福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

健康増進・医療にどこまで期待できるのか(1) 最も恵まれている日本人の最も不幸な姿

2017年10月02日 09時38分31秒 | 医療、医学
 昨年8月中旬、秋田市の川辺地区の健康講話会で「あなたは何才まで生きたいですか?」、9月中旬には秋田ゾンタクラブで「医療介護に頼らず長く生きる」と題する講演を行った。

 両者の講演に共通するコンセプトは、あまりにも不自然な、効果がほとんど期待できないような健康増進法がはびこっている、さらに、医療に対しても、特に新聞のニュースに取り上げられるような先進的医療に過度の期待を抱いている方々が多すぎるから、ソフトにアンチテーゼを提示した内容であった。

 今年も秋田ゾンタクラブから講演依頼が来た。昨年の講演が評判が良かったから、ということであったが、予定していた講師の何名からの承諾が得られなかったこと??で回り回って来たのだろう、と思う。今年も同じような演題、「健康増進・医療にどこまで期待できるのか」、にした。
 何も目新しいことを提示できるわけではないが、初めて聞きに来られた方にはちょと目新しいだろうし、リピーターの方々はなんか似たようなことを聞いたことがあるな、と思ったとしても、もう内容を忘れておられるだろうから問題はなかろう。

 日本人は世界でも有数の生活環境にあり、結果として平均寿命も世界一である。
 にもかかわらず、私の目から見ると総じて健康に過度の不安を抱えて生きているように見える。

 何故、現代人はこれほどまでに、健康に関することに、みな不安を持つようになったのだろうか。テレビや新聞は毎日、医療の問題や健康に関する情報を流し続けている。広告だって健康関連が目白押しである。
 医療や健康の情報はいくら流されても、医学知識がなくては患者側は十分な理解ができない。だから、不完全な情報に接した後で自らの健康状態と比較して不安に陥るのが常である。
 健康であることが何物にも優先した絶対的価値だと思っておられる方は多いが、ではその健康とはなにかとなると、なかなか自らうまく表現することはできないはずである。
 それは当然である。健康とはなにか、という基本が理解されていないのに、いい結果だけを求めるから、かつ、人生は全て「運」なのだ、と言う諦観や死生観などが確立していないから、ではないだろうか。

 現代人が何かの行為の動機として理解できるのは、「金銭欲、「快楽欲」、「健康欲」の三つである、という言葉がある。

 先進国に住む現代人は「食べる」、「住む」といった基本的な欲望が満たされたように見える。
 その次に興味を示すのは「健康」というものであろうことは理解できる。
 健康はある部分はお金で解決できるが、お金だけでは手に入れられないのが現実である。

 だからこそ「健康でありたい」と言う欲望は、いつになっても実現できないし、だから存在し続ける。
 その健康という欲望へ、産業もメディアも儲けるために群がってなだれこんでくる。だからこそさまざまな情報があふれている。
 
 視聴者は全員消化不良状態にある。その状態を、私は不幸なことだ、と思っている。
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