■虚弱児
私は1945年年生まれである。人は生まれて来る時代、場所,親などを選べないが,私はたまたま医師の家庭で生まれた。戦時下であること、母が11年間も間をあけてからの妊娠であったこと、などで約2000gだった。相当な難産だったらしいし、母乳も十分出なかったらしい。当時はミルクとて無く、重湯、山羊の乳、牛乳で育った。そのためかいつも不消化便を出していたという。生まれた当初は体温の維持のためガラスの水槽に電球を入れて即席の保育器をつくりその中で育ったという。
もし医師の家庭で出生していなければ確実に死んでいただろう、と子どもの頃いつも聞かされて育った。物心つく頃までにも何度か死線をさまよったと言う。この様なことを聞かされる度に生きているか死ぬかは紙一重の差の様なもの、と感じていた。だから具合悪くて寝込んだ時などには「これで死んでしまうのか?」と思っていた。別に「死ぬのが怖い」とかの感覚は無かった。
私は生きる事にそれほど執着が強くなく諦めが早いが,これはこの時期に培われたのかも知れない。この考えは医師になってからも変わる事は無かった。
■小学校低学年で臨死体験?
私は背は順調に伸びたがやせこけて,見るからに腺病質で虚弱な子供であった。幼少の頃は気道系、胃腸系が極度に弱く、小学校の頃は冬季間、特に正月を元気な状態で迎えたことは殆どなかった。お手伝いさんに背追われて登校した記憶も残っている。当時,小学校は職員室に顔を出せば欠席扱いにならなかった。
当時,抗生物質のはしりであるクロラムフェニコールが実用になった。医師である祖父は適宜用いてくれその度ごとに病状が好転し、このチョコレート色の錠剤は自分にとっては救世主のように感じられたものである。
小学3年の頃のことと思われるが、急性気管支炎、急性胃腸炎で危機的状態までいったことがある。恐らく脱水などであったと思うが意識も朦朧とし、祖父も今度こそダメかもしれないと言われたらしい。譫言でクロマイ、クロマイと欲しがったそうである。
このとき家族が見守っている中、自分の「たましい」が身体から抜けて、独り小学校に遊びに行った夢をみた。暗い静かな道路を歩いていくと学校についた。校門から校庭を覗くと校庭はお花畑に変わっていた。一面、黄色の花で覆われ実に美しい光景であった。何度か逡巡した後、思い切ってお花畑に入っていこうとしたが、なかなか足が運ばない。そのうちに、遠くの方で母親から名前を呼ばれたので,校庭に入るのを諦めて家に引き返した。自分が寝ている周りに家族が心配そうに私を見つめている中、私は気づかれないようにそっと自分の身体に戻った。苦しくも痛くもなかった。この時から、「昇天する」と言う事はこんなに気持ちのいいものなのか?と思うようになった。
成人になってからであるが、この時の体験に関連した文献や書籍を読んだ。いわゆる臨死体験と言われる現象に似ている。体験談などを読むと黄色のお花畑がほぼ共通している様である。立花隆氏の「臨死体験」は参考になった。このような臨死体験現象は一定の条件下で生じる脳の生理現象と考えられている。
私は1945年年生まれである。人は生まれて来る時代、場所,親などを選べないが,私はたまたま医師の家庭で生まれた。戦時下であること、母が11年間も間をあけてからの妊娠であったこと、などで約2000gだった。相当な難産だったらしいし、母乳も十分出なかったらしい。当時はミルクとて無く、重湯、山羊の乳、牛乳で育った。そのためかいつも不消化便を出していたという。生まれた当初は体温の維持のためガラスの水槽に電球を入れて即席の保育器をつくりその中で育ったという。
もし医師の家庭で出生していなければ確実に死んでいただろう、と子どもの頃いつも聞かされて育った。物心つく頃までにも何度か死線をさまよったと言う。この様なことを聞かされる度に生きているか死ぬかは紙一重の差の様なもの、と感じていた。だから具合悪くて寝込んだ時などには「これで死んでしまうのか?」と思っていた。別に「死ぬのが怖い」とかの感覚は無かった。
私は生きる事にそれほど執着が強くなく諦めが早いが,これはこの時期に培われたのかも知れない。この考えは医師になってからも変わる事は無かった。
■小学校低学年で臨死体験?
私は背は順調に伸びたがやせこけて,見るからに腺病質で虚弱な子供であった。幼少の頃は気道系、胃腸系が極度に弱く、小学校の頃は冬季間、特に正月を元気な状態で迎えたことは殆どなかった。お手伝いさんに背追われて登校した記憶も残っている。当時,小学校は職員室に顔を出せば欠席扱いにならなかった。
当時,抗生物質のはしりであるクロラムフェニコールが実用になった。医師である祖父は適宜用いてくれその度ごとに病状が好転し、このチョコレート色の錠剤は自分にとっては救世主のように感じられたものである。
小学3年の頃のことと思われるが、急性気管支炎、急性胃腸炎で危機的状態までいったことがある。恐らく脱水などであったと思うが意識も朦朧とし、祖父も今度こそダメかもしれないと言われたらしい。譫言でクロマイ、クロマイと欲しがったそうである。
このとき家族が見守っている中、自分の「たましい」が身体から抜けて、独り小学校に遊びに行った夢をみた。暗い静かな道路を歩いていくと学校についた。校門から校庭を覗くと校庭はお花畑に変わっていた。一面、黄色の花で覆われ実に美しい光景であった。何度か逡巡した後、思い切ってお花畑に入っていこうとしたが、なかなか足が運ばない。そのうちに、遠くの方で母親から名前を呼ばれたので,校庭に入るのを諦めて家に引き返した。自分が寝ている周りに家族が心配そうに私を見つめている中、私は気づかれないようにそっと自分の身体に戻った。苦しくも痛くもなかった。この時から、「昇天する」と言う事はこんなに気持ちのいいものなのか?と思うようになった。
成人になってからであるが、この時の体験に関連した文献や書籍を読んだ。いわゆる臨死体験と言われる現象に似ている。体験談などを読むと黄色のお花畑がほぼ共通している様である。立花隆氏の「臨死体験」は参考になった。このような臨死体験現象は一定の条件下で生じる脳の生理現象と考えられている。