福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

徒歩通勤2018(11) 本日、岡山を通過し2回目の兵庫に入った

2018年10月31日 02時30分57秒 | 徒歩通勤 ウォーキング
 平成13年3月から徒歩通勤を始めた。ちょうど5年半になる。
 歩数計「新・平成の忠孝」で歩行実績を積算している。
 伊能忠敬が歩いた海岸線をたどり、東京を基点に、東北に向かい、北海道一周、裏日本の海岸線を経て、九州、次いで四国に渡った。四国の海岸線を歩破し9月22日再度本州に戻り岡山県に入った。本日、岡山県を終了し、兵庫県に入った。

 平成13年3月から本日10月31日時点までの積算データ
■歩行開始後 2.028日目、
■総歩数 Σ1.967万歩 (平均9.699歩/日)、
■歩行距離 Σ15.740Km(平均7.79Km/日)。

 岡山県通過のデータ。
 岡山県に入ったのが 9月23日、通過日10月31日。
■岡山県の海岸線は304.76Km。
■岡山県の通過所要日数 40日。
■一日平均歩数 9.500歩、
■一日平均歩行距離 7.62Km。
■現在の位置 日本一周目標の85%終了。

 最低1日10.000歩を目標にしていたが、岡山県通過中は9.500歩と、目標に若干不足した。
 岡山県は10月中に通過できれば良いかな、とゆったりとした計画にしたが、ちょうど計画通りに10月最終日に終了した。

 岡山県を通過している間は比較的降雨の日が多く、歩行出来る機会は少な目だったことも関連しているだろう。
 
 通過した岡山県は岡山大学医学部内科に血液学関係の講座があった事から学会や研究会で4回ほど訪れた。もう古い話で学術的なことは忘れたが、岡山市内には岡山城をはじめとして美術館が数館もあり貴重な歴史資料、絵画などを見ることができた。名園とされる後楽園は見る機会は得られなかった。
 岡山市からちょっと遠出して倉敷市を訪れ、大原美術館、瀬戸大橋も見学した。前者ではやはりエルグレコの受胎告知は忘れられない。

(Yahoo地図から引用した)

 いま歩き始めた兵庫県の海岸線は2回目で308.95Kmである。地図から受けた印象に比較して意外と長い。1回目は日本海側の海岸線で110Kmだった。

 最近ちょっと気力減退気味である。兵庫県の瀬戸内海側の海岸は11月10日頃にに通過できれば良いかな、とゆったりとした計画にした。
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順風満帆 読み方の変遷 かつては「じゅんぷうまんぽ」だったはず

2018年10月30日 02時36分08秒 | コラム、エッセイ
 私は1985年後半に親戚の青年の結婚式の仲人を務めた。
 挨拶文の中に順風満帆という言葉を入れた。何度か読み上げて居るときに「じゅんぷうまんぽ」という読み方に違和感を覚え国語辞典を調べたところ「じゅんぷうまんぱん」が正しいことがわかった。式の前日の話である。

 私は中学の頃、何らかの本を通じて順風満帆という言葉を知っており、それには「じゅんぷうまんぽ」と振仮名があり、ずっとそのように記憶していた。それが間違いだったのか、といたく恥じ入り一人で赤面した。お祝いの席で、大勢の前で大恥を書かないで済んだ、と喜んだ。
 しかし、順風満帆と言う熟語をみるたびにかつては「じゅんぷうまんぽ」と読んでいたことを思い出し、長い間不思議な感覚を抱いていた。

 それがつい先日、文藝春秋本年10月号を読んでいて一気に解決した。
 国語辞典編集者の飯間浩明氏が「日本語探偵」と言うコラムで「順風マンパン」の読みが定着したのは最近、と解説していた。

 私の表現力では氏の言いたいことを言い表せない。
 少し長いが氏のコラムを引用する。
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 野村芳太郎監督の1974年の映画「砂の器」で、警視庁の課長が「順風満帆」を「順風マンポ」と発音する場面があります。映画ファンの間でも話題になり、「関係者は気づかなかつたのか」とネットに書き込む人もいます。

 「満帆」は、一般に「まんぱん」と読まれるはずです。なぜ、映画では訂正されなかつたのでしようか。

 理由は簡単です。1970年代には、「順風満帆」はまだ形が定まつたことぱでなく、「満帆」は「マンパン」「マンポ」の両様に読まれていたのです。
 ところが、その後、「順風満帆」は「マンパン」の読みとともに、どの国語辞典にも載るようになりました。「満帆」は「マンパン」と読むのが正しい、という考え方が広まりました。
 つまり、「順風マンパン」が定着したのは比較的最近です。以前はこれが唯一の「正解」ではなかつた、ということは知つておいてもいいでしよう。

 「順風満帆」は、戦前から使用例があります。ところが、戦前の国語辞典には「順風」しか載つていませんでした。辞書の編者は「順風満帆」や「満帆」を無視、または軽視していたのです。

 戦後も「順風満帆」を載せない辞書は多くありました。象微的なのは「広辞苑」です。80年代まで「順風満帆」の「満帆」の項目を立てませんでした。
 「砂の器」封切りの時点で、ほかに「岩波国語辞典」「旺文社国語辞典」「新潮国懸辞典」などが「順風満帆」の「満帆」を立てていません。映画の関係者が「マンポ」という読み方に疑問を持たなくても、不思議ではありません。

 NHKが80年に有職者を対象に行つた調査では、「順風満帆」を「マンパン」と読む人が約5割、「マンポ」と読む人が約3割でした。有識者の意見である点にご注意ください。「マンポ」も一定の支持を得ていたのです。
 「マンポ」は音読みの「満」と訓読みの「帆」が混ざつていておかしい、と言う人もいるでしよう。でも、日本語では音訓まぜこぜの読みは珍しくありません。「帆」のつくことぱでも、「半帆」(半分上げた帆)、「本帆」(船の中央に張る帆)は音訓まぜこぜです。

 ことぱには正解があり、その正解は昔から動かないと思われがちです。実際には、私たちが正解と考えているものは、案外歴史が浅いこともあります。場合によつては、複数の「正解」を認めるだけの度量を痔つことが必要です。
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 要するに、氏のご意見からみれば、私が子供の頃しっかり覚えていた「順風満帆」の読み方がいつの間にか変わった、という事。「じゅんぷうまんぽ」という読みも当時は間違いではなかったのだと納得できた。
 
 30年以上未解決のまま放っておいた懸案の一つが最近納得できた。
 日本語が日々変わって行くのだ、という事をあらためて理解した。
 日本語(3)日本語は進化する
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幸福・不幸(7) 思い残す事はない死なんてあるか!!!

2018年10月29日 17時43分26秒 | コラム、エッセイ
幸福・不幸について考えても、全く結論めいたことが出てこない。まだ暫定的な結論すらも出ていない。

 ところで、死にあたって病床で発した最期の言葉として「思い残すことはない、満足だ。」と言って死んだとされるのは、捕物帳「銭形平次」の作者野村胡堂(1882〜1963年)である。上記の言葉は書評家細谷正充氏が秋田さきがけ新聞のコラムに紹介していた。
 作家「野村胡堂」は本名は野村長一。音楽評論家としては「あらえびす」の名で活躍した。その記念館は私の郷里の隣町岩手県紫波町に平成7年初夏開館した。盛岡市の中心部から30Kmほど南、近くに北上川が流れ、北に岩手山が悠然とそびえる景勝の地に建設され、数々の作品や執筆資料、SPレコードや音楽関係の資料を総合的に展示している。私も数回訪れている。
 あらえびす記念館に併設する「あらえびすホール」は小さい体育館くらいでグランドピアノと、タンノイのスピーカー・ウェストミンスター中心としたオーディオ装置もある。マイスキーによるバッハの無伴奏チェロ組曲のレコードをかけてもらったが、実演よりもいい感じ(?)で複雑な気分を味わった。静かで、とても落ち着けるいい雰囲気がある。

 古今東西の有名人の死の瞬聞をつづった、山田風太郎著「人間臨終図巻」(1)-(4)は私の書棚にもおさまっている名著で、私が日本人の死を考えるにあたって資料として参考にしているが、この中に遺言として紹介されている。

 だが、この言葉、野村夫妻と親交のあつた藤倉四郎の著書「バッハから銭形平次」には、誰かが洩らした言葉が、胡堂が語ったようにされたのではないか??と記載されているそうである。細谷正充氏も、この意見に同感と述べている。

 私もそう思う。

 胡堂は新聞記者として活躍、銭形平次を通じて国民作家となった。かつ、家庭も円満であつた。こうした胡堂の人生を、多くの人が尊敬したか羨んだか、妬んだかわからないが、本人の言葉として相応しいので、いつの間にか定着したのではなかろうか。

 「思い残すことはない、満足だ。」・・と言って死ねるのは無理やり死を容認した人の諦めの境地の言葉だと思う。本心は「死にたくない」につきる。
 身体は死の間際まで死を受け入れる事を拒否し続ける。そのために死の間際に「死戰期」と言われる厳しい時間がくる。身体が生きることを諦めたときに「死直前の安息期」が訪れる。

 葛飾北斎は90歳で死去した。当時としては超超長寿であった。それでも彼は、「天、我をして10年の命を長らわしめば・・・。いや、天、我をして5年の命を保たしめば真正の画工となるを得べし・・ 」と言って死んだ、という。辞世の句は、「人魂で 行く気散じや 夏野原」。
 これは極端な例であるが、いかに考えても肉体の衰えは避けようがないから死を受け入れざるをえない。「思い残すことはない、満足だ。」は止むをえないから、仕方無く、残る人に想いをはせて発する言葉である。

 意識がしっかりして、判断能力がある死の場合、「幸せだった」と言って死ぬ人は居ない。必ず心残りがあるものだと思う。
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幸福・不幸(6) 至福と言える以上の幸福を追求したら生きてはいけない

2018年10月28日 17時43分40秒 | コラム、エッセイ
 幸福・不幸について考えても、全く結論めいたことが出てこない。まだ暫定的な結論すらも出ていない。

 一般的に言われている幸せ状態は「長い時間持続した幸せ状態」を示すことが多いようだ。だから、幸せになることは、幸せを持続させることだとすると、方法論としてどうしたらいいのだろうか。私は幸せ感は短時間しか持続しないものだと思っているから、幸せ感の持続なんて出来るのだろうか、と思う。
 幸せ感には常に不安が伴うものだと思う。これだけでも不幸なのだ。
 
 今の状態で幸せだ、と確信することができれぱ長期間の幸せ感の維持は可能かも知れない。その感覚を持続させればいいのだ。

 これが幸せ状態なのだ!!、と確信し、今の状態に満足しそれ以上望まなければいい。
 ただ、それは欲を無くすることである。それ以上の欲望が生じることのない状態が幸せ状態なのだ、ということ。
 結局は、活力が乏しくなって修行僧のごとくに達観した言葉を吐く先人の答えに行きつくが、もし仮に欲をなくすることが出来れば、食べたい欲求も捨てることになるから、死んでしまう。

 最大限譲歩して、生命維持に必要な欲だけ残して他の欲は捨てる事だとしても、欲望を無くせと言うのは不可能である。

 自分の幸せのために欲を無くすというのも、また一つの欲望だ。
 それは自死の論理に繋がる。私が自死を消極的ながら支持するのはここにルーツがある。自死の先には幸せが待っている。

 だから、人は生きる限り欲望とは付き合っていかなければならない。すなわち生きている限り幸福ではないのだ。寂しいとか、悲しいつて思うのもやつぱり幸福感が乏しいことで、欲望が無ければそんな悲しみさえ起こって来ない。

 まあ、こんなことを考えることが出来る生活を送っている私は幸せなんだろうと思う。私の過ぎ去った過去に比較すれば今はパラダイスといえよう。ただ、作文を終えてパソコンから離れると、厳しい現実が待っている。失われた時間と言っていい過去の時間と比べて今は幸せだつてことだから、なんか変な気がする。要するに幸せ感と言うのは絶対的なものではない、と言うこと。

 誰かの状況と比べて、幸福度の順位を決めるような事をしていたら幸せになれない。
 幸せになろうと欲を出さないことが幸せになる方法なのかな??それじゃ負け犬の考え方と同じだ。

 世界の、日本の「幸福度」も各県の評価とか、「豊かさは世界で何番目か・・」といったことはどんな意味があるのだろうか,「幸福度」の物差しとして、学歴、貯蓄、平均寿命、ひきこもりの数も加えるようだが、そんな物を組み合わせて幸福度がでてくる、という発想はどこからくるのだろうか。

「幸福」と「不幸」(1) WHOの「幸福度」の順位に意味あるのか??
「幸福度」の順位に意味あるのか??(2) 幸福とは 不幸とは何なのだ??

 私は恵まれているが、決して幸せな人生を送っているわけではない。ただ、ほぼ毎日味わう小さな幸福感は、一つ一つは実にくだらないが、不幸感との落差が大きいだけに喜びも大きい。
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幸福・不幸(5) ブータン国の国王夫妻のお姿に感心

2018年10月27日 04時50分43秒 | コラム、エッセイ
 いつからか分からないが、私はずっと幸福とは何かを考えてきた。
 自分は恵まれた人生だとは思ってきた。恵まれた人生が決して幸福な人生だったのかと問えば、必ずしも結び付かない。もちろん幸福感はしょっ中感じてきたが、それは流動的、刹那的な、相対的な、長続きしない感覚であった。

 前からぼんやりと、幸せについて考えてきたが、今だに全然判らない。

 幸福についてより具体的に考えはじめたのは、2011年秋のブータン国王夫妻の来日であったような気がする。
 ブータン国は、国民誰しもが幸せ感を持っている「世界一の幸福国」との評価、実際は8番目であったのだが、国際情勢の中で決して恵まれているとは言えない国である。確かにワンチェク国王・ペマ王妃の表情や仕草からは、幸せ国からお出でになったと言う雰囲気は十分感じられた。私は国民単位でそう論じられることには、疑問に思っていた。誤解に基づくマスコミの喧伝でないのか??
異境の地ブータン王国の国王夫妻来日(1) 好印象を受けた
異境の地ブータン王国の国王夫妻来日(2) 内憂外患の中で高「幸福度」文化をどう維持?

 私にとって、ほとんどの思索は記録しながら発展させていかなければただの思索で終わってしまう。だからこんな風に記録する。

 幸せってよく分からないが、どうやら幸せって言うのはずっと続くことはない状況、と言うことまでは分かってきた。
 ああ幸せ!!と思ってもすぐにその感覚は時間とともに薄れてしまう。
 理屈だと、不幸な思いがあるから、幸せがあるのであつて、その二つは続きもので、悲しみも幸せを形作る大きな要因と言える。ブータン国には悲しみも大いにあるのだろうが、国民はそれを幸せに転嫁するという文化がある、と言う事なのだろうか?

 美味しいご飯を食べた時、飼いネコが笑つてくれた時などに幸せと感じることは、ある。
 幸福感というのはなかなかうまく記録できない感情である。一方、悲しさとか寂しさは記録しやすい。

 幸福感が入り込めないような時とはどんな時だろう。不幸としか言いようがない状態、幸福感が入り込めない状態が不幸なんだろう。

 不幸の最中に居るときは、いくら飯が美味かろうが、ネコが寄つてこようが、誰かが笑つてようが、心が動かない。でも幸いなことに人はそういう状況にも飽きるのか、適当に時間が解決してくれるように出来ている。悲しみをずっと持続させる、お気の毒と思わざるを得ない方々もいる。

 ある悲劇的な出来事が起こつて、不幸に陥っても、ずつと不幸ではない。ずつと幸せでいられないのと一緒である。ただ、幸福と不幸の持続時間を考えてみれば後者の持続時間は長い。

 もし、その悲劇的な出来事がずつと続いたらどうだろう。それはありえる。不運がつづくこともあるだろうし、ずつと保持される悲しみもあるだろう。

 幸福・不幸について考えて入れも、全く、結論めいたことが出てこない。暫定的結論も出ていない。それが今の到達点である。
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