福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

展覧会2017(8) 県立近代美術館「明治工芸至宝展」 明治近代化に貢献した

2017年10月27日 06時01分29秒 | コラム、エッセイ
 本日、10月27日、大曲中通病院外来の業務終了後、横手に足を伸ばし秋田県立近代美術館を訪れた。昨年の同期「橘小梅」展だったからあれから1年、早いものである。本年8月28日には「ミューズ展」を観た。

 今回の明治工芸展は明治工芸の至宝展実行委員会による展覧会で、明治期の“超絶技巧“をもって制作された七宝、漆工、木彫、牙彫、印籠、刺繍絵画など、清水三年坂美術館他が所蔵する幅広い分野から選りすぐった工芸作品約100点が展示されている。

 明治工芸について語るとき、精緻な手仕事が話題になる。江戸時代より蓄積されてた様々まな技法が、各作品に実に見事に応用され表現されている。その超絶さには、理屈抜きにに驚嘆させられる。
 しかし、技巧だけなら人は「感心」はしても「感動」することはないだろう。おそらく多くの現代人の心を動かすのは、精緻な技巧の奥に見えてくる、時代の要請に必死に応えようとする明治の職人たちの「心意気と熱意」ではないだろうか。
 明治工芸の魅力は、果たして技巧だけなのだろうか、と思う。同様の感覚は6月に観た「明治有田焼展」でも感じた。

 時代背景を見ると、日本が万国博覧会に初めて参加したのは開国まもない慶応2年(1867)のパリ博覧会とされる。明治政府として初めて参加した明治6年(1873)のウィーン万博には陶磁器、金工作品か沢山並べられた。当時、工業を持たない日本は、江戸以来培ってきた工芸技術の粋を結集した、大型でかつ細密な工芸作品を万博会場に並べた。

 ウィーン万博以後、ほぼ2年毎に開催された万博で、日本は大量の工芸品を売却し、得た外貨で欧米先進国から工業技術を導入し、工業国化、軍事大国化を推進した。明治も30年代になると急速に人件費が高騰し、優秀な人材は工業・商業分野を目指し、工芸の分ごは急速に衰退の一途を辿ることになる。皮肉な経過である。

 特に明治20年代から30年代にかけて作られた作品には、欧米から流人した異質な文化の影響で、より新しい感覚の魅力的な作品が多い。このことは特に蒔絵作品や金工作品に顕著に表れている。金工作品では、武家社会において主に刀装金具で培われてきた彫金技術が、花瓶や香炉のような器を装飾する技術として使われ、金工の新しい美術分野として大きく発展することになる。

 明治の工芸作品は、その時代の欧米人を魅了し、今なお多くの欧米人を魅了し続けている。一方で、日本人からは忘れ去られ、日本には作品が殆ど残っていない。残念なことである。
 同様のことは浮世絵、伊藤若冲の場合にも当てはまる。

 わずか数十年の間だけ花開いた美しい世界、もう誰にも作れない超絶技巧の世界を日本人はもっと知るべきではないだろうか。

 会場で、「明治の万国博覧会の再現美術品」 2010年 制作:清水三年坂美術館、を購入した。素晴らしい写真集である。


 秋田県立近代美術館の展示はほとんどが壁際であった。工芸品は絵画などと異なり正面から味わうだけでは不足である。裏も側も観れるよう部屋の中央での展示、または、例えば、回転する台の上に設置して全方向から見れるようにしてほしかった。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする