国は少子化対策として出生率向上を問題にしてきた。
若い女性の数が少なくなった現在、出生率の目標値をあげるならば2.0以上に設定しなければならないが、事実上不可能な数値である。
出生率でなく出生数を目標に掲げた秋田県の少子化対策の方が理にかなっているが、ここに至ってはやはり実現不可能である。
何で人は子供を産むのか?何で産まなくなったのか?人口問題はそこから考えなければならない。
わが国の人口問題の推移を思いつくまま挙げてみる。
―――――――――――――――-------------------------------------------------------------------------------―――-
▪️人類は生物としての繁殖能・種の保存能のもと、新生児多死の時代を多産で乗り越えてきた。
▪️社会化と共に、種族・部族の維持繁栄のため多産傾向が一層強まる。農耕文化の発展とともにマンパワーが必要になった。
▪️蓄財が始まり、貧富差が生じた。血筋を重視した家族、家の概念が生じた。上層階級は血筋維持重視となり、下層階級は労働力としてマンパワーが必要となった。
▪️明治以降は富国強兵策を掲げ、国家による意図的な出産・育児・教育政策が画策され、人口が急激に増加した。農業生産力の増大、工業化による経済発展と国民の所得水準の向上と生活の安定、公衆衛生水準の向上等で、人口は増加の一途となった。
▪️国は、人口問題を抱え、将来は経済的に窮乏していくと考え、外に食料、エネルギーを求める大東亜共栄圏構想を打ち立てた。しかし、実現はできなかった。
▪️戦後、従来の価値観の否定と民主化があった。第一次ベビーブームが起こり、朝鮮特需で落ち込んでいた経済は急速に復興を遂げた。
▪️ベビーブームによって生まれた子どもは10歳程度でも労働力となり家庭を支えた。中学卒業後は田舎から都会の工業地帯に大量就職した。日本経済を支え、仕送り等で田舎を潤した。この頃は子供が多い家庭ほど親にとって見返りがあった。
子供一人あたりの養育期間は15年間程度と短かった。
▪️日本は高度成長期を迎え、国民全体が経済的に余裕が生じた。家庭内の人間関係は変化し、より孤立性となる。子供は高校進学が当たり前となり、家庭内での労働力として当てにならなくなった。子供達は家の手伝いもしなくなった。
子供の養育期間は18-19年程度。
▪️子育ては夫婦単独で、主に母親が担う。社会資源が乏しい中、妊娠・出産・子育、教育を含め、女性・母親の負担が増大。成長とともに教育費の負担が増大した。大学進学率は高まり、塾や予備校も含め教育費は子育て費用の中心となる。子供は1-2人程度。教育費の一部にするために母親がパート勤務などに出るようになった。出生率は1.3程度で改善なし。
子供一人あたりの養育期間は22-24年程度と延びた。
▪️子供は結婚を機に親と別居。家庭が持っていた養育・介護、世代間の生活協力等の機能が崩壊。子供から親に対する経済的援助は期待できず。親にとって子育ては無償の労となった。
▪️日本経済は低迷。今後も、長期的には低成長時代を迎える。低成長時代の背景には少子・高齢化の果たした役割は小さくなかった。
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この少子・高齢化の現実は文明がもたらす自然の摂理である。時代が悪い、世の中がおかしい、と言っても仕方がない。まず。現実を認め対策を考える必要がある。
日本の将来に向けての国力を維持するには人口減問題にどう対処するかにかかっていた。人口問題に詳しい有識者達は半世紀も前から将来の日本の姿を予想し、主張していた。
しかし、その声は小さく時の政治家達には伝わらなかった。
日本は右肩上がりの成長をなしとげ、経済的・物質的豊かさを享受して来た。
日本の将来に少子・高齢化がからんでいたのに、為政者たちはその自覚は乏しく、不可逆的事態を迎えてしまった。
子育て世代に対する社会保障の重要性が認識されて、慌てて視点を移し始めたのはここ1-2年であるがそんなことでは出世率は改善しない。
日本人の日本人による人口維持能力は、出産可能女性の絶対数が減少してしまった今となっては、すでにその機会は失なわれてしまった。
改善策は、国内にはない。移民に対する捉え方にかかわっている。
移民政策は、島国日本の文化にとって文化の崩壊につながりかねずなかなか踏み切れない問題であるが、人口問題に関しては忌避してはいられない重要課題である。
若い女性の数が少なくなった現在、出生率の目標値をあげるならば2.0以上に設定しなければならないが、事実上不可能な数値である。
出生率でなく出生数を目標に掲げた秋田県の少子化対策の方が理にかなっているが、ここに至ってはやはり実現不可能である。
何で人は子供を産むのか?何で産まなくなったのか?人口問題はそこから考えなければならない。
わが国の人口問題の推移を思いつくまま挙げてみる。
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▪️人類は生物としての繁殖能・種の保存能のもと、新生児多死の時代を多産で乗り越えてきた。
▪️社会化と共に、種族・部族の維持繁栄のため多産傾向が一層強まる。農耕文化の発展とともにマンパワーが必要になった。
▪️蓄財が始まり、貧富差が生じた。血筋を重視した家族、家の概念が生じた。上層階級は血筋維持重視となり、下層階級は労働力としてマンパワーが必要となった。
▪️明治以降は富国強兵策を掲げ、国家による意図的な出産・育児・教育政策が画策され、人口が急激に増加した。農業生産力の増大、工業化による経済発展と国民の所得水準の向上と生活の安定、公衆衛生水準の向上等で、人口は増加の一途となった。
▪️国は、人口問題を抱え、将来は経済的に窮乏していくと考え、外に食料、エネルギーを求める大東亜共栄圏構想を打ち立てた。しかし、実現はできなかった。
▪️戦後、従来の価値観の否定と民主化があった。第一次ベビーブームが起こり、朝鮮特需で落ち込んでいた経済は急速に復興を遂げた。
▪️ベビーブームによって生まれた子どもは10歳程度でも労働力となり家庭を支えた。中学卒業後は田舎から都会の工業地帯に大量就職した。日本経済を支え、仕送り等で田舎を潤した。この頃は子供が多い家庭ほど親にとって見返りがあった。
子供一人あたりの養育期間は15年間程度と短かった。
▪️日本は高度成長期を迎え、国民全体が経済的に余裕が生じた。家庭内の人間関係は変化し、より孤立性となる。子供は高校進学が当たり前となり、家庭内での労働力として当てにならなくなった。子供達は家の手伝いもしなくなった。
子供の養育期間は18-19年程度。
▪️子育ては夫婦単独で、主に母親が担う。社会資源が乏しい中、妊娠・出産・子育、教育を含め、女性・母親の負担が増大。成長とともに教育費の負担が増大した。大学進学率は高まり、塾や予備校も含め教育費は子育て費用の中心となる。子供は1-2人程度。教育費の一部にするために母親がパート勤務などに出るようになった。出生率は1.3程度で改善なし。
子供一人あたりの養育期間は22-24年程度と延びた。
▪️子供は結婚を機に親と別居。家庭が持っていた養育・介護、世代間の生活協力等の機能が崩壊。子供から親に対する経済的援助は期待できず。親にとって子育ては無償の労となった。
▪️日本経済は低迷。今後も、長期的には低成長時代を迎える。低成長時代の背景には少子・高齢化の果たした役割は小さくなかった。
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この少子・高齢化の現実は文明がもたらす自然の摂理である。時代が悪い、世の中がおかしい、と言っても仕方がない。まず。現実を認め対策を考える必要がある。
日本の将来に向けての国力を維持するには人口減問題にどう対処するかにかかっていた。人口問題に詳しい有識者達は半世紀も前から将来の日本の姿を予想し、主張していた。
しかし、その声は小さく時の政治家達には伝わらなかった。
日本は右肩上がりの成長をなしとげ、経済的・物質的豊かさを享受して来た。
日本の将来に少子・高齢化がからんでいたのに、為政者たちはその自覚は乏しく、不可逆的事態を迎えてしまった。
子育て世代に対する社会保障の重要性が認識されて、慌てて視点を移し始めたのはここ1-2年であるがそんなことでは出世率は改善しない。
日本人の日本人による人口維持能力は、出産可能女性の絶対数が減少してしまった今となっては、すでにその機会は失なわれてしまった。
改善策は、国内にはない。移民に対する捉え方にかかわっている。
移民政策は、島国日本の文化にとって文化の崩壊につながりかねずなかなか踏み切れない問題であるが、人口問題に関しては忌避してはいられない重要課題である。