麻里布栄の生活と意見

小説『風景をまきとる人』の作者・麻里布栄の生活と意見、加えて短編小説。

生活と意見 (第819回)

2023-07-30 07:30:43 | Weblog
7月30日

老人がふと思い出したこと。私の通った文学部キャンパスは、正門からゆるいスロープで校舎まで上がっていくようになっていたのですが、このスロープの途中でよく、同人誌や自主製作の詩集を売っている人がいました。その中で、いまでも覚えているのは小屋敷修平さんという方で、本名なのかペンネームなのかはわかりません。当時とすればきちんと製本された自作の詩集を「セブンスターと同じ値段です」と、セブンスターをふかしつつ登校する私に、セブンスターを吸いながら話しかけてきて、結局、私は一冊買いました。中身はぜんぜん覚えてないのですが、コピー詩集を配るぐらいしかできない自分には、うらやましかったのを覚えています。当時セブンスターは150円。「この詩集を買うと、学食で200円のカツカレーは食えないな。今日も120円のカレーだな」と、とことん貧乏な計算をしながら買いました。もちろん、小屋敷さん本人は大赤字だったと思いますが。2年留年して、ときどき最初の年の語学クラスの同級生に会うと、「ああ、Nは中退したよ」というような消息話も出て、「そうか、俺もどうしようかな」などとよく考えたりしました。たぶん、本部キャンパスみたいな活気は全くなかったと思いますが、それが自分には退廃的で心地よく、気に入っていたのだと思います。みんな、どうしましたかね。

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生活と意見 (第818回)

2023-07-23 08:08:46 | Weblog
7月23日

悲しい気持ちが一日中続いてなにを見ても聞いてもしんどいです。

落書きは、人文ゼミ「ニコマコス倫理学」の授業中に描いたもの。
やっぱり「月」が好きなんですね、私は。

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生活と意見 (第817回)

2023-07-17 08:16:16 | Weblog
7月17日

以前書いた、コピー詩集の表紙のひとつです。大学1年。まだ19歳だったころ。人生でもっとも憂うつな時期でした。このころ、クラシック音楽をすごくよく聴いていました。絵の中に見える「魔笛」もそのひとつです。自分では、もうすぐ発狂するのでは、とよく思いました。


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生活と意見 (第816回)

2023-07-09 21:18:32 | Weblog
7月9日

人の気持ちをふみにじる まぶちモーターの鳥。

もちろん、出来上がった絵に意味はありません。落書きをしているうちにこうなりました。どうやら、日本文学概論B(万葉集)の授業中に書いたようです。

で、マブチモーターの話。

私たちの子供時代、マブチモーターといえば、なんというか、光り輝く言葉のひとつでした。いまの子供たちは、なによりゲームが遊びの中心なのでしょうが、私たちのころは(タカラのアメリカンゲーム、エポック社の野球盤、その他のボードゲームも人気でしたが)やはり、男の子の遊びといえばプラモを作ることがダントツの人気だったと思います。ゴジラ、ガメラ、鉄人28号、アトム、ウルトラマン、ウルトラセブン、サンダーバード、タミヤの戦車・戦闘機、戦艦大和・武蔵、アポロ……。そうして、すごく安い、小さいプラモは別として、あのころは、「動く」ということが重視、要求された時代でした。まあ、戦車やポインター(ウルトラセブン)などの自動車系ならわかります。が、人型ロボットやヒーローにも、それが求められました。いまは、ガンプラを見てもわかるように、見た目がすべてですが(もちろん、それはそれですばらしい)、私たちのころは、プロポーションは二の次、ガニ股で首すら回らなくても「歩く」ことが大事でした。そうしてそこに神器として存在したのが、マブチモーターだったのです。
無理やり三種の神器とすれば、あと二つは、ナショナルハイトップと、水中モーター(やはりマブチ製ですが)でしょうか。
大和のように、下手をすると切り取るときに折れてしまいそうな細かい部品を使って組み立てたものも、やはり水中モーターを底に吸盤でくっつけて水に浮かべ、動かしてみる、というのが当時の風習(?)でした。
なぜあんなに「動く」ことにこだわったのか……。なにかそこに、高度成長期のにおいが感じとれるような気がするのは私だけでしょうか。じっとしてはいられないというか、にぎやかな雰囲気がよくて、静止するのは停滞を意味する、とでもいうような。まあ、それも今となっては思い出のひとつですが。


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生活と意見 (第815回)

2023-07-03 00:35:49 | Weblog
7月3日

ただいたずらに曲線を描き、閉じた部分を塗りつぶしたりしているうちになにかに見えてきたのでなぞってみた。そんな落書きをある時期ずっとしていました。これはキリストのように見えたのでそう名付けました。

で、キリストの話を。

キリストとの出会いはもちろん、幼稚園のときです。何度か書きましたが、聖母幼稚園というカトリックの幼稚園が私の母園(こんな言い方はないか)で、そこではときどき聖書について学び、クリスマスには園児たちでキリスト生誕の劇をやっていました。
うちのような貧しい家の子供がちょっとお坊ちゃん風のこの幼稚園に行くことになったのは(実際私以外はみんなお坊ちゃんでした)、そのころ住んでいた家の大家さんがカトリック信者だったからで、その息子でのちに高校のクラブの先輩にもなった幼馴染の名前は「よしや」君。これは預言者ヨシュアからきた名前です。

このころの思い出はいろいろありますが、キリストは、私にとって大きな意味をもっていたとは言えません。「どう考えてもいい人なのになんで十字架にかけられたのか」という疑問は幼稚園以来ずっと頭にありましたが、大学生になるぐらいまで、私にとってはべつにどうでもいい存在だったと言っていいと思います。――もちろん私も、自分にとっての神については子どものころからなんとなく考えていたと思いますが、それがキリストと結びつくことはありませんでした。

それが徐々に興味の対象になっていったのは、やはりドストエフスキーを読み始めたから、ということになると思います。

正直、ドストエフスキーは、最初、読もうとは思いませんでした。一番有名な「罪と罰」というタイトルは、なんだか大上段にふりかぶっているみたいでいいタイトルだとは思わなかったし、内容はどうやらばあさんとその妹を殺す殺人事件小説らしい。好きになれそうにない(いまでも「罪と罰」はあまり好きではありません。何度も読んでいますが、殺人シーンのあとから読むことが多いです)。
なのですが、なんとなく先に「カラマーゾフの兄弟」を読んで吹っ飛びました。まずアリョーシャには、「白痴」のムイシキンの特性が入っていますが、この童貞のこっけいさがまるで自分のような気がして読み進むうちに、男らしいミーチャが好きになり、でも本当に当時の自分が近かったのは嫌いなイワンで、結局カテリーナにふられてしまう(やっばり俺のような奴はフラれるのさ。あーあ)。というようにドラマを読むうちに、フョードルが殺され、実際手をくだしたスメルジャコフは、イワンの暗黙の指示に従っただけで、本当の犯人はイワンではないのか、と感じられてくる。すごいな、と思いました。また、本筋以上に、クラソートキン少年の話には、背筋がじーんとするほど感動しました。この物語で、イワンの言う「神がなければすべての行為が許される」という有名な一言は自分に突き刺さり、ここで初めて、キリストがぼんやり神と重なって見えました。
二度留年したあと人文科に進級し、専門科目で「キリスト教研究」を取り、最初の授業で「当時は、『私がキリストだ』と言う人間はたくさんいた」という話を聞いて驚いたのを覚えています。キリスト教の基礎知識を学びましたが、それでもまだ、キリストが私にとって大きな存在にはなりませんでした。

大きな存在となるには、社会に出て、童貞でなくなり、キリストがドン・キホーテと同じに見えてくるだけの時間が必要でした。30歳ごろです。このときまでには、五大長編はすべて一読していました。好きだったのは「白痴」で、ここでキリスト=ドン・キホーテの図が明確に描かれます。そうか、そうだな。そうだったんだな。と、ドストエフスキーが本当に言いたかったことがわかったと思いました。それまで読んだことがなかったセルバンテスの「ドン・キホーテ」を実際に読み、拙作「風景をまきとる人」の油尾ほどではありませんが、涙が出るほど感動しました。
私は世界で一番くだらない仕事をして飯を食い、学生時代にまじめに考えたことから離れよう、離れようとしていました。「罪と罰」のスヴィドリガイロフの淫蕩さ、「悪霊」のニコライの変態性欲、「白痴」のロゴージンの嫉妬と執着の深さ。自分の中にもその芽があるのを自覚しました。そうして、「もういい。そちらへ行け。行って二度と帰ってくるな」と何度も思いました。仕事にのめりこみ、忙しさを充実感だとわざと思い込んでいました。

が、それらはとてもむなしい自分しかあとに残さない。大学卒業前に、バイトの面接に向かい、途中で行きたくなくなったときの町の感じ。この企業も別に自分を必要としていないし、自分もここでどうしても働きたいわけではない。どうでもいい。自分はなんのために生活費を稼いで生きるのか。どんな意味があるというのか。むなしい。徹底的(いや、この場合「テッテ的」というのが正しい文法なのかも)にむなしい。

収入も増え、忙しさで時間つぶしをし、快楽(もちろん自分に見合ったちんけなもの)を追いかけ、しかし、瞬間瞬間の隙間時間に自分を直視すると死ぬほどむなしい生活。これは続けていてはいけない。どうにかしなければ。

そういう切羽詰まった感じになったとき、キリスト=ドン・キホーテが自分を導いてくれる、という気がしました。旧約を通読し、イエスという人物について考え、「悪霊」を小沼訳で再読してステパン・ヴェルホーベンスキーという喜劇的人間の造形に改めて衝撃を受けました。ドストエフスキーは、自分が作中でこっけいな人物として扱い、皆に嘲笑させる人物に自分の本音を語らせるというひねくれた癖をもっています。その極致がステバン氏であり、彼はみんなにやじられ、笑われながら言うのです。「美がなければ、なにひとつ存在できないのだぞ」と。

ドストエフスキーは、キリスト教(ロシア正教)の信者というより、イエス・キリストの熱烈なファンなのですね。極端に言うと、パスカルもそうでしょう。そうして私も、キリスト教はいまだによくわからないけど、イエスはとても好きです。おそれ多い言い方なのかもしれないけど、尊敬しています。

拙作「風景をまきとる人」は、そういう私の、キリストについてのすべての考えをまとめたものとも言えます。私はこれを書くことで、もう一度学生時代に戻った、とも言えます。

では、その自分の好きなイエス・キリストにどんな言葉を私は聞き取るのか。
それはむずかしくありません。二言で言えます。そして、この二言を考えたのは、キリスト教を徹底的に嫌った男です。

「君の魂の中の英雄を投げ捨てるな。君の最高の希望を神聖なものとして尊重せよ。」

ツァラトゥストラ、つまりイエス、かく語りき。







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