福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

本 吉村昭 「海の鼠」 新潮社 1973年  COVID-19対策と重なる地域社会の大混乱

2021年07月31日 15時18分59秒 | 書評
 本作は吉村昭著「魚影の群れ」に収録されている短編の一つ。
 ねずみ騒動は実際に起こった事件である。Wikipediaを参照しながら抄述すると、騒動は1949年-63年頃まで続いた、宇和海の島嶼部及び海岸部で起こったネズミの大量発生に伴う農作物や海産物等への被害、人的被害が生じた。翌1950年には日振島に、1954年には三浦半島、1960年には南宇和郡、北宇和郡津島町まで騒動は拡大した。
  島民にとってこの地は平地が乏しく生活用水も不足するなど厳しい生活環境であったが、ネズミにとっては天敵がおらず、温暖で環境が適し、いわしの煮干や甘藷、麦などの農作物、食料が
潤沢にあることで、他の地区から海を渡り、集団移転し定着したもの。7年後には120万匹に達したと思われた。

 ネズミによる具体的被害は
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(1)甘藷、麦、トウモロコシ、大豆、小豆など。
(2)いわしの煮干などの水産加工物。
(3)家屋や家具の被害。
(4)幼児がかじられるなど人身被害。
(5)島民の安眠妨害など
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 導入した駆除方法
(1)薬剤:黄燐製剤、デスモア、フラトールなど。
(2)器具:パチンコ式捕獲器、弓張式竹罠、鼠捕網
(3)天敵導入による駆除:青大将191匹、イタチ 156頭、猫4392匹導入
(4)ネズミの尾を一本5円で買い上げる等の捕鼠奨励制度
(5)栗のいがを鼠の穴に詰める、清掃など
しかしどの方策も、決定的な解決には結びつかなかった。
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 終息
(1)1963年頃より、不漁によるいわしの煮干製造の廃業、
(2)若者の村外流出による段々畑の耕作放棄など
(3)畑作の減少などで餌が乏しくなり生息環境が劣化し、ネズミの生息数は徐々に減少していった。
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 私はこのネズミ大発生事件をこの作品を読むまで不勉強にして知らなかった。
 折しも、今世界は、日本もCOVID-19の蔓延の最中にある。COVID-19と同様に、降って湧いたようにネズミの大群が島を襲い、定着し、住民の生活を大混乱におとしめた。
 島の住民達は郡や県、国に働きかけると共に、学者の意見を参考に上記のごとくの対策を行った。その多くは導入直後だけはそれなりに効果があったが、ネズミが慣れるのか効果は持続しなかった。
 結局は10年以上もこの被害は持続したが、やがて島の住民達の高齢化、過疎化で住民の経済活動も衰退し、ネズミ達も餌が確保できなくなり、自然と消滅していった。ネズミが生存環境が悪くなった島を放棄した、と考えられた。

 作家吉村昭氏はこのネズミ大量発生により被った島民の被害状況に注目し、島民の生活ぶりや被害状況を生々しくし描出している。氏はかなり抑制的にネズミと人間の関係を描写しているが、ネズミ嫌いの人は到底読めないだろうほどの迫力で描写している。
 多くは引用できないが、
 「海岸の岩石や砂浜が、一斉に動いている!!」
 「上方の斜面は、静止しているのに磯だけがかなり長い距離にわたってゆらいでいる!!」
 「黒々と動くのは岩や砂礫ではなく、おびただしい生き物の群れらしい!! 」
 「それは、重なるようにひしめきながら磯づたいに西から東へと移動している!!」
 「・・・・・・!!」

 ネズミの出現を最初に気づいた漁民の驚きを描いた数行であるが、事の重大さと、その後に起こるだろうネズミとの闘いの困難さを見事に予告している。
 吉村氏は入念な調査を重ね、この稀な騒動をわかりやすくまとめ提示した。

 私は座して読ませていただいたが、驚きと感謝の念で一杯である。

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ガレージの天井にスズメバチの巣 芸術的な形、色彩

2021年07月30日 01時46分13秒 | コラム、エッセイ
 我が家のガレージの天井にスズメバチの巣が作られていた。恐らくキイロスズメバチと思われる。キイロスズメバチは屋根裏、軒下などいたるところに巣を作る。巣の形は個性があって微妙に違うが、基本的にはどれも球体やとっくりのような形をしている。
 
 スズメバチは、4月くらいから活動をはじめ、5~6月あたりにとっくりを逆さにしたような巣を作り始め、7月くらいに丸い形状に変化していく。


 9月以降には直径が1mを超えることもある。その巨大なサイズの巣は子供の頃に田舎の物置の天井に作られていたのを見たことがある。

 スズメバチの巣の駆除は、危険度が高く、最悪の場合には死亡事故にもつながってしまう。だから基本的には駆除業者に依頼すべきと言われている。ただ、知識がある人が15cm程度までの小さな巣に対し重装備のガードをした上で慎重におこなうのであれば不可能ではない。

 私はなんでも自分でやってみる方である。サイズも形もちょうどよくて自分で駆除しようと心の準備していたのであるが、家内が病院の事務を通じて駆除業者に連絡したらしく2-3日後にはなくなっていた。一件落着となったが惜しかった、ちょっとがっかりした。
 病院では排気ダクトの中に作られた巣の駆除をしてもらったばかりと言うので、事務も業者も対応は早かった。しかも、病院では3万円ほどであったというが、我が家の場合は2回目の依頼にあたるので通常の半額で1万円だったという。病院とは別口の個人的注文なのに、と思ったがサービスしてくれた、と思うことにした。

 この蜂の巣を見たときに私は観光地にある熱気球を連想した。そっくりだったからである。
 
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東京五輪・パラリンピック2021(25) まさか私が生きて五輪を迎えるとは!!

2021年07月29日 16時20分20秒 | コラム、エッセイ
 石原都知事が2005年夏から運動を始め、2011年6月に招致の意思表明、2016年開催の候補地選考では最下位で落選。私は落選して当然と喜んだのだが、再び立候補し、2013年9月ブエノスアイレスでのIOC総会で20年夏季五輪開催都市を東京と決定し、私は落胆した。

 私は五輪に関心はない。
 1964年の東京五輪は受験期で、仙台で予備校に通っていてそれどころではなかった。画像で見たのは翌年夏、大村崑監督による記録映画を新潟の映画館で初めて見て感激した。この画像はさらに10数年後レーザーディスクで購入、じっくり楽しんだ。「東洋の魔女」の異名をとつた日紡貝塚バレーチーム、「マラソン銅メダリスト」の円谷選手をどうしても思い浮かべる。チェコのチャスラフスカの美技も素晴らしかった。
 
 しかし、それ以降、五輪は徐々に変質、理念から徐々に遠くなり、私は次第に興味を失ってしまった。

 だから、2013年9月、IOC総会で20年夏季五輪開催都市が東京と決定し、私は落胆した。「どうせ私には関係のないこと」と思ったのを思い出す。
 私はそのころの数年間、自分の不注意もあったが、体調を崩し、いろいろ健康上の不調が続いていた。

 「アキレス腱断裂手術」、「膀胱頚部硬化症手術」、「肺がんを疑われて経過観察」、「自転車同士の衝突による外傷」、「腸閉塞発症し腹腔鏡手術」、「脳梗塞発症」、「鼠径ヘルニア悪化と手術」・・・などなどである。その当時、「自分は長くは生きられないだろう・・」と考え終活を強力に進めていた。長く納めた年金も「少しでも回収しなければ損・・・」と考え、受領の手続きもした。

 2013年の徒然日記を見直した。
 今から思えば、そのころ私は若干下向きの姿勢で生きていたのだろう。70歳を迎える前であったが、7年後の2020年の東京五輪を生きて迎えることなど考え難かった。

 外来で70-80歳の高齢者10数名に五輪について聞いたところ、ほとんどが「東京に決まって嬉しい。7年後の五輪を楽しみに、その時までは元気に生きていたい・・」と明るくのたまわったのには驚いたものである。
 その時に答えてくれた高齢者の半数ほどは五輪を迎えることなく亡くなられたが、可能性が低いと諦めていた私が体調も改善し、8年後の今も生きて五輪を迎えているのは幸運だったと喜ぶべきであろう。

 今回の五輪についてはCOVID-19の蔓延の下での開催については政治的に、医学的に興味は尽きないが、競技自体は新聞記事で結果に若干触れるだけである。
 
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 1964年の東京五輪は日本に転機をもたらした。それは明らかである。しかしながらもうその価値は失われている。
 2005年夏、それでも多くの日本人は2回目の東京誘致を支持した。五輪神話は熱病のようにメディアで再演され、呪文として機能する。
 平成の停滞ムードの中で国民は、過去の五輪の再演によって輝かしい時代を招来しようとした。しかしながら、それは幻想であった。
  
 1964年当時の日本は工業化途上の貧しい国だった。その時代だから価値があった。
 沖縄からスタートした聖火リレーは全国を周りナショナリズムの高揚に役立った。当時日米はその関係において転機を迎えていた。1972年沖縄はわが国に返還された。 

 一方、国内では繊維産業には膨大な女子工員がいて多数の強豪チームが誕生したが、背景には労使関係の問題があり、「東洋の魔女」の輝かしい栄光は、不満のガス抜きの作用を果たしてしまった。
 円谷選手は福島の貧しい農家の末つ子、口減らしのために自衛隊に入った。彼は親譲りの律儀な性格を有しており、組織の期待とプレッシャーに耐えかね自死した。
 
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東京五輪・パラリンピック2021(24) 傷だらけの五輪(6) 開催後の状況

2021年07月28日 11時27分37秒 | 時事問題 社会問題
 傷だらけの五輪が開幕した。
 今まで沈黙を保っていたアスリート達は堰を切ったようにはつらつとプレイしている。この面だけとれば開催も是となるが、それに至るまでの非科学的な判断は責められなければなるまい。

 東京のCOVID-19感染者数はいまだにうなぎのぼり。しかも、変異株が隆盛、若者が感染者の大半を占めている。
 対コロナ対策として人類が成し得ていることは3蜜の回避とワクチンだけ。都会の社会的文化、人々の生活は3蜜によってもたらされているのだから、現実には予防は困難である。

 マスク、フェイスシールド、アクリル板・ビニールカーテンの遮蔽の効果は微々たるもの。治療薬はまだまだ有効なものはない。
 唯一の朗報はワクチン。その中で、中国製、ロシア製のワクチンの効果には疑問があるようだ。もともと両国の統計は初めから信頼性が低いから驚きはない。

 ファイザーを代表とする欧米製のワクチンは変雄株にも80数%の効果があるとされる。

 だから今のところ3蜜回避とワクチンしかない。
 ところが、五輪開会後東京は3蜜回避どころか人流はますます増えている・

 現在、都内の新規感染者数は3千人超となった。今後はうなぎのぼりに感染者が増えていく。これは専門家の多くが指摘していることである。関係者は危機感をあらわにする。

 都内の某病院では都の要請で4月にコロナ病床数を8床まで増やしたが、既に半数が埋まった。看護部長からは「これ以上増やせば人繰りは難しい」と報告を受けている、という。入院患者が8人を超えると外科系の医師が応援に入ることに。そうなれば通常診旗の制限につながってしまう。この例でもわかるように、COVID-19入院患者が増えるとあらゆる医療が影響を受けてしまう。第4波の大阪府のように、必要な医療を受けられずで亡くなるケースが相次ぐといった医療崩壊も現実味を帯びる。

 国や体も手をこまねいていたわけではない。労働省は3月、第3波や変異株を考慮して病床確保計画を見直すよう都道府県に要請、全国の保病床数を約3万床から約3万7千床まで増やした。東京でも千以上増の約6400床(7月2日時点)を確保した。しかし人手が足りない。

 五輪前後からの都民の感染急増に対して、IOCバッハ会長、菅首相とも五輪は関係ないとコメントしている。

 政府対策分科会・尾身会長は最も重要な危機に直面していると指摘している。尾身会長はかなり遠慮がちに政府の対応を責めているが、首相には危機感が伝わっていない。

 さて、総裁選挙が話題になりつつある。菅首相は続投の考えだが、その動きについても注目せざるを得ない。ただ、代わる後継者が見えてこない。
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東京五輪・パラリンピック2021(23) 傷だらけの五輪(5) 相次ぐ辞任劇

2021年07月27日 18時41分51秒 | 時事問題 社会問題
  傷だらけの五輪が開幕した。

 (3)JOC竹田恒和前会長が贈賄に関与??
 東京大会の招致委員会がシンガポールのコンサル会社に振り込んだ約4億4222万円をめぐって、当時の竹田理事長が贈賄の疑いで捜査対象になった。フランス司法当局が捜査を始めたらしい。不正の疑惑はJOCが設置した外部調査チームは違法性はないと結論付けていた。これも根拠不明。
 竹田氏は疑惑によって追い込まれる形で、任期満了時に退任した。部外者には何がなんだかよくわからない経過である。

 (4)マラソンの札幌移転(2019年)
 マラソンと競歩の会場が札幌に変更された。暑さを問題視したIOCが会場変更計画を発表、小池都知事は「突然の変更に驚きを感じる」と不満を露わにした。7月開催を決めたのはTV放映をめぐるIOCの都合だった。
 その後の協議で、会場変更に伴う費用は東京都に負担させないことや、今後他の競技の会場変更はしないことなどを条件に、小池知事はIOCの決定を容認。「合意なき決定です」と述べた。これも不可解。

 ■新型コロナで1年延期(2019年5月)
 COVID-19感染拡大の影響で、オリパラ史上初延期とされた。安倍・バッハ会談で決定したが決定の根拠不明。この時日本の感染者は二千人台。日本や世界規模の感染拡大から開催を望まない声が相次いだ。カナダのオリンピック・パラリンピック委員会は選手団を派遣しないと発表した。
 その後もCOVID-19は終息せず、全国の感染者は88万人に。2021年5月海外観客の受け入れを断念、9月に首都圏や福島などでの無観客開催が決定。これまでに東京に4回の緊急事態宣言が発令されたが、五輪開催ありきの宣言ではないかと批判が集まっている。

 ■森前会長の女性蔑視発言で辞任(21年2月)
 組織委の森喜朗前会長の女性蔑視発言は、記憶に新しい。
 2021年4月のIOC評議員会で「女性がたくさんいる会議は長くなる」と発言し、批判や辞任を求める声が相次いだ。85人の評議員中女性が3人だけという格差も問題視された。
 森氏は記者会見で発言を謝罪・撤回したが、進退や蔑視発言について追及する記者に対して声を荒げ、さらなる批判を浴び、森氏は会長を辞任した。
 さらに、後任選びでは、引責辞任する森氏の一存で、選手村の川淵三郎村長に会長就任を打診した。氏が組織委を勝手に牛耳っていた体制が問題視された。 後任には橋本聖子氏が就任した。

 ■容姿を侮辱する企画提案で開会式の統括者佐々木宏氏が辞任(2021年3月)
 開会式演出の総合統括だった佐々木宏氏が、お笑いタレント渡辺直美さんの容姿を侮辱するような演出を提案していたことが発覚。氏は組織委を通じて謝罪し、辞意を表明した。

 ■開会式の楽曲担当当小山田圭吾氏「いじめ加害」告白の過去で辞任(21年7月)
 開会式の楽曲担当小山田圭吾氏が小中学校時代に「いじめの加害者だった」と告白する過去の雑誌インタビューが掘り返された。発言への批判が炎上し、氏は辞任を申し出た。問題のインタビューの聞き手だった「ロッキング・オン・ジャパン」編集長も声明で謝罪。自身の取材姿勢や掲載判断について「いじめという問題に対しての倫理観や真摯さに欠ける間違った行為」と振り返った。
 また、同じく小山田氏がいじめに参加していたことを語っていた「クイック・ジャパ ン」を発行する太田出版も謝罪した。

 まだまだあるがこの辺で。

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