9月29日
飯を食うこと周辺で忙しく毎日無意味。唯一読了できたのが、角川ソフィア文庫の新刊「ファン・ゴッホ」。前に読んだ中公文庫の分厚い伝記より淡々とした記述で、でも、だからこそその生涯がよりリアルに感じられました。大きめの図版が見たくなって、何十年かぶりに集英社の現代世界美術全集のゴッホの巻を開くと、その本を買ったのが大学3年(3回目の1年生)の夏休みだとわかりました。人生で一番悩んでいたころです。
「ファン・ゴッホ」を読んで今回初めて知ったのは、「開かれた聖書のある静物」に描かれた聖書に、「イザヤ書53章」という言葉が書きこんであるということ。その章は、拙作「風景をまきとる人」の終わり近くで一部を引用した章です。旧約聖書を通読したときに、キリストという存在の簡潔な定義がここにあると思ったので引用しました。たぶん有名な章で、いろいろなところに引用されているのでしょうが(本当はどうなのか知りません)、ゴッホが「そこを見よ」と注意を促しているというのは、やっぱりちょっとうれしかったです。
しばらく前、また、「風景をまきとる人」を読みました。いまキンドル版として発売しているものは本当に決定稿になっています。キンドルのアプリを入れてあればスマホでも読めます。80年代の底辺文化を思い出す、それだけの目的でもいいので、読んでもらえたらうれしいです。アドレスがすごく長いので貼り付けませんが、アマゾンで「風景をまきとる人」と検索してもらったら出てきます。ぜひ、読んでみてください。
飯を食うこと周辺で忙しく毎日無意味。唯一読了できたのが、角川ソフィア文庫の新刊「ファン・ゴッホ」。前に読んだ中公文庫の分厚い伝記より淡々とした記述で、でも、だからこそその生涯がよりリアルに感じられました。大きめの図版が見たくなって、何十年かぶりに集英社の現代世界美術全集のゴッホの巻を開くと、その本を買ったのが大学3年(3回目の1年生)の夏休みだとわかりました。人生で一番悩んでいたころです。
「ファン・ゴッホ」を読んで今回初めて知ったのは、「開かれた聖書のある静物」に描かれた聖書に、「イザヤ書53章」という言葉が書きこんであるということ。その章は、拙作「風景をまきとる人」の終わり近くで一部を引用した章です。旧約聖書を通読したときに、キリストという存在の簡潔な定義がここにあると思ったので引用しました。たぶん有名な章で、いろいろなところに引用されているのでしょうが(本当はどうなのか知りません)、ゴッホが「そこを見よ」と注意を促しているというのは、やっぱりちょっとうれしかったです。
しばらく前、また、「風景をまきとる人」を読みました。いまキンドル版として発売しているものは本当に決定稿になっています。キンドルのアプリを入れてあればスマホでも読めます。80年代の底辺文化を思い出す、それだけの目的でもいいので、読んでもらえたらうれしいです。アドレスがすごく長いので貼り付けませんが、アマゾンで「風景をまきとる人」と検索してもらったら出てきます。ぜひ、読んでみてください。