私の自己肯定感はひどく低い。だから、「必死に周囲に合わせて」生きて来た。単語として並べてみると「イエスマン」、「八方美人」などなどの人間像に合致する。この言葉は本来大嫌いな言葉なのだが、人嫌いの私自身の処世術の一つ、として身につけた。
私は真面目に生きてきた。 必死に努力してきた。 結果として、社会的に見れば「日の当たるコース」を歩んできた、と評価すべきだろう。その立場だったから経験できたことも多いし学んだことも多い。それなのに人生の満足感はとても低い。
喜寿を迎えるまで生きた現時点で振り返ってみて、「三人の子を育てたこと以外に意味のある足跡は何もない・・・」、と思っている。私は自己を誇るものは何もない。そう考えるのは私の自己肯定感が低いから、と思う。
一方では、私は個人的には自己満足のレベルでしかないが、ほぼ満足できる良き人生を歩んできた。
(1)だから、私の場合の自己肯定感は、外的なものと内的なものに分けて考えれば良いと思う。
(2)私が言う「外向き自己肯定感」は社会的な肯定感、「内むき自己肯定感」は全く自分一人の個人的な問題である。
(3)「外向き自己肯定感」は、友人関係の付き合いと、医療や病院管理、医師会などの仕事上での問題に分ければいい。
前者に関しては人との付き合いを中心に考えると、本当に自分をあまり主張することなく、人を傷つけることなくソフトに生きてきた。だから私には「知人はいるが友人はいない」。多分、他人から見て「毒にも足しにもならない、影の薄い、人がいい、都合のいい」人間だったのであろう。
「日の当たるコース」については、大きな誤りを経ずに過ごし得たが、自分で評価すべき実績は残さなかった。今更ながら、その地位を占めていたことを恥ずかしく、罪深いことと考えている。だから、それを恥じて今は「準引きこもり状態」で過ごしている。私はよき社会人では必ずしも無かった。
(4)一方、「内ち向き自己肯定感」は全くパーソナルな問題である。この部分に関しては確個たる自己肯定感があった、と考えている。「内ち向き自己肯定感」の面から考えれば、「継続は力なり」の格言に沿って生き、いい人生であった。スケールは小さいがやりたいことは大抵やってみた。この徒然日記、福田の雑記帳はその一例である。乏しい「外向き自己肯定感」を十分補完して生きる力をもらった、と考えている。
要するに、自分の世界の範囲だけでは自己を心置きなく発揮できていたし、そのことが拠り所となって楽しく生きられた、と思う。今も「準引きこもり状態」に自分を置きながら、この内向き自己肯定感を満足させながらチマチマと生きている。