麻里布栄の生活と意見

小説『風景をまきとる人』の作者・麻里布栄の生活と意見、加えて短編小説。

生活と意見 (第675回)

2019-11-16 10:02:23 | Weblog
友だち

6

 予備校のお粗末な授業。それも原因のひとつだったろう。彼は予備校を決めるときも(部屋と同じで)とにかく授業料の安いところを探した。東京での生活費だけで、裕福ではない実家の家計に大きな負担をかけることはわかっていたので一番安いところを選んだ。すると、多くの授業(英文解釈、英文法、現代国語、日本史など)で、大学のミニコミ誌や同人誌でよく見る、写植ではない活字で組まれたオリジナルのテキストを買わされ(どれも誤植がありそうで彼は使う気がしなかった)、授業では年老いた(大手予備校ではすでにタレント性のある「名物講師」が注目を浴びはじめた時代だったが、それとはまったく無縁の)講師たちが、150人は入る大教室でマイクを使い、それらをぼそぼそと読んでいくだけだった。これなら市販の参考書を使って自分で勉強したほうがまし――そう考えて予備校から足が遠のくのも無理はなかったかもしれない(同じように考えた学生は多かったようで、夏休みが過ぎると教室は春の半分ぐらいしか席が埋まらなくなっていた)。
 だが、それをいうなら、お粗末だったのは予備校だけではない。彼はもともと真面目な受験生ではなかった。それどころか、高校時代、二年生の後半ごろからは、完全に勉強を放棄していた「落ちこぼれ」だった。毎日の授業にも全部出席することはまれで、途中で自主早退(担任教師に報告なしで)しては市立図書館に行き好きな本を読んでいた。当然成績は最悪で、高三の終わりには二科目追試を受けてようやく卒業した(卒業させられたというほうが正確だろう)。もともと大学に行く気はなかった。けれども、三年の三学期に考え直し、やはり受験することを選んだのだった。もちろん、約二年間まったく勉強をしていなかったので、早大をはじめいくつか受けた大学にはみんな落ちた。そこで、彼は受験に専念するために、すへての環境を変えることにし、故郷の、瀬戸内海に面した小さな町を出て、東京の片隅の川島荘にやってきたのだ。彼にとっては、なによりも環境を変えることこそが大事で、予備校ははじめから二流とわかっていて選んだのだから、授業内容などにそれほど期待していたわけではなかったはずだ。だからそれも一番の原因とはいえない。 
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生活と意見 (第674回)

2019-11-09 18:15:41 | Weblog
11月9日

「風景をまきとる人」キンドル版には、無料サンプル版があります。主人公・油尾が登場するあたりまでが収められています。「友だち」は、こてこての、記事のような書き方をしていますが、「風景~」は、まったく違う書き方をしています。よかったらダウンロードしてみてください。
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生活と意見 (第673回)

2019-11-04 22:01:34 | Weblog
友だち

5

三月の終わり、最初に飛び込んだ不動産屋で最初に紹介されたこの部屋に即決したのは、家賃の安さと、志望校である早大が近いという理由以外なにもなかった。彼は浪人の一年間を完全な受験ロボットとして過ごそうと考えていたので、部屋の居心地はどうかとか、隣人はどういう人たちなのかとか、そんなことはどうでもよく、また自分に影響を与えることではないと思っていた。とにかく、予備校で授業を受け、自習し、帰ってきてからも部屋では勉強以外やらない。やる気が低下したら、早大まで歩いて行き、キャンパスを見て士気を高める。その繰り返しで一年を過ごすつもりだった。それはとても簡単なことに思えた。実際、最初の一カ月、五月になるころまでは、彼は当初の思い通りの繰り返しを保つことができた。だが、連休の少しあとぐらいから徐々に調子が狂い始めた。まず、ときどき授業をさぼるようになった。はじめは朝だけ。そのうち午後も。それでも夏休み前までは、さぼっていても自習室で自分なりの勉強は続けていた。ところが夏休みが終わり新学期になると、予備校自体を休むようになり、そうして、とうとうこの二カ月はほとんど行かなくなってしまった。
 なぜか。それにはいくつかの原因が考えられるだろう。
 ひとつは、初めての一人暮らしという環境だ。彼には、「生活」が(たとえそれが単調な受験生生活だったとしても)どういうものかということがまったくわかっていなかった。薄い壁の向こうから聞こえる隣室の住人の生活音。また、それが聞こえるということは自分のほうの音も向こうに筒抜けなのに違いない、という考えから部屋にいるあいだ中消えない緊張感(彼は蛍光灯のスイッチを切る音で、「寝るんだな」と隣人に悟られたくないというそのためだけに、いつも電気をつけたまま寝るようになった)。夜中に酔っ払って帰ってくる住人の存在。深夜に廊下を歩くスリッパの音(それは坂道に面した三部屋の真ん中の司法試験受験生だった)。住人をつねに観察しているような川島たみえ一家(30歳ぐらいのその娘と、長身で肩幅が広く手と足の細長い婿養子。それと祖母と同じ顔の3歳の女の子)の目。ときどき玄関で鉢合わせるとこちらを見て馬鹿にしたようにくすっと笑う川島たみえの生徒たち。――そんな、つねに他人に囲まれている環境が、これまで家にいるときには当たり前だったリラックスできる時間を彼から奪い、深い眠りを奪った。また、それに輪をかけて、すべて外食の食生活の不便さとそれが招く不健康(東京にきた初日から一週間、彼は下痢をした)、共同トイレの不便さ不快さ、たまっていくごみや洗濯物のきたならしさとにおい、「風呂に入る」という、一日の終わりに脱力するための行為が、新たなイベントに向かう気持ちを奮い起こさずにはこなせない銭湯通いのめんどくささ、床の上のカーペットに敷いた布団で寝る心地の悪さ(最近は堅い、赤いそのカーペットが、敷きっぱなしの布団に押されて壁を這い上がり、丸まった先端が寝ている彼の顔をつつくようになっていた)。――それらの、ここで暮らし始めるまでは想像もできなかったことたちが、彼の五感をつねに刺激し、疲れさせ、毎日を、彼が最初考えていた静かな、無機質な(たとえば「異邦人」のムルソーの生活のような)イメージとはまったく違うものにしていた。彼はその雑然とした毎日にいらだちつまずいて、自分のリズムを保てなくなったのかもしれなかった。
 けれども、それだけなら、時間がたつにつれて「慣れ」という薬が少しずつ効きはじめ、徐々に彼を楽にしてくれていたはずだ。事実、隣人以外の住人の存在は、このごろはそれほど気にならなくなっていたし、そのほかの環境にも(共同トイレを除いて)慣れてきていた。だから、それだけが原因ではない。
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