麻里布栄の生活と意見

小説『風景をまきとる人』の作者・麻里布栄の生活と意見、加えて短編小説。

生活と意見 (第633回)

2019-01-27 22:41:14 | Weblog
1月27日

神保町あたりも外国人が増えましたね。基地の町の出身者としては、そのこと自体には驚かないのですが、やはりもう、かつて自分にとって神保町だった別の町を歩いている、という感じが強い。もちろんそのことだけでなく、さまざまに建物の形が変わっていることが大きな理由ですが。頭の中で、自分にとっての神保町をなぞりながら歩いて、いま現在の感じにリアリティをつぎたしても追いつかないほどの非現実感。――それこそ「老い」の正体なのでしょう。
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生活と意見 (第632回)

2019-01-14 20:01:57 | Weblog
1月14日

千一夜物語は3巻半ば。若い頃ころ読んだときとは印象が少し違いますね。前は読みながら、ほぼ完全なエンターテインメント作品だと感じたのですが、今回は、いろいろなところで「人生の苦み」を感じます。豪華絢爛(おまけに淫乱)な話であることはまちがいないのですが、やはりルバイヤートをうたったオマル・ハイヤームと同じ血の流れる人々が作った物語だなと強く感じます。もちろん、あれから私自身が老い、老いるあいだにいろいろと苦い経験をしたので、この物語の中に、それを見出しやすくなっているのも事実でしょう。

――その後しばらくして、(中略)(神の)御手の下のいっさいの創られしものと等しく、(中略)かつてあらせられたものに返って、王は、あたかもかつて世に在(いま)さなかったも同然になられてしまいました。というのは、時はいっさいを刈り取って、忘れてしまうのでございます。

善王・ダウールマカーンの早すぎる死を、シェヘラザード(佐藤訳ではシャハラザード)はこのように語ります。死ねば、王でさえ、「かつて世にいなかったも同然になる」。ましてや小市民ならなおさら。そうして孫世代になれば、もはやその人間について語られることさえなくなる。――昔から思うのですが、「墓」などになんの意味があるのでしょうね。私にはまったくわかりません。


講談社学術文庫から「老子」の最新訳が出ました。20章冒頭の訳はこれまでの大半の訳と同じで意味がよくわかりませんが、本当の中国文学者の仕事なので、老子きどりの文筆家の訳よりははるかにいいと思います。

新訳文庫からはプラトンの「テアイテトス」が出ました。以前、ちくま学芸文庫から出ていたものの改訳です。ちくま版も持っていますが買いました。「老子」と「テアイテトス」。なかなか重量感のある正月あけです。
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生活と意見 (第631回)

2019-01-04 12:47:32 | Weblog
1月4日

目次の作り方と、そこにリンクをはる方法をようやく習得しました。なんとかもう少しでキンドル版の短編集を発売できそうです。
それができたら次に、雑文をまとめたものも一応形にしておこうかと思っています。

また今年は、怠けている「万葉集」を読了したいと思います。
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