福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

日本の人口問題2024(2) 来なかった第三次ベビーブーム この時代社会に何があったのか??

2024年02月02日 11時04分49秒 | 人権問題
 変容する日本社会、特にバブル崩壊後の経済の変化は、日本型雇用制度の消滅、出生行動の変化をもたらし、出生率に大きな影響を与えた。
 その結果、2000年前後に来るはずの第三次ベビーブームは来なかった。

(1995年から2013年の間に3番目の出生数のピークが来るはずであったが・・・)

 この間に社会が大きく変化した。

 1980年代以降進行してきた 「家族の変化」 は、単身者など生活上のリスクを抱える多くの人々を生み、さらに、1990年代後半から深刻化した「雇用システムの変化」 は、 企業が従業員の生活全般を支えるという「日本型雇用慣行」を消滅させ、職場から生活保障が受けられない非正規雇用を増加させた。

 そして、これらに伴う低収入による生活基盤の不安定化が、就職、結婚、出産の時期にあ若い世代に大きな影響を与え、 未婚率の上昇という形で「晩婚化」、さらには両親と同居のまま「非婚化」現象をもたらした。その結果、出生率が過去最低にまで落ち込んで行った。

 日本の人口構成で見ると、戦後の1947年前後の第一次ベビーブームは年間250万人以上の出生数に達し、一つの大きな集団を形成していた。

 その第一次ベビーブーム世代の子どもたちが中心となって、1970年代前半に年間200万人に達する第二次べビーブーム世代が形成された。この二つの人口の塊が、日本総人口を引っ張ってきた。
 
 しかし、1995年から2013年の間で来るものと期待された「第三次ベビーブーム世代」の到来がなかったことである。

  晩婚化や非婚化の流れは1980年代以降強まっていたが、1997年以降の経済低迷に伴う厳しい環境は、ちょうど就職、結婚、出産の時期にあった世代に決定的な影響を与えた

 これが、晩婚化に追い打ちをかけ、2005年には出生率は過去最低の1.26にまで落ち込んだ。それでもその頃は出生数はまだ120万人であった。 

 我が国の「人口減少」は「家族」の変化と「雇用システム」の変化の行き着く先として生じたであった。

 したがって、我が国の人口減の対策はこの2点に関連したものでなければならない、ということななる。極めて大きな困難を伴うものとなる。

 2022年の出生率は2005年と同じ1.26、出生数は史上最低の77万人であった。


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全国高校駅伝大会を見た 東京五輪の円谷の姿を彷彿させたデッドヒート

2023年12月24日 05時08分41秒 | 人権問題
 NHKラジオ日曜の朝は8:00「音楽の泉」、9:00「日曜討論」と進む。後者は今朝は人口減少問題を取り上げた。10:00「こども電話相談」の予定で毎週楽しみにしているのだが、本日の「こども電話相談」は全国高校駅伝のためになかった。
 
 TVに切り替えて観戦した。特に目当ての高校や選手などはなかったが、高校生たちが力を出し切って走る姿には目を惹きつけられる。

 優勝候補の仙台育英は2区でトップに立ち第4中継所で2位の立命館宇治に30秒、3位の神村学園には1分20秒差をつけていた。そのまま逃げ切るかとと思われていたが、神村学園のアンカー、Cカロラインが力強い追い上げを見せ、競技場のトラック上でラスト100mで首位を奪う劇的な展開となった。
 
 素晴らしい勝負が展開された。
 私は1964年(昭和39)東京五輪の最終日、浪人中でほとんどTVは見れなかったが、最終日の男子マラソンは観た。優勝はエチオピアのアベベであったが、円谷は最後の国立競技場のトラック上でイギリスのヒートリー選手に抜かれたものの、第3位の栄冠を獲得した。
 私は今日の駅伝を見て東京五輪の最後のデッドヒートのシーンを思い出し、円谷の時と同様の感動を覚えた。

 仙台育英のアンカーの選手は大きなショックを受けたであろうが、彼女の走りも立派で、彼女が果たした役割は大きかった。しかし、1分20秒差を追い上げ、追いついたCカロラインの想定外の持久力、最後のスパートは驚くべきものであった。私は両人を称えたい。
 
 ただ、残念なことに全国高校駅伝競走大会の実行委員会は24日、来年の大会から男女とも外国人留学生の起用を最短距離の3キロ区間のみに制限すると発表した。外国人留学生はこれまで最長の1区(男子10Km、女子6Kmを除いて起用できたが、来年の大会から、留学生が走れるのは男子が2区か5区、女子は3区か4区の3Km区間に限られることになった。

 今回の決定に先立ち、都道府県高校体育連盟の陸上関係者に意見を求めるアンケートを実施したところ、留学生の区間制限に過半数が賛成した、という。ちょっと甘くはないか??

 私は優れた選手が勝つのは当然と思うから、外国人留学生の出場人数の制限はやむを得ないとしても、他の部分に制限をかけるのは不公平と思う。

 それも、劇的な勝負を展開した本日の感動が冷めやらぬうちにこの決定が発表されたことに、大会関係者の配慮のなさが見て取れる。
 嫌な気分も味わった。

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季節の話題(21) 忘年会に代わる福引大会 

2023年12月23日 13時26分49秒 | 人権問題
 昨日22日は中通リハビリテーション病院内福引大会であった。

 COVID-19流行以前は年末には秋田地区の病院関連施設を中心にホテルの宴会場で忘年会ならぬ「年末大交流大会」が催されていたが、それ以降は開催されていない。

 私は法人に勤務してもう38年になるが、忘年会に出ると「その年のことを忘れてしまうから勿体無い」、という理由で法人の秋田地区の忘年会には1-2回しか参加しなかった様に思う。

 院長の時は医師の派遣をお願いしている大学の医局の忘年会が10回ほどありこちらの出席は立場上欠かすことが出来なかったから結構多忙であり、私の記憶も出席のたびにすっかり飛んでしまった。

 その後、中通総合嘱託になってからの様子はわからないが、COVID-19以降は代わりに各病院や施設ごとに小さなイベントが模様されていた様である。

 今年4月から中通リハビリテーションの嘱託になって初めての年末である。この病院では忘年会の代わりに「院内福引大会」が行われている、という。
 資金がどこからなのかわからないが、景品の一位は象印の「超高級炊飯器」、二位が掃除ロボットの「ルンバ」、三位は・・・、以下順次
、「秋田こまち5Kg」、「巨峰セット」・・・などと続いていた。
 私どもも景品の供出を求められ、詳細不明なので辛子明太子のセット(五千円相当)を十本供出した。

 当日、私にとって初めの行事で詳細不明なので17:00からの抽選会に出席してみた。会議室で院長が全職員の名前を書いた券を引くといういうもの。その状況はZOOMで各職場に中継され、当選者が受け取りに来る、という形態。なかなか楽しげで、当選者は三々午後当選した景品を取りに会場に来ていた。

 私は生きる上では運のいい男だ、と自認しているが、このようなイベントでは運はとても悪い。大当たりして喜んだという記憶はほとんどない。

 今回も同様であった。大好物の辛子明太子を一本くらい回収できないかと意気込んではいたが、18:00最後のくじ引きでも当たらなかった。

 この福引大会は、当選者はさることながら全職員が楽しみにしていたことが感じられ、いい気分で終了した。
 いい行事であった。
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日米開戦82年(5) 大戦前史(4) 日露戦争(1) またも朝鮮半島問題 悲惨な戦争であった

2023年12月12日 07時02分26秒 | 人権問題
 日清戦争(1894年-1895年)に続いて 日露戦争(1904年-1905年)がおきた。この戦争も問題は朝鮮半島であった。

 日本は日清戦争で中国(清国)を朝鮮から押し返したが、今度はロシアが、満州から朝鮮に向かってきた。

 ロシアが朝鮮半島をとってしまったら、日本はとても独立を守れない。もしもこの時点で、日本がロシアと戦争をしていなければ、朝鮮半島はロシア領になっていただろうし、日本もロシアの属国になっていただろう。

 実際に、ポーランドやフィンランドといった、ヨーロッパでロシアと国境を接していた国は、みんな併合されたり、属国にされたりしていた。

 だから、日本が独立を保とうとすれば、絶対ロシアの南下を防がなければならなかった。

 西洋の国は、ひとたまりもなく日本が負けると思っていた。

 ロシアは当時、イギリスの植民地であるインドも狙っていたからイギリスと鋭く対立していた。

 イギリスと日本が日英同盟(1902年)を結び、ロシアと戦ったのが日露戦争だった。直接戦ったのは日本であったが、イギリスはさまざまな形で、日本をサポートした。大国ロシアを相手に悲惨な戦争となった。日本は国力の100%を出し切ってしまったが、なんとか日本はロシアに勝った。戦いが長引いていたら、日本は確実に敗れたことだろう。

 ポーツマス講和会議
 ロシアの満洲・朝鮮からの撤兵という日本がそもそも日露戦争をはじめた目標を実現し、新たな権益を獲得して強国の仲間入りを果たした。ロシア側は賠償金支払いなしの合意を日本から取り付けた。
 講和内容の骨子は、以下の通りである。
―――――――――――――――――――――――――――-
(1)日本の朝鮮半島に於ける優越権を認める。
(2)日露両国の軍隊は、鉄道警備隊を除いて満洲から撤退する。
(3)ロシアは樺太の北緯50度以南の領土を永久に日本へ譲渡する。
(4)ロシアは東清鉄道の内、旅順-長春間の南満洲支線と、付属地の炭鉱の租借権を日本へ譲渡する。
(5)ロシアは関東州(旅順・大連を含む遼東半島南端部)の租借権を日本へ譲渡する。
(6)ロシアは沿海州沿岸の漁業権を日本人に与える。
―――――――――――――――――――――――――――-
 ロシアでは戦争継続の主張も少なくなかった。日本は賠償金の放棄で世論の不満が高まったが、両国とも1905年10月に批准し、成立した。

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卵 たまご タマゴ(6) 鳥インフで供給減少、卵の値段崩壊した2023年春

2023年11月24日 17時49分11秒 | 人権問題
 高病原性鳥インフルエンザ(鳥インフ)の流行は全世界で生じている。
 我が国で卵の不足や値段の高騰などを引き起こした鳥インフの流行期は10月-3月で、今春ひとまず収束した。

 2022年10月に始まった今季の鳥インフの感染拡大で、殺処分された鶏の数は過去最多の約1.771万羽、全数の8%にのぼった。とくに採卵鶏を育てる農場で多発し、卵の供給が大幅に減少した。

  スーパーで値段が上がり、外食店が卵を使うメニューをやめるなど影響が広がった。

 養鶏場の防御措置が終わってから一定期間新たに発生しないと、国内の農場にウイルスがなくなったことを意味する「清浄化」 を宣言できる。 農水省はこの国際ルールに基づき、6月20日に清浄化を宣言した。

 課題は今後の感染拡大の防止。 
 鳥インフのウイルスは渡り鳥が秋ごろに運んでくる。飛来を止めるのは不可能なので、養鶏場にウイルスが侵入するのをいかに防ぐかが重要になる。

 現行制度では、鳥インフが発生した農場のすべての鶏が殺処分の対象になる。今期の流行では一箇所で100万羽を超す鶏が殺処分になったケースもある。養鶏業は徐々に大規模化しており市場に与える影響は無視できない。実に無駄、勿体無いが、ウイルスを増やさないためには現状では止むを得ない。

 農水省が検討しているのが、養鶏場の「分割管理」の導入。 養鶏場を複数の区域に分け、人や車両の移動を厳しく制限して一全体に感染が広まるのを防ぐ。 これにより、殺処分の対象鶏を感染が発生した区域に留めることが可能になる。

 「物価の優等生」といわれた卵の価格の安定は、農場の大型化と円高による安価な飼料の輸入が支えてきた。 規模拡大による効率化にブレーキをかけないためにも、新しいルールのもとで衛生管理を徹底すべきだろう。

 一方、飼料に関しては国産比率を高めることで、価格の変動を抑えることが求められている。 酪農も含めた畜産全体の経営を安定させるため、家畜飼料を国産化し、国際相場の影響を和らげる努力が欠かせない。

 今年も鳥インフの発生期に入った。今年の動向が注目される。
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