福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

「となりの三尺」 「傘かしげ」

2011年04月30日 18時46分32秒 | コラム、エッセイ
 昔からの言い伝えに良いものがたくさんある。いろいろ教訓になる。

 その中の一つに「隣の三尺」がある。これだけでは何のことか全く分からないが、「自分の家の前だけを箒で掃くのではなく、ホンの少し、三尺程度お隣さんの所も掃いてあげましょう」、と言う気持ちのことである。社会人、組織人としてあるべき心だと思う。

 日常生活においても仕事上でも近いところにいる人がお互いにそんな気持ちでいられたらいい。 確か、この言葉は医療のリスクマネージメントの分野でも用いられていたと思う。多職種が関与して成り立っている医療の世界、いまチーム医療を目指す現場にはどの職種員であっても必要な配慮である。医療人がこの様な気持ちにあると医療事故の発生件数は問違いなく減少するだろうし、よしんば生じたとしても被害の拡大を防ぐことが出来る。良く引用される例であるが、「ちょっと湯を沸かしているけど見てて・・」と同僚に頼んで席を外し、戻ってみたら激しく吹きこぼれ、テーブルが湯まみれになっていた、と言う。同僚は「見てたら沸騰しました・・」とケロッとして答えたという。

 似たような言葉に「傘かしげ」「こぶし腰浮かせ」という言葉もある。

 ただ、逆の言葉に「小さな親切、大きなお世話」もあるから一筋縄ではない。
 まあ言えることは、自分の領域だけを守っていれば良いと、みんなが自己中心的にしていると、次第に境界線付近の掃除、業務が疎かになる。隣近所付き合いの上では境界線を異常に意識してわだかまりの因にもなる。

 結局はケースバイケースと言うことになるが、どちらにせよあまり了見の狭いことを言わずにちょっとだけ配慮してあげればいい。
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医療事故、医事紛争は何故減らないか?(14)その背景(3)露骨な責任回避の態度が不信の元

2011年04月29日 09時58分41秒 | 医療、医学
 ある病院に入院中の高齢患者が転倒して骨折し、私共の病院で手術を受け、リハビリテーションも済んで退院した。
 聞くところによると骨折に関する医療費の支払いをめぐって病院と患者家族の間でもめているとのことである。最終的にどちらが支払うか未だ決まっていないが、病院側はとりあえず立て替える形にした、という。

 このケースは私共の病院が関与する問題ではないが、高齢の入院患者の転倒は日常的に生じるので、この件について若干考えてみた。
 結論から言えば、この転倒事故において医療費をどちらが支払うかは、病院側に過失があったか否かによって決まることになる。病院側に過失があれば、その内容によっては全部または一部は病院が支払うこととなるだろう。

 病院側の責任の有無は、患者の転倒骨折が予見可能であったか否か、回避する努力がなされていたのか、がポイントとなる。病院の安全管理上の判断で転倒骨折が予見される状態であり、なおかつ回避義携を怠った場合には、義務違反、つまり、過失があることになる。このような過失の有無については、損害賠償などで法的係争によって解決しなければならない状況にも至る。

 それ以前に、実際には事故後の最初の患者や家族への説明の場が問題になる。トラブル回避としてはこちらの方が重要である。
 私共の病院でも「皆さんのご意見をお聞かせ下さい」と目安箱を用意している。それに寄せられる内容は「医師への苦情」、「医療に対する不信」、「医師の説明不足」が代表であるが、これからもわかるように、医師への要求度が高く、厳しい視線を向けている。そして、不信感を持ち、納得できない場合には病院への行動は徐々にエスカレートしていく。そのようなケースを調べてみると原因の多くは、患者側と医療者側のコミュニケーション上のすれ違いから始まっている。
 最初はほんの小さな疑問でも時間と共にわだかまりが高じてきて、対話を重なるうちにかえって溝が深まり、もう何も信じられなくなる場合も少なくない。こうなると解決に向けた話し合いは出来ない。

 特に最初の説明の中で、病院に落ち度はないという防衛的な説明や態度を示されるとかえって何かあったのではないか、と言う不信感を持つ。文頭の患者の場合も、一方的に「病院にミスはない」という説明が家族の不信につながったようである。
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女優田中好子さん死去(2)キャンディーズは「夢のカリフォルニア」が良い

2011年04月28日 13時59分13秒 | スポーツ、相撲、芸能など
 キャンディーズは、ザ・ピーナツ、ピンクレディと共にわが国の歌謡界にとって長く長く記憶に残るグループだと思う。
 昭和48年少女3人組のキャンディーズがデビュー、昭和53年に「普通の女の子に戻りたい」と名言を残して解散した。活動期が僅か5年間しかなかった? 改めて活躍期間の短さと、その間の人気の高さが分かるというものである。昭和48年は私は秋田に転居してきた年である。私も同時代を生きてきたので好むと好まざるとにかかわらず彼女らの歌が耳に入ってきたし、映像も何度も何度も見る機会があった。

 私はキャンディーズにそれほど興味を持っていたわけではない。似たような声域の場合、二人ならまだ良いのであるが、三人以上となると音楽的に自ずと限界があり、聴いていても苦しい。そうは言っても、あの3人が歌うステージの中継などは、なかなか良いものであった。気持ちが明るくなった。ただ、彼女らは一挙一動すべてが演出家、プロダクションの指示通りで、彼女らは単にロボットに過ぎなかったのだ、と思う。だから、ぎこちなさもあった。これも三人と言う組み合わせのなせるところであり、自由度はとても少なかったのであろう。売り出し直後ならまだしも、人気が出る毎に「私たちは誰??私たちは一体何なの??」と、迷い、壁に突き当たったのではないだろうか、と予想する。確か、解散時はプロダクションとかなり揉めていたような気がする。

 キャンディーズの曲の中で「春一番」等数曲は挙げることが出来るが、しっとりとした曲が少なく、私は彼女らの歌はあまり好みではない。ただ一曲だけ、パパス & ママスの代表曲「夢のカリフォルニア」はキャンディーズのカバーした録音を通じて知り、繰り返し繰り返し楽しんで来た。FM番組からカセットにに録音した音源だからそれほど音質は良くない。それでも私にとっては彼女らの曲中でベストワンであった。この曲を、30年近く経ってから秋大の心臓血管外科の忘年会のバンドに混じって私も何度か演奏した。曲そのものが名曲であるが、この曲に接する度に彼女らのハーモニーが私の頭の中をいつも占拠する。

 亡くなった田中さんは昭和55年に芸能界へ復帰し、間もなく女優業に専念した、と言う。その程度のことは知っていたし、映画で数々の賞を得たこと、おしん他、NHKの連続ドラマにも出演していた事も新聞等で知っていたが、実際には私は彼女の女優としての姿を一度も映像で見た事がない。この度、祭壇に飾られた近影を見た。とても美しく良い表情だと思った。

 田中さんは若くして白血病で亡くなった夏目雅子さんとは義妹とのこと。私は講演等で夏目さんの生き方についても話すことがあるが、今後は葬儀で自らの言葉で挨拶をした田中さんのことも引用させてもらいたいと思っている。
 随分長い間闘病されていたことも先日知った。ご冥福をお祈りしたい。
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女優田中好子さん死去(1)自らの声で挨拶ー天国で被災者の方の役に立ちたい

2011年04月27日 08時40分11秒 | スポーツ、相撲、芸能など
 本日17:00NHK第一のニュースで、4月21日に乳がんで亡くなった、元キャンディーズのメンバーで女優の田中好子さんの告別式の様子が報道された。

 私は先々からNHKが芸能人、スポーツ選手等の私的分野の話題ニュース等で大々的に取り挙げることを不快思っていたので、またか、と思いながら流していた。その中で彼女が自ら用意した録音音声で列席された方々に挨拶をした、という。

 私は中年以降の方々を対象とした講演の機会が随分あったがその中で、一人一人が自分に相応しい死生観を持つように、具体的には自分の葬儀も自分で用意し納得の上で死ぬ、葬儀の際には自分の声で参列者にお礼を述べるくらいでなければならないのだ、そのことを通じて残り少ない人生をより意義深く生きる事が出来る、とこの20年来、何10回も述べてきた。勿論、私自身もそのつもりでいる。

 しかし、生前葬と言った半ば遊び半分?の試みの例は幾つか知っているが、実際に録音まで準備したというケースは知らなかった。式の最中、本人の肉声が流れ、会場は氷を打ったように静かになった、と言う。NHKはご丁寧に、彼女の録音を流した。勿論、全部では無かろう、1-2分だったと思うが私も聴き入りレコーダーのボタンを押した。

 挨拶は「こんにちは、・・・」とか細い声で始まった。亡くなる20日ほど前の録音と言うが、私の印象ではとてもその時期と思えないしっかりした口調だった。「・・今日はは3月29日、東日本大震災から2週間が経ちました。被災された皆様のことを思うと、心が破裂するような・・・、ご冥福をお祈りするばかりです。私も一生懸命病気と闘ってきましたが、もしかすると負けてしまうかもしれません。その時は、必ず、天国で、被災された方のお役にたちたい・・。今日、お集りいただいている皆様に、お礼を伝えたくて、このテープを託します・・ さようなら。」

 NHKが彼女のことを詳しく取りあげ、ご丁寧にも彼女の録音まで流した。「ここまでやるか」、と言うのが聞いた後の感想であり、ニュースに取りあげたこと自体を私は是とするものではない。しかし、彼女は自分の死を通じて大きな事を成し遂げた、と思う。多分聴いた方々は何かを感じ取ったはずである。そのことについては大きく評価したい。特に、録音から分かるが、かなり息苦しい状況の中での録音だったのであろう。それにも関わらず、東日本大震災の被害者の方々への気持ちを語ったことに私は感じ入った。

 私はもう少しは生きられそうだ。この録音を聴いて、今後の被災地への支援について私がどう関わるべきか、またいろいろ考えさせられた。
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秋田青少年オーケストラ第34回定期演奏会 素晴らしかった交響曲25番

2011年04月26日 06時30分47秒 | 音楽談義
 4月24日(日)に秋田青少年オーケストラ第34回定期演奏会があった。
 私は地元の団体の演奏は出来るだけ聴くようにしているが、親しみを感じていたアトリオン室内オーケストラ(ACO)が活動を停止したので寂しい限りである。

 この青少年オケの定期演奏会は8割り方は聴いている。 今後はこのオケの活動に注目し、「秋田青少年オーケストラを育てる会」を通じて微力ながら援助していきたい、と思っている。午後、やや強い風のもと自転車で出かけホール地下の駐輪場に自転車を預けた。客席は7割方と予想していた以上の入りであった。

 指揮は秋田市出身のプロ指揮者佐々木新平氏。東京シティフィルの研究員として常任指揮者を補佐している他、豊島区管弦楽団で常任を勤めているとのこと。秋田南高から東京学芸大学に進み、更に桐朋学園大学で学んだという。秋田出身の音楽家が次々と輩出している。喜ばしいことである。

 演奏曲はプログラムによると、 ■ヴィヴァルディ作曲:合奏協奏曲『調和の霊感』作品3-8■パッヘルベル作曲:カノン■メンデルスゾーン作曲:弦楽のための交響曲第10番■ヴィヴァルディ作曲:合奏協奏曲四季より『春』 ■モーツアルト作曲:交響曲第25番卜短調。

 2曲目、3曲目は意識を失ったので演奏されたか否か判断できない。休憩時間には東日本大震災への募金もあった。私は駐輪場の経費だけ残して持参金全てを箱に入れた。

 演奏メンバーとしてパンフレットを見ると,管や低音弦を中心に賛助出演の方が26名でオケのメンバーは22名であった。賛助出演の方がこれだけ多数参加していたこともあって技術的破綻はなく、弦のアンサンブルも良好、メリハリの利いたなかなか良い内容で私は十分に楽しめたし、感心もした。
 このオケがより高度の演奏を目指すことは良いこととは思うが、管楽器セクションは別として賛助出演の方を多数加えて演奏することが果たして良いことなのか検討を要すると思う。かつては、演奏は勿論それなりではあったが、子ども達の、青少年達のオケとしての姿を懐かしみつつ、楽器に親しむ子ども達が参加しやすい環境はそのままなのか、愛好者育成という意味ではこちらの方も大事な一面でないか、とちょっと心配した。

 私は病院で業務を残していたので最後の曲が終了した時点で余韻を味わうことなく席を立った。
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