来年のことを、お話致す。

2022-12-28 17:03:46 | Weblog

御無事でいらっしゃるでしょうか?

世間では

2022年が ゆっくりと緩慢に、暮れ行こうとしています。

僕は僕で、モノ思いに耽るばかりで、

曖昧な夢のように日々が流れて行ってしまいました。

最近は 空白の日記が多かった。

 

さて

恒例の「冬の旅」に出発する前に、来年早々のライヴの事を

お話ししとかなければなりませぬ。

年が明けて一週間後?そのくらいかしら?

2023年1月8日は、ROCA’66のライヴです。

場所は最近のお気に入り、大阪・中津にある

VI-Codeという名のライヴハウス。

気合を入れなおすために、晩秋の頃に、新年早々のライヴを決めた。

でも、これ決めておいてよかったよ。

これのおかげで、

締められた鯖のようなビシッとした気分で年末年始を送れる気がする。

 

2022年も我々は何とか乗り越えた。

だから2023年は、もっともっと

のめり込んで、ロックに沈溺するくらいの勢いで行きたい。

トシ?年齢??そんなもん、気にしてらんねえわよ。

俺はもう自分が何歳なのかさえ忘れました。

いや、ボケてるわけではない。っていうか、昔からボケている。

だから大丈夫。

ギター赤井も、ベース伊藤も、ドラムズ・トビーもみんな元気。

あ、俺もついでに元気。

最近は酷い下痢をして2日ほど体調最悪だったりしたけど、

回復した時の嬉しさときたら!!!!!!!!!!!!

もうやっぱ、健康でなきゃ、何もできないわよアタシゃ。

いつまでこんな風に馬鹿みたいに健康でいられるのか???

それはわからない。

それは赤井にしたって伊藤にしたってトビーにしたって、

もちろん、これを読んでくれているアナタだって。

だから一回一回のライヴを大切にしなきゃ、と思う。

ちと飲み過ぎた・・・とか、そーゆーのを未だにやってしまうけど、

それも込みで(?)とにかく、大事にする、大切にする。

大好きなバンドメンバー達と揃って、

人前で、自分たちの音を出せる機会なんて・・・・・

やっぱりこれはスゴイことだ。

だから来てください。

 

2023年1月8日(日曜日)

大阪・中津・VI-Code   ジミープロジェクト「BACK TO EGG」

OPEN 18:30  START 19:00

前売り3000円  当日3500円

ツイキャス配信2500円

出演

 

gangstars

 

ROCA'66

 

 

2月4日には、京都のSILVER WINGSでザ・マンガンズの

マエダジュウオ氏の「60THスペシャル~京都編~」

に出演が決まってて、

そちらも今から楽しみなんだけど、

VI-Codeでの年始一発目のライヴはもちろん気合入れて

真剣勝負で参りますゆえに、ご来場賜りますことをお願いいたす。

それでは皆々様、良いお年を。

 

 

片山道郎拝

コメント (3)
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冬至の旅

2022-12-22 20:42:07 | Weblog

たまには長距離も走るのです。

「走る」と言ってもこれはランニングではなく、

ディーゼルエンジンに乗っかって、積み荷とともに行く、

「お仕事長距離ラン」である。

 

今回の広島行きが冬至の日と重なったのはただの偶然・・・・

でしかないのだが、

何だか感慨深いものがあった。

北陸とか東北でなくてよかった。

雪道って本当に怖いのだ。へたなホラーよりずっと怖い。

広島の方はほとんど雪など降らないから安心。

とは言え、ハイウェイのパーキングの真夜中はやはり寒かった。

長距離に出ると僕は何故か、ラジオも音楽も聴かないで走る。

無音で、エンジン音だけが響く中・・・ずっと考え事をしている。

もしくは「無」の境地で走る。

こーゆーのが続くと僕はもしかしてそのうち、

「悟り」を開いてしまうかもしれない・・・・愚か者の悟りを。

 

考え事は遥か昔にまで遡ることもある。

 

 

 

 

僕にとって

人生の中で出会えた友達は全員が全員、重要人物なのだが、

その中でも飛び抜けて特別な人が何人かいて、

その一人、岩佐亘という人は

誕生日が冬至の日と重なるのだ。

ということは、普通なら12月21日だ。

今年は「うるう年」だから冬至が12月22日になる。

昨日が、岩佐の誕生日だったはずだ。

僕は昔は、誕生日というものに、あまり興味がなかった。

だから岩佐に誕生日プレゼントなどをあげたことはなかった。

岩佐だけではなく、誰の誕生日も興味がなかった。もちろん自分のも。

でも考えてみたら僕は何度か、岩佐から誕生日にプレゼントをもらっている。

1987年の誕生日には確か、仲井戸麗市のファーストソロアルバム

「仲井戸麗市ブック」をくれた。

CDではなく、30センチのLPレコードである。

 

あれ?でもその頃って・・・・少し疎遠になっててもおかしくない時期だ。

いろんなことがあって

いろんなことがあって

いろんなことがあったから。

でも実は全然、疎遠になんか、なってなかったんだよ。

実際、よく会ってたし。よく話して、一緒に馬鹿笑いしてた。

バンドも、ギリギリまで一緒にやってたはず。

 

何か昔のことって、いろいろと混ざり合ってぐちゃぐちゃになってて、

真相がわからないような気になる。

 

でも、それでいいのかもしれない・・・とも思う。

 

でも数少ない「わかってること」の中の一つが、

岩佐の誕生日が冬至の日だった、ってことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

今だったらレコードとかCDとか買ってプレゼント出来るのに。

昔はとにかくカネがなくてさ。まぁ、今も大して変わらないが。

 

我々のことを覚えている人も年々、少なくなって行くけど

それはそれでしょうがないよな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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LIVE PEACE IN TORONTO 1969

2022-12-15 21:16:50 | Weblog

LIVE  PEACE  IN  TORONTO  1969というLPレコードを僕は

だいぶ若かったころに中古レコード屋で手に入れて、

かなり熱心に聴いていた時期があった。

(中古レコード屋って最近はめっきり見なくなたなぁ、そういえば。)

これはプラスティック・オノ・バンド(以下P ・O・B と略す)名義のライヴ盤で、

1969年にカナダのトロントで行われた大規模な

野外コンサートにP ・O・B が出演した時の音である。

豪華メンバーで、歌とギターはジョン・レノン、ギターはクラプトンだ。

これを熱心に聴いていた20代の頃は知らなかった のだが、

この野外コンサートにP ・O・Bが出演することになった経緯が面白くて。

どうもチケットの売れ行きがだいぶ悪かったらしく、

開催日直前に主催者の一人がビートルズに推薦コメントをもらおうと、

当時のアップル社に電話をかけたらしい。

それで電話に出たのが偶然、電話番をしていたジョン・レノンで、

「ああ、それなら俺が出るよ」ということになった。

それで急遽メンバーを集めて、行きの飛行機の中で練習したらしい。

何と言うか・・・あまりにもチャーミングな、ジョン・レノンらしい話。

それで、ロックンロールの歴史的名曲のカヴァーとかが多いのだが、

 

何と何と、

今現在YOUTUBEで、この時の野外ライヴの様子が動画として上がっている。

僕も人の子なので時々はYOUTUBEでロックの動画を見たりしている。

昔なら考えられなかったような素晴らしい動画が、いくらでも見れる。

それで、昨日このトロントの動画に気付いた。

それで軽い気持ちで見始めて、夢中になってしまった。

動画貼り付けとかも、やろうと思えばできるのだろうが

YOUTUBEでSWEET TORONTOで検索したらすぐ出ると思う。

55分の長い動画である。

映画になってたのかな?というようなちゃんとした造りだ。

 

以下はその内容を。

 

オープニングから

いきなりボ・ディドリーの登場である。

渋い。かっこいい。油の乗り切った、という感じのボ・である。

あのギター使ってる。あのグレッチの、真四角のハコの奴じゃない、

キャデラックみたいなかっこいいやつ。

ボ・があれ使ってたのは誰でも知ってるのだが、実際使ってる動画は

無かった気がする。

そしてジェリー・リー・ルイス!!!最近亡くなったんだよな。

しっかりとかっこいい。

そして御大チャク・ベリー!!!

ギターは何だか調子悪いけど、歌はバリバリに真面目に歌ってる。

そして、リトル・リチャード!!!!神々しい感じ。

この頃のリトル・リチャードって髪型のせいか(直毛っぽいのだ)、

何だか後年のプリンスに雰囲気がすごく良く似ている。色っぽい。

まあ、プリンスが真似したのだろうけど、独特ですごくいい。

 

そしてジョン・レノンとP ・O・B登場。

この野外ライヴの出演陣は

前述したように、ロックンロールのレジェンドたちを揃えたものなのだが

チケットは売れず、でも

ジョンが出る、とラジオで大宣伝したらそのせいで

短期間でチケットは売り切れたそうだ。むむむ。

 

で、僕はちょっと、というかだいぶ驚いたのだが

ジョン達の登場は日が暮れて、暗くなってからだったのだ。

いや、僕はずっとこれをレコードで聴いてたから、レコードジャケットの

青空が余りにも印象的で、だから

プラスティック・オノ・バンドは真昼間に登場していたのだ、と

勝手に思い込んでいた。・・・・違ったんだ、、、、。

 

そして肝心の演奏は、ちょっとショボい。

 

実はレコードで聞き倒していた頃も、

あんまりいい演奏じゃないなあ、と思っていた。

チューニングは微妙にズレているし、ドタバタした感じ。細部のキメも、合わない。

即席バンドだし、練習もろくにしてない感じがよく伝わる。

今回動画で見て、やっぱりジョンの表情も楽しそうではない。

特に、

その前に出ていたロックンロールの偉人たちの演奏が凄過ぎて、

ジョン達の演奏がそれに比べるとだいぶ・・・・駄目駄目に聞こえてしまう。

ジョン・レノンが「悪あがき」をしている。

「ロックンロール・マジック」が起きていない。

 

それでも、色々な意味で面白い。

唯一無二の演奏。これ見れて良かった。

久しぶりにYOUTUBE動画で、「感動」を味わった。

佐治に見せたかった。岩佐に見せたかった。モ吉にも見せたかった。

だから友達よ、検索してぜひ見てくれ。

ライヴ・ピース・イン・トロント。

 

評判の悪いオノ・ヨーコの歌唱のところも、

よく見ると後ろでジョンとクラプトンがギターの

フィードバックノイズを意図的に出している姿が確認できで面白い。

あのフィードバックの音量がもっと大きければ印象が違うはず。

ノイズ・ミュージックをやろうとしてたのだ彼らは。

そう考えると、「ああそうか」と、思えなくもない。

 

しかしアレだな、ボ・ディドリーやチャックベリー達「ロックの偉人たち」

の演奏も、フルで見たかったな。

現代から見たら、ほとんどの主要出演者が他界してしまっている。

つくづくエリック・クラプトンって・・・しぶといヒトだこと。

 

1969年なら、ジョン・レノンは29歳なのか。

僕は3歳だ。

新宿の、戸山ハイツに居た頃。

 

 

 

1969年の ライヴ・ピース・イン・トロント。感慨深い。

 

 

 

 

 

 

画像は、僕が今でも後生大事に持っている

ライヴ・ピース・イン・トロントのLPレコードのジャケット。

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波乱と混乱と戦乱の。

2022-12-14 20:43:42 | Weblog

言葉とは素晴しいものである・・・のだが

その反面、といったものも存在する。

「クチは災いの元」でもあるのだ。

 

余計なことを言ってしまったり、

心にもないことを言ってしまったり、

上手く言えないのに言葉にしてしまったり、

衝動的にひどいことを言ってしまったり、

言い過ぎてしまったり、

心の奥底にあったことをはずみでついつい言ってしまったり、

言葉足らずだったり、

「語るに落ち」てしまったり、

うっかり陰口を叩いてしまったり、

言わなきゃいいようなことを言ってしまったり、

口先だけ・・・・・になってしまったり、

出来もしないキレイごとを口にしてしまったり。

言ってはいけないことを言ってしまったり・・・・・・・・

その他もろもろ。

 

年末はいつも、

いろんなことが上手く行くといいな、と思う。

来年になれば、様々なことが全部解決してればいいな、と。

 

でもいつも年が明けても、そんな風にはならなくて

年を経れば減る程、

混乱が増して行くようなことだって数多く存在する。

 

ほんの少しは成長もしている自分もいるのだが、

その分だけ老いた自分もいたりして。

 

でも なるべくなら物事の明るい面を見ながら、

前向きに生きたい、と思うのです。

 

 

波乱と混乱と戦乱の2022年も、あと半月で終わり。

 

 

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2022年の12月8日に。

2022-12-08 21:31:21 | Weblog

相変わらず昼間はトラックに乗って仕事してて、

でも「音」に食傷気味なところがあって・・・・・・・

無音のままで運転してることが最近は多かったのだけれども、

今日はジョンレノンの命日で同時に、パールハーバー攻撃(日米開戦)の

忌むべき記念日なので僕は

一日、ラジオをつけていたのだが

結果、「ハッピークリスマス」が一回、流れただけだった。

パールハーバーの件については誰一人、何ひとつ、言わなかった。

・・・・・・・・・・・・ちょっと虚しい。

ま、FMラジオなんて相対的にそんなもんかね。能天気だから。

AMならもうちょっと・・・・・違うかも。

 

ところで、

ジョンの死、という事件があった時僕は多分中学二年生で、

子供だから何か今一つピンと来なくて、

でも後になって思ったのは、

人が射殺される、というのは余りにも・・・・ひどすぎる、ということだ。

「無茶苦茶」の極みだ。そして「傲慢」の極み。

それ(殺された人)が愛する人なら尚更なのだけれど、

・・・・考えてみたら真珠湾では多くの人が射殺された。

広島・長崎ではもっともっともっともっと多くの人々が「爆殺」された。

 

何が言いたいかというと、

人の死の「痛み」を忘れるべきではない、ということだ。

 

僕はアベシンゾウという政治家がとてもとても嫌いだったのだけれど、

彼が射殺された時には心の「痛み」を感じた。

少なくとも彼はあんな風に死ぬべきではなかった。

もっと「罪」や、「嘘」を追求されるべきだったのだ彼は。

 

 

暴力では何も解決しない。

力ずくでは、何も変えることが出来ない。

「無理が通れば道理は引っ込む」というのは嫌な真理だが、

そもそも、無理なんか通してはいけないのだ倫理的に。

 

 

12月8日のラジオは毎年、朝から晩まで

ジョン・レノンの歌を流してほしい。

 

「反戦」「非戦」「平和祈願」の歌を。

 

「愛」に関する歌を。

 

 

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我々はたどり着く(2023年1月8日は中津で会おう)。

2022-12-06 20:18:54 | Weblog

コロナ禍は我々にとって、

延々と続く、冷たい 冬の嵐のようなものだった。

ずいぶんずいぶん長かった気がするが、

それも終わりかけの今日この頃、

気が付けば何とかツブされずに我々は、生き延ることが出来た。

幸いなことにバンドは健在である。

 

我々のごごときバンドというものの存在はとても朧気(おぼろげ)で、

すごく危ういものでもある。

風に飛ばされる種子のごとく。

厳然と「ある」と言えばあるのだが、いつ消えてもおかしくない。

「バンドの存在」というものはいつもいつも、とても不確かなものである。

 

どんな「バンド」でもそうだが、「実体」を持たない、幻影のようなものなのだ。

ただの「不確かなエネルギー体」とでも言うか。

 

そんな我々が

どのようにして存在証明をするか???というと、

当たり前のようだが「ライヴ」を実現させることである。

それが一番早い。

ライヴをやっている瞬間は確実に「バンド」は存在する。

 

しかしそれも昨今、そんなに簡単なことではない。

 

あれや、これやを超えて、スケジュールを二転三転させて、

不義理をして、いろんなことを捻じ曲げて、

とにかく「やる」という意志のもとに「ライヴ」にたどり着く。

 

逆に言えばもう、そのようにしてしか

「ライヴ」にたどり着くことは出来ないのだ。

 

そんな風な、気の遠くなるような道程を経て、

来年1月のライヴが決まった。

今から言うから聞いてくれ。

 

2023年1月8日(日曜日)

場所は 大阪・中津・VI-Code

ジミープロジェクト「BACK  TO  EGG」

 

OPEN18:30  START 19:00

 

前売り3000円  当日3500円(共に1ドリンク代別途)

ツイキャス配信2500円

 

出演

 

gangstars

 

ROCA’66

 

 

 

ひとつひとつのライヴを大事にしよう、と

近年は切に思っている。

昔みたいに滅茶苦・・・・・・いや、昔話は止めよう。

我々は現在に生きているのだ。

それは、そのことだけでスゴイことだ。

そしてありがたいことに、音を出せるのだ。

 

見渡せば、戦争とか戦争とか侵略とか汚職とかヘイト議員とか戦争とか

金持ち優遇とか消費税増税案とか戦争とか戦争とか・・・・・

ひどすぎる、クソみたいなことが多いが、

それでも僕は「世界は素晴らしい」と思いたい。

 

 

まだちょっと先だけど来年一月、ライヴで、ライヴハウスで会おう。

 

 

 

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成長するっていうこと。

2022-12-04 20:18:46 | Weblog

ここ最近、トラック仕事で

随分若い同僚と一緒に働いていたのだ。二十歳そこそこである。

僕から見たら「孫」までいかないとしても

ほとんど「息子」みたいな年齢だ。あ、僕に子供はいないのだが。

それで、色々新鮮で面白かった。

何しろ、様々なことを「知らない」のだ。

県道(府道)、国道、の区別を知らないし、

国道1号線、2号線のことを知らないし、

「太陽の塔」のことも知らない。もちろん1970年に

吹田で大阪万博が開かれたことも知らなかった。」

他にもいろいろあって、「え?これも知らない?」と何回も驚いた。

何しろ会話の途中で、(用語が通じないせいで)何回も引っかかるのだ。

新鮮な驚きだった。

でも言っておくが「知らない」からといって

それで馬鹿にしているわけではない、当たり前だが。

僕だって考えてみたら20歳の時には

県道も、国道のことも何一つ知らなかったし、太陽の塔は知っていたが

万博のことは知らなかったと思う。

税金、年金のことも何一つ知らなかったし、

様々な社会制度のことも知らなかった。選挙にも行かなかった。

礼儀もなってなかった。

 

人間って本当に、長い時間をかけて学習しないと「大人」になれないのだ。

 

僕はもういい年になってしまったけど、

それでも、今でも「世界」のことをほとんど理解していない。

例えば経済に関することとか、全然無知である。

ナスダックとか日銀とか株価とか・・・ちんぷんかんぷんだ。

政治のことも・・・・わかろうとはしてるのだが、

実は何にもわかってないのだろうと思う。

 

 

その年若い同僚の男の子は事情があって、

今月で辞めてしまうのだが、彼に幸あれ、と願うだけである。

 

僕の見えないところで彼は今後、

色々なことと戦い、成長していくのだ。

 

がんばれよー。

 

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生死について。

2022-12-04 19:24:23 | Weblog

ジミ・ヘンドリックスの死因は、

「ドラッグと大量飲酒による睡眠中の嘔吐による窒息死」

というのが公式な見解であるはず。

だが、

意識を失ってる中で誰かに大量に無理やり大量飲酒させられて

それで(嘔吐して窒息して)死んだのだ、という説が近年浮上しているそうだ。

さもありなん・・・・

当夜の現場を知っているはずのガールフレンド(有名なグルーピー)は

証言を拒否しているし、

これは殺人説の方が信憑性が高い気がする。

 

「誰かの死」って、しかし、ジミヘンじゃなくてもその真相はわからない。

 

ブライアン・ジョーンズだって「俺が殺した」と、

自身の死の直前に言い残した男がいて、映画ではそうなっていたし、

ジム・モリソンの場合も、彼の遺体を(奥さん以外は)誰も見ていないのだ。

ジャニスの死も、オーヴァードーズと言われているが

ジャニスの死んだ晩(の推定死亡時刻付近)に、

元気に煙草(か何か)を買いに行ってる彼女に

会った人がいる。単純にオーヴァードーズではない可能性がある。

 

ロックスターの死は不可解なものが多い。

カートにしたってそうだ。「殺された」説が後を絶たない。

カートの場合は本人が自殺願望を持っていたのは事実なのだとしても。

 

日本の、HIDEくんの場合だって、真相はわからない。

ディディの村上くんの場合だって。

本当のことは当時、間近にいた人にしかわからないのだ。

いや、間近にいた人にもわからないのかな。

本人にしか、わからないのだろう真相は。

 

でも、例えば癌で何年も闘病した人の死は、

それはそれで受け入れなければ、と思う。

それはその人が闘病したことに対する敬意みたいなものだと思う。

医療で癌から生還した人は多いし、

考えてみたら僕だってバイク大事故の際、

医療がなければ多分失血で、そのまま死んでいたのだ。

 

交通事故での死も、

現場検証とかがちゃんとされている場合は疑いようがない。

それは「タイミング」でしかないのかもしれない。

1秒、いや、0.01秒ずれていたらその事故は起こらなかっただろうし

・・・・そう考えるのは虚しいが、でも本当に

「人の生死」って様々だなあ、という感慨を深くする。

 

でも、生きるのは大変だ・・・・という言い分もある。

 

生き続けるのは、簡単なことではない。

どんな人だって、

程度の差こそあれ、何かしらの「我慢」をしながら生きてるのだ。

ロックスターだって、

低賃金長時間労働でヒィヒィ言いながら生きている僕だって。

 

なるべくなら、

生きることを楽しみたい、と僕は思う。

 

失ったもののことより、得たもののことを思いたい。

 

手に入らなかったものに悔やむより、与えられたものに感謝したい。

 

 

そしてまだまだ「学んで」「学習して」「経験して」「転んでも立ち上がって」、

そのことによって

自分自身が強く(優しく)なれるのだ、と信じたい。

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12月

2022-12-01 20:30:21 | Weblog

ついに

12月が到来してしまった

いや・・・・・12月に到達してしまった と言うべきか。

昨日まではまだ「過渡期」だったのだ、確かに。

バシッと、まるで映画のフィルムが上映中に突然切れたみたいに

過渡期は終わり、僕は後戻りできずに12月の朝の中に居る。

 

これでいいのか、悪いのか、僕には判別がつかない。

多分・・・良くも悪くもないのだ、いつものごとく。

失われたものは失われたものとして僕の中で理想化してゆき、

まだ失われていないものは厳然と、そこにあるように見える。

目に見えるものが全てではない、とは言え

我々人間は感覚のほぼ90%を視覚に頼っているのだ。

・・・・・ふむ。

 

そんなことより、このあとどうするか?という問題だ。

 

座して待つか、前に進むか。

前に進むぞ、と思ってAのドアから出発した一瞬後に

Bのドアから「待ち人」が入って来る、という可能性も・・・・・

もちろん、ある。

すれ違い というヤツで、世の中、そーゆーことは多いのだ。

 

ならばいっそ何もせずに

棚からぼた餅が落ちてくるのを待ちながら一生を過ごすのか?

そんな人生も悪くはないかもしれない。

 

でも我々は悲しいかな「動物」なので、

宿命的に遺伝的に先天的に、動かざるを得ないのだ。

 

まるで動くために生まれて来たかのように。

それはそれで・・・・・それも良かろう。

 

 

でもちょっと疲れるな。

 

 

12月なんてどう足掻いても、忙しない(せわしない)月で、

人々の流れの中に僕なんか埋もれて埋もれて埋もれて、

 

 

しまいには息も絶え絶えになるのだ。

 

 

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