◻️211の10『岡山の今昔』岡山人(20世紀、芦田高子)

2020-01-27 22:08:07 | Weblog

211の10『岡山の今昔』岡山人(20世紀、芦田高子)

 芦田高子(あしだたかこ、1907~1979)は、勝田郡勝北町(現在の津山市勝北)の生まれ。梅花女子専門学校を卒業する。

 1947年(昭和22年)には、歌誌「新歌人」を主宰する。晩年は金沢に住む。
 作品では内灘反基地闘争に材を取ったヒューマンな「内灘(うちなだ)」が代表作だといえようか。他にも、歌集に「兼六園」「白き魔」など。


 これらのうち「内灘」というのは、1953年(昭和28年)、石川県金沢の内灘砂丘を接収し、米軍砲弾試射場にした政府、その計画に怒った村人や労働者・市民が反対の行動に立ち上がる。
 そんな中、6月に射撃訓練が始まると、これに抗して村民約700人が着弾地の権現森(ごんげんもり)に座り込む。昼夜分かたずの時もあったと伝わる、その後約4年にわたり「基地撤去闘争」が続く。

 その時、座り込みの中心になったのが「おかか様」と呼ばれる漁師の妻たち。これをニュースで知った芦田は、わざわざその現場に出かける。彼女たちと寝起きをともにしながら、抗議の座り込みにも加わりながらなのであろうか、歌を詠む。
 「午前九時試射始まれど射程延長させじと主婦ら座してゆるがず」、「砲弾に射たれ死なんといへる老婆の言終わらぬにみな声あげて泣く」
 津山を詠んだ歌としては、丹後山に歌碑があり、1980年11月の設置にして、「ふるさとをよぶこえにあふれいる時も晴れて静かなり春の大那岐」とある。

(続く)

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