麻里布栄の生活と意見

小説『風景をまきとる人』の作者・麻里布栄の生活と意見、加えて短編小説。

生活と意見 (第663回)

2019-08-27 06:19:54 | Weblog
8月27日

初日の昨日、少しだけ行ってきました。
宮島さんはかなり長くいたようです。

平日なのでむずかしいとは思いますが
足を運んでいただければうれしいです。
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生活と意見 (第662回)

2019-08-25 23:28:11 | Weblog
8月25日

さきほど「裏山現像」の展示作業を終えました。といっても、私はほとんど何もしていませんが。
とにかく、いい写真ばかりです。ぜひ、お立ち寄りください。

できれば、1枚の写真の前に立ち止まって、ゆっくり見ていただきたいです。

よろしくお願いします。
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生活と意見 (第661回)

2019-08-24 12:29:02 | Weblog
俺は65%自殺している。 (トリスタン・ツァラ)
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生活と意見 (第660回)

2019-08-24 12:18:08 | Weblog
8月24日

宮島さんの写真も文も、それこそブレのない作者の生き方をそのまま表しています。それに比べて私は、若いころ編集をやっているとき、はした金のためにブレブレになったことがあります。毎年収入をふやす、などという、自分がそういう世界観を軽蔑して始めた社会人生活のはずなのに、いつのまにかその世界観を、やくざな仕事をしながら、別世界の住人だと考えていた人たちと共有してしまっている。その愚かさに気がついていながら、ぬるま湯から脱け出せない。どうにでもなれ、というマゾヒスティックな気持ちが根底にあり、また、ページを構成し、記事を書くというエセ創作行為を、わざと本当の創作と変わらないもののように考えている演技を自分にも他人にもしてみせ、「クリエイティブ」(うんこ)な生活を送っている、と自分をだましている。どうせ文学なんて直接間接の自慢話じゃないか。もはや誰も「精進」などしない。誰も高貴さなど求めてはいない。――その日常に大きなゆさぶりをかけてくれたのが三十代初めのプルーストであり、三十代半ばのメルヴィルでした。私は四十手前で皿洗いになり、食えないので(シフトを決める人間に嫌われたので)業界には戻ってきましたが、仕事に対する態度は前とは違い、皿洗いの代わりに多少は慣れているこの仕事をするのだ、としか考えないようになっていました。プルーストとメルヴィルは、やはり心を鼓舞してくれましたが、彼らは死んだ巨匠であり、またお手本にするには遠すぎる。そんなとき、私は宮島さんに出会いました。話下手で、いつも事物を判断するのに、いくつもの可能性を考えてしまうために、一見あいまいな人に見えてしまうが、実は石英のようにまっすぐで硬質な人間。飯を食う仕事の多忙さの中でも、なによりも自分の作品を撮ることを優先し、その姿勢を貫き、しかもそれを当たり前と考えているので自慢しようという考えすらない人。私は驚きました。生まれて初めて「精進」という言葉を自然に実行している人間を見たのです。大げさでなく。写真と言葉ということでジャンルは違うけど、私が創作について思いつきの言葉を吐いても、彼自身そのことを考えなかったことはひとつもない、というのがはっきりわかるようにこたえてくれる。私は宮島さんに鼓舞され、才能がないなりに、「風景をまきとる人」という作品を最後まで書きました。ワードのプリントを真っ先に宮島さんに渡し、迷惑だったと思いますが、読んでもらいました。あのあとも、私は食べるための仕事に忙殺され、結局新しいものはほとんど書けていません。しかし、宮島さんはその間に何度か個展を開き、さまざまな、斬新な世界の素顔を私たちに見せてくれています。たしか、アンリ・ミショーの詩に「26歳の男にとってすでに人生は貴重であり」というフレーズがあったような気がします。そんなバカな、と思っていましたが、実際にその通りだったといまでは思います。ブレた男にはそれなりの結末しかない。そうしてブレない畏友・宮島径にはその才能にふさわしい結末が待っていると思います。
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生活と意見 (第659回)

2019-08-23 23:42:43 | Weblog
8月23日

来週月曜から
「裏山現像」展がはじまります。

時間は12時から7時です。
場所は新宿御苑の大木戸門近くです。
下記のページを見ていただけますか。

http://www.placem.com/map.html

まだ暑いですが、立ち寄っていただけるとうれしいです。

また、宮島さんが、自分でこの写真展への序文を
書かれています。
ブックマークの
宮島径のブログ
をごらんください。


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生活と意見 (第658回)

2019-08-18 00:00:25 | Weblog
8月18日

「裏山現像」展が近づいてきました。

PLACE M の以下のページ、見ていただけるとうれしいです。

http://www.placem.com/schedule/2019/20190826/190826.html
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生活と意見 (第657回)

2019-08-12 12:24:06 | Weblog
8月12日

「彼岸過迄」読了。前に読んだときほどいいと感じなかったです。たぶん老いのせいでしょう。新訳文庫から「カルメン」が出たので読みました。完璧な作品という印象は変わりませんが、ドン・ホセがカルメンを殺す最後の場面が、なぜか作り物のような感じがして共感できなくなっていることに自分で驚きました。別れて生きることができないなんて、そんなバカな。と思ってしまう。これもまた老いのせいでしょう。体調不良のせいかもしれませんが。
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生活と意見 (第656回)

2019-08-04 19:37:50 | Weblog
8月4日


老犬(昨夜みた夢)

だだっ広い畳敷きの部屋の隅に、障子のほうを向いてすねたような気持ちで寝転がっていると、飼っているマルチーズの老犬が事故に遭ったというしらせがどこからともなく届いた。妻と二人で外へかけだしてみると、大通りから町の商店街に入っていく入口の魚屋の前にマグロか何か大きな魚の肉のかたまりがいくつか転がっていた。ここが事故現場らしい。老犬は魚屋の車にひかれたのだ。しかしどこにも犬の死骸はない。病院に連れて行かれたようだ、とそこにいた誰かが言った。気がつくと私と妻は坂道をかけあがっている――私はなぜか病院と聞いて広尾の日赤病院を思い描いている――と、途中に怪しげな不動産屋がある。なぜかわからないが、私と妻はそこに入っていき、従業員に問いただす。私の犬はどこだ? 従業員は二人か三人いたが、みんなニタリニタリと笑っている。お宅の犬は目が見えなかったんでしょう? そうだ。老犬はもう目が見えなかった。そんな犬を放し飼いにするなんて、ねえ。ヒヒヒ。なにが「ねえ」だ、この野郎。そのとき、店の奥から俳優の丹波哲郎が現れて、私と妻の肩を抱いて店の外に連れ出す。キイハンターの衣装のままの丹波哲郎は私たちに、低い声でなにか言った。じゃあ。彼は自分の説得が完全にうまくいったと確信したような表情で店の中に消えた。私と妻はまた坂道を上っていく。だが、ふと気がつく。丹波哲郎は霊界の人だ。ということは、ここは霊界で私たちも死んでいるということなのだろうか。ならば死んでいる私たちが、事故に遭った、やはり本当は死んでいる老犬を探すことになんの意味があるのか。考えながら歩いている私は、歩道から車道にさまよい出て道いっぱいに混雑している車の波の真ん中にいた。車の列は私を避けようとして乱れ、混乱を引き起こしたが、よく見るとどの車も私の膝ぐらいまでの高さしかなく、べつに私の体に触れるわけでもない。適当にまっすぐ歩道まで戻ると、車の大きさも列も元に戻った。
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