友だち
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予備校のお粗末な授業。それも原因のひとつだったろう。彼は予備校を決めるときも(部屋と同じで)とにかく授業料の安いところを探した。東京での生活費だけで、裕福ではない実家の家計に大きな負担をかけることはわかっていたので一番安いところを選んだ。すると、多くの授業(英文解釈、英文法、現代国語、日本史など)で、大学のミニコミ誌や同人誌でよく見る、写植ではない活字で組まれたオリジナルのテキストを買わされ(どれも誤植がありそうで彼は使う気がしなかった)、授業では年老いた(大手予備校ではすでにタレント性のある「名物講師」が注目を浴びはじめた時代だったが、それとはまったく無縁の)講師たちが、150人は入る大教室でマイクを使い、それらをぼそぼそと読んでいくだけだった。これなら市販の参考書を使って自分で勉強したほうがまし――そう考えて予備校から足が遠のくのも無理はなかったかもしれない(同じように考えた学生は多かったようで、夏休みが過ぎると教室は春の半分ぐらいしか席が埋まらなくなっていた)。
だが、それをいうなら、お粗末だったのは予備校だけではない。彼はもともと真面目な受験生ではなかった。それどころか、高校時代、二年生の後半ごろからは、完全に勉強を放棄していた「落ちこぼれ」だった。毎日の授業にも全部出席することはまれで、途中で自主早退(担任教師に報告なしで)しては市立図書館に行き好きな本を読んでいた。当然成績は最悪で、高三の終わりには二科目追試を受けてようやく卒業した(卒業させられたというほうが正確だろう)。もともと大学に行く気はなかった。けれども、三年の三学期に考え直し、やはり受験することを選んだのだった。もちろん、約二年間まったく勉強をしていなかったので、早大をはじめいくつか受けた大学にはみんな落ちた。そこで、彼は受験に専念するために、すへての環境を変えることにし、故郷の、瀬戸内海に面した小さな町を出て、東京の片隅の川島荘にやってきたのだ。彼にとっては、なによりも環境を変えることこそが大事で、予備校ははじめから二流とわかっていて選んだのだから、授業内容などにそれほど期待していたわけではなかったはずだ。だからそれも一番の原因とはいえない。
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予備校のお粗末な授業。それも原因のひとつだったろう。彼は予備校を決めるときも(部屋と同じで)とにかく授業料の安いところを探した。東京での生活費だけで、裕福ではない実家の家計に大きな負担をかけることはわかっていたので一番安いところを選んだ。すると、多くの授業(英文解釈、英文法、現代国語、日本史など)で、大学のミニコミ誌や同人誌でよく見る、写植ではない活字で組まれたオリジナルのテキストを買わされ(どれも誤植がありそうで彼は使う気がしなかった)、授業では年老いた(大手予備校ではすでにタレント性のある「名物講師」が注目を浴びはじめた時代だったが、それとはまったく無縁の)講師たちが、150人は入る大教室でマイクを使い、それらをぼそぼそと読んでいくだけだった。これなら市販の参考書を使って自分で勉強したほうがまし――そう考えて予備校から足が遠のくのも無理はなかったかもしれない(同じように考えた学生は多かったようで、夏休みが過ぎると教室は春の半分ぐらいしか席が埋まらなくなっていた)。
だが、それをいうなら、お粗末だったのは予備校だけではない。彼はもともと真面目な受験生ではなかった。それどころか、高校時代、二年生の後半ごろからは、完全に勉強を放棄していた「落ちこぼれ」だった。毎日の授業にも全部出席することはまれで、途中で自主早退(担任教師に報告なしで)しては市立図書館に行き好きな本を読んでいた。当然成績は最悪で、高三の終わりには二科目追試を受けてようやく卒業した(卒業させられたというほうが正確だろう)。もともと大学に行く気はなかった。けれども、三年の三学期に考え直し、やはり受験することを選んだのだった。もちろん、約二年間まったく勉強をしていなかったので、早大をはじめいくつか受けた大学にはみんな落ちた。そこで、彼は受験に専念するために、すへての環境を変えることにし、故郷の、瀬戸内海に面した小さな町を出て、東京の片隅の川島荘にやってきたのだ。彼にとっては、なによりも環境を変えることこそが大事で、予備校ははじめから二流とわかっていて選んだのだから、授業内容などにそれほど期待していたわけではなかったはずだ。だからそれも一番の原因とはいえない。