マリヤンカ mariyanka

日常のつれづれ、身の回りの自然や風景写真。音楽や映画や読書日記。手づくり作品の展示など。

続けて、布絵

2017-01-31 | 手づくり
1枚完成したらまた作りたくなったので、
今度はテーブルの上に出ていたグラスとカップを。

頭の中で思い描いているようなのは、なかなか作れない。
でも、そこは相手が布なので、
やり始めれば、
思っているのとは違う効果が生まれてくるのが楽しい。


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鮮やかな緑

2017-01-27 | 手づくり

冬枯れの中でも、
ハッとするような緑の葉を保っている植物があります。
光合成は偉大だ!

色が鮮やか過ぎて
結局着れなかったエメラルドグリーンの木綿のスカート。
パッチワーク用に、と思って取っておいたのを忘れていました。
段ボール箱の底から発見。
その鮮やかな色を見て、
緑の葉の布絵?を作ろう、
と思いたちました。

いつもの、手から出まかせのアップリケと刺繍です。
出まかせなので、下絵も、下書きも何もなし。
布をハサミで切って、並べ、
刺繍糸で留めて、隙間を刺繍で埋めていきました。



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思い出の汽車

2017-01-24 | Weblog
お弁当のことを考えていたら、
ふと汽車弁当を思い出しました。
汽船、汽笛、汽車、「汽」の文字を描いただけでも、ノスタルジーを感じてしまします。
汽車を描いた魅力的な絵本がたくさんあります。

(イブ・スパンク・オルセン、作、絵『はしれ ちいさい きかんしゃ』)

ウン十年前、小学校へ行くには山陽本線の踏切を渡らなければなりませんでした。
長い長い貨物列車、車両を数えるのにも飽きて、
汽車の地響きを身体中で感じながら、
通り過ぎるのを、ただじーっと待ちました。

何に数回、父母の実家のある京都まで、
山陽本線に乗り、6時間とか8時間とかかけて行きました。
誰かが、トンネルだ、と叫ぶとみんな立ち上がり、一斉に窓を閉めます。
うっかり閉め遅れると、汽車の煙突の煙が車内に流れ込んで、
鼻の中まで真っ黒けになります。
煤の匂いを思い出します。
こう配がきつい坂に差しかかると、
汽車の音が変わりました。
頑張れ頑張れと、思わず力が入りました。
時々誰かの帽子とかが、窓の外を飛んで行きました。

(スズキ コージ 作・絵『エンソくん きしゃにのる』)

駅に着けば、肩からつりさげた箱に弁当を積み上げた弁当売りが、
何人も待ち構えていて、「弁当~弁当~」と大きな声で
ホームの端から端まで行ったり来たり。
窓から身を乗り出して、我先にと弁当を買う。
その喧騒が懐かしい!
お茶は陶器の小さな「どびん」に入っていました。

(瀬田貞二作、寺島竜一画『きしゃは ずんずん やってくる』)

たちまち汽車はディーゼルになり、電車になり、新幹線になりました。
新幹線には旅情がありません。

(鈴木晋一作、竹山博画『ちいさな きかんしゃ』)

40年近く前に亡くなった祖父(1894年生れ)にとって、
汽車はもっとずっと懐かしいものでした。
下の絵は祖父が、もう大分忘れた…、と言いながら
孫(私たち)のためにサインペンで描いた「汽車」です。
子どもの頃、繰り返し描いたそうです。





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パンもご飯も、神様も仏さまも

2017-01-20 | Weblog
ものごころつく頃から朝はパンと紅茶でした。
熱くて濃いミルクティを飲まないと目が覚めません。
昼は昨夜の残りや、麺類などを食べ、
夜はご飯を食べます。
私のようなパターンの人は結構多いと思います。


パンも様々
フランスパンも、ロールパンも、食パンや、フォッカッチャも、
時にはナンやピザも作って食べます。
全部大好き。
こんな風にイタリアンもアジアンも、
フレンチもアメリカンもメキシカンも何でもありの食事を
日常的に美味しく食べているのは、世界広しと言えども日本くらいかもしれません。


神社に行ったら、柏手打って、
お寺に行ったら静かに手を合わせ、
教会では十字架の下で誓いを交わし、
山道で小さな祠を見かけたら、
ちょっと頭を下げて通り過ぎ、
井戸や大岩にしめ縄がかけてあるのを見かければ、
5円玉や10円玉を供えたり、
そのめちゃくちゃいいかげんな、宗教感は、
美味しいものなら何でも食べる感覚と近い気がします。
神様はどこにでも居て、
ありとあらゆる姿をしているのです。
私は今では、その信仰のいい加減さが気に入っています。

一神教は自分たちの信じる神様だけが
ただ一つの本当の神様、と信じているので、
他の宗教を信じる人に自分たちの神様を押し付けようとしたり、
他の宗教を信じる人を攻撃したりしてしまいます。


日本でも明治時代から昭和の戦争が終るまで、
国家神道だけがただ一つの神様だと押し付けられました。

山や森や水や木に棲む神様は打ち捨てられ、
仏教も国家神道に従属してしまいました。
戦争が終り、やっと、神様は、
どこにでも居て、
誰も拘束しない古来の姿になったのに、
またぞろ神社本庁は政治との結びつきを強め、
他の神様の上にたつ権力を持とうと画策しています。
戦前のように威張りたい、
そう思っているらしい神社が増えているのが不気味です。

今日はフォッカッチャを焼きました。
オリーブの香りも香ばしいイタリアのパンです。
明日の朝が楽しみ!








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パンと雪

2017-01-18 | 手づくり
いつものように粉を量り、
いつものように捏ねて醗酵させて、
面倒でもあるけど楽しいパン作り。
やわらかくてふわふわ、
この感触に一番近いのは赤ちゃんのほっぺたかな。

庭には雪の玉がのこっています。



パンは焼くと、こうなりました。

そしてパンは食べて無くなり、
雪は溶けて無くなりました。
(我家は皆こんな遊びが大好きですが、
「ゆきだるま」を作ったのは私ではありません。)

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2017-01-16 | Weblog
静かだ、雪が降っているのだろう。
時計を見たらまだ5時過ぎ。
窓を開けて見ると白い世界。
街灯のしただけ雪が降っているのがくっきり見える。
誰かが雪を踏みしめてあるいて行った。


朝になり起きたらもう日が差して雪が解け始めていた。


川辺、


森の入口


森の中の小川
木に積った雪が溶け、
ぽたぽたと水面に落ちて
波紋を描く。


この辺りではこんなに雪が降るのは一年にほんの数回しかない。
長靴をはいて、カートを引っ張って買い物に出掛けたが、
日の当る所はもう雪がない。
正面は大文字山。









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冬の日

2017-01-14 | 自然
図書館に本を返しに行って、
また何冊か借りて、自転車のかごに載せて、
自転車を押して高野川べりを暫く歩いたら、
身体がポカポカしてきました。

川の向こう岸とこちら側、
川上と川下と、まったく表情が違います。
そして、冬の日差しを受けて鈍く光る川面も、
風に吹かれて、やせてねじれた草の穂も、
次の瞬間には違う姿を見せます。

シラサギがたくさん集まって休んでいました。
よく見れば小さな鳥たちもたくさんいました。

家に帰り、カーテンを開けると、
「あられ」がパラパラと降ってきました。
いいタイミングでした。
あられの中で、今頃シラサギたちはどうしているかな。

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「人を見たら泥棒とおもえ」

2017-01-12 | Weblog

「人を見たら泥棒と思え」という格言は、
たぶん、他人を信用するな、という意味だと思います。

人を信用できない人間は、
泥棒には出合わないかもしれませんが、
寂しい人生を送ることになるでしょう。

今、小学生たちは
他人から声を掛けられても、
不審者か、変態か、誘拐犯かもしれないから、
知らんふりりをして通り過ぎなくてはいけないそうです。
また、傘や自転車やカバン等の見える所に名前を書いてはいけないそうです。
随分前から学級名簿などもなくなり、
父兄の横のつながりも希薄になりました。
子どもたち同士で、宿題を聞きに行きたくても、
年賀状を送ろうと思っても住所が分かりません。

不信と心配ばかりが膨れ上がっていけば、
親は自分の子供だけ、
子は自分の親だけしか見えなくなるでしょう。
精神は委縮し、
穏かで、和やかな広い世界はどんどん遠ざかります。

通学路でのおじさん、おばさんらとの出会いによるプラスと、
それらを全て遠ざけることによるプラスと
どちらが大きいか比べて欲しいと思います。

小さな子どもが独りでバスや電車に乗って
遠くの学校や塾に通う方が色々な意味でよっぽど危険、
と私は思うのですが。

子どもを温かく見守る社会であってほしい。



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オランダの風車

2017-01-08 | Weblog
嬉しいニュースです。
オランダでは、このお正月から
国内を走る電車のエネルギーに「風車」(動画)で発電した電気を使い始めました。
そして3年以内に国内全ての電車への電力供給を風力発電でまかなうことを決めたのだそうです。
やればできることを証明してくれました。
オランダには長い風車の歴史があります。
さらに風車といっても、羽の無いのや、
最近はいろいろな仕組みのものがあるそうです。

日本にもかつてはそこ此処に水車がありました。
また、火山などの地熱は大いに利用できそうです。

火山国のアイスランドでは、
地熱を利用して、
住宅の暖房や給湯、家庭菜園用ハウスの暖房などのために、
わずかな料金でお湯がたっぷりと供給されているのだそうです。
原発に固執する日本は、
世界の進歩からどんどん取り残されていってる感じです。


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お正月料理、その後

2017-01-05 | グルメ
おせち料理は31日に作って、
料理ごとに小分けして、タッパーに入れて冷蔵庫にしまいます。
元日の昼、または夜に冷蔵庫から出してお重に詰めます。
古い大きな3段重ですが、
黒豆や栗きんとん、なます、
煮〆(今年は炒りどり)など、どっさり作ったので、
半分位は冷蔵庫にそのまま残します。
また、昆布〆なども
半分は冷凍庫にそのまま入れておきます。
元日の夜、重箱のお節をみんなで食べます。

お正月2日目の夜には、
今度は大皿と大きな鉢に盛り合わせて出します。
それで殆ど食べ尽くしますが、
それでも残ったものは、
3日のお昼に、お餅を焼いて、
つまんで食べます。
そんな訳でお節は凡そ3日間に渡って食べます。
そして、3日の夜は、鍋かすき焼き、というのが例年のパターンです。
今年は、富山のサス(メカジキ)やアマエビやイカやタイやヒラメやカマスの生の魚の昆布〆をいただいたので、
とても豪華なお節になりました。

京都のニシンの昆布巻き(購入したもの)、
龍飛巻き(購入したもの)もあります。
また頑張って鮎の甘露煮(鮎をもらった)も作りました。
下焼きをして、昆布を引いた鍋に並べ、
山椒の実をたっぷり入れて煮詰めました。

それにしても、お正月のお料理はなんて昆布をたくさん使うのでしょう!
お出しも昆布で取ります・・・
味の決め手になっています。

お正月料理はほぼ食べ尽くしましたが、
まだ冷蔵庫に少々残っています。
そろそろ飽きてきました。

お正月料理は作るのも楽しいし、
美味しいし、大好きだけど
贅沢なことですが、
そしてわがままなことですが、
醤油やお出しの味じゃないものが食べたくなりました。







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