ジョニとジミとミッチ・ミッチェル。

2021-11-28 12:53:39 | Weblog

昨日の続き、というか補足。

27日の「WEEKEND SUNSHINE」でピーターさんが言ってたことを書くんだけど、

細部の確認のために

らじるらじる の聞き逃しサービスでもう一度聴こうかな?

とも思ったのだけれど、

今回は「ラジオ放送の一回性」の感動を大事にしたい・・・という気になったので、

聴き返さずに、そのまま書くことにした。

だから細部は違ってるかも。

 

 

 

ニューヨークでのジョニ・ミッチェルのライヴに

録音機材を持って現れた、まだ無名時代のジミ・ヘンドリックス。

ミッチ・ミッチェルもいる・・・ということは

エクスペリエンスは結成済みだったのだろう。

ライヴ後、宿泊していたホテルに引き上げて(ジョニと同じホテルだったらしい)、

夜、ジョニとジミとミッチは初めはジョニの部屋でその

録音した今日のライヴの音源を聴いていたらしい。

そしたら守衛から「うるさい」との苦情が出たので、

同じホテル内のジミの部屋に(多分機材込みで)移って、また聴いていた。

そしたらそこでも苦情が出たので

今度はミッチの部屋へ移動。

今度は苦情が出ないように音をかなり小さく下げて、

3人で身を寄せ合うようにして音源を聴いた・・・・・・という話。

 

夜のニューヨークのホテルの部屋で、

オープンリールの録音機材のそば、

身を寄せ合うようにしてライヴ音源を聴いていたジョニ・ミッチェルと

ジミ・ヘンドリックスとミッチ・ミッチェル。

 

ジョニもまだ二十代初めごろの年齢だと思う。

ジミもミッチもたぶん、それくらいの年齢。

 

その3人の姿を思い浮かべると、

何だかもう、あまりにも可愛らしいというか、

神々しいというか。

 

本当にすごいなぁ・・・・・・・・・・と感心してしまうのだ。

 

まさかジミヘンがジョニに興味持ってたとは。

でもそういえばかのプリンスも、

ジョニの大ファンだったんだよな。

 

 

わざわざここに書いたのは、

こういう細かい話ってきっと、時が経てばきっと俺、

忘れてしまうんだろうな、と思ったから。

 

我々の人生って、

忘れ去ってゆくことが余りにも多い。

 

でも、忘れたくないこともある。

 

ささやかなエピソード。

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ミッチ・ミッチェル・道郎

2021-11-27 21:54:37 | Weblog

今日のピーターさんのラジオ「WEEKEND SUNSHINE」は何と、

ジョニ・ミッチェル特集だった。

 

ジョニの全歴史を網羅しようという意欲的な公式企画「アーカイヴス」の

VOL.2がリリースされたのだ。

初期の未発表音源やライヴ音源。

必然的に、弾き語りのものがほとんどである。

質素、と言ってもいいような音触り。

 

 

ジョニ・ミッチェル特集って・・・・ちょっと、それ、凄すぎるでしょ????と思って

身構えながら聴いていたのだがやはり、すごかった。

今日は仕事だったのでトラックのカーステで聴いていたのだが、

ジョニの音楽はもちろんのこと、それ以外にも 様々なエピソードが面白すぎ。

特に初期の頃のジョニの

アメリカ,ニューヨークでのライヴを、あのジミ・ヘンドリックスが

オープンリールの機材を抱えて録音しに来た、という話はぶっ飛びだった。

この時のジミは渡英前で、つまり無名時代なのだ。

その音源(ジミヘンが録った!!!)もかかった。

そしてそのライヴの後、宿泊していたホテルで

ジョニとジミとミッチ・ミッチェルでその音源を聴いた、という話。

ミッチ・ミッチェルとジョニは

「あら、あたしたち同じ苗字ね」みたいな会話をしただろうか?・・・・普通するよな。

 

しかしやはり、思うのは

ジョニ・ミッチェルの音楽は硬質で、特異で、

ストイックで、孤高・・・・・ということだ。

悪い意味で言うのではないが、「非・フレンドリー」なのだ。

他人を寄せ付けない、というか。

 

ピーターさんの語るジョニのエピソードの中に、

ジョニは「他人の曲をほとんどやらない」というのがあった。

そう言われてみれば・・・・そうか。

一貫して「自作自演」にこだわったミュージシャンなのだ。

そして、有名な話だが「自分独自の変則チューニングの多用」。

これは和音を独特に複雑にするし・・・・なにより、簡単には真似が出来ない。

独自チューニングのギターの音を耳コピするのは至難の業だ。

ほとんど不可能だ。やってみたらわかる。

そしてやはり、彼女の楽曲の持つ硬質な美しさは根本的に「非・フレンドリー」なのだ、と

僕は思う。

もしかしたら、そんな風に感じるのは世界中で僕だけかもしれないけど。

 

でもそんなことはどうでもいい。

孤高で硬質で、他人を安易には近づけないジョニの音楽は

最高峰に質素で、それなのに最高にゴージャスで

時代を経ても、色褪せずに美しい。

 

他人を安易には近づけない、とか今言ったけどその反面、

ジョニは有名な「恋多き女」だったのだな。

浮名、浮名、浮名。1960年代とか70年代とかなら

「尻軽」とか言われてもおかしくない時代だ。

でもそんなの、ものともせずに恋愛を繰り返す。

あの天才・ジャコ・パストリアスさえ彼女と恋に落ちたのだ。

 

いやもちろん、ジョニ・ミッチェルこそ紛れもない天才シンガーソングライター

なのだが。

 

 

 

僕はジョニに傾倒するあまり、

だいぶ以前から 自分の変名をひとつ考えて、時々使っている。

その名前は

片山 ・ミッチ・ミッチェル ・道郎

である。

 

 

この名前で時々、呼んでくれるのは

「ばるぼら」を一緒にやった

兄弟のような盟友・ボケロウただ一人・・・ではあるのだが。

 

 

 

 

 

 

 

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昨夜見逃したから次は65年後だぜ。

2021-11-20 20:54:49 | Weblog

昨夜は満月で、おまけに皆既に近い月蝕だったそうだ。

ほぼほぼ皆既月蝕?そう言いたきゃ言えばいいと思う。僕は・・・言う(言うんかい)。

 

こーゆーのがこの次、日本で観測できるのは65年後なのだそうだ。

今回の前は?というと140年前だったらしい。

(うろ覚えで・・・数字が正確でないかもしれないが、ご容赦願いたい。)

それはともかく

・・・・・・・・・・・ふむ。

65年後に僕は・・・120歳か。

ははは、そりゃ生きてねえよ。

今後、医学が驚異的な進歩を遂げて、

飛躍的に寿命が伸びたりしたら、生きてても不思議はない・・・

ってくらいの年齢だけど。でもちょっとぞっとするよな。

 

しかし想像するしかできないのだが、

僕が死んでこの世界から存在が消滅した後でも地球は廻り、

空には月が昇り、太陽は音もなく燃え続けるのだ。

あたりまえ、と言えばもちろんそうだが。

でも不思議は不思議だ。

 

僕の存在しない世界でしずしずと起こる、ほぼほぼ皆既月蝕。

 

でもさっきも書いたように、140年前にもそんな

ほぼほぼ皆既月蝕は、あったのであって、

140年前の世界にも・・・・言うまでもないが、僕はいなかったのだ。

そして、君もいない。

 

月は同じ月で、

太陽も同じ太陽だ。

 

140年くらい、月という天体の立場で見たら、ほんの一瞬なのかもしれない。

 

 

薄羽蜉蝣のごとき、我々の一生。

 

 

 

ああ、そうそう、言ってなかったかもしれないけど、

僕は見事に見のがしたのだ、昨夜のほぼほぼ皆既月蝕。

 

 

バタバタして、わちゃわちゃして、テンパって、鬼の形相で、余裕もなくて、

必死のパッチだったんだ。

もう、救いようのないくらいに。

 

 

 

ちょっと哀しい。

 

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人生は〇〇〇〇

2021-11-18 21:13:09 | Weblog

だいぶ以前にもちらっと書いたことなのだが、

人生は〇〇〇〇である

というような警句・・・というか、そういう概念が好きだ。

神戸のアサオカ01がやっていたバンド、ミステルズの曲に

「人生はチューブのねりわさび」というのがあった。

意味は分かりにくいが、感じはわかる。好き。

甲斐バンドの大ヒット曲「ヒーロー(ヒーローになる時、それは今」の中にも

「人生はいつも路上のカクテル・パーティー」というのがあって、

この歌詞は多分ストーンズからの引用だったと思うのだが、素敵だ。

路上のカクテル・パティーというものを見たり、それに遭遇したりしたことはないのだが。

気障でお洒落な感じ。(いつか開催してみようかしら御堂筋で?????)

 

他にもいろいろあるのだけれど、

 

あとひとつだけ、ルー・リード「スィート・ジェーン」から

「人生は死ぬためにある」

ははは。身も蓋もねえや。

 

さてさて ここからが本題で、

最近、ネットで偶然目にした、どこかのお母さんの台詞が良かった。

曰く

「人生は段取りとトラブル対応」だそうで、

なるほど・・・というか、けっこう深い。

そうかもしれない・・・・とか、少し思う。

 

「段取り」とは何なのか?という事になるが、

これはまぁ、順序を整えておくこと・・・らしいのだけれど

大雑把に「備えあれば憂いなし」の「備え」にあたるもの、と考えていいんじゃないか?

と僕は思う。いろんな解釈はあるけれど。

計画を立てておく、みたいな。

 

それで、

日頃から備えておく。綿密に、抜かりなく。

でもどれだけ備えたところで、その想定を上回るトラブルは起こる。

で、起こったら起こったで、

その時は 焦らず、騒がず、絶望せず、

淡々とトラブル対応に当たるのだ。

人生はきっと、それでいいのだ。

 

その「段取り」と「トラブル対応」以外に君の(僕の)人生にもしも、

何か(トラブル以外の)出来事があったのならそれはラッキーで、

幸運は幸運で素直に喜んで享受すればいいのだ。

 

トラブルはひっきりなしに、雨あられのように降って来る。

あっちが上手く行ったと思ったらこっちが絡まり、

こっちをうまく繕ったと思ったら今度はこっちの大事なところが破け。

面倒臭えなぁ、と思うのだがこれがもし、全然なくなった日には

「トラブル対応してた頃が懐かしい・・・・」とか思うのだ俺馬鹿だから。

 

だから手のひらにマジックで書いておこう、

「人生なんて段取りとトラブル対応でしかないし、でもそれでいいんだぜ」って。

 

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歓喜を我らに(2021年11月13日のROCA’66)

2021-11-14 15:03:49 | Weblog

バンドが生きている、と実感。・・・・これは僕にとって、

最強の喜びである。

 

昨夜は大阪某所にて、ROCA’66のスタジオ入り。

非常に良かった。

新しい曲たちが、その形を整えて

何曲か、完成したし、

何よりも嬉しかったのはメンバーたちが皆元気で、

意欲と創造に溢れた音を嬉々として奏でてくれたことだ。

 

来年は実は、配信ライヴの企てを考えている。

年内にはその日程を発表できると思うのだが、

無観客でやるにせよ、それは懐かしの「スタジオライヴ」であって、

ラジオとかで昔はそういうの、よくあったよな。

NHK-FMで、1980年ごろやった、

佐野元春のスタジオライヴを、よく覚えている。

無観客で、でも、ライヴ。すごく良かった。

 

あの感じで、現代だから動画もありで、スタジオライヴやればいいのだ。

新しい曲多めで、ライヴセットリストをそろそろ考え中。

最新曲のタイトルは「リボン・ソング」。

アレンジを含めて曲の全体が、昨夜完成したばかり。

 

バンドは楽しい。

「楽しい」という以上のものが確実にある。

個々のメンバーがそれぞれミュージシャンとして成長していく手ごたえも、

ものすごくいい感じだ。

平気な顔をしてすごい音を出すのだ。

実際、我々だけでスタジオで合奏しているだけでも最高に楽しいのだが、

これだけ良い音が出来てるのだから

多くの人に聴いて欲しい、と思うのが人情である。

 

無観客配信ライヴから始めてみよう来年は。

 

コロナもきっと終わっちゃうぜ。

このままいけば「コロナ?・・・そんなこともあったよな」

ってなことになるって。

いいかげん、神経症みたいなのから抜け出さなくちゃ、俺も、君も。

 

我々は動き出そう。

来年はいい年にしよう、

会いたい人に会えるように、

そしてみんなが面と向かい合って喜び合えるように。

 

そして、ライヴハウスで大勢の友達と乾杯できるように!!!!!

 

 

 

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晩秋間近の緩やかな決意

2021-11-08 21:17:18 | Weblog

流れを阻害せずに行こう、成り行きに身を任せてみよう、

そのままぷかぷかと流されて、

うまくいけばもしかしたら

たどり着ける場所が・・・・ないとは限らない。

そして

音楽に寄り添って行こう、

陽の光を浴びながら行こう、

この「世界」を、全感覚で、全神経で感受しながら行こう。

 

上手く行かないことは上手く行かないことで、

それはそれで、もういいじゃんか。

ポンッと手を離しちゃえばいいんだよそんなの。

俺の知ったことじゃねえ、っていうか、

俺は俺の好きなようにするのだ。

 

とは言え

靴擦れしたりするし、寝すぎたりとか…ずっこけたりとかさ、

そりゃ、するっての。

そんな、すんなりとは行かないのは承知の上だ。

 

でも ふわっとチカラを抜いてみたら意外に、

うまく擦り抜けられるようなことも、あるかもしれない。

・・・あることを願う。

 

 

僕は自分が間違ってないって、時々は思えるし、

それでいいんじゃないかと思う。

もし間違ってたってどのみち、修正なんかきかないんだし

この先だって僕は、

無数の選択を瞬時に、しながら生きていくのだ。

 

さて、そんなことを言ってる間に、

とてもいい季節は目の前を過ぎてゆきます。

どれだけ感情移入したところで、

どうせそのうち完全に終わっちまうのだ、秋なんか。

 

自分が絶対正しいとは思わないし、

もしそう思ってしまうならそれはそーとー危険だし。

 

とりあえず僕は、

無暗矢鱈に「頑張る」のを止めてみようかな・・・・・などと思っている。

 

ぷかぷかと流れてゆくのだ、これからは。

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フリマ・フリマ・フリマ!

2021-11-04 21:18:07 | Weblog

昨日の祝日は近所の宇治市の、太陽が丘というところの

大規模なフリーマーケットを覗きに行った。

 

フリーマーケットというのは実は侮れないのだ。

僕が持っているいちばんロックしてる、本格レース仕様の

パンクなデザインの黒ダブル・ライダーズ革ジャンは

十年以上前、ATCのフリーマーケットでゲットしたものだ。

しかも安かった。

本当に何があるかわからないので、いいのだ。

 

それで昨日も、やはり良かった。

一軒、やたらロックな服ばかり置いてるところがあって、

聞いてみたら宇治の近所のオオグラで、ロックバーをやってるひとの出店なのだった。

そこで赤スエードのラバーソウルをゲットした。これも格安だった。ほくほく。

今度そのロックバー、絶対行くつもりなのだが、

「どの辺のロック好きなんですか?」と聞かれて、

僕は反射的に何と答えたか?

道「ブルーズ、そしてストーンズ、それでその後

90年代にグランジ系が大好きになったんっすよ」

店の人「グランジっていうと、ニルヴァーナですか?」

道「ああまあ、それもだけどソニックユースとか」

何も考えずに簡潔に、脊髄反射みたいな感じで答えたらそうなった。

 

むむむ。

こういうのって、一言で答えるの難しい。

自分が答えてるのに、他人が言ってるみたいに感じる。

ちょっと前だったら「好きなロック」に、ストーンズの名前は挙げなかったと思う。

でも今では、「アンチストーンズ」の呪いは解けているのだな、と

自分で思った。

 

ストーンズのほかに唯一挙げたバンド名がソニックユースだったか・・・。

そうか。

ジョンスペでも良かったんだけどな。

テレヴィジョンでも良かったんだけど。あ、テレヴィジョンは元祖NYパンクだ。

・・・マイブラって答えても良かったな。

 

でもジョンスペテレヴィジョンもマイブラも、

全然「グランジ」じゃねえや。

 

ソニックユースも「グランジ」ってカテゴライズされたら怒るかもしれないけど・・・

 

あの頃のムーヴメントのど真ん中がソニックユースだったからなあ。

 

まあ、いいだろ。

 

 

 

 

 

写真は、そのゲットした赤スェードの、ラバーソウル。

オオグラの、そのロックバーの名前は「アナグロ」というらしい。

わくわく。

 

 

 

 

 

 

追記・そういえば俺、「好きなアーティスト」聞かれても

特定のバンドの名前挙げない・・・って少し前、言ってなかったか??????

 

(言ってた・・・・。)

 

まあいいか。

だって答えないと、何か冷たい感じするからさ。

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社会的動物の悲哀、そして選挙結果にがっかり。

2021-11-01 20:47:58 | Weblog

よくサラリーマンが「働きアリ」に例えられるけど、

それは当然で、

我々は社会的動物であって、アリとかハチに、よく似ている。

サラリーマンじゃなくてもほとんどの人が何らかの形で社会参加している

と思う。

専業主婦だって、間接的ではあるが、社会参加している。

 

悠々と「さて、今日は何をしようか?」みたいに

のんびり自由に暮らしてる人って、居るとは思うけど、すごく少ないハズ。

 

だから僕が仕事に追われて毎日あくせくしていようが、

それはそれでいい・・・・・という気もするし、

そんなことで人生の大事な時間を無駄遣いしてちゃいけないよな・・・・とも思う。

どっちなのだろう?

 

物心ついたころに学校に通い始めて

それがずっと続いて、

学校を出たらすぐに就職してそこからずーっと働いて。

一昔前なら定年退職後は年金もらいながら、悠々自適に生きられたのだろうが、

現代ではそうはいかない。

僕ら世代は年金なんかあてに出来ないし、今だって

冗談抜きで僕のトラック仕事の同僚には70代の人もいるのだ。

 

我々はきっと、死ぬ直前まで働くのだ。

でも、それで不幸・・・・・とも思わない自分もいる。

 

働けるなら働けた方がいいし、

 

働く必要がもし、ない とか、

それどころか病気や怪我で働けない、ような状態で

暇を持て余し、その暇の中で自己嫌悪とか

過去の後悔とかに捕らわれてしまうならそれは生き地獄だ。

 

 

本当に・・・どうなのだろう?

我々は、どんな風に生きるべきなのだろう?

このことは、しょっちゅう考えてしまう。

マニュアルとかないのかな?

・・・・・・・あったら絶対、嫌だけどな。

 

 

アリとかハチはほとんど何も考えずに生きているように見えて羨ましいぜ。

 

 

まあ、「どっちもどっち」の、哀しき社会的動物でしかないんだがな、我々は。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

付記

 

 

選挙結果が残念なことになった。

 

僕は心から がっかりした。

 

 

言いたいことは他にもあるが、

 

 

何を言っても虚しい気がするので言わずにおく。

 

 

 

アマリが落選したことだけが良いニュースかも。

 

 

 

ツジモトキヨミさんの落選が痛い。

 

 

 

投票率の低さが痛い。

 

 

 

 

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