1月26日
新訳文庫からホフマンの「砂男/クレスペル顧問官」(大島かおり訳)が出ました。すでに読みました。ホフマンの幻想は、童貞が思い描く悲喜劇めいたところがあり、私は20歳ころから文句なく好きですが、以前(30歳ころ)職場の後輩(青学でプロレタリア文学をテーマに卒論を書いたという男)にすすめたら「ただ暗いだけでいいとは思わない」と感想が返ってきました。そう感じる人がいるのももっともだ、とも思います。根底にあるのは恥ずかしいほどのロマンチシズムなのですが、作者がひねくれているために(ゲーテみたいに素直でないためにというか)、思いつめたような悲喜劇になるのです。ファンからすればそこがまたいいのですが。池内紀、種村季弘訳も持っていますが、「砂男」はこれが決定訳のような気がします。読みやすい。興味がある方はぜひ読んでみてください(いま調べたら、この訳は昔旺文社文庫で出たものの改訳のようです。旺文社文庫もかなり持っていますが、知らなかったです)。
新訳文庫からホフマンの「砂男/クレスペル顧問官」(大島かおり訳)が出ました。すでに読みました。ホフマンの幻想は、童貞が思い描く悲喜劇めいたところがあり、私は20歳ころから文句なく好きですが、以前(30歳ころ)職場の後輩(青学でプロレタリア文学をテーマに卒論を書いたという男)にすすめたら「ただ暗いだけでいいとは思わない」と感想が返ってきました。そう感じる人がいるのももっともだ、とも思います。根底にあるのは恥ずかしいほどのロマンチシズムなのですが、作者がひねくれているために(ゲーテみたいに素直でないためにというか)、思いつめたような悲喜劇になるのです。ファンからすればそこがまたいいのですが。池内紀、種村季弘訳も持っていますが、「砂男」はこれが決定訳のような気がします。読みやすい。興味がある方はぜひ読んでみてください(いま調べたら、この訳は昔旺文社文庫で出たものの改訳のようです。旺文社文庫もかなり持っていますが、知らなかったです)。