7月4日
コロナワクチン一回目、打ってきました。肩が痛くなると聞いたけど、いまのところ何ともないですね。老人の鈍感力のおかげかも。
「ランボーはなぜ詩を棄てたのか」(奥本大三郎著、インターナショナル新書)を読みました。「イリュミナシオン」のタイトルについての斬新な解説を読んで、蒙を啓かれました。これまで敬遠してきましたが、その詩集に含まれる諸作を新たに読みかえしてみたいと思います。そんな内容のすばらしさとともに、いままでなんとなく科学者というイメージのあった著者(だって奥本先生といえば「ファーブル昆虫記」ですから)が実は東大仏文科の出身で、井上究一郎の教え子だったという事実にちょっと意外さを感じ、同時にあらためてすごいな、と思いました。「昆虫記」の翻訳には30年を費やしたとのこと。おそらく井上先生もプルーストを訳すのに同じぐらいの年数をかけているはず。この師匠にしてこの弟子あり。そしてその2人がランボーにもそうとうのこだわりを持っていたという事実がまたおもしろい。興味のある方は、ぜひ読んでみてください。
コロナワクチン一回目、打ってきました。肩が痛くなると聞いたけど、いまのところ何ともないですね。老人の鈍感力のおかげかも。
「ランボーはなぜ詩を棄てたのか」(奥本大三郎著、インターナショナル新書)を読みました。「イリュミナシオン」のタイトルについての斬新な解説を読んで、蒙を啓かれました。これまで敬遠してきましたが、その詩集に含まれる諸作を新たに読みかえしてみたいと思います。そんな内容のすばらしさとともに、いままでなんとなく科学者というイメージのあった著者(だって奥本先生といえば「ファーブル昆虫記」ですから)が実は東大仏文科の出身で、井上究一郎の教え子だったという事実にちょっと意外さを感じ、同時にあらためてすごいな、と思いました。「昆虫記」の翻訳には30年を費やしたとのこと。おそらく井上先生もプルーストを訳すのに同じぐらいの年数をかけているはず。この師匠にしてこの弟子あり。そしてその2人がランボーにもそうとうのこだわりを持っていたという事実がまたおもしろい。興味のある方は、ぜひ読んでみてください。