○○429『自然と人間の歴史・日本篇』1970年代からのアメリカのンピュータ産業の発展と日本

2017-08-10 08:18:44 | Weblog

429『自然と人間の歴史・日本篇』1970年代からのアメリカのンピュータ産業の発展と日本

 1970年代からは、アメリカでコンピュータ技術・産業が発展の劃期を迎える。コンピュータは、ソフトウエアとハードウエアの総合によるものであって、CPU(中央処理装置)、OS(オペレーション・システム)、PC(パソコン)産業の歩みをひもといてみたい。丸尾(筆者)は、アメリカにおける同産業の20世紀末までの大まかな歩みをこうまとめている。
 「1969年、現在のインテルの最大のライバル「AMD社」が設立されました。
 1971年12月、Intel社が4ビットのマイクロプロセッサ「4004」を開発しました。この時にはまだパソコンは市場に登場していませんでした。
 1972年、Intel社が8ビットのマイクロプロセッサ(8008)を開発しました。これは、16KBのメモリ領域を搭載し、200KHz動作で3500個のトランジスタを集積していました。
 1974年、同社によるこの改良型の16ビットプロセッサ「8080」(64KBのメモリ領域、6000個のトランジスタ、2MHzで動作し製品プロセスルールも6μmと細分化されていました)が開発されました。
 1975年、ビル・ゲイツ(Bill Gates)とポール・アレン(Paul Allen)がマイクロソフト(Microsoft)社を設立しました。同社のOSとしてのMS-DOSは、IBM PCのためにIntelの16ビットプロセッサ8088用に作成されたものでした。Intel社の16ビットプロセッサ8088は8086の廉価版ではあるが、ソフトウェア的には8086と同等であった。そのため、8088用のソフトウェアは8086でも動作させることができました。
 この頃になると、Intel以外の各半導体メーカーも独自のマイクロプロセッサを販売し始めました。
 1974年、8ビットマイクロプロセッサZ-80(Zilog社)、68000(モトローラ社)の開発がそれぞれありました。
(参考:「伊藤のWebページ」:http://itf.que.jp/では、このZ80のCPUの分解写真が紹介されています。また、加藤ただし氏の「動かしながら理解するCPUの歴史」ブルーバックス、2010など多数)
 1975年、Intel社が「8080の後継品「8085」(製造プロセス3μm, 動作クロック3MHz)を発表しました。
 1976年、同社が16ビットCPU「8086」(製造プロセス3μm, 動作クロック 5MHz,8MHz,10MHz)を発表しました。
 1976年、NECから Intel の 8080 と互換性のある 自社製の CPU を搭載したトレーニングキット「TK-80」が発売されました。これを動かすには機械語の知識が要求されるものでしたが、マイクロコンピュータブームに火をつけることになりました。これに呼応して、他のメーカーからも同様のものが続々と発売されました。
 1976年、スティーブ・ウォズニアック(Steve Wozniak)とスティーブ・ジョブズ(Steve Jobs)がアップルコンピュータ(Apple Computer Company)を設立しました。彼らの最初の商品(いわゆる「ガレージ作品」)は、CPUに MOS Technology 社の 「6502」を使用してウォズニアックが設計担当で作った「Apple 1」で、このコンピュータはキーボードのコネクターがあり、カセットテープおよびテレビ用のインターフェース付きで、ジョブズの作ったBASICを走らせることができました。
 1977年、Apple社が「Apple II」を発売しました。これが当たって、PCの時代が到来します。これが先駆けとなり、この後多くのメーカーが独自のパーソナルコンピュータを売出すことになりました。日本のメーカーでは、日本電気(NEC)がPCー8000シリーズを発売します。
 1978年 Intel社が16ビットマイクロプロセッサの開発に成功しました。同年、NECが「BASIC」を搭載して使いやすくした、「TK-80 BS」を発売しました。
 1979年、AT&T Bell研究所がDSPを開発しました。同年、NECがZilog社の8ビットCPU、Z-80互換の自社製CPUを使用し、Microsoft製の「BASIC」を搭載した「PC-8000」を発売しました。これが日本で最初の「パーソナル・コンピュータ」となりました。また同年、モトローラ社が「モトローラ68000」 を発表しました。これは、内部32ビット、外部バス16ビットのCPU。初期のワークステーションで採用された代表的なCPUとして1984年に登場したアップル Macintosh でも採用されることになります。
 1981年、IBM社が初のパーソナルコンピュータ(PC)を出荷しました。
 1982年、 ロッド・キャニオンはコンバックコンピュータ社を、またミッチー・ケイパーはロータスディベロップメント社をそれぞれ設立しました。同年、NECが 16 ビットのパソコン「PC-9801」と「N-5200」の販売を開始しました。これは、OSに「MS-DOS」を採用し、漢字フォントをROMとして搭載し、日本語を使えるパーソナルコンピュータであったため日本での販路を拡大しました。「Windows」が浸透するまで、日本のパーソナルコンピュータの標準機的存在となったのです。
 1982年月、Intel社がそれまで別チップとなっていた周辺チップをCPU内部に集約させたプロセッサ「80186」を開発しました。続いて3月、8086/8088の後継16ビットCPU「80286」を開発しました。これは製造プロセス1.5μm、動作クロック6MHzで新たにプロテクトモードが導入され、16MBまでのメモリ空間を持つ優れものでした。同社のこの80286はIBMのIBM PC/ATに採用されました。IBM PC/ATは現在のDOS/Vパソコンの原型となっています。
 1984年、モトローラ社により「 MC68020」が発表されました。これは、外部バスも32ビット化した本格的な 32ビットCPU。業務用ワークステーションやMacintoshで採用されました。
 1983~84年、Intel社により32ビットのマイクロプロセッサ「CPU80386」が開発・発売されました。
 1984年、アップルコンピュータ社のMacintosh(初めてのGUI使用OS搭載) が登場しました。しかし、IBMのPC供給に係るトップの座は揺らぎませんでした。
 同年、IBM社 が「PC/AT」の販売を開始しました。「PC/AT」のOSが「IBM DOSバージョンJ4.0/V」になって、IBM PC およびその互換機でも日本語が使用できるようになって日本の販路を拡大しました。このIBM社の「オープン・アーキテクチャー」戦略によって、ソフトウェアや周辺機器が豊富に供給され、市場競争においてPC/AT互換機が生き残ったといえるでしょう。
 1985年年10月、Intel社がDRAM事業からの撤退を決めました。同社は日本の半導体メモリメーカーの攻勢に押されてDRAMから撤退し、CPU事業に力を注ぐことになります。一方、1980年代を通じNEC、米ハリス、AMDなどのCPUメーカーにおいてはセカンドソースでインテル互換CPUの生産を続けていました。
 また同年、日本のジャストシステムがワープロ”一太郎”を廉価で発売し、日本市場でヒット商品になりました。この年、Microsoft社によりMicrosoft Windows 1.0が販売開始となりました。
 1986年、Microsoft社によるWindows(同社のMS-DOSとは別のパソコン用OSとして)のバージョン1.0が発売されました。
 1987年、Microsoft社が、Microsoft Windows 2.0を発売しました。同年、 Apple社がMacintoshⅡを発表しました。同年、セイコーエプソンがNECのPC-9801への互換機PC-286発売しましたが、NECはこれに対し著作権侵害を指摘しました。
 1988年、IBM社はミニコンピュータAS/400を発売しました。
 1992年、そのバージョン・アップであるWindows 3.1がPC/AT互換機用の標準OSとして爆発的に普及しました(対日本への影響は、1993年にはMicrosoft社がWindows3.1日本語版を出荷、同年に富士通がFMVシリーズを発売、DOS/V路線に転換など)。
 1993年、別の系統であるWindows NTシリーズ( Microsoft社、1992年にOS/2 ver3.0を改名してWindowsNTに )が発売開始となりました。これは、ネットワークサーバ用途を前提に開発されたWindows3とは構造が異なるものでした。それは、32ビットOSとして、Windows9xシリーズと比較して高い安定性、優れたパフォーマンスとセキュリティ機能を備えていました。
 1995年、Windows 95が発売されました。3.1まではMS-DOSにGUI環境を構築するための拡張ソフトウェアでしたが、Windows 3.1の後継として発売されたこのWindows 95からは独立したOSとして機能するようになりました。
 1998年、Microsoft社によるWindows 95の後継であるWindows 98が発売されました。その後さらにバージョンアップしたWindows Meが発売されました。
 一方、Windows NTシリーズとWindows 9xはWin32という共通のAPIを備えているため、Windows 9xで動作する多くのアプリケーションソフトはそのままWindows NTでも動かすことができました。
このため、Windows NT系列のOSはサーバ・ワークステーション・ハイエンドパソコン向けのWindows 2000からWindows 9x系の機能を豊富に取り込むようになり、その後継にあたるWindows XPでは家庭用パソコン向けにもNTベースのシステムを採用されました。
 このような動きの中で、日本メーカーの多くはIBM互換機の進歩には追いつかなくなり、富士通や東芝はIBM互換機メーカーへと転じていきました。富士通はここで、互換機の特徴を生かし、安いコストのパソコンを発売し、NECと国内シェアをしだいに互角に争うようになっていきます。そのために、日本市場は完全にIBM及び互換機メーカーとNECの98シリーズとに二分されていきました。1998年にはNECも98シリーズを放棄し、IBM社の一互換メーカーの一つになっていきました。
 1998年1月 コンパックが DEC社を買収しました。これは情報産業の再編が進みつつあった中での大きな事件の1つであり、DECの保有していたStrongARMはIntel社に売却されました。」(拙ホームページ「アメリカの政治経済社会の歩み」より加筆して転載)

(続く)

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