運送屋の同僚でバイク好きな奴がいて、
今年の盆休みは八連休だったのだが彼はその期間のほとんどを
バイク・ツーリングに費やしたという。
九州を廻ったらしいのだ、一人で。クールだ。
僕もバイクは好きなのだが、ツーリングに行くタイプではない。
しかも一人で行く、というのはちょっと想像できない。間違ってもやらない、と思う。
しかし、考えてみたらトラックの仕事なんて一日中ほとんど一人で、
誰とも会話をすることもないし、それが苦痛にもならない。
というかむしろ、一日中一人でいられてラッキー、と思っている。
では何故、休日に一人っきりでツーリング、というのが自分にとってはありえないのか?
わからない。
僕としては・・・そういう楽しい体験は誰かと一緒にしたい気がする。
でも、一人でツーリングなんて・・そりゃ楽しいだろうなあ、と思う自分もいる。
しかし、そういう行為を「自己完結」と捉える人もいる。
誰にも迷惑かけないんだからいいだろ・・という気もするが。
しかしそういえば先述の彼は離婚して独り者なのだ。
配偶者の気持ちは、わからないでもない。奥さんからしたら、その孤独癖は迷惑千万だっただろう。
確かに・・・毎回、連休のたびに一人でツーリングに出掛けられたら寂しいと思う。
もし彼が音楽をやっていたら、一人で弾き語りするタイプだったのだろうか?
もしくは多重録音で宅録とか?
僕自身は、一人で弾き語りの形でライヴに出演することもあるのだが、
何度もやると、精神的に行き詰ってしまう。
内面的に入りすぎることがあって、救いがないのだ。
バンドの場合、メンバーの存在感やその個性が
楽曲に無限の可能性を与えてくれるし、「救い」すら、与えてくれる。
そしてその「救い」は、精神的な広がりにもなって、
ライヴハウスでより多くの人と知り合えたり、共感し合えたりするのだ。
だから僕から見たら、一人で音楽やれる人は強い・・・ように見えることがある。
孤独癖が悪い、なんてことはないのだもちろん。
それはバイクにしても然り、で、
実際かっこいいよね、一人で何日も何日もバイクに乗ってツーリングなんて。
何かで読んだのだが、
ホッキョクグマって、一生を一匹で、過ごすらしい。
夫婦で「つがい」を形成したりもしないんだって。「群れ」もつくらない。
そういう生態の生き物なんだって。
すごいなぁ・・・・・と思う。
クールの極致。
北極だけに、極地の、極致。
・・・・洒落なんだけど、伝わりましたでしょうか?
我々、ROCA’66の次のライヴは
極東の日本と言う島国の、古の首都、京都のライヴハウス「夜想」にて。
9月7日、土曜日。