5月30日
一昨年まで、ちゃんと、死につつあることをつねに思い、殺伐としてはいても安定を保てていたのに、その後なにかが乱れて、どうしようもない老人になってしまった。その代償を支払うときがきたようです。自分のためにここに書いておこうと思います。
とっくにこの世に見切りをつけ、去っていった何人かの友だち。あがいている私を大笑いしながら見ていることでしょう。
結局、「明日の心配」をするところから弱気がきた、ということなんでしょうね。明日もこれを保たないといけないという考え。生まれて50年以上、一度もそう考えたことがなかった自分には、それが一番重い病気です。「明日のことを思いわずらうな」。そう言った若者は30ではりつけにされた。すっきりして、なんてすばらしい人生。それに比べて、なんてみじめな人生。保とうとする心は醜い。自分がそうなってすごく感じます。同時に、そう感じるからこそ不適応者なのだと思います。だって、保つということが生活であり、世の中の目的なのでしょうから。
いまさら何をいうのか。やめます。
一昨年まで、ちゃんと、死につつあることをつねに思い、殺伐としてはいても安定を保てていたのに、その後なにかが乱れて、どうしようもない老人になってしまった。その代償を支払うときがきたようです。自分のためにここに書いておこうと思います。
とっくにこの世に見切りをつけ、去っていった何人かの友だち。あがいている私を大笑いしながら見ていることでしょう。
結局、「明日の心配」をするところから弱気がきた、ということなんでしょうね。明日もこれを保たないといけないという考え。生まれて50年以上、一度もそう考えたことがなかった自分には、それが一番重い病気です。「明日のことを思いわずらうな」。そう言った若者は30ではりつけにされた。すっきりして、なんてすばらしい人生。それに比べて、なんてみじめな人生。保とうとする心は醜い。自分がそうなってすごく感じます。同時に、そう感じるからこそ不適応者なのだと思います。だって、保つということが生活であり、世の中の目的なのでしょうから。
いまさら何をいうのか。やめます。