時事の話。

2020-05-31 19:26:58 | Weblog

それにしても気が付けば相変わらずコロナ禍中の世界。

 

でも明日から6月なんだよね。

いろいろな事が、このまま元に戻っていくことを切に願う。

 

しかし今回のことでアメリカと中国が決定的に仲違いしてしまって、

アジア対西欧、みたいなイヤーな亀裂が見えてしまった。

有り得てはならないことだが万が一、米中戦争が(冷戦だったにせよ)勃発した暁には

日本は、友好国であるアメリカを支持するんだろう。

でもそうなると、

太平洋戦争が、「日中戦争にアメリカが割り込んできて始まった」という過去の経緯は何だったんだ、という気にも、なる。

もちろん、その時その時の勢力図と思惑があるのだが、・・・何だか、世界って色々だなあ。

”今後、中国が超大国になって、その性格上・・・国際上の脅威になる”、

なんて話は 30年前から普通の、市井の人々の間で言われてたことで、

それが現実になっただけの話、ではあるのだけれど。

まあ僕なんかがそんな初歩の国際政治のこと話したって、面白くもなんともないか。

 

でも、もうひとつだけ キナ臭い話を。

医療従事者応援のために東京の上空にブルーインパルス(戦闘機の曲芸乗り集団)を飛ばした、

のは政府で、

それが「意味わかりません」と言ってる人がとても多いのだが、

それは当然だと思う。

っていうか

アベ政権ってとにかく、やることなすこと最低で、ほんとに酷い政権だと思ってるのだが、

今回のこの事は、また極め付けに悪質だ。

 

「軍事費は削らない」というアピールそのもの、ではないかこれは。

 

現実的に医療従事者を応援するなら軍事費を削って医療予算を増やせばいい。

 

でも戦闘機を飛ばして「応援」だ、と言う。

 

最悪・最悪・最悪。

 

どこまで腹黒くて、厚かましいんだ。

 

 

アベさん、

知らなかったんなら教えてあげるけど、

「責任を取る」ってことは常識的に、昔から、政治家を辞める、ってことです。

数々の不祥事の責任を取って、今すぐ、辞めてください。

 

 

 

追記・アメリカのシンガーソングライターのテイラースィフト(僕は実は結構好き)が

ツイッターで「トランプよ、次の選挙で絶対落選させてやるから見てろよ」

と言うようなことを書いた、と話題になっていて頼もしい。

小泉キョウコにもこれくらい言って欲しい。

言ってくれないなら俺が言う。

「自民党公明党よ、次の選挙で絶対落選させてやるから見とけよ。そんで、今からバイト先でも探しておけ」。

 

言うたった、言うたった(←これは「言ってやった」と言う意味の関西弁です)。

 

 

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再録「レシピ」

2020-05-29 21:55:05 | Weblog

面白かったから、

2013年3月の自分の、 ある日のブログをここに再録してみる。

 

タイトルは「レシピ」。

 

 

 

 

日々はゆっくりと過ぎてゆき、

世界の様相も少しずつ、その姿を変えてゆく。


だけど私は変わらない。


1ミリも変わらずにここで、世界とあなた一人のために

祝福を与え続けよう。

 

 




さてレシピです。

 

 




音楽という「魔物」に、言葉という「具体」を加えて、

真空管の増幅器で1,000倍まで上げます。

ギター?ギターはこの際、何でもいい。

そしてそのまま10年半ほどローストを続け、時々ロストを振りかけて。

ここで、前世紀から煮込んでおいた「諦念」を惜しげもなく注ぐ。

最後に、解剖台の上に見せびらかすみたいにデコレート。

66本の蝋燭と、99本の導火線に紙マッチで火をつけて、

黒焦げになる寸前で皿ごと、いやテーブルごとひっくり返します。

行きますよ・・・・・・・・・・・思いっきりバーン!

 

 



              それで終わり。

 

 

 



そりゃ多少、破壊的な光景が出現しますが、

「気にした者負け」です。

 

 

 

 

 



次回もお楽しみに。

 

 

 

 

 

 

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タナトス、エロス、そしてセルフ・ディストラクション。

2020-05-28 20:31:29 | Weblog

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「タナトス」という、”死に向かう衝動(本能)” が存在する、と知ったのは

いつ頃だっただろうか。

 

原典をちゃんと読んでないのだが、これは、かの精神分析の大家、フロイトの説である。

 

「タナトス」は、その逆の「エロス」と対称をなして存在する。

「エロス」は、性、そして生・・・・生きることに向かう衝動(本能)であるという。

「性」イコール「生」、というのは何と言うか・・・・・・・・・・

すごく正しい気もするし、うーん、何だか違う、って気もする。

 

フロイトではなかったと思うが、

誰だって、無意識に「自殺願望」を抱えて生きているのだ、という説もある。

「自己破壊願望」と言い換えてもいいかもしれない。

セルフ・ディストラクション・ブルーズ。 

眠りが甘美なように、「死」もまた、甘美なものに、思える・・・としたら、さもありなん。

 

僕は、

仕事その他で疲れ果てて、身体もへとへとで、眠くて眠くて死にそうな瞬間がいちばん好きだ。

もしかしたらそれは、「甘美な死」の疑似体験なのかもしれない。

 

でも我々は「関係性」の中で生きている。

我々の「生」は、究極には、我々の物ではないのだ。

 

「本物の死」を選ぶ権利は我々に・・・・・

あるような気もするし、

ないような気もする。

 

僕はとりあえず、石にかじりついてでも(石は食べられないけどね)、

激流の中で 藁(ワラ)に掴まってでも、とにかく 何としてでも、

 

生き延びられるところまで生き延びてやる、と思っている。

 

タナトスなんて知ったことか。

 

大体があの人(フロイト)って、

何でもそっち(下のほう)に関連付けてないか?

 

でもちょっと面白いんだよな。

 

 

 

誰しもの、無意識の奥の奥の方にそういう、「性」のこと(欲望)が厳然と存在するのだとしたら、

 

何だか人生って

 

虚しいような、

 

豊穣なような、

 

 

どっちだかよくわからない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真は

 

我が花壇のひまわり達。

 

「タナトス」なんか知ったこっちゃない、という風情で

 

「生」を謳歌している。

 

 

 

 

 

 

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アンチ

2020-05-25 20:46:35 | Weblog

昨夜は、

 

緊急事態宣言解除ということもあり、

久しぶりに友達のチマキさんに会いに行った。近所の「喫茶・バー MICA 3RDシーズン」である。

ほんの短い時間だったのだけれど、とても楽しかった。

チマキさんとは色々な話が出来るのだけれど、

洋楽(ロック)リスナー、と言う点でも趣味がけっこう、近いので、

その辺のディープな話も出来るのだ。

 

昨日は、

「ミチロウくん、ストーンズのリアルタイムってどのへんやった?」・・って聞かれて、

・・・・うーん、「アンダーカヴァーオブザナイト」かなぁ???と答えたのだが、

今気付いた。違う。その前の、あのライヴアルバムだ。タイトルなんだっけ?

「レッツスペンドザナイトトゥギャザー」かな?

ミックが、あのスポーツ選手みたいな衣装で出てくるライヴ。

カラフルな、日本人イラストレーターの絵のジャケットのレコード。

映画もちゃんと見に行った(ロードショーだった)。

レコードも,街の普通のレコード店で買った(←中古レコードではない、ということ)。

でもライヴアルバムでない新譜は、「アンダーカヴァー」だ。

 

 

チマキさんはなんと、「イッツオンリーロックンロール」がリアルタイムだったらしい。

すごい。中学生くらいだったらしいが、早熟だなあ。

でもそうすると・・・・・・・・

「サムガールズ」も、「ブラックアンドブルー」も、「エモーショナルレスキュー」も、「刺青の男」も、

新譜として、聴いたことになる。

うらやましい。僕はその辺も全部、「さかのぼって」聴いているのだ。

 

ストーンズを、いちばん良く聴いたのは高校生の頃だった。

聴きまくった。アレ以上にかっこいいロックは存在しなかった。

でも、さかのぼって聞くのって、やっぱ、ちょっと「お勉強」的なのだよね。

でもキースの格好をマネしたりしたし、前歯が折れたときも「キースみたいだから」という理由で放っておいたし、

ギターもなるべく低く構えた。そして無意味に動きながら(暴れながら)弾いた。キースがかっこよかったから。

「かっこいいロック」のお手本は全部ストーンズだった。

 

でも悲しいかな、ロックの感動はリアルタイムがいちばん凄いのだ、と思う。

 

ジミ・ヘンドリックスをリアルタイムで聴いた人がうらやましい。

 

でも1990年代になってから僕も、リアルタイムでその時代のバンドを好きになって、

その「新譜」の衝撃を新鮮に味わうことが出来た。

ソニックユース、ジョンスペンサーブルーズエクスプロージョン、ベック、

ニックケイヴアンドバッドシーズ、ロイヤルトラックス、フレーミングリップス、

ニルヴァーナ、ホール、オアシス、

ETC,ETC,,,,

 

ストーンズも90年代、一応健在だったので新譜を出していたが、ぜんぜんピンと来なかった。

(そういえば初来日は、わざわざ東京ドームまで見に行ってるのだ。)

 

「刺青の男」が出たときはきっと、ずいぶん新鮮でカッコよかったことだろうと思う。

 

「スタートミーアップ」なんか、今聞いても恐ろしく新鮮だ。

当時はどんな風に聴こえたんだろう?

時代を切り裂いて前進して行くような音。ポジティヴィティのカタマリ。

 

 

 

僕は「ストーンズ・フリーク」みたいな人種では、断じて、ないのだが

それでも、

・・・・・・・・・・・・・・・ストーンズは「特別」なのだ。

 

ロック好きならそのへんの「感じ」は、当然、誰もがわかっている。

 

どう考えても、60年代、70年代のストーンズは面白過ぎる。スキャンダラスで、華やかで、

エロくて、反体制的で、ドラッギーで、ファッショナブルで、音楽的にも黒人音楽まっしぐらで、深くて。

 

大御所中の大御所。

 

あ、でもそれで、あえて「アンチ」になるのは、アリだ。

「アンチ巨人」みたいに。

 

 

 

 

ストーンズに関しては愛憎半ばで、僕も半分は「アンチ」かもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

追伸

 

今日は緊急事態宣言が、全国で解除されたね。

 

良かったけど・・・・・・・・・・・・・・大丈夫なんかしら?本当に。

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希望的観測。

2020-05-23 20:30:20 | Weblog

緊急事態宣言が、首都圏以外は解除されて、

何だか・・・そんなのって、どーでもいい気もしてたんだが

蓋を開けてみたら僕は何だか嬉しかった。

 

世間の動向なんて俺には関係ない、みたいにして生きてても、

本当は「関係なく」生きることは出来ない。

でも希望としては関係なく生きたい。

 

このまま、「アレは何だったんだ・・・・・・コロナって一体?」みたいに、

この騒動があっさり、過去のもの になればいいな、と思う。

 

まだ気が早いかもしれないけど。

 

ところで、ラジオで聞いたんだが

大阪市がPCR検査・・・・ではない、「コロナの抗体検査」を

抽選で3000人だかに実施するそうだ。6月末くらいまでに。

・・と・いうのは、

日本人は、過去、「風邪」にかかった結果として、コロナの「抗体」を

持ってる人が多いのではないか?(コロナ肺炎は風邪に良く似ている)

 

だからこそ、

日本国内では酷いパンデミックが起こらなかったのではないか?という

推測があるらしく、

大人数に「抗体検査」を実施すればその真偽がわかる・・・・とうことらしい。

 

もし、そうだとしたら、それはとてもいいニュースだよね。

 

もしかしたら、僕も、アナタも既に「コロナ」に対する抗体を、

自分の身体が持っていてくれてる・・・・かもしれないのだ。

 

もしそうだったら、コロナ恐るるに足らず。

ぜひ、そうであってほしいものであるのだけれど、

 

しかし我々の身体って、すごいよね。

「抗体」を作る能力を持っているのだから。

 

 

どう頑張ったって、「人為的に」、

 

そんなもの、作ることは出来はしないのだ。マジで。

 

 

 

 

 

 

夏ごろにはいろんなことが、動いてるかもしれない。

そう思うと、

ちょっと楽しくなるよね。

 

 

 

 

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引越しの変遷。

2020-05-20 21:26:26 | Weblog

ほとんど、どーでもいいような話なんだけど、

生涯で何度も何度も引越し・・・・したなあ、俺。

って思ってさ。

 

新宿の、あの戸山ハイツはかなり古びたとはいえ、いまだ健在なのだ。

(何年か前に、某バンドのツアーの合間に、一人で訪れたから知っている。)

引越しなどせずに、一家であのまま、あそこに住み続けていたら・・・・・・・

僕は、そして、僕の家族は

どうなっていただろう?

と時々、考えてしまう。

 

それはさておき

 

引っ越した先の福山市の家は超ボロかったし、トイレは非・水洗(くみとり)で怖かったし隙間風吹きまくりだったが、

少しは庭などもあって、あの家はとても好きだった。

 

でも中学卒業後、そこから単身で、奈良の学校の寮に入る。荷物などは、ほぼ、なかった。

家から持って行ったのはラジカセと、ギターと、本数冊と、服をちょっとと、布団一式・・・くらいだった。

父親の運転する乗用車で引越しした気がする。何て簡単な引越しだ。

 

高校を出て、大阪の専門学校の寮に入った。

ここは天神橋筋6丁目の近くで、都会で猥雑でエネルギッシュで、もう何だか、すごいところだった。

僕が住んでたとき丁度、阪神が優勝したりした。もう、エライ騒ぎだった。

この寮から50CCのスクーターで西梅田の学校まで通ったりしたのだ。

まだ原付ならヘルメットなしでオッケイだった。ちょっと信じられないけど。

 

その寮にうんざりして、その当時のバイト先の奈良の法隆寺にある小さなスナック(笑)の二階に引っ越した。

(このときの引越しはランブルフィッシュの、もうひとりのギタリスト、ショーちゃんが一緒にやってくれた。)

スナックの、住み込みバーテンダーになったのだ。そこで3ヶ月くらいバイトしながら学校行って、

ワンルームマンション借りるための頭金を貯めた。

 

そして次の春、お金がたまったので、めでたく大阪市東住吉区北田辺のワンルームマンションを借りた。

昼間でもまったく日のあたらない部屋だったけど、最高に気分が良かった。電話すらなかったけど。

 

あそこで何年くらい暮らしたんだろう?5年位か?

 

隣の空き部屋に 若い、精神の壊れかけたヤンキーが入居してきて、大人数で毎晩シンナーパーティーをするようになったので、

その部屋からは逃げ出した。隣の部屋なのに、こっちの部屋までシンナー臭がするのだ。

冗談じゃないよな。

 

そして「避難」みたいに、南森町のビル街の中にある友達のワンルームマンションに半年くらい居候したあと

(そういえば、この頃がランブルフィッシュの最盛期だった)、

 

中央区、玉造のワンルームマンションを借りた。

(あとで気付いたのだがここは、あの中島らもの仕事場のマンションのすぐ近くだったはずだ。)

もう暗い部屋は嫌だったので、5階の、部屋の二面が大きな窓になっている温室のような部屋を借りた。

しかし日当たりが良すぎてクーラーは全然効かないし、数年後にはすべてのポスターが日焼けして色褪せてしまった。

ここでの暮らしは楽しかったが、

その頃の僕は馬鹿なことに、車庫を借りずにクルマ(軽自動車)を保有していたので・・・・・・

その関係でいろいろと困ったことが多発した。しまいには90日免停になった。

「バイク大事故」も、この頃のことだ。

でもそこで、5年くらい暮らしたのかな。

 

そしてそのあと「ばるぼら」を結成することになり、

メンバー皆で近くに住もう、ということになり、長居へ引っ越した。

古い、2DKのマンション。

ここの暮らしも、楽しかったことしか覚えていない。偶然、家から歩いて3分ほどのところに、

オルタナ・フォーク・シンガーソングライターの正垣祐樹が一人暮らししていたから、

しょうちゅう行っては、二人で飲んだのも懐かしい。

 

そこでまた6年くらい住んで・・・・・西暦2000年くらいになって、「ばるぼら」が停止してしまったので、

 

天王寺近くの、美章園に引越しした。ここは天王寺まで歩けるくらいの距離で、とても便利だった。

マンションはJRの美章園駅まで歩いて3分くらいで、めちゃ便利だったし、

街自体も、好きだった。都会のすぐ近くなのに昔ながらの情緒を残した、美章園。

住みやすかった。ここも長く住んだ。7年くらいかな。

 

でもここに住んでた最後の年(2007年・・・か。)に、佐治朝吉が、闘病の末、他界した。

 

僕が、大阪に住んでる「意味」というものが突然、消失してしまった気がしたのだ、その時。

 

大体が・・・・・思い返せば高校三年の終わりごろ、佐治が僕に尋ねてきた。

「卒業したらどうすんねん?」と。

僕は迷わず言った、「東京へ行く」と。

佐治は即座にそれを却下した。「あかん」と。

「オマエはなぁ、俺らと一緒に大阪でバンドすんねん。だから大阪へ行こうぜ」と。

僕は・・・・・・・・・・・・・・・・・・多少悩まないでもなかったが、結局は、進路を変えた。

そんな風に言われて、ちょっと感動したのだ。

 

そしてそれは・・・・大阪で一緒にバンドやる、という「希望」は、現実になった。

 

目がくらむほど楽しかった。そういう日々が本当にあったことを感謝したい。

 

そして2007年、「大阪に住む意味」を喪失した僕は、

他にもいろいろ要素はあるのだが・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

京都に住むことにした。

 

 

そして現在に至る。

 

 

京都に移り住んでから、もう13年近くになる。

 

 

住んでから少しずつ発見したのだが・・・・・・・・京都って、東京に似ているのだ。

 

いや本当に。

 

 

だから僕は結局は自分が初めに求めていた環境を、

 

 

手に入れたのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

どーでもいいような話に、付き合ってくれてありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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関西で生きる、ということ。

2020-05-19 21:23:20 | Weblog

何処で生きようが僕の勝手なのだがいつの間にか自分自身が、

関西に馴染んでいる気がして驚く。

 

今は関西が好きだ。

 

大阪・京都・兵庫・奈良・和歌山・滋賀 ・・・あたりなら何処へでも住めると思う。

 

子供の頃は東京に住んでいて、

当然だがそこしか知らないので

東京以外の街に住みたくない・・・・・とかなり切実に思っていた。

 

でも1973年ごろに 一家で広島県福山市へ移住することになって、

7歳のコドモがいくら泣き叫んで嫌がろうが否応なく引越しは決行されて

 

僕は土地に馴染めないままで少年時代を過ごすことになって、

そのことによって人格形成にひずみが生じたかもしれないが、

それがまぁ、今の僕なのだから仕様がない・・というか、

「よかった」のだ、と今では思っている。

 

友達にも出会えたし。

 

でも

東京を嫌々去ったおかげで今でもそこは僕の中で美しい「懐かしい故郷」であって、

そういう幻想を抱えて生きることは、そう悪くもないだろう、と

思っている。

 

とか言いながら

今リアルで生きている「関西」も素敵。

 

今日の朝、仕事で大阪の吹田市に行っていた。

知ってる人は知ってるかもしれないが吹田市には「片山町」という街があって、

19歳の頃の、大阪市の淀川区のデザイン学校の学生寮に住み始めたばかりの僕が

50CCのスクーターで走ってて見つけた街だった。

 

「片山町」なんて、意外とありがちなのかな?と19の僕は思ったのだが、

それ以降、そんな名前の街には出会わなかった。

50過ぎになった僕が久しぶりに「片山町」を通り過ぎた。

 

街はあの頃と、あんまり変わってない気がした。

 

「片山町」近辺は、寝惚けたような平和な町で、

こういうところで暮らすのも、全然悪くないな・・・・などと思った。

 

 

今の僕は、ラジオの交通情報で、どこどこが渋滞してます・・・とか言ってても、

それが何処だか、だいたいイメージ出来るんだぜ。

 

阪神高速の3号神戸線とか、13号東大阪線とかさ。

 

名神高速も、第二神明も、阪和道も京奈和道も、だいたいわかる。

 

阪奈道路って知ってる?・・・・あれがまた、イイんだ、古びてて。

 

 

 

 

 

 

・・・・・・・・関西っていいなあ、と思う。

 

「関西弁」も、昔は大嫌いだったのだけれど、

今では、けっこう好き・・・・・かもしれない。

 

 

 

 

 

未だに僕は、「エセ関西弁」なのだけれども。

 

 

 

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政治の季節。

2020-05-18 21:03:12 | Weblog

 

#検察庁法改正案に反対します

 

というのが今、ツイッターで盛り上がっていて、

けっこうすごい数で、面白い。

いや、もちろん僕も

今回の国会で与党が通そうとしているこの法案には大反対で、

よく言われてるけど本当に「火事場泥棒」だと思う・・・こんなのって。

コロナでこんな ややこしいときに、自己保身丸出しの法案通そうとするとは。

与党のやることは みっともなくて、情けない。

ツイッターの、世論の盛り上がりで延期されたとは言え、与党はまだ「強硬採決」をあきらめていない。

まったく・・・・・信用ならない奴等だ。

安倍政権には即刻、退陣してもらいたい。そして検察は、安倍首相を起訴するべきだ。

 

 

 

 

 

 

しかし、つくづく思うのだけれど、

「政治的主張」みたいなのを歌にするのって、すごくすごくすごく難しい。

 

過去の偉大な先達の中には、

稀にだけど、スゴイのがある。

マーヴィンゲイの「ワッツゴーインオン」はそういう主張がすごく強いのに、

永遠の名曲になりえている。

あと定番だがやっぱジョンレノンの「パワートゥザピープル」とか「イマジン」とか「ハッピークリスマス」とかか。

クラッシュもすごいな。「ロックザキャスバ」なんてのが大ヒットしたのだから。他の曲も全部すごいけど。

アルバムのタイトルからして「サンディニスタ!」(当時のニカラグアの革命政権の名前)だもの。超政治的。

あと、ピストルズももちろんすごい。皇室・・ではない、王室へのこき下ろし具合が素晴らしい。

あ、あとやっぱU2すごすぎるよな。「ワン」とか。古くは「サンデーブラッディサンデー」か。

オアシスの歌なんか全然政治的じゃないのに、何人もの人が亡くなった英国でのテロ現場で群集が自然発生的に

「ドントルックバックインアンガー」を歌いだした、と言う話はなかなかすごかった。

それだけ、歌にこめられた「憎んではいけない」というメッセージが強くて、しかもそういう場面で有効だったのだろうし、

オアシスが英国民に愛されてることの一種の証かもしれない。

 

もちろんだが 他にも、いくらでも、数え切れないほど「あからさまに政治的でかっこいいロック」はある。

 

 

逆に言えば「歌」は政治的なものになり得るのだ。

 

ただ・・・政治的状況って当たり前だが、いつも動いていて、この上なく流動的だから、

「狙い撃ち」して作るとその歌が、アッという間に古びてしまう。

 

「狙い撃ち」せずに、というか政治を意識せずにつくった「歌」が、

期せずして政治的な意味を持ってしまう・・・みたいなのがもしかしたら

理想的なのかもしれない。さっきのオアシスの「ドンルク」みたいに。

 

政治的な内容を「歌」に持ち込むのは、本当に難しい。

そして作ったとしても、それが世間的に認知されるかどうか、というのも、相当に怪しい。

 

あれだけ過激に政治的で攻撃的で魅力的で最強にかっこよかった

日本のゲリラ・バンド「ザ・タイマーズ」ですら、

今も残っていて、よく聴かれている歌は非・政治的な「デイドリームビリーヴァー」なのだ。

 

 

 

 

僕はいっそ、

 

狙い撃ちして「検察庁法改正法廃案音頭」でも、作るべきか???????????

 

いや・・・・・・

 

 

ちょっと違う気がする・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

暗転

 

 

 

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先日は「母の日」でしたね。

2020-05-13 21:16:40 | Weblog

僕は高校生のころ、「自分は大人だ」と思っていた。

でも本当は全然、そんなんではなかった・・・と、だいぶ後になってから気付いたのだが、

その時は何しろ

親元を離れて学生寮で暮らしているし、センタクとか自分でやるし。親に会うこともないし、

バイトとかして小額だが金も稼ぐし。

もう大人だぜ、と思っていた。

 

しかし、今振り返るとそのころの自分は・・・悲しいほど幼い。「幼稚」だ。

コドモコドモしていたと思う、悪い意味で。

 

でもその頃に、何人もの友達と出会っている。

 

大げさと思われるのを承知で言うが・・・・・・・運命の男達、そして運命の女達。

 

 

何しろコドモだから、自分達がいつか死ぬ、などということは想像もつかなかった。

当たり前と言えば当たり前だが。

 

高校生だった頃から、大雑把に言えば40年近くが経っている。

 

40年(近く)という歳月は16歳のコドモを50過ぎの老青年に変えてしまう。

 

今年の2月末には、高校の同級生で当時のバンドメンバーだったモ吉のお通夜に顔を出した。

 

考えてみたら同じく友達でバンドメンバーだった岩佐のお葬式に行ったし(32年前のことだ)、

バンドリーダーでもちろん友達の、佐治のお葬式にも行った(13年前のことだ)。

 

あの頃・・・出会ったばかりの頃には、いつかそんなことになるなんて全く、

想像も付かなかった。

そんな長い付き合いになるとは。

 

 

当時はお互いの「親」などまったく眼中になかった。

そういう年頃で、仕様がない面もあるのだが、

我々には「親」など、全然関係なかった。

 

あえて親に「反抗」もしてないのだ我々は。そういうのは幼稚だと思っていた。今でもそう思っている。

ただきっと「自立」したかった。だから「親」と関わりあうのが照れくさく、恥ずかしかったのだ。

 

「親」を、意識的に避けていた。

 

でも、今では・・・・・・

 

例えばこないだ、お通夜で初めて会ったモ吉のお母さんには親近感が湧いたし、

佐治のお母さんも。

岩佐の命日のたびに、毎年会っている岩佐のお母さんも勿論そうだし、

もう亡くなってしまったドイケンのお母さんも、すごく懐かしく思う。

自分の母親にしても、そうだ。

 

 

高校生だった頃は

「俺はもう大人だから親なんか関係ない」と本気で思っていたのだが、

その発想こそが幼かったのだ。

 

 

 

 

 

先日は「母の日」でしたね、お母さん達。

 

 

何の心配もなくあなた達に会える日が、

 

 

早く来るといいのだけれど。

 

 

 

 

 

 

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現実と夢(P.K.ディック「死の迷路」について)。

2020-05-12 20:31:28 | Weblog

体調が悪かったので、否応なくステイホームしていた週末だった。

本を、また、たらふく読んだのだが、

やはりディックが凄かった。

フィリップ・K・ディックである。

今回、1970年に出版された長編

「死の迷路」(「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」の次に出版された小説である)を読み直したのだが、

あまりにも久しぶりだったので内容を完全に忘れていた(読んだのは15年振り、くらいだと思う)。

おかげで、ものすごい衝撃を受けた。

ネタばらしになってしまうが、まあいいだろう。

今後、この、ディックの「死の迷路」を読もう、と思ってる人はこれ以下を、読まないように。

 

「死の迷路」は、壮大な、言ってみれば「夢オチ」の小説だった。

ものすごい悪夢みたいな話が延々と続いて、

最後の方で、それは夢だったことが明かされるのだ。

夢、と言っても単純ではなくて、「脳重合」という装置を使って、宇宙船の乗組員たちが、

多人数で同時に、あらかじめセットしておいた創作された非・現実の世界で様々なことを体験する。

「夢」というか、ヴァーチャル世界というか。

本人達は、見ている間、それが「夢」とは気付かない。その夢が現実そのものである。

 

これって、ディックのほかの小説でも出てきた仕掛けだ。

「パーキーパットの日々」では、新種のドラッグの共同幻想として出てきたし、

映画化もされた「トータルリコール」でもこんな装置が話のメインになっていたはず。

 

ディックの小説に繰り返し出てくるテーマは

「現実とは何か?」

「この現実は本物なのか?」

「夢と現実はどう違うのか?」

というようなもので、

これは誰にしたところで、他人事ではない。

 

この「死の迷路」では、お約束というか、「救いのない夢世界」から目覚めて彼らが直面するのは

「更に救いようのない、追い詰められた現実」なのだ。

 

それにしても、彼ら(これは群像劇なのだ)が、夢から醒めた場面は衝撃的だった。

読んでいて え?え?・・夢だったの????ってマジで思った。

 

そして最後に、夢世界の中だけの登場人物であったはずの「実在する神」が、

まるで夢から抜け出してきたように現れて、主人公の一人に

「死の祝福」みたいなものをもたらす。

 

そして最後の最後に、「脳重合」装置を再セットして、違う夢世界に出掛けたはずの主人公達は、

前回と同じ、救いようのない世界の、救いようのないストーリーをまた初めから繰りかえし始める。

つまり、彼らはもう、「何処にも行けない」のだ。

 

だから、単純な「夢オチ」の小説では全然ないのだが、もう何だか・・・・・

悪夢だった。

これ以上魅力的な悪夢はない、というような種類の悪夢。

 

 

 

 

 

 

そんなものを読んだおかげで読後、僕自身が、冗談抜きで、とても奇妙な悪夢を見た。

 

知らないバスルームの空中で僕が、身動きできないまま回転している・・・それだけの夢。

 

身体は金縛りになったみたいに動かないまま、バスルームの低空を無重力状態みたいに

延々と廻り続ける。

30分くらい続いたと思う。

こんな奇妙な夢は生まれて初めて見た。

廻り続けるだけで何も起こらないのだが・・・・・・・・妙につらいのだ。

 

最後は渾身の力をこめて金縛り状態を解いた。

 

そしたら夢が醒めた。

 

 

フィリップ・K・ディック、恐るべし。

 

 

 

 

 

 

 

写真は、我が花壇の、ひまわり。

 

日に日に、成長中。

 

 

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