

6月10日から7月31日まで梅雨が続いたのだ。前代未聞。しかも台風が一個も来なかった7月。

そして続く、梅雨明けした8月。

8月4日、突然トラックに乗って仙台へ。長距離運送は生涯初体験。

帰ってきて8月7日は収録したラジオ「HOTEL R&R」オン・エアー。

ROCA’66、ランブルフィッシュ、ばるぼら の音源が公共の電波で流れる。

 

そしていわゆる「盆休み」へ突入、またも帰郷は断念。

世間はコロナ「第二波」。

でも盆期間にバンドはスタジオ入り。新曲「目の眩みそうな光が輝く夜」がほぼ完成する。

8月18日朝、蝉が鳴いていないことに気付く。季節は確実に過ぎつつあるのだ。

そして今日が8月19日で、そっか、新月なのか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

どうりで、目の奥がちりちりすると思った。

 

 

 

新月の日には僕は、凶暴になる、虚無的になる、捨て鉢になる。

 

 

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「夏休み」終了宣言。

2020-08-16 19:00:52 | Weblog

実を言うと(って程のことでもないが)、ここんとこ、

非・日常の二週間だったんですアタシゃあ。

 

遡って今月、8月の4日にトラックに乗って仙台を目指して出発し、

4日の夜は東北道のパーキングに停めたトラックの中で寝て、次の日もそのまんま走り続け、

5日の夜は三重県のコンビニの駐車場に停めて寝て、

8月6日の朝8時15分はトラックの中で迎え、(その夜はさすがに家に帰った)

8月7日にはラヂオきしわだで出演したラジオ番組の放送があり、

8日の午前中を持って運送仕事は盆休み休暇に入り、

本当ならH県F山市に行くはずが2020年特有の諸事情により断念し、

「するべきこと」もとくになく、「したいこと」は諸事情でなかなか出来ず、

という状況の中、京都市の郊外の小さな賃貸マンションで

ただ暮らす、ということに相成った。

しかしその暮らしの幸せだったことよ。

何もしなかったわけではなくその間、バンドのスタジオには2回入ったし、

枯れたまま立ち尽くしていた向日葵達にとりあえずのサヨナラを言い、

丁寧に種子を採取し、枯れ果てた茎や花の残骸を切り刻んで埋葬した。

バンドのスタジオでは新しい、いい曲が完成間近になった。希望と祝福の歌。

でも今のところ、披露できる機会・・・つまり「ライヴ」は、まだ決めれていない。

2020年もなかばまで来たが、これは・・・ライヴは、来年になってしまうかもしれない。

半年以上先のことを希望的に今言っているのは自分的にはクレイジーだ。でも

来年の事だって、今は判りはしないのだけれども。

とにかく、「盆休み」は、今日で終わり。

「盆休み」って語感がダセぇから・・・・「夏休み」は、今日で終わり。

非・日常は今日で終わり。

怠惰で自由で惰眠な日々だった。面白い夢も、沢山たくさん、見た。

でも、そろそろ、飽きた。

秒刻みで時間に追われて、その中で「歌」と「日記」の題材を探っていくような、

そんなせわしない日々がまた明日から始まるのだ。

僕は「社会の歯車」的に働くことが無意味だ、とは考えていない。

仕事一辺倒人間だったような世間のお父さん方が間違ってるとも思わないのだ。

人の人生なんて実際、そんなに意味深いものでもない。

意味は求めなくてもあるし、求めすぎるとそれはそれで、「もどかしく」なってしまう気がする。

意味深くないようなことで疲れ切って、でもそれで良く寝れるんだったら、それでいいんじゃないか?

まあ、とりあえず

働いてると嫌なことも多々、あるけど

そーゆーのを乗り切ってこそ、自分の「意味」を追求するタフさも生まれるのだと思う。

さー、働こ。

「暑いの」とか「コロナ騒動」とか、「やる気のない醜悪な政治家」とか、「大臣の靖国参拝」とか、

面倒くさい嫌な問題は我々の前に相も変わらず、

立ちはだかっているのだけれども。

 

 

怒髪天を見習って、「勝てなくても負けるな」という姿勢で行こうと思う。

 

「暑さ」は、あと一ヵ月半・・・・・くらいを凌げれば

何とかなるだろう。

 

 

 

 

勝てなくても負けるな、俺。そして、君も。

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この夏の私、お盆、種、仮死状態、精神生命体。

2020-08-14 15:58:52 | Weblog

毎年、この「お盆」近辺は僕は、親兄弟の住むH島県F山市に、

帰郷、という名目で旅をしている。

「お盆」の意味合いについては、よくわかっていない。

「覆水盆に返らず」ということわざ(格言?)は、

「覆水」という名の人がお盆に帰省しない・・・という意味だと本当に思っていた。

湯飲みとかを載せる「お盆」と、「死者の霊が戻ってくる」という「お盆」。

名前が何故同じなのか、命名者は僕に説明して欲しい今日この頃。

とか言いながら今日この頃は「コロナ禍」の今日この頃であって、

そんなの構わねえから帰っちまえ・・と囁く「トムとジェリー」に出てきたような悪魔が囁いたが、

いやいや、帰っちゃならねえ!ウィルス拡散抑制!と制する天使のほうが勝ってしまい、

帰郷とセットになっている例年恒例の「海行き」さえ、あきらめざるを得なかった。

あああ、そうだお墓参りにもいけない。

ふん、それならそれでいいのだ、俺なんか寝ようと思ったらいくらでも寝れるタチでさ。

バンドの練習とかバンドの練習とか、いくらでもやることあるし。

そうそう、もうひとつ、大事な仕事があった、

ついに全部咲ききって枯れてしまった向日葵の種取り、である。

本当に・・・種を蒔いたときは、花が咲いてくれるかどうかすら、半信半疑だった。

それがみんな綺麗に咲いてくれた。しかも世話が焼けるヤツ(茎が細くて自立できなかった)が多かったので、

手間が多くて楽しかったこと。世話が焼けるヤツは可愛い。手間要らずなヤツも可愛いが。

向日葵栽培は僕の夏の、大きな楽しみになりつつある。

来年も蒔くために、なるべく丁寧に、種を取った。

それにつけても、「種」というものは不思議だ。

セオリーに従って採取した種は日光でカラカラに乾かすのだが、その乾いた中に生命が眠っている。

DNAとか、そういう、「向日葵」として再生するための情報が全部詰まっているのだ。

この「種」は、生命体としては「仮死状態」なのだそうだ。

うまくいけば来年、身の回りの「湿気」と、ある程度の「温度」の高まりを察知して、

発芽する。そうならなかったらずっと眠ったままだ。

そういえばこないだ何か(多分ラジオの「夏休み子供電話科学相談」)で誰かが言っていたのだけれど、

梅干の種は発芽しないのだそうだ(これってジョーシキなのかな???)。

きっと「漬けられて」いる間に、生命体としての何かを決定的に失ってしまうのだろう。

果物の種は、人に喰われて、排泄されたものは発芽しやすい・・・・らしい。

そりゃそうだろうけど、現代ではなかなか、、喰われて排泄された種が「発芽」までこぎつけるのは

なかなか難しいであろうことは想像に難くない。

 

ああ、「発芽」したい。

「脱皮」でもいい。

なんなら、「羽化」出来たらいちばんいい。

「巨大化」・・・・は、嫌だな。

「精神生命体化」できるなら、それはそれでいいかもしれない。

 

そうなれたらきっと、腹も減らないであろうから。

 

もしかして

「お盆」に帰ってくるのは「精神生命体」なのだろうか?????????

 

(おお、話が戻った。)

 

どちらにせよ、僕は帰れないし、

 

海へも行けないのだ、この夏。

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始動。

2020-08-11 23:38:11 | Weblog

今日はほぼ半年振りにROCA’66でスタジオ入りした。

世間の疫病に屈するわけにはいかないのだバンドは。

まだライヴ出演をブッキングする気にはなれないが、

怠けていたらバンドだって錆び付いてしまうかもしれない。

でも今日のスタジオは素晴らしく良かった。

自分の、音楽的なチカラが落ちていること(発声とか)も実感したが、

それ以上に、人と人との関わりで生まれるマジック、というものを

痛感した。

やはり我々は会わなくてはならない。

ああ、バンドメンバーだけの話じゃなく、これを読んでくれてるアナタも。

会いましょう、ライヴハウスで。

でも、まだ今はライヴのブッキングは、入れれない。色んな要素がある。

全部クリアになってから、、入れる。

慎重になるのだ、道子は(道子の人生に欠けていたものは「慎重さ」なのだ)。

でもバンドはスタジオ内で動き出した。

動き続けてないと、我々は多分、死ぬ。

そういう生物なのだ。

半年止まってて、危うく、窒息死するところだった。

でもスタジオはやはり、「@楽しい」の極致だった。

新曲のアレンジを、今日皆でやったのだ。

・・・・楽しい。これがいちばん、楽しい。

今までの「殻」を打破する新曲。

最強の、カントリーっぽいフォーキーなロックンロール。

あああああああああああああああ早く聞かしたい。

 

ROCA’66、始動。

 

 

 

 

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