こないだ読んだ能町みね子著「お家賃ですけど」に出てくる
加寿子荘は 東京の、神楽坂のあたりにある、と書いてあった。
それが具体的に東京のどの辺なのかわからずに読んでいたのだが
最後のほうでそれが新宿区だ、ということが判明した。
そっか、新宿区だったのか。それで一気に親近感が増した。
僕は7歳まで新宿の戸山ハイツにいたから。
でも子供だったので、東京の地理感覚みたいなのが全くない。まあ、しょうがないけど。
しかし・・・能町さんみたいに、新宿区で一人暮らしなんて、
やろうと思えば現実に、可能なものなのだな。
僕はなんだかんだあって、奈良の高校を出て・・・・東京に戻るのを断念した後ずっと、
もちろん自分の自由意志で、関西で暮らしているので、
なんだか東京に住むこと自体が僕の中でファンタジーみたいになってしまっている。
ありえない夢、みたいな。
でもそういえば音楽関係でいろいろお世話になったギタリスト、服部さんは
ずっと新宿区の端っこのほうで長いこと、一人暮らししてたのだった。
服部さんも今はもう東京にはいないのだけれど。
当時 一度、泊めてもらったことがある。しん、と静まり返った街で、
僕の想像の(記憶の?)新宿とだいぶ違ったので意外だったのを覚えている。
それはそれで愛おしかったが。
でも考えてみたら戸山ハイツだって住宅地だから、夜は静かだったはずなんだけど。
思い出したんだけど、
19歳だった夏、1986年に、ランブルの佐治と二人で長野県の清里に
合宿免許の旅に出たのだけれど(それは後から考えたら「運命の旅」だった)、
その時、長野に行く前に東京に寄って、
二人で戸山ハイツを訪れたのだった。
山手線の新大久保駅のからの方が近いのだが、そんなことすっかり忘れていたので、
JR新宿駅から歩いて行った。戸山ハイツに着くまで40分か50分歩いたと思う。
うろ覚えで、地図も見ず、僕の記憶と勘だけで歩いたのだ。・・・・よく着いたよな。
あの佐治が、よく付き合ってくれたなぁ、と思うのだが・・・彼も少しは興味があったのだろう。
その前だったか、そのあとだったか思い出せないのだけど
それとかなり近い時期に、
清治と二人で、戸山ハイツを訪れたこともあった。
あの時は二人でずいぶんぐるぐるとあの辺を歩き回った。
帰りに急に土砂降りの雨が降ってきて、二人で歩きながらずぶ濡れになって
妙に切なかったのを覚えている。
今のところ最後に僕が戸山ハイツを訪れたのは5年くらい前だ。
京都の某バンドに一時的に加入して、東京ツアーに行った。その時、一人で訪れたのだ。
その5年前当時、古井戸の加奈崎さんもそう言ったし、
こないだ会ったとき清治もそう言ったのだが、
戸山ハイツはもう、老朽化でだいぶ壊されてあまり残っていないらしい、と。
でも彼らは少し勘違いをしていたのだと思う。戸山ハイツ、広いからさ。
少なくとも僕の住んでいた地域は、5年前には全然残っていた。
鉄筋の補強は入りまくっていたが。
「通称・箱根山」の裏手にある古い古いキリスト教会まで残っていて、僕は本当にびっくりした。
そこは幼稚園も兼ねていて、僕の兄はそこに通っていたのだ。
こんなことを書いてる、という事は
僕はまだ東京への憧れ・・・・というか望郷の念を捨てきれていないのだろうか???
いつか帰る?東京へ?????
いや、もう・・・その方が非現実的だよ。