福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

死生観(2):私は死をどう考えて来たか(2)幼少の頃

2014年08月31日 05時31分36秒 | 自己紹介・自伝
■虚弱児
 私は1945年年生まれである。人は生まれて来る時代、場所,親などを選べないが,私はたまたま医師の家庭で生まれた。戦時下であること、母が11年間も間をあけてからの妊娠であったこと、などで約2000gだった。相当な難産だったらしいし、母乳も十分出なかったらしい。当時はミルクとて無く、重湯、山羊の乳、牛乳で育った。そのためかいつも不消化便を出していたという。生まれた当初は体温の維持のためガラスの水槽に電球を入れて即席の保育器をつくりその中で育ったという。

 もし医師の家庭で出生していなければ確実に死んでいただろう、と子どもの頃いつも聞かされて育った。物心つく頃までにも何度か死線をさまよったと言う。この様なことを聞かされる度に生きているか死ぬかは紙一重の差の様なもの、と感じていた。だから具合悪くて寝込んだ時などには「これで死んでしまうのか?」と思っていた。別に「死ぬのが怖い」とかの感覚は無かった。

 私は生きる事にそれほど執着が強くなく諦めが早いが,これはこの時期に培われたのかも知れない。この考えは医師になってからも変わる事は無かった。

■小学校低学年で臨死体験? 
 私は背は順調に伸びたがやせこけて,見るからに腺病質で虚弱な子供であった。幼少の頃は気道系、胃腸系が極度に弱く、小学校の頃は冬季間、特に正月を元気な状態で迎えたことは殆どなかった。お手伝いさんに背追われて登校した記憶も残っている。当時,小学校は職員室に顔を出せば欠席扱いにならなかった。

 当時,抗生物質のはしりであるクロラムフェニコールが実用になった。医師である祖父は適宜用いてくれその度ごとに病状が好転し、このチョコレート色の錠剤は自分にとっては救世主のように感じられたものである。

 小学3年の頃のことと思われるが、急性気管支炎、急性胃腸炎で危機的状態までいったことがある。恐らく脱水などであったと思うが意識も朦朧とし、祖父も今度こそダメかもしれないと言われたらしい。譫言でクロマイ、クロマイと欲しがったそうである。

 このとき家族が見守っている中、自分の「たましい」が身体から抜けて、独り小学校に遊びに行った夢をみた。暗い静かな道路を歩いていくと学校についた。校門から校庭を覗くと校庭はお花畑に変わっていた。一面、黄色の花で覆われ実に美しい光景であった。何度か逡巡した後、思い切ってお花畑に入っていこうとしたが、なかなか足が運ばない。そのうちに、遠くの方で母親から名前を呼ばれたので,校庭に入るのを諦めて家に引き返した。自分が寝ている周りに家族が心配そうに私を見つめている中、私は気づかれないようにそっと自分の身体に戻った。苦しくも痛くもなかった。この時から、「昇天する」と言う事はこんなに気持ちのいいものなのか?と思うようになった。

 成人になってからであるが、この時の体験に関連した文献や書籍を読んだ。いわゆる臨死体験と言われる現象に似ている。体験談などを読むと黄色のお花畑がほぼ共通している様である。立花隆氏の「臨死体験」は参考になった。このような臨死体験現象は一定の条件下で生じる脳の生理現象と考えられている。
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死生観(1):私は死をどう考えて来たか(1)

2014年08月30日 05時25分06秒 | 自己紹介・自伝
 8月は、おのずと「死」と言うテーマが身近に感じられる月である。

 私は幼少の頃虚弱でうまく育たないだろうと言われながら育ったので、死についてずっと感心をもっていたし,自身の死についても常に想定して来た。結果として途中でこける事も無くいい年まで生きたが、この時期は特別な感慨を持って自分の死についても考える。

 私は郷里の盛岡近郊に墓がある。割には私は両親、祖父母の霊に関して丁重に扱っているわけではない。私は、死ねば無、と考えている。そんなことで、実際には郷里を訪れ墓参するのはここ20年ほどは年に一回だけとなっていた。

 また,盛岡市内には実兄が住んでいる。数年前までは墓前で兄の家族とも合流したが、ここ数年は兄の体調の関係で墓前で会う事は無くなった。だから、私の方が墓参の度に兄宅を訪問して半時間ほどであるが親交を温めている。

 今年も、秋田に戻る途中で兄宅を訪問した。11歳上の兄は在宅酸素療法を行っている。兄の様子は比較的良い状況で、当面、何か大事が無ければそう危険な状況にあるとは思えなかった。

 一方、私は発作生心房細動を抱え、脳塞栓も経験した。幸い目立つ後遺症も無く改善したが、MRI像を見ると左側頭葉に大きな脳梗塞像が残存しており、微小な梗塞巣が無数にある。脳全体も萎縮している。この自分の脳の画像を見ると、これが自分の脳か、と呆れるほどである。多彩な症状を持つ患者の脳の方が立派である。いつ同じ様な発作を来すか分からない。
 「お互い,病気をかかえているから、間もなく死ぬかも・・」と言いながら、「来年の再会」を期して兄宅を辞した。現実に生きて会えるか否かは分からない。ホンネである。

 幼少の時から私は死をどうとらえて来たのか,医師になって患者のいのちと死にどう対峙して来たのか、齢を重ねて自身や家内の体調も変調を来しているなど、死が一層身近な問題になりつつある今、私はどう考えているのか,そんなことを見直すのも面白い様な気がする。また,見直す過程で、私に看取られた多くの患者,今、外来で診ている患者の事についても考える事になるだろうから意味ある事と思う。

 ちょっと敬虔な気持ちに私を誘ってくれる8月も間もなく終わる。
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書評:英語で味わう名言集 心に響く古今東西200の言葉 R・パルバース NHK出版2011年 1400円 

2014年08月29日 17時37分26秒 | 書評
 


「名言-それは旅の道づれ。名言とは、一言で言えば、詩です。名言は人生の指針を教えてくれるもの。私たちを癒したり、楽しませたり、知恵を与えてくれたりします」、著者のロジャー・パルバースは前書きの第一行に記している。
 私もそう思う。

 著者は1944年生まれ、米国出身のオーストラリアの作家・劇作家・演出家。1982年来日し、英語と日本語で25冊の著書がある。13年まで東京工業大学教授、世界文明センター長。宮沢賢治の研究者としても有名で2008年、第18回宮沢賢治賞受賞。同年「雨ニモマケズ」の翻訳で第19回野間文芸翻訳賞受賞している。

 私はこの本をNHKの番組を通じて知った。
 「NHKギフト~E名言の世界」は2010年に14回にわたって放送された20分番組の再放送を録画して全編見た。その放送内容に魅了され、最初のうちはDVDを止めて名言のすべてを書き取っていたが大変な作業であった。そのうち、この本の存在を知り、後半は本書を参考にしながら録画を見た。作業としてとても楽になった他に、じっくりと英文を味わう余裕が出来た。

 実は、私は英語がからきし駄目である。
 中・高・大学教養課程と8年間も英語を学んだことは自分にとって何だったのかと問いたいほどである。ただ、学生の時の医学書は、アメリカの有名な教科書のアジア版を用いた。とても安かったからである。当時、日本語の教科書は高額であり、貧乏学生には手が出なかった。「沖中内科書」は4万円ほど、セシル内科学書は3千円程度で買えた。貧乏だったから英語に親しまざるを得なかった。大学で研究している間は9割方の文献は英文であった。いつも苦しんだ。

 幸い、最近は追いかけられることも無く、余裕を持って英語を楽しめる環境になった。とはいえ、安易な楽しみ方である。せいぜいTVの「NHKギフト~E名言の世界」、「トラッドジャパン」単行本「その英語は恥ずかしい!?」などである。

 著者のR・パルバースが選んだ、あるいは英訳した英文は美しい。原文を損なう事なく、表現に奥深さを与えている。さすが、賢治の研究者である。賢者の言葉は重い。
 本書は放送で取り上げた14項目から厳選した「成功」、「挑戦」、「社会」、「芸術」、「愛」などの8項目を取り上げている。それぞれに簡単なエッセイ、伝記も併記されている。
 下記の様な含蓄のある言葉が200並んでいる。

■Being rich does not mean having lots of money, but having an amount you consider enough. Being poor is not lacking in money, but considering what you have not enough.

■Live as if you were to die tomorrow. Learn as if you were to live forever.

■I have not failed. I've just found 10,000 ways that won't work.

 どんないい言葉も、文章も到底覚えられない。もう無理である。それ分頻回に参照しなければならない。ただ、こんな所にも楽しみを見いだせる私は恵まれている。自炊してiPad miniに入れて楽しむこととする。

 
"ギフト~E名言の世界~"のフレーズ・例文

 
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医療介護費用削減2014(8)日本人の死生観 輪廻転生

2014年08月28日 17時26分42秒 | 医療、医学
 8月は、お盆があり各家庭で死者を迎える行事を行い、墓石に手を合わせ、荘厳な雰囲気の寺の本堂でご先祖を忍ぶ。ヒロシマ・ナガサキに原爆が落とされ、秋田の土崎に空爆もあった。終戦も迎えた。多くの方々が亡くなった。240万ともされる戦没者に思いを馳せ、靖国の意味についても考える。

 こんなことを通じて、おのずと「死」と言うテーマが身近に感じられる月である。

 日本は2005年から人口減少社会に入った。人口問題研究所の推計によると、高齢化は一層進み、05年に約108万人だった死亡者は40年ごろには170万人になる。

 戦後のわが国の社会、特に高度成長期を中心に「死」というテーマを忌避する傾向が強くなった。

 当時日本は右肩上がりの高度成長の時代を迎え、すべてがスケールが大きくなり、スピードは速くなり、個人の生活も豊かになった。この時代に社会に出て、身を粉にして働いた、いわゆる団塊の世代の方々にとっては人生の設計は直線的に右肩上がりであった。

 この年代の方々は、自然を改造し、自動車を手に入れて移動も便利になり、家事は電化し、暖冷房を含め生活環境も自由に調整出来る様になった。同時に、国民皆保健制度が作られて安価に医師にかかれる様になり、医療医学が発展し、従来であれば救命出来ない様な重症な患者が助かる様になった。わが国の平均寿病も急速に伸びた。
 
 その結果、生きていることのリアリティーは喜びとともに十分に味わうことが出来たが、「死」ということの意味がよく見えなくなり、生活上の「死」の実感が希溥になった。このことはある意味で、戦後から現在までの日本人全体の生命観や死生観について影響を与えてきた事態である。

 私など、診療や講演を通じて「人は何れ弱って死ぬ。あなたも、高齢のご家族も死にます。今迄死ななかったヒトは一人もいません」と説いてきたが、さっぱり効き目が無かった。

 高齢者の医療費は若年者に比較して著しく高額である。高齢者は疾病罹患頻度は高い。当然である、われわれは生まれ落ちたときからひたすら「死」に向かって生きているからで、高齢になった状態では疾病罹患頻度は著しく高く、その中には若返りしなければ改善が望めない様な、要するに検査・治療を重ねても意味を持たない様な疾患や状態が多数含まれる。

 いのちの問題を医療介護費用削減の項目に含めるのも何であるが、高齢者医療の考え方を、いのちに対する考え方、死生観を変えていかなければ解決出来ないと思う。

 政府は医療費を、特に高齢者の医療費を出来るだけ縮小しようといろいろな策を提起して来る。しかし、制度や経済の締め付けだけからの発想は高齢者いじめにも繋がるし、社会のひずみを拡大することになる。

 いのちを緩やかな曲線ととらえ、何れは元に戻って行くと言った発想でとらえなければならない。医療費の面からとらえるのではなく、「死」がもっと身近にあった時代の感覚に回帰することでもある。これは退歩ではなく、新たな進展なのだ、ととらえたい。
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医療介護費用削減2014(7)13年度医療費概算 伸び率2.2%

2014年08月27日 03時21分54秒 | 医療、医学
 厚労省は26日医療費について発表した。
■2013年度の医療費概算
 39.3兆円で、11年連続で過去最高を更新。前年度比で+8千億円、率で+2.2%増であった。
 次年度には40兆円に届きそう。
 13年度の1人当たりの医療費は30万8千円。75歳未満が20.7万円、75歳以上は1.2万円増の92万7千円。
 診療別では、外来と調剤が20.6兆円で52.6%を占めた。入院が15.8兆円で40.2%。

■12年度の都道府県別の医療費の分析
 全国平均は48.7万円、最高の高知県が62.5万、最低の千葉県が40.1万円と1.5倍の開き。本県は医療費総額は3607億円、伸び率は2.2%。一人当たり51.3万円で全国22番目、東北6県では最高であった。

 医療費高騰の原因は、一般的には高齢化に加え、医療技術の高度化、薬品の技術進歩がもっとも大きな原因とされている。

 医療費高騰に関連する関連する要因 (田村貞雄氏による)
(1)人口の高齢化による医療受容率の増加
(2)国民皆保険の実施による医療受容率の増加
(3)急性的疾患から慢性的疾患への疾病構造の変化
(4)医学医療の進歩による1件当り診療費の増大
(5) 医療経済における効率的システムの欠如

 特に、ガン治療の分野の薬品は開発費がかさみ、結果として治療期間が長くなり治療薬も高騰する。決して医療費の高騰は高齢化だけではない。高度な治療の成功は病院にも患者にもメリットはあるが、経済的資源に限界がある以上、医療費全体という括りで考えれば大きな問題を抱えることにもなる。何でも光が当たる表面があれば、あたらない裏面もある。

 政府は医療費抑制のため入院治療から在宅医療へ移行を促し、15年度から都道府県ごとの医療費支出目標を導入することを目指している。
 しかし、制度や経済の締め付けだけからの医療費抑制策は社会のひずみを拡大する。
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