福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

企業不正2017(1) 個人のアイデンティティ、道徳心は企業の中では不要になる??

2017年10月29日 18時11分12秒 | 時事問題 社会問題
 大企業、一流企業の不正が次々と明らかにされている。企業不正の裾野はどこまで広がり、いつまで時をさかのぽるのか。この情報化の社会、学ぶ機会は数あるはずなのに、企業人には「他山の石」、「対岸の火事」の論理は通用しないのか。

 今年になってから日産自動車、神戸製鋼所、スバルの不正も明らかになった。ちょっと時を遡れば、東芝、三菱自動車、VW、スズキ、タカタ、化血研、旭化成杭打ち問題、廃棄カツ横流し問題・・・と私の蓄積した情報ファイルを開くとすぐに出てくる。

 日産自動車、神戸製鋼所、スバルなどの場合は不正の結果は国内外に及ぶ。これらの企業では30年以上前からの不正もあり、組織ぐるみの疑いが強い。

 企業不祥事が起きると、経営陣が何らかの責任を取り、再発防止策がつくられる。でも、神鋼の場合には1999年以降、不祥事を繰り替えしていた。
 どこも法令順守、企業統治の重要性は分かっているはずだし、態勢も整えてきただろう、と思う。別企業の例などから学ぶ機会もあったはずである。それでも不正が絶えない。企業人はバカか??バカとは言えなくても何かが狂っているとしか言えない。

 企業不正を語るに当たって、組織の問題点を明らかにすることは勿論当然だが、企業人個人の心理も分析する必要がある。
 企業のお偉方といえ、私人としては道徳心もあり、倫理観もある、よき父、よき夫のはずである。それが、企業の中では変身してしまうと考えざるを得ない。

 企業経営ではまず伝統的な経済学理論が重視されるが、行動経済学では人の経済活動での感情や心理が分析の対象となる。

 「自らが不正をしても直接自分が利益を得るわけではない」という考え方がある。だから不正に関わっても後ろめたさは乏しくなるだろう。
 「上司や同僚もやっていた、だから良いのだ」、と他人の不正を看過する。これは複数の部署、管理職が関わっている場合に当てはまる。看過して何も言わない、は道徳心の域値を下げる原因となる。
 「人は疲れが蓄積した時、壁に当たった時に不正に手を染めやすい」、とも言われる。

 では、どんな対策が有効なのだろうか。この分野では人の感情や心理が対象となるから一見非科学的となる。

 「仕事前の朝礼で皆んなで社是を口に出す」、立ち小便に悩む住宅では鳥居のミニテュアや絵を張り出すのが効果的だったという。
 それに似たような効果なのか、会議室の長押に歴代社長の肖像を飾る、なども有効であった。見られている、という心理が行動にブレーキをかける。昔は「お天道様が見ているよ」と言われるたびに私は大きなプレッシャーを感じたものである。

 ちょっとした誘惑が不正ヘの抵抗を鈍くさせる。人間は弱いのだ。本人は「これぐらいなら」という思いだったとしても、その小さな弱さの積み重ねが、大きな会社を危うくする。
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