マリヤンカ mariyanka

日常のつれづれ、身の回りの自然や風景写真。音楽や映画や読書日記。手づくり作品の展示など。

2015-02-25 | 自然
花のつぼみが膨らむ様子はいいもんだ。
なんて可愛い梅の花、

ライラックの蕾も膨らんできた。

花粉ばかりをまき散らす花もあるけれど、

じわじわと緑色の面積が増えていく

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弘法さん

2015-02-21 | 
今日は21日、21日と言えば京都では弘法さんの縁日、
久し振りに行ってみることにしました。
家の傍のバス停からバスに乗り「東寺道」でバスを降りて直ぐに東寺の東側の門が見えてきます。

今日は良いお天気、おまけに土曜日、
大勢の人で賑わっていました。



広大な境内に立つ五重塔や講堂や金堂もちょうど公開中、
これらの建物の中を拝観するのは初めてです。
重文や国宝の建物の中にはこれまた重文や国宝の仏像がざくざく、
どの仏像も素晴らしくてドキドキしました。
桃山時代や江戸初期のこれらの建造物や彫刻の迫力に圧倒されます。
(弘法大師による創建時の物は落雷などによって焼失)
左の下の隅の人物と大きさを比べてみてください。



残念ながらこれらの建物の内部は撮影禁止ですが、
剥げかけた壁の絵なども眼を近付けてしっかり見ることができました。
優雅さと力強さが見事な彫刻や建築物になって体現されています。






縁日ではありとあらゆるものが売られています。

砥石やさん

帽子やさん



弘法市ではお参りと同時に、
植木をみたり、古道具を見たり、着物を物色したり、
お腹が空けば食べ物も選り取り見取り、
本当に楽しい場所です。

そろそろ帰ろうとバス停近くまで来てお腹が空いているのに気が付きました。
広い道路をわたれば大きなイオンモールがあるけど、
イオンには行きたくないので
しばらく歩いていたら「相生餅」の看板がありました。
小さなウインドウには巻き寿司とお稲荷さんが皿の上に乗せられているだけ、
どうしようかなと思って足を停めたら、
ふわりと「おうどん」のいい香り。
扉を開けて中に入れば普通に「おうどん屋さん」でした。
そこで「たぬきそば」(刻みアゲのあんかけそば、擦り生姜がたっぷりのっている)を食べてバスに乗って帰りました。
お土産は「箸」と「よもぎ麩」と手づくりの小さなアクセサリーです。


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待ち遠しい

2015-02-18 | 手づくり
昨日から雨が降ったりやんだり。
土の上に降った雨はあっという間に地面に吸い込まれていきます。

枯れた木の枝の数え切れない
固い蕾の中で今何がおきているのでしょう。
あと1ヶ月くらい経てば黄色やピンクの花が咲きこぼれ、
木々も地面も緑に覆われるなんて、
いくら考えても凄過ぎます。
待ち遠しい春です。
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川底

2015-02-16 | Weblog
私が住んでいる所は、
鴨川と高野川に挟まれています。
どちらの川へもほぼ等距離です。
かつては高野川は上流の染色工場から色のついた水がいつも流れて出ていました。
もっと昔、河原では友禅流しや河原一面に反物を干している様子が見られました。
本当に遠い昔、子どものころの記憶です。
今ではすっかり公園のように整備され、
ジョギングや散歩やデートや子どもの水遊びの場所となって多くの人が川を楽しんでいます。
直ぐそばを流れるこれら二つの川ですが、
あまり変化の無い鴨川に比べて、
高野川は雨が降るたび、川底の様子が変わります。

(右の方に白い砂が溜まって小さな砂浜ができています。)
京都北東部の山中から流れて来る高野川は
粘土質の層と白砂の層が綺麗な模様を作ります。
水がきれいなので橋の上からよく見えます。
京都は周りの山が高くなり中央部はどんどん低くなって、
そこに周りから浸食されて流れ込んだ土砂がたまって平坦地を作っていって出来た盆地だそうです。
人が住むようになったのはずっと後のこと、でも、
川底の砂を見る度、
山の浸食は今もずーっと続いているのだなと勝手に感慨にふけっています。
どこを見ても絵葉書のような京都の街中の風景の中にこのような自然を見つけるとウキウキします。


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ニューヨーク・タイムズの風刺漫画

2015-02-14 | Weblog
米ニューヨーク・タイムズ紙(2015年2月8日)の風刺漫画。
「constitutional revision」とは「憲法改正」のこと。
「テロリストの脅威」で国民を煽り、憲法改正という政治目的を進める安倍首相、
外国は見抜いている。

















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『ボラード病』吉村萬壱

2015-02-12 | book
福島の原発の事故からもうすぐ4年、
たった4年で過去に追いやられようとしています。
あったことをまるで無かったかのように、
誰も責任をとらず再稼働を言い募るというおぞましい事態が進行しています。

この小説『ボラード病』は
あくまで小説で、架空の町「海塚市」の物語ですが、
福島かもしれないし、日本の地方都市のどこかかもしれません。

海塚市には大災害があったけれど、復興を果たしたとして、
人々は町に戻っています。
学校では「ふるさと海塚」を讃える教育が行われ
たえず「海塚」の歌を唄い皆で海塚を愛する気持ちを確かめあいます。
海塚産の野菜や果物は一番美味しく魚は新鮮です。
町では「絆」が絶えず強調されます。
表だって反抗的な言辞や態度を示す者はある日どこかに連れていかれて消えてしまいます。


主人公は母と二人で暮らしている小学生。
母は地元のスーパーで食料品を買うのですが娘には決して食べさせません。
娘には寄付をしていると言うのですが、実際には捨てている事を娘は知っています。
災害から8年経って、クラスの友達が急に何人も入院し次々亡くなります。
葬儀で、遺族や町の人々は、
「○○は海塚の風になった、海塚の自然に帰った、私たちの心の中に生きている、」と言うのです。


母の苦しみと娘の苦しみと、
それぞれの苦しみが頂点に達するかと思う時、
娘はある日、ボランティア活動の中で、ふっと楽になったことを発見します。
なんだ、こんなに楽に息ができる、と。
明るくなった主人公の顔を見て母が言うのです。
「同調したのね」

物語の底から慟哭が聞こえます。

日本の小説と翻訳ものの海外の小説と半々くらいに読んでいますが、
大抵の日本の小説は毒が無くて生ぬるく感じます。
でもこの小説には毒があります。
毒は大切です。

静かに忍び寄るファシズムの不気味な姿が浮かび上がってきて、
苦しくて、悲しくて、怖ろしくて凄い小説でした。
*ボラードとは港などで、船を繋ぐ紐などをひっかけて結びつけるための、
 鉄などで出来たキノコ型の杭のようなモノのこと。

ボラード病2014・文芸春秋
   吉村萬壱 著(1961年生まれ、2003年芥川賞受賞)


              



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引っ越したお地蔵さん

2015-02-09 | お地蔵さん
ある日気が付いたら、お地蔵さんがなくなっていました。
どこへ行ったのでしょう?
ここはちょっとばかり息苦しい場所だったかもしれません。
近くにもっと居心地のいいところが見つかったのだといいな。
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お地蔵さん 2

2015-02-07 | お地蔵さん
「お地蔵さん1」の地蔵さんのあるスーパー辺りを
徒歩でぐるっと回っただけでも10位のいろんなお地蔵さんが見つかりました。
スタンダードタイプ、

おしゃれタイプ、
屋根の色合いや卍のタイルの色に幕や紐や花までマッチしていてとてもおしゃれ。

洋風タイプ

顔を覗き込むと綺麗にお化粧してあるのや笑い顔や少し怖い顔や様々です。
でもこのお地蔵さんの顔を描いた人は書くときに
きっとこのお地蔵さんの顔と同じ顔をしていたに違いありません。



仮設タイプ?

知り合いに神輿製造専門のお仕事をされている方が居ます。
お地蔵さん専門の大工さんもおられるに違いありません。

街中を歩いていると香や仏具以外にも僧や神官の衣類や履物の専門店とか、
被り物専門店とかいろいろあります。
それぞれがちゃんとやっていけてると思うと不思議で面白いことで良いなあと思います。
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人殺し

2015-02-06 | Weblog
人殺しは人殺し、
戦争で敵を殺すのも人殺し、
爆弾で人を殺すのも人殺し、
正義の殺人なんてない、

どんな理由があろうとも人を殺せば人殺し、
人殺しは人殺し以外の何者でもない。

人殺しを企んだ奴の手には、
洗っても洗っても消えない汚れが染みついている、
復讐でも殺人は殺人だ。
死刑も殺人だ。

私はそう思う。
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お地蔵さん 1

2015-02-05 | お地蔵さん
京都の町なかは一歩路地を入ればお地蔵さんがあって、
花がお供えしてあって、そばに一円玉とか10円玉が置いてあることもあります。
私が住んでいる所にもお地蔵さんがあります。
30世帯位がそのお地蔵さんを守っています。
隣の組はまた隣の組のやり方でその地区のお地蔵さんのお守をしています。
私の住む組では以前信心深い人達が自然に花を飾り掃除をしてお供えをしていましたが、
今では当番制で、今月は私が当番です。
毎朝、から拭きして、新しい水をお供えします。

上の写真はお地蔵さん用の11枚のよだれかけ、
一枚は現在使用中。(亡くなるまでずっと一人だった、近所の女性が作ったものです。)
12月用のクリスマス模様のもあります。

町の中のそこらじゅうにあるお地蔵さんには、
井戸を掘る時に出て来た、とか
家を立てるために地面を掘っていたら出て来た、などのいわれがあります。
京都の町は幾度も幾度も戦乱と飢饉に晒され、
その度に真っ先に犠牲になったのはいつも子どもたちだったとおもいます。
そんな子どもたちへの鎮魂の思いが込められているかもしれないと思うと、
信仰の無い私ですが、お地蔵さんには、むげにできない気持ちと同時に親しみも感じています。

庶民の暮らしや人の命を何とも思わずに、
私利私欲のために戦争をする。
権力者のやることは何百年経っても何も変わらないようです。
庶民の方は変わったのでしょうか?

上の写真はいつも行くスーパーの壁に組み込まれているお地蔵さんです。
3体納められています。


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