麻里布栄の生活と意見

小説『風景をまきとる人』の作者・麻里布栄の生活と意見、加えて短編小説。

生活と意見 (第684回)

2020-02-25 06:21:54 | Weblog
2月25日

ふと、前から持っている岩波文庫「ベートーヴェン 音楽ノート」を開いたら、こんな言葉が。

生命は音の振動に似ている
そして人間は絃楽器だ

注によれば、これは当時人気のあった劇のセリフを書き写したものとのことですが、なにか(勝手に)先週自分が書いたことと響きあうように感じました。続き。

地面にひどく落せば
ほんとうの響きは失われてしまう
そしてもう二度ともと通りには響かぬ

Cのミとして鳴る可能性もあったかもしれないけど、結局Eマイナーのミになったのは、私が、何度も地面にたたき落とされて壊れた楽器だからだと思います。
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生活と意見 (第683回)

2020-02-16 19:09:41 | Weblog
2月16日


ようやくわかった。
俺が何かということが。
俺はEマイナーの「ミ」だ。
人間ではない。
ただのミという音なんだ。

言いたいことも
ほしいものも
何もない。
俺はただミとして鳴っている音だ。

かあちゃん
ようやくわかったよ。
俺が何で幼稚園や小学校を脱け出してばかりいたのか
何で一度も出世したいと思ったことがないのか。
何で切実に子どもをほしいと思ったことがないのか。
それは俺がEマイナーの「ミ」だったからだ。
鳴ること以外
何にもできなかったからだ。

だから誰からも相手にされず
ひとりの女にも愛されなかった。
みんなにはわかっていたんだ
俺がミとして鳴ること以外
何の役にも立たないことが。

何を見ても
誰を見ても
ミとして鳴るしかない人生、
いや音生。

それももうすぐ終わりだ。
ようやくわかったところで。
もうすぐ俺は鳴りやむだろう。
弦のふるえがとまるように。
きれいさっぱり何も残さずに。
どうしてミだったのか
俺を奏でたのが誰だったのかも
わからないまま。

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生活と意見 (第682回)

2020-02-11 20:17:04 | Weblog
2月11日

最近読んで印象に残った言葉。


馬に種をまけない私は死んだも同然だ。 (ニーチェ、心を病んでのち)

雪のうちは昼顔かれぬ日影かな (芭蕉)
――昼顔は(朝顔のような優美さはないが)、雪の中でも日に照らされても枯れずに咲いている。俺の心もそうなら・・・・・・。
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