ここ3-4週間ほどまとまった降雨がない。かつ、秋田も35℃をこす猛暑が続いた。鉢植えやプランターの花、花壇の木々や花、成長盛りの畠の作物は簡単に水不足状態に陥る。だから、朝夕の水撒きは欠かせない。しかしながら私に時間の余裕がなく給水、散水は朝のみにしていた。
毎日細かく観察していれば彼らが水をほしがっていることは一目瞭然である。飼い犬が主人に散歩を求めてくる様に、植物たちは私に水を求めてくる。いても立ってもいられなくなるのだが、如何せん対応できないこともある。
今夏も鉢植えの花のいくつかを枯らしてしまった。
目が届かずに水不足にしてしまったからで、生きながらドライフラワーにした。辛かっただろう。
先日それらを鉢から外し、洗浄した。小さな鉢の中は隙間がないほど細かく、かつ、複雑に根が張り巡らされ、鉢の形を保ってなかなか崩れない。その一部の根を伸ばして見たら鉢の深さの10倍はありそうである。狭い鉢の中にこれだけの根が張っているということは旺盛な水の吸収のためであることが予想できる。
この水を求める根の様子を見て、私は小さく狭い鉢に草木を植えるのは人間のエゴと悟った。それで、最近では鉢のサイズを次々に大きめのに移し替え、花々に余裕を与えている。
(左 狭い鉢で数年間見事な花を咲かせたアマリリス
右 今夏3株に分割し余裕を与えた 心なしか葉が伸び伸びしている様に思える)
夏の暑い日、人は日差しを避け、扇風機やクーラーで身体を冷やすが、炎天下でも植物たちは強い太陽を浴びながら耐えなければならない。茎や葉は触ってみてもそれほど熱くなっていない。これは実に不思議なことだと思っていた。
それには温度調節に私の知らないメカニズムがあった。
植物の体温調節は水が豊かでないときは葉をすぼめて受ける太陽光を少なくし、水が豊かなときは大量の水を体表から蒸発させてその気化熱で体温を調節しているという(甲南大学教授 田中修氏による)。
炎天下で植物たちが元気をなくすのはすべて水不足と思っていたのであるが、確かに水を与える前に独りでシャンと葉の張りが戻っていることもあり、自己防衛のためにあえて葉を萎れさせていた、と理解した。
私は植物が水を求めるのは体内に水を満たし張りを維持するすため、と思っていたが内部環境を守るために大量の水を蒸発させていた。植物たちは私が思っていた以上に多くの水を求めていた。
それを思い知ったのは2010年頃庭で「ハス」を育てていた時であった。
こまめに水管理をし丁寧に育てていた。葉は驚くほど、1m以上の長さにまで成長した。7月下旬、元気な花芽が数本姿を見せた。
2010年7月27日(土)は飯川病院の日当直で11:00頃から翌日10:00過ぎまでほぼ24時間留守にした。その日は30度を超す暑い日であった。帰ってみると「ハス」の葉の大部分が萎れて元気がなくなっていた。いつも水を満たしていた鉢のも干上がって土が固くなっていた。その後連日十二分に給水し続けたが、一月ほどで枯れてしまった。まる一日、22時間ほど給水しなかったことで干上がったのは予想外であった。
「ハス」は池や沼に生育する花であることは、大量の水が必要なことを示している。
ヒトは自然の摂理を無視して自分のために不自然な小さな環境で植物を育成する。動物のペット化もそうであるが、私どもの自己満足のために、である。このことの問題点、罪深さを勉強させてもらった。
生涯にわたって世話が必要なのはペットも鉢植えの草木も同じである。