麻里布栄の生活と意見

小説『風景をまきとる人』の作者・麻里布栄の生活と意見、加えて短編小説。

生活と意見 (第512回)

2015-12-28 06:45:49 | Weblog
12月28日


どうもしんどいですねえ……。――「マハーバーラタ」の、こないだ買わなかった三一版第3巻を高円寺に行って買ってきました。ここまでで、原典訳文庫の6巻までの内容を含むようです(原典訳は8巻までしか出ていません)。三一版第3巻の後半ではすでにクルクシェートラの戦いが始まっています。しかし、私は戦闘場面にはあまり興味がなく、そこからはレグルス文庫で十分だと思っているので、開戦前夜まで読んだらこの読書も終わるつもりです。ちょうどほしかったところまで完訳(英語の重訳ですが)が3000円で手に入った。ラッキーだったと思います。しかし生活は……。どうも心がしんどいですねえ。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生活と意見 (第511回)

2015-12-20 23:54:58 | Weblog
12月20日


なお「マハーバーラタ」に浸っています。路頭に迷うことになるかどうかはっきりわからなかった二週間前、ふと思い出して高円寺のガード下にある都丸書店に行きました。およそ2年ぶり。あればいいな、と思ったちくま学芸文庫版はなかったのですが(神保町でも馬場でも見かけません)、三一書房の、英訳からの重訳でほぼ全訳という全9巻本の1~3巻が各1000円で出ていました。定価は4500~5500円なのでかなり安い。30分、立ち読みしながら悩んで1、2巻を買いました(原典訳だと3巻までの内容に相当)。まだレグルス文庫を読み終える寸前でしたが、それから時間のある限り、その本と、原典訳第2巻を読んで、レグルス版では省略されているエピソードの概要を余白に書き加える作業をしています。と同時に、三一書房の1巻を改めて頭から精読しました。思ったことは、レグルス版がとてもすぐれた縮訳版であるということ。もし、初めて読むのにこの三一版を選んでいたら、1巻の真ん中までもたどり着かなかったろうと思います。「世界の初めに大きな卵があった」というようなところから始まるのですが、なにが大テーマなのかさっぱりわからない。これこそプルーストのいう“開きすぎたコンパス”です。初めて読むときはやはり、パーンドゥ家とクル家の主要共通ご先祖あたりから入ってくれないと興味が持続しません。その点、レグルスではヤヤーティ大王の話から入って数代後のドリタラーシュトラとパーンドゥ世代まで、主に数奇な結婚の話を中心に一気に読ませる。とてもいいですね。ただ、縮訳の性で、プロフィールのわからない人物がしばしば登場して頭を悩ませる。しかも、誤解を招く書き方がしてあることもある。たとえば「マハーバーラタ」の伝説的な作者である詩人ヴィヤーサ(ヴァーサ)が実際はドリタラーシュトラとパーンドゥの父親なのですが、レグルスだと二人はヴィチットラヴィーリア王の子供となっています。たしかに名目はそうなのですが、ここには書かれていないドラマが背景にあり、それを知らないと、あとでヴィヤーサが「パーンドゥ兄弟にとってのお祖父さん」と書いてある理由がわからない。――でもまあそういう部分を除けばこれほど複雑な物語をここまで短くした手際はすごいと思います。しかもそれがインド人の手で行われたというのがいいところ。外国人が審美的な基準で編んだのではなく、インド人から見て人間が生きるために大切と感じられるエピソードが選ばれている。つまり“たましい”が抜き出されていると思うからです。――最終的な愛読書としては(エピソードを書き加えた)レグルス版になると思いますが、できるところまで全訳も読み進むつもりです。――明らかに「現実逃避」という側面を強く持つ読書ですが、自分を許してやりたいと思います。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生活と意見 (第510回)

2015-12-13 18:22:49 | Weblog
12月13日

「マハーバーラタ」全3巻読了。前回は「とにかく読もう」と、脇役の人々についてはあまり注意しなかったのですが、今回は「原典訳マハーバーラタ2」(なぜか1が見つからないので)、「バガヴァッドギーター(マハーバーラタの一部)」(岩波文庫)で系図や脇役のプロフィールもチェックしながら読みました。ダイジェスト版ですが、最後は胸が苦しくなるくらいになりました。とくに後半、クルクシェートラの戦いの描写はすごい。また、戦うことに迷う戦士の独白も。訳文もすばらしい。そうして読み終わると、人間のむなしさに頭からケツまでつらぬかれて呆然としてしまいました。たぶん、これから何度も読むことになると思います。全訳もできれば読もうと思います。

水木さんのことは「特別だから」と思ったので書き、同様の話は二度と書かないつもりでしたが、今週は野坂昭如さんが亡くなり、やはり同コーナーに出ていただいた時のことを思い出さずにいられませんでした。その時を含め、三回、お会いする機会がありました。二十代のフリーライターのころ、「天皇制にこだわる」(だと思うのですが)のゲラをヒルトンホテルで読まれているところにおじゃましたのが一回目(とんねるず殴打事件のころです)。一緒についてきた編集がなぜか逃げるように帰ってしまい、戸惑っている私に、冷蔵庫から缶ビールをとってくださいました。しかし、酒が飲めないのでそういうと、ウーロン茶(あの金のふちの黒い缶です)に変えてプルタブを開けて渡してくださいました。若さゆえの思い込みからくるわけのわからない質問(また仕事と無関係の稲垣足穂についての質問)のことなど思い出すと消え入りたくなりますが、どんな質問にも優しくていねいに答えてくださいました。三回目は、野坂さんの希望で東京タワーの下から赤坂まで二人でタクシーに乗りました。取材対象者とそんな状況になったのは何百回のうちほんの数回だけ。緊張しましたが、貴重な、楽しい時間でした。

またしても路頭に迷うことになりました。「人身事故」で迷惑をかけずにすむようやってみるつもりですが、正直、疲れ切っています。いまは、手垢でよれよれになった「ダンマパダ」と新しく発見した「バガヴァッドギーター」だけが心の支えというところ。まあでも、「もういい」んですけどね、本当に。ばかばかしい。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生活と意見 (第509回)

2015-12-06 09:07:26 | Weblog
12月6日


水木しげるさんが亡くなりました。あまりこういうことを勝手に書いてはいけないと思うのですが、ひとつだけエピソードを。18年前、私が編集長をつとめていた雑誌に水木さんに出ていただきました。お話しと撮影で約5時間、水木さんの人生にかかわらせていただきました。「60歳以上の男性に、若い人へ向けての『遺言』をもらう」という、ある意味失礼な企画(全7ページのトビラは、「デスマスク」のように撮りたい、とその場でゲストに注文していました)だったにもかかわらず、快く取材を受けてくださいました。私にとって、同時代で最も尊敬する人物に会えたことは至福のできごとでした。そのとき、開口一番、水木さんがおっしゃったことを忘れません。「70歳を過ぎてから、妖精の声が聞こえるようになったんだよ」。……ははーっ、と心の中で額を床にこすりつけながら、「そうだ、俺が子供のころから聞きたかった唯一の言葉はこれだ」と痛烈に感じました。――ほかにもいくつもの忘れられない場面や言葉がありますが、それは私の貧しい人生の宝としてあの世にもっていきたいと思います。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする